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日記・コラム・つぶやき

銭湯のフェアリー

街角にヴィーナスがいるというならば、銭湯にもフェアリーがいる。

私がそのばあちゃんに会ったのは春くらいのことだ。ゲットーにふさわしい古式な建築様式の銭湯に通っているのだけど、以前は通うのは夜も8時過ぎてから。だが、その頃は銭湯に行く時間が夕方あたりだった。それで、私はそのばあちゃんに遭遇したのだった。

私があかすりで背中をんしょんしょとこすっていると、その腰の曲がった小さなばあちゃんは、人のよさそうな脱力した笑顔を浮かべて、「背中こすってあげようか」と声をかけてきてくれた。年齢的に、逆はあってもそれはないだろうと思って遠慮したのだが、「いいからいいから」と言われて、ついつい背中を流してもらった。恐縮しつつも、すみずみまで背中をこすってもらって気持ちよかった。流してもらって、「今度は私が」と言ったのだが、「いいよいいよ、私はもう流しちゃったから」と固持されてしまった。

それから何度か銭湯で遭遇し、そのたびにばあちゃんはニコニコと「背中ながしてあげるからね」と声をかけてきてくれて、それに甘えた。

とかく人情がないというヨノナカ、下町ならまだしも、と思うのは甘い幻想だ。平成の御代、かつては野良猫が闊歩し、ガキどもの声の響いていたゲットーも、すっかり活気なくふれあいなく、他人行儀に過ごすのがデフォルトだ。

そんなこんなで、人の良いニコニコしたばあちゃんを、私は心ひそかに「銭湯のフェアリー」と呼んでいる。

曜日や時間帯の都合もあり、フェアリーとの遭遇も間遠になっているけれど、いつまでもお達者で、そして幸多かれと思っている。つまるところ人の値打ちなど、死ぬときにそう想ってくれてる人がいかばかり居るかというところにかかっているのではないだろうか、と思うこの頃。

誕生日のしあわせ

つい昨日がたんじょうびだったが、さすがに齢を重ねたので、何ということもしなかった。
ただ、近所にクジラを食べさせる店があり、そこでいつもより100円ほど高い定食を食べてみたりした。

ちなみに、クジラのユッケはとってもおいしい。かしこいクジラを食べたりするのもずいぶんな話かもしれないが、牛や豚の立場というのもどうなのか。愛するウミガメの刺身も食べてみたことがある。一緒に生きている、と感じる。
なんにせよ、乱獲とかも過度の経済動物化とかも、自然との調和がとれなくてよくないとは思うけど。

自分が死んだら動物に食べさせたり、土にそのまま埋めて養分にしたりすることが、いちばん自然な「輪廻」なのではないかと思うが、あまりにも原始的すぎるであろうか。

誕生日の話からそれてしまった。誕生日のうれしいところは……誕生日じゃなくてもうれしいのだが……、望外に、人から声をかけてもらえることだ。世間と隔絶したような生活を送っていたりすると、よけいに沁みるものがある。あてどない海のようなヨノナカで、知り合った人たちから「生きてるよ-」とシグナルをもらうだけで、海のうえで他の船を発見したような、ほっとしたきもちになる。人様に「すこやかたれ」と心から思えるひとときが訪れる。

おおきな海にたらい船のような毎日だが、それでも旅はつづいている。

梅シロップを今年も漬けた

あいもかわらず出かけられもしない毎日。
だけども季節だけは淡々と過ぎていく。

八百屋さんで青梅が出回りはじめたので、毎年恒例の梅シロップ作り。
製作はかんたんで、梅を洗ってヘタを取り、梅と同量の氷砂糖とともに交互にビンに入れていくだけ。
ときどきビンをゆすってやってシロップを梅全体に回し、2週間もすればできあがる。
ちゃんと回してやらないと発酵したりするので要注意。
あとは梅を捨てて、シロップを冷蔵庫に移し、氷水や炭酸でうすめて飲むだけ。

暑くなってバテてくると、さわやかな梅シロップがとても重宝するのだけども、いつも盛夏にはもう飲み終わっている。
青梅のヘタを竹串でつむつむと取るのが、いつも楽しい。

時間の感覚が失せているような毎日だけど、未来のたのしみのために、ちょっとだけ備えられたのは、うれしい。

春が来た

ねこが布団に入らなくなって、春を知る。

お隣には仮設保育園ができたのだが、心配していたほどうるさくはない。
むしろ、耳をすますと子供たちの元気な声が聞こえる、というレベルで、ほほえましいくらい。
たまにぱそこんの手をやすめて、ちびちゃんたちの歓声(や泣き声)を聞いている。

