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アニメ・コミック

本当に久しぶりながら

まいにちを何とかやり過ごしています。
睡眠時間が非常に長くなってしまったので、一日の活動時間が限られてて、困ったもんだ。

そんな日々の中で、ひそかな楽しみになっているのが、日曜夜に放映の「スペース☆ダンディ」。

バカなスタジャン主人公と、ボンクラな猫似のベテルギウス星人、ポンコツの掃除機似ロボットが、銀河を舞台に繰り広げるSFロードムービー……というのも、ちょっと違うのだが。

一話完結な話で、しかも好き放題フリーダムな展開を見せるので、一度見てみて、ハズレだと思っても、また次の週に見てみるとまるで違うテイストになっていることもあるので、さらに見てみよう。

私的には、湯浅政明カントクの作品でよく活躍している韓国系アニメーターさんが仕切った第9話が幻想的でよかったっす。つーか、アートアニメみたいな作風で、よくこんなんが地上波で通ったなぁーというか。
毎回、主人公が死のうが惑星が崩壊しようが、何事もなく次が続く作品だから、これでいいのか。

オープニングの「ビバ★ナミダ」と、エンディングの「X次元へようこそ」、の曲も良くて、いまカラオケのレパートリーにしようと練習中。音楽がいいのも魅力だなぁ。

何も考えず、頭をカラッポにして見られる、不可思議に和み系なアニメ。
いつまでも続いてほしい感じの、いまどきめずらしい治外法権的な作品です。

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すごいなぁ、コミPo

たけくまメモで知った、コミック生成シーケンサー「コミPo」……。すごいなぁ。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-eec6.html

しかし……田中圭一かぁ。田中圭一なら、「コミPo」じゃなくて、マンガ生成シーケンサー、つまり「マンPo」になるのが自然な気がするんだが。……誰かが止めたんだろうか。

こないだ劇画村塾のバックナンバー見てきたばかりなので、いろんな意味で衝撃的な記事でした。
つーか小池一夫、偉大すぎる。高橋留美子も田中圭一も原哲夫もとがしやすたかも西村しのぶも山口貴由も板垣啓介も、劇画村塾。それぞれがそれぞれ。ほんとーに偉大だな>小池一夫。

どうして心底こうなんだ

レンタルコミックで、お取り寄せで、山口貴由まつり開催中。何だか知らんがともかくよし!な勢い、むやみやたらに熱量の高い作品群。人をえらぶマンガ家というが私的には超特大ど真ん中ストレートに好みで、読まずに来た日々が心底くやまれる。まぁ、これから読んでいけばいいか。

もちろん家内円満を志向する私としては、きちんと連れ向けに、萩尾望都の「バルバラ異界」や五十嵐大介の「魔女」を借りておいた(絵柄&ストーリーにおいて繊細かつ実力派という観点で押さえてみました)。
私の留守中に本が届いたのだが、開封した連れは迷わずそちらを読み始めていた。 「他のはキミの好みだろうから」 とのこと。表紙をチラ見しただけで悟られてしまったか。申し訳ない。

で、今日はレンタルDVDで劇場版グレンラガンの螺厳編を借りた。映画館で一度見ただけだったので、前々から再度見ようと思っていたのだ。んでもって、連れと見たのだが……。
「勢いあまってむしろバロック!むやみやたらに半裸乱舞!何が何でも魂のバトル!どんなシーンでも大仰かつ入魂の決め台詞!」的なコテコテに濃ゆい過剰てんこもりが、つくづく好きな自分なんだなぁ~、と改めて苦笑してしまった。“考えるな、感じろ!”

そういうエネルギーがタマシイのどこかで変換されて、生きる力になるのだろう。
おかげさまで、ちょっとだけ、絵を描きたいなーという気持ちが暖まってきています。うれしい☆

ところで。……グレンラガンのスタッフが新作アニメをやるようだが、しかし「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」って……。どうよ?
絵柄も動きもノリも、今石カントクすぎる……。個人的にはそこが(・∀・)イイ! のだけど、売れるのか?これで。お色気路線でカバーしてくるとは思うけど。
でも大好きな才能の人なので、やはりごひいきの湯浅政明カントクともども、今後とも活躍してほしいです。つまりある程度は売れてほしい。自分にとって(・∀・)イイ!作品が世にあふれてほしいんだもん!

レッツゴー番長!!

昔のエントリでもちらりと触れた、自主制作アニメ 「レッツゴー番長デッドオアアライブ完全版」 、なんとネットで見られるとは!!!!
今日はまだ真っ暗な夜明け前に起きたのですが、これ見つけて感動して、所用に遅刻しそうになりました。実は私も最初から最後まで見られたのは、はじめてだったのです。
このアニメは、26分、セリフなし、音楽のみ、手描きバリバリ、白黒。
旧き強敵(とも)は強制指名で見てねん☆ 絶対に気に入るよ。

シゴウしゃげたる

今あらためて「はだしのゲン」借りてきて読んでるんですが。
スゲェ面白すぎる……。

原爆マンガ、反戦・平和マンガというイメージがあるけど、実際には、戦後史マンガ、日本の一般庶民の土俗的・風俗的な記録資料としてのほーが面白いんだよね。原爆それ自体がひどいっつーよりも(投下後の地獄絵図そのものは2巻にしか描かれてないし)、差蔑と偏見と我欲に満ちた庶民の醜さのほーがヒドく、しかもリアルに描かれてます。しかしそこで昨今みたいなトラウマ系に落ちない、あのスーパー元気エネルギー。めちゃ元気がでてきます。

実際、後半はどうにもこうにも「仁義なき戦い」の世界なんです。てか、「仁義なき戦い」の世界に行く前段階として読めば、「あー、こんなんなっちゃってたら、そりゃヤクザはびこっても無理はないわな」と納得させられてしまう、ハングリー&本能&バトル全開な日常が描かれててね。逞しく生きる少年たち、なんてぇの通りこえて、ストリートギャングより強烈だわ。はだゲンの映画は深作に撮らせるべきだったんじゃないのか。つーか、はだゲン全巻読んだら、仁義なき戦いを借りてきて見るつもりさ!

つーことで、ただいま現在、我が家では何かにつけ、「うれしいのう、うれしいのう」「くやしいのう、くやしいのう」が連発されてます。たいていの関西弁はこなせるけど、タイトルの広島弁の言い回し(~しゃげたる)はなかなかおぼえられない。まぁ、日常で使う機会はないでしょうが……あったら困る。

ちなみに、ネット上で知られた(てか、相当の古参サイトなんだよ)、「はだゲン」ファンサイトはハードコア系の人が開設、しかも作者公認。このノリで捉えれば、反戦マンガなんて単純な思いこみは消えるはずさ☆

エヴァ見てきたよ

結局、寝損ねて、エヴァ見にいってきました。明日だったらワーナーマイカル1000円だったんだが、休みじゃないからしょうがない。三連休だけあって混んでたー。しかもメガネ忘れて、しかたないから前から二列目に陣取って、首痛くなるほど見上げて見てました。
やー、映像はさすがに迫力ありました。金かけまくってんなー。んでもって、60年代生まれ(特に前半かな?)には破壊力のある選曲が目立ちました。それにしても、エヴァって外国のヒトはどう理解してるのでしょーか。そーでなくても、「スゴイ、スゴイ、(なにがなにだかわからないけど)スゴイ」というのが巷の声ではないでしょうか。まぁ、お約束なチラ見せチラエロやお笑