そういえばこのブログも、今度の立春で開設まる4年になる。人目を気にせず書き散らすゲットー系ブログだから続くんだろうなぁと思う。さいしょに開設を勧めてくれたさかなさんに改めて感謝したい。
ただ、今になってみると、どーもこのブログのタイトルはビミョーな気がしてきた。
私的には「Occult」をラテン語の原義通りに「隠されたもの」の意味で使っている。……つまり「あからさまに隠されてます」ということで、「裏があってもおもてなし」とか「どんより曇った日本晴れ」とか「クレタ人は嘘つきだと言うクレタ人」というような、パラドックスを含んだタイトルだ。あと、「隠されたものをあからさまにする」意味も入れてある。
要は「鏡の国のアリス」いうところの「
かばん語」とかパラドックス含みの語が、昔っから大好きなのだ(ジョイスの「ユリシーズ」はだいすき!)。
しかし、矛盾をたのしむ「心のモラトリアム」にも、もう飽きてきた。
アクセルとブレーキを同時に踏んでどちらに転ぶか賭けるのも、いのちが有り余っている間の楽しみだ。そんなヨユーなどもう無いし、だいたいそれをカコイイなぞとは思わなくなってしまった。
在り方は、もっと単純なもので良いんじゃないだろうか。
と、前フリは長かったが、そのうちタイトルを変えるかも。「漫談ブログ:あかオカ」とかも考えたが、昔の職場の関係者でそんな名の人もいたからイヤげなのでやめとこう(笑)。
※とはいえ。
自分自身を、他の何より(目に見えない神秘をかんがえる徒という意味での)「オカルティスト」と考えてること自体は、今も昔も変わらない。
人間が生きていることの意味、人間が人間を愛することや憎むことや育てることの玄妙さ、様々な考え方や人格の在りようの長所と欠陥、国家や組織や家庭の生成や発展や崩壊、人間の来し方行く末、星空を見上げた時に胸にこみあげる出所不明の感動の理由。
こういう、世界共通の「謎と神秘」に、いまんとこ誰もが納得できる正解は出ていないし、これからも出ないかもしれない。
もちろん、うえの「人間」は「自分」という言葉の置き換えでもある。だから死ぬまで、自分なりの答えさえ出せないかもしれない。ただ、少しでも「わかった」と思ってから死にたい。そういう想いは十有五の年からずーっとある。
つまり自己規定とかいうより、「あー、こりゃしょーがない、そういう生まれつきなんだわ」と観念してるというレベルの話だ。うん。
※ちなみにケッタイな心霊話を指して「オカルト」と言うほうが多いようだけど、個人的にはそういうもんは「ヨノナカにたくさんある、わからないこと」のひとつでしかなかったりする。そういう現象があっても、いまの時点では未解明のエネルギーの類が起こすもんではないかいな。電気が活用される前の「エレキテル」、ニュートン以前の「りんご落ち」みたいなもんで、時代が下ったら賢い人が解明してくれるんじゃなかろうか。ということで、私にとっちゃ「何か役に立つんなら有難いが、困ることになるなら係わりたくない」、つまり「無関係なこと」でしかなかったりする……。