すっかりあたたかいので、半年以上放置していた白髪アタマを、病気前に買いだめしてたヘナ粉で染め、ちびちびと稼いで新しく買ったユニクロのパーカーを着て、てくてくと散歩に出た。

外をあるくと、桜も爛漫に咲いていて、公園の花壇や道ばたなどで、さまざまな花が咲いている。
チューリップやムスカリ、パンジーやたんぽぽ、ぺんぺん草にいたるまで、春を謳歌している。

太陽の光が物質に反射することで、千変万化の色彩を、この目は愉しむことができる。
そんなことをかんがえながら、春の花々の生きている鮮やかな色を、目に吸い込む。

去年の今頃は混濁のさなかだった。
いまは何とか、少しづつ、自分をとりもどしてきた気がする。
食べ物のおいしさも、感じられるようになった。

睡眠サイクルやら食欲やら、まだまだ問題は多いけれど、時が解決してくれることもあるんだろう。
春はいい季節だ。

秋めいてきたので近況

ちょっと精神のバランスを崩して長期ダウン。パソコンの調子も悪く、一年近くブログを更新してませんでした~。今後も更新はまれになりそうだけど。思いついて、この間の我が家の生きものたちのことでもおぼえがき程度に書いてみる。
・金魚4匹のうち3匹までが☆になってしまった。
残るいっぴき、雪だるまのような白金魚が、長く転覆病を患っていた相方をしのんでか、天地逆になってくつろぐクセを身につけてしまった(別に病気ではない)。
・ねこはマイペース。かなり上等なカリカリを食べさせていたので、安いカリカリを食べず。ワンランク落としたカリカリさえ嫌そうにたべる。とはいえ食べなければならないとはわかっているようで、まるで食べないわけではない。
しかし……エサをもらう時だけなついてくる現金さはどうにかならないものか。

簡単な近況

・職場では新型うつなKO卒上司(ったって20代)が、散々遅刻して欠勤して、でも海外旅行はちゃっかり行った上で結局は年末まで休職で、こちとら多忙なり-。ひ~ (x_x; 。

・ねこ、ゴミ箱乗り→背中ジャンプをまたするようになった。骨折以後の恐怖心を克服して、また背中ジャンプをするようになれたのは嬉しいかぎり。

・黒らんちゅうが寝たきり三週間の末、亡くなった。いろいろと手を尽くしたが、それがかえって弱った身には悪かったかと、悲しいことしきり。雨の日、桜の木の下に埋めた。

・ここ2ヶ月ほど、洋物の戦略ネトゲーにハマって、つたない英語で毎日がんばってます。イスラエルやらルーマニアやらクロアチアやらインドやらアメリカやらイギリスやらカナダやら南アフリカやらの連中と一緒に戦ってますが、「my great friend Seiuchi」とか言われるたび、内心吹いてしまってる私。

・またヅカ見てきました。観劇レポートはまたのちほど。今回は今までで一番好みだったー! 軍服祭り!!

波紋はひろがるもの

おかーさんが口内の手術をすることになり、年度変わり早々に大阪へ。しかし、前処置で不手際が起きて手術まで至らず、次日程もすぐには決まらないので、とりあえず私は引き返してきた。

連れも私も精神的に消耗したので、有馬温泉へ超お手軽な温泉バス旅もした。滞在3時間のミニミニ旅ながら、芯から温まるといくぶん気持ちもやわらいだ。かつて関東ローカルにまで「♪有馬温泉の向陽閣へ~」とCMが流れていた現物も見られて、ちょっと感動。

留守中のねこの世話は旧き強敵(とも)にお願いし、正味、三泊五日で帰ってきたが、ねこは不機嫌。噛む蹴る唸るで、「下僕のくせにどうして家を空けるんだー!!」と言わんばかり。それでも寝る時に、にゃあと声をかけてふとんに入ってきたのは、いじらしいかぎり。夜中はまだ寒いし、大暴風の日もあったしで、不安な思いをさせて済まなかったことだよ。しかたないので、ねこ孝行に努めよう。さらに、不在のあいだに、また暴走ジャンプでコケたか何かしたのか、ひどくびっこをひいている。怒りは身を滅ぼすぞ、ねこ。

火災をおそれて水槽のヒーターを切っていったせいか、黒らんちゅうは完全に沈没病になってしまった。ヒーターを切っても水温は14度くらいはあったと思うが、体質の弱い黒らんにはキビしかったのだろう。帰ってすぐココア浴をさせてみたが、ココア浴は浮くタイプの転覆病にしか効かないと知り、早々に打ち切って、水温をだんだん上げていくことに。他の連中は面憎いほど元気だが、最近まるまるしすぎなので、しばらくココア寒天でも食べさせておこう。デブも身を滅ぼす。自分自身にも言い聞かせたい言葉だ。

