読んだ本・借りた本

  • seiuchiの最近読んだ本

買い忘れないように

カレンダー

無料ブログはココログ

書籍・雑誌

連れの本がAmazonに

よーやく載ったようです。

幽体離脱入門 霊トレで離脱は誰でもできる!

配送料無料だ!ってことで、どーかひとつ、買ってやってくだされ! 奇書としてな!
(立ち読みでもいいけど、たぶんそこらの書店にはあんまり出回らないんじゃないかと)

……って、まだ現物は出てないんですが(汗)。21日発売。一週間早まりますた。

あ、そうそう

ここ数年、連れがデータ作成を手がけている手帳の来年度版が出ました。
新月や満月、占星術でいうムーンボイドが一目でわかる、小型の手帳だす。
ムーン・ダイアリー'10
小型なので、サブのスケジュール帳などに、どぞ。

ちなみに私がいつもつけてるカシオのデジタル時計、月齢と月のカタチが出るもので、20年以上も愛用してます。
通勤の道すがら、あるいは晴れた夜、ぽっかり浮かぶお月さまを見あげると、気持ちが落ち着くものです。

珍しいやん

日曜からぐだーっと体調を崩し、月曜には休んでしまった。ううう。
読む本は体調の異変を予告するのか、そういえば最近、珍しく小説を、それも最近の作家をちょっぴり読んでいた。小説だけ挙げれば、笙野頼子の「幽界森娘異聞」、リリー・フランキーの「ボロボロになった人へ」、浅田次郎の「鉄道員」。うーん。あんまり最近でもないな(笑)。
森茉莉にまつわる最初の作品はともかく、あとの二作とも面白かったなぁ。リリー・フランキーの短編集は、いきなり「大麻農家の花嫁」って最初のタイトルで爆笑したし(でも内容的には切ない系)。浅田次郎は「楽しみたい時に楽しませてくれる」作家として安心。しかし「角筈にて」は、帰りの東海道線の中で思わずボロ泣きしてしまった。出勤の時じゃなくてよかった。
それに懲りて、通勤の時は橋本治のエッセイとか読んでます(笑)。いまは「日本の行く道」ね。

そりと。ヴォネガットのエッセイ「国のない男」も先日、ようやく図書館で回ってきて読めました。シニカルな毒舌で、厭世的で悲観的で、しかしどうにも優しい心根が、泣ける。のほほんどっぷりと小説読みな気分になったら、何作か読んでみたいね、ヴォネガット。

空は広いのに、広いのに

おともだちのブログか日記で見かけ、図書館で、「人生の100のリスト」を借りて読んだ。著者のロバート・ハリスさんはJ-WAVEのD.J.だそうだ(ラジオは聞かないが名前は知ってる)。これは著者が大学生の頃、人生でやってみたいこと100のリストを書き出してから、達成してみたり、入れ替えてみたりしてきた経緯、つまりは人生の様々エピソード集なのだが、波瀾万丈で面白い。いや、波瀾万丈だから面白いわけじゃない。

勇気を持って生きるとき、人生は美しいのだなぁ、と思わせられる。そこがミソではなかろうか。

ヘタレにも勇気と憧れを充填してくれる本ではあるけど、何ともせつない気持ちになる。
かつて取引先のヨーロッパ人が結婚したとき、新婚旅行をかねて、これから三年ほどかけて、その土地土地で稼いだり学んだりしつつ世界を回るんだ、という話を聞いて、「すげーなぁ」と思ったりもしたもんだが、考えてみたら一度限りの人生なんだし、思い残すことなくやりたいことをやるほうが自然といえば自然。
何も得ることがなくとも、思わず識らず小さなぢべたにしがみついてしまうドメスティック根性が、いったいどこから湧いてきて内面の規律になってしまっているのか、思えばふしぎなもんである。
……そんな後悔がある日猛然と噴き出てきて、そしてお遍路さん化するのが、日本の晩年の道なのかしらん。

読後にはいつにもまさって、私の心のベストテンに常にランクイン入りの名曲「PRIVATE STORY」(80年代の異才バンドPINKの名曲、映画「チ・ン・ピ・ラ」のテーマ)が心に沁みた。ううむ。