ヨノナカは関連しあっていて、誰かひとりの不調・好調が、さりげに周囲の生活や行動にも影響をおよぼしていく。機嫌よく過ごしているだけでも、周囲にプラスになる部分はあるのだろう。ましてや、こちとら身勝手でいきものを飼っているのだからして、ともかく自分の調子だけでもキープしておきたいもんだ。

あ、往きの新幹線の中で山田風太郎の「魔群の通過」を読了。悲痛にすぎる幕末歴史小説だったが、引き込まれて読んでたおかげで、富士山みられなんだ。帰りは曇っていて見られなかったし。旧い人間なので、新幹線にのってて富士山が見られないと、なんか損した気分になってしまう……。

液晶テレビ in 昭和空間、ねこタワー(段ボールでキャットタワー)

本を読んだり、お経プレイしたり、風邪をひいたり、ゴロゴロしたりな日々。
そうそう、こわれたTVをついに買い換え、うちにも液晶てれび時代が到来した(今頃かよ!)。

しかし、なまじ面積があって解像度が高いと、DVDレベルの画質にがっかりしてしまう、という事実に気づく。ブルーレイとかも買わなければならないのか? なんだかなぁ。
で、家主がいつのまにか加入していたJ-COM経由だとBS画質が汚いとか、でも実は地デジが難視聴地区だったのでアンテナをただ立てても映らないらしいとか、いろいろ悩ましいことも続出。

だが、そもそも私はテレビなんてどうでもいいんだー!!! お茶の間感の演出アイテムとしてしか求めてなかったのに~! むしろ大型モニタ買えばよかったのかー!?(そのほうが高い)。ウダウダあるとますます見なくなりそうだ。買っといて怒ってるのもナニだが。

ま、それはともかく。前の記事で載せた、段ボールタワー。
Tower1

材料費千円&全工程1時間というのがよくわかる。居住空間に美意識をもつご家庭だと、恥ずかしくて置いておけないレベル。四畳半空間に置くと昭和感がたっぷり。ハンパに小洒落るよりはあえてそれでOKと思う、都市スラム民度100%な私。

中をくりぬいているので屋上(?)まで上がれます。のぞき窓から襲撃したり、脚立をのぼって中途階から入ったり、一番下から上まで爆速で飛び上がったり、自分なりにアグレッシブに楽しんでいるような。すこしは運動もさせないとイカンだろ、と作ったので、よかったよかった。


Tower2
ねこは高いところにのぼるとドヤ顔をしがち……、のようにみえる。

Tower3
かじられて、四日で円くなりつつある最上段の穴。オマエは前世ビーバーだったのか。


Ahe
ねこは安心爆睡するとアヘ顔をしがち……、のようにみえる。

上野の蓮と無料コンサート

おでかけ記録。昨日22日は、旧き強敵(とも)と、上野の「古代ギリシア展」を見にいきました。早起きして蓮を見に行こう、と言いつつ、ふたりとも時間に遅れるという、中年らしいユルさ全開。

古代ギリシア展は、私の好きな黒絵の壺もたくさんで、実によかったです。小物をからめて、民俗面の紹介が多いのも(目玉的な彫刻を数多くは借りられなかったという苦肉の策かと思うけど)、おもしろく見られました。

しかし、直球エロ系・薔薇族系なものもあったんで、私たちのような善悪の彼岸過ぎ中年オバたちはともかく、夏休みの勉強や教養のためと観覧に来た、小学生や老人会の皆さんは、どのように気まずさを回避したもんか、とも思われです。

で、上野の蓮を見たのですが、展覧会を堪能しすぎて、見に行ったときはすでに午後。ただでさえ3分咲き程度の蓮は、店じまいを始めていました。
Hasu1


Hasu2


明けて23日は、かねてから厳しい先生のもとソウルな歌レッスンをかさねているゲト山シスターが、馬車道駅の構内で、無料コンサートに出る、ということで、出かけてきました。

国内外のあまたの会議で数多くの司会をこなしてきたシスターなので、エンターテインメントぷりがハンパない。
さすがゲト山シスターの歌は、ソウルがあって、足の裏から出てくる声(つまり全身が歌ってるってこと)が、うまい! ゴスペルやってただけあって黒っぽさが違う。特に、少しアップなアレンジにした「Killing me softly」は好きな曲だったもんで、「最後までソロで歌ってくれ!」レベルで聞き惚れました。

また、ゲト山シスターのすばらしい歌声を堪能したのみならず、なつかしい顔にあえて、嬉しさしきり。みんな出張も観光もフツーに海外なので、出不精ドメスティックせいうちも、話をきいているだけで遠くに旅行した気分になれました。良識ある好ましい人たちが国内外を行き来しているのを見聞きするのは、あかるい未来を信じられる気持ちになるので、気分よろし。

必要なのは、イマジネーションとデザイン(インド映画と原発と)

インドのSFアクション映画なんですが……なんというか、娯楽のツボを突かれる!!
「Robot」

昨晩は「インセプション」を見て、凝った映像に感動したのですが……。同じSFアクションと言うても、ここまで問答無用でベタに豪快にやられてしまうと、批評とかそういうものが成り立たない。正直、自分のイマジネーションの固定化が恥ずかしくなるほど。それにしてもインド映画の女優さんはどの人も美人じゃのぅ。音楽も微妙にズレているというか何というかだし。インド映画は面白すぎるので、日本でも字幕をつけてがんがんDVDを出してほしい気がする。

で、先日「これだ!」とひらめいたことを再録しとく(某所でもちょっとカキコしたら、改変コピーされて、一番言いたかった部分が飛んでしまったので)。

原発の何が良くないか。
原発のデザインは、ダサイ。古い。
この一言に尽きる。

見るからに昭和40年代的というか、重厚長大とか、鉄は国家なりとか、そういうデザイン感覚に充ち満ちている。戦艦大和だとか、キューポラのある町だとか、そういう高度成長期な感覚というか。
京浜工業地帯の工場見学ツアーは流行っているが、あれもひとつの「レトロスペクティブ感」に裏打ちされたものだ。あのテのデザインが現役でのさばるのは、もういいじゃないか、という気がする。
しかし、仕組み的に、あれをスタイリッシュにすることもできまい。お役所の小手先感いっぱいのショボい空色ペイントを施すのが関の山だ。

つか、「見た目かよ」と嗤うことなかれ。
大火復興の新都市・シカゴの高層ビル群が20世紀の幕開けを告げたように、新しいデザインこそが新しい時代を啓示する。逆に言えば、新しいデザインのない「新時代」などありえない。
人は見た目と言う向きも昨今あるが、それ以上に、デザインは思想を端的にあらわす。

ファッションも、インテリアも、家を建てるのも、ハコもの作るのも、都市計画も、「自分は、自分たちは、どのように生きていきたいか」を黙示するものだ。
ぱっと見て「こういう建造物がある場所なら住んでもいいなぁ」と思えるかどうか。
正直、原発は見た目もつまらなくて味気ないし、放射能を出そうが出すまいが、ご近所にあっても嬉しくはない。たとえ敷地内に公園を作ったとしても、ちょこざいな細工。だって建造物として美的じゃないから。

んで、個人的には洋上浮体による風力発電を推したい。何といってもデザインが、SFっぽくてカッコイイから。

ついでに浮体の水面下を魚礁に改造して、漁業基地にしてしまうといい。もちろん漁業権は、今回被災した漁業関係の人へ優先的に。石原慎太郎とかが「ヨットの邪魔だ」とか言いそうだが、なに、浮体を改造して、洋上不夜城カジノにでもしてやれば文句はないだろ。

'00年代のこの方ずーっと、流行も経済も停滞してた。復興復興といっても、代わり映えのしない日々を復興して、この先何十年も同じでいいのだろか? 自分たちが想わずに、「新しいデザイン」が生じてくるだろか?
それを改めて問い直さずに、あいつが悪いこいつが悪い式に矮小化して済ませては、今まで懸命に働いてもらっていた原発も安心して成仏することなどできないだろう。

もちろん、被災地の先もみえないのに、原発問題が片づかないのに、未来の話をしてても、「寝言ほざくな」てなもんだろう。
けれど、「次の時代」がみえないのに、がんばれがんばれ復興復興とか言ってても、力は出ない。
マイナスをゼロまでに戻すのは、並大抵の努力では不可能だ。プラスの夢を提示されてこそ、頑張れる気力も出てくる。
てか、「借金ぜんぶ返せゼロにしろ、がんばれがんばれ」と言われるのと、「借金ぜんぶ返してこんなことやあんなことやろうよ、がんばれがんばれ」と言われるのでは、がんばれる度合いも違うだろに。

未来へのデザイン、イメージする力を失ったときに、人は生きる力を失う。
マイナスへの想像力を失えば危機への備えを失い、プラスへの想像力を失えば閉塞と絶望に陥る。
日本がほんとーにヤバイのは、「夢を語る力」が完全に衰弱しちゃったときだと思うよ。

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