物語は古い歴史をもつ

図書館でふと手にとったのでプラトンの「クリティアス」をさらっと読んだ。西洋ではよく引き合いに出されるアトランティスなる島国国家の話が出てくる本だ。
ギリシア哲学の本とかいうと難しげに思うのだが、いざ読んでみると、たのしいものだ。つーか、ソクラテスだのプラトンだのの本って、かならず上流階級のひまな連中(政治家とか弁舌家とかなので実際ヒマではないだろうが)が集ってくっちゃべる、つまり江戸時代の長屋漫談そのままなんだもん。ただ、話す内容が自然科学だの国家論だのというだけで。
アトランティスっつーのはやたら強大な島国で、服属を迫ってきたその覇権に、アテナイが全世界の注目のなか、雄々しく立ち向かった、というものらしい。で、戦いのさなかに大地震が起きてアトランティスは水没、ギリシア側も結構死んじゃって大変でした、という内容だった。これは一種の宇宙論本「ティマイオス」に記載。
……スティーブン・キング「アトランティスの心」などでロマンチックと思ってたが、けっこう困った帝国主義国家だったんだなぁと知って、やはり原典を見ないとと思った。
ま、アトランティスが存在したのは、プラトンの時代からさらに9000年前とかいうので、理想国家を論じるために捏造したお話なのではないかって気もするのだが。
で、一種の理想国家論「クリティアス」に戻ると、アトランティスは最初は賢人政治をやっていて、たいへんに繁栄していた(都市のようすが設定厨のように細々と書いてある)のが、だんだんと人心が堕落していき、繁栄&悪徳な国家になる。そこでその人民に報いを受けさせるべく、いよいよオリンポスの神々が集った……というところでいきなり、未完。がくーっときた。後世の散逸ではなく、明らかに中断されたのだという。
「こ、これじゃ一昔前の打ち切りマンガの終わり方だー!!」とウケてしまった。
「次週、乞うご期待!」な感じで未完というスタイルが、2500年前からあるという事実。ある意味、親しみを覚える。今後はもっと古い時代の戯曲なども読んでみようかと思った。

ドキュメンタリーや対談ばかり

読んだ本、まとめ書き。
「累犯障害者」「自閉症裁判」。どちらも数年前に世間を騒がせたレッサーパンダ帽男による殺人事件からはじまる。前者は、精神障害者や聾唖者による犯罪(および犯罪被害)、それをとりまく福祉や刑務所の現状をリアリティをもって描いてて、特に考えさせられた。考えた……というか、なんて言えばいいのだかわからない。
「時を駆ける美術」。芸術家モリムラによる、画家紹介のかる~いエッセイ。横浜美術館の展覧会を楽しみにしよう。
「何が映画か」。黒澤明と宮崎駿の対談。二人のエゴの強さ、言い替えれば作品へのこだわりに感動。この凄まじい濃ゆさが天才たるゆえんなのだろう。「フツー、ここまで自分の持論を通そうなんてしないよな~」と思うが、それこそ自分が作りたい世界がくっきりと見えてるか見えてないかの差かもなぁ。
その他、二、三冊読んだような気がするが拾い読みなので割愛。ここ数日はネットで文章や情報を漁っていたので、たくさん読んだように思えて、本は大して読んでなかったのだなぁ。

わらわら雑食

ここのところ借りはしても本が読めず。バースの「やぎ少年ジャイルズ」、借りたはいいが、挫折。 orz
わずかに読めたもの。サトクリフの「英雄アルキビアデスの生涯」(原題は「アドニスの花」)。古代ギリシアの政治家アルキビアデスの伝記だが、ピカレスクロマン風で面白かった。山田風太郎の室町もの。ドトールでくつろぎつつ一気読みなのでタイトル忘れた。この人の描く少年少女は実にうるわしい。エログロかつ虚無的な作風を背景に、一段と映えるんだよね。シスターお勧めの宇江佐真理「あやめ横丁の人々」。ゲットーの良いとこトホホなところ、両面を描いて泣かせる佳作。
読了はこの程度で、あとは本屋でパラパラ立ち読み。時代小説をひさしぶりに読むと、独特な語彙や言い回しの豊かさにうっとり。いいものです。
明日(もう今日か)は東陽片岡トークショーを聞きに阿佐ヶ谷まで。うさんくさい同時代にひたってきまつ。

「毒になる親」 - ゆるすとは何だろう

実姉に勧められて読んだ本。買ってからの紹介が遅くなってしもたけど、ロングセラーで平積みにされているので読まれた方も多いのではないかと。
「毒になる親-一生苦しむ子供」(原題:Toxic Parents)。原題のイメージとしては「(有毒物質のように)子供を蝕む親」 という感じになるのかな。なかなか言い得ています。
本の内容と特色については、リンク先の「スポットライトレビュー」をご参照あれ。

それにしても。「罪を憎んで人を憎まず」だが「罪は罪だ」という視点は、西洋的に思え、改めて目からウロコ感があった。きっぱりとした断罪はきっぱりした倫理から生まれる。日本の場合は、「あってはならないこと」がない、いや、「ない」と感じているのではなかろうか。世間が、ニュースが、いろいろな「ありえないこと」を伝えているから。
しかしはっきり言えば、世界で何がどう起きていようとも、自分のなかで「あってはならないこと」はあるはずだ。つーか、それが「倫理」ってもんだし、「個」の始まりだろうに。「あってはならないこと」があるから人は憎むし、固く結びつけられもする。「あってほしいこと」を夢見ることは受容されても、「あってはならないこと」に怒ることを忌避するのは、不健全ではなかろうか。……ちなみに「あってはならないこと」を甘受してしまう自己愛の低さも、この本ではToxic Parentsに関連づけられています。

この伝でいくと、「あなたよ幸福であれ! あなたを不幸にするものはやっつけてやる!」 というそれだけのことを、どのようにして伝えるか、それにどのくらい懸命になれるか、が人それぞれの「愛情表現」になってくるわけでしょう。
……ちなみに、Toxic Parentsに蝕まれると、他人が不運な時だけ「大丈夫?」と近づいてきて、他人が幸福な時には遠ざかる人間になりがちなよーです。つまりそーゆー人には、『大丈夫じゃないのは自分自身じゃないのか?』 と問い返してあげるほうが親切なのかなぁ。悩むところだ。

何はともあれ。人が幸福な時には共に心底喜び、不運な時には 「It's OK!いっしょに出口をさがそーぜ!」 くらいに言える人間になりたいもんです。そうできる自信がない人は、ぜひご一読を。

脱線。「どうして人を殺してはいけないの?」とか「どうして援交がいけないの?」とかの質問をめぐって世間が騒がしかったとき(ずいぶん前だなぁ)、河合隼雄が「それはたましいが傷つくからだ」と講演会か何かの時にいって、またそれをめぐって叩かれて……ということがありましたな。あれに関しては、河合隼雄のサービス精神による失言だと思います。
つーか、一対一での「口説き文句」なんて、伝授してもムダでしょ。その言葉をト書き読むよーに得意げに受け売りするタワケおばはんたちの顔が見えるよーだ。てか、存在かけて訊ねてくる相手に、自分の底から出てきたわけでもないセリフを言えてしまう、その愛のなさに気絶してしまいそう。コンビニ弁当じゃお体裁が悪いからと、「河合隼雄のおそうざい」を買ってきて子供に食べさせてるよーなもんだろうに。
精神を読むことなく字面だけを読む人に、ことばはあかされるわけがない。かくて有益な黄金が有害物質に成り果てるのだなぁ。

ブラッドリー 「ファイヤーブランド」-またも罵倒系スマソ

睡眠サイクル調整中のため、何とか眠るまいと今日は本を何冊か読了。でもそれほど印象に残らなかったので、こないだ読了したマリオン・ジマー・ブラッドリーの「ファイヤーブランド」。ちょっと罵倒系で申し訳ない。

絶版なので簡単にあらすじを書くと、ギリシア神話に出てくるトロイア戦争の顛末を、トロイアの王女であり太陽神アポロンの巫女である予言者カサンドラ……ただしその真実の予言を誰も信じないという呪いをかけられた予言者……を主人公に、母権制から父権制に移行してゆく時代の物語として、大胆に翻案したおはなし。
この人の作品で有名な「アヴァロンの霧(こちらはアーサー王物語が元ネタ)」は未読だったので読もうかな~、と検索してこの作品の存在を知り、ギリシア神話のほうが慣れているので、こっちを読みました。元は一冊らしいですが分厚いので、日本では三分冊で出てます。

読後感としては、「カサンドラって、なんてイヤな女だ」っつー感じなんですけど(笑)。発表が60年代末だか70年代初頭だったかのせいもあろうけど、なんか一昔前のフェミ女って感じですね。フツーの主婦や奥さんが貶められすぎっつーか、そもそも “凡庸な人間” に対してかなり辛辣な見方する感じだよね。
その一方で、高貴の生まれで予知能力があってエライ美人で、戦士としての弓矢の腕もあって、あまたの男に言い寄られつつ氷の如くにはねつけ、魅惑的で優しい義兄といいように不倫して、しまいには他国の王に捕虜としてレイプされて子供ができたら、自分に忠実&誠実な男を(それも懇願されて)ダンナにして養育、そして男女平等に生きられる新世界を指向するヒロイン……ってな、どこの歴史ハーレクインロマンスですか、どんな悶々タカビー女の脳内妄想ですか、みたいなストーリーにどうやって共鳴すればいいのだらふか。これで古き女神がどうとか言われても、「いやー、すっこんでてください(笑)」って感じ。

ただし、ハーレクインロマンスだけあって(笑)話の展開はテンポがよく、原典をどのようにアレンジしたのか興味深いのもあって、バキバキ読めて面白いことは面白いです。自身が嫌いな「横柄な男」を裏返しにしたよーな「横柄なヒロイン」を気にせず読めて、「ほう、こう変えてきたか」とギリシア神話のアレンジの仕方やキャラ造型を楽しめる人にはオススメします。

「精霊の守り人」 読んだ

杖なしで歩けるようになったので、足の甲はまだ腫れているけども外に出歩けるようになった。いろいろと用をすべく、連日出歩いていたら、また腫れてきてしまった。つか、スニーカーの中敷きを外してヒモを思い切りゆるめないと履けない程度の腫れの引きなのに、あまり出歩いてはいけなかったようだ(サンダルだと甲が入らない)。
ということで、おとなしく本を読むことにした。おともだちのブログなどで評判がよく、「児童文学」というジャンルに入れられているから読みやすかろうということで、「精霊の守り人」。これは一作独立式の連作シリーズの第一作らしい。文庫で廉価で出ているのがさらに嬉しい(図書館ではエライ待ちになっている)。作品のあらすじや登場人物は、ネットなんだから他でも読めるので全略。以下、感想など。


年齢とともに本(特に小説)を読むのが億劫になっている。この億劫の原因を私なりに考えるに、「再構築速度の低下」が挙げられる。行ったこともない場所、会ったこともない人間、聞いたこともない世界、などを、紙にインクで記された文章から自分の脳内に移し替えて、本の世界を自分なりに再構築する能力だ。設計図を見ながら、ぱぱぱっとモデリングする能力といえようか。DNAからRNAに転写する感じ? 実はよく知らないのだが。そうして人の脳内から投射された本の世界は他人の脳内でしばし活性化する。時には逆転写までしたりする。
自我が硬直化するにつれて他人とのやりとりが面倒になるように、「ちょっとちょっと、面白い話があるんだけどさ」と呼びかける本(作者)に対して、面倒くさくなって「なんでオマエのこさえたタワ言に付き合わなきゃなんないんだよー」みたいな気になってくる。かくて私の “視野の狭い年寄り化” はがんがん進行していっている。
ちなみに、トシを取るにつれて現実の世界の観察能力は増すし知識も増えるので、あまりに描写のリアリティのない話はタワケていて読めなくなりがち。いっぽうで“全くの異世界”に対する再構築能力も落ちていきがち。勤労者のおおくが現代小説、そして一種のファンタジーとしての歴史小説や時代小説を読書の中心とするのは、無理もない話だと思う。
ということで、ファンタジー系は結構しんどいだろうなぁ、と思って読んでみたが、そんなにしんどくなかった。神話や伝承を数おおく読んだ人ならば、逆に食い足りないくらいなもんだろう。
だが、それでいいのだと思う。安いファンタジーに限って、衒学趣味まるだしの固有名詞がこれでもかと未消化のままに並べ連ねられ、得体の知れない独りよがりの術語が飛び交うものだ。九九を並べてこれは数学の本でござい、とかやっているようなもんじゃないのか。実用書にもならなきゃ異世界にも出会えない、そんなファンタジーとやらに時間を割くのは、こんなヒマ人だって御免こうむる。
その点、この本は、昨今のライトノベルの読者層あたりにとってはクサくならない程度に、異世界らしい設定や伝承が盛り込まれ、しかも作者の骨身に達している民俗学的感性のおかげでか、違和感もなく読める。翻訳本などでは訳者が理解していない部分は読者も引っかかって読めなくなるのだが、小説でも、作者が消化していない部分は読者にもウザイ異物として残るもんだし。まぁ、(民間伝承という)伏線の張り方があまりにわかりやすかったが、若い読者への作者の親切だと好意的に解釈しておきたい。
見える世界と見えない世界のくだり、カルロス・カスタネダなど読んだ人にはナワールとトナールか……とするっと了解されるだろう(もちろん二つの重複世界について述べたのはカスタネダだけではないが)。先住民の呪術師、ふたつの世界の二重視など、何となく近しさを覚える。カスタネダの「ドン・ファン」シリーズは後年カルト的になり、何より捏造疑惑が絶えないのでアカデミックな観点での価値はないだろうとも思うが、第一作と文庫で出た「未知の次元」辺りだけなら参考に読んでみると楽しいかも。
こういう異世界話をするりと読ませてしまうには、やっぱり世界をリアリティをもって描写できるだけのデッサン力(つまり目と手)の裏打ちがある。文章はくせがなく読みやすく、しかし堂々としていて、成長期のこどもにはこういう文章を読ませたいとさえ思う。個人的な傾向としてはけれん味のある文体(往々にして語りのリズムの文体)が好きだが、こういう正統派な文章も実は好きだったりする。色遣いとして解するなら、自然な中間色を遣った深みのある風景画を見ている感じ。
ってな個人的な感想からいうと文庫版の装画はいまいち。なので有隣堂のカバーかけっぱなし。本についていえば、フォントや版組や紙質などの基本装飾をなおざりに、装画でごまかすのは、デザインとして稚拙だとは思う……まぁそういう良質の本は高すぎて売れないけど。
ちなみに描写で誰もが「おお」と思うだろう部分は、食べ物。美味しそうな描写は、立ち上る湯気と匂い、かぶりつく人々の笑顔と安堵、人々の間でほぐれていく空気の感じまで、きちんと伝えてくる。こういう生活表現で魅了するには、文章のデッサン力と健やかで静謐な感性が要る。ありふれた固パンさえが魅力的なフェルメールの絵とか、さ。

もちろん、ただほのぼの系なわけではなく、戦闘シーンなどもしっかり読める。とはいえひどい残酷描写はないし、何より、ストーリーの中で絶対的な悪や根っからの悪人などは登場しない。狂気や保身や立場にとらわれ振り回される人間の弱さ、しかし自分の願いを胸に生きようとする人間の強さ、そういうありのままの姿が見てとれるし、またそれが魅力的だったりする。類型化されていない、記号化されていない、ありのままの人間のデッサンに宿る美しさというべきかもしれない。

あまりに褒めすぎな気もするので、ちょっと難をつけておくと、目と手は確かだけれど、足が弱い気がした。つまり移動にかかる距離感、時間の経過(それにともなう淡い疲れ)の感覚には乏しかった。子供の成長や事物の移り変わり、戦闘での疲労といった折々の描写はあっても、ストーリーを通して降り積もってくる、通しの時間の感覚には欠ける。もちろんこれは展開の早さやドラマ性、ましてやページ数を言ってるわけではない。
なので読み終えたあと、「いい話を読んだ」とは思えても、「旅をしてきたなぁ」とまでは思えないのが残念。本格的なファンタジーの醍醐味は、読了後の「戻ってきた……」感にあるのではないだろうか。やはりこれは、もっと長い旅の序章でしかないからだろうなぁ、と好意的に解釈しておきたい。

偶然だが、この話は秋に始まって夏至に終わるので、ちょうど夏至前に読んでいることにわくわくした。こういう小さな偶然が、意外と読書ではうれしいこととして響くよね。


ここまで読み返して。本の感想というより、「独りおだを上げては何かをけなし、自分のことはすべて棚上げでエラソウにへんな分析ばかりしてる駄文」に、当初の目的である「人様の参考になるもの」には全くならない……、と改めて気づく。しかしどうも自分はこういう書き方しかできないみたいなので、今後もこんな風に書いていくと思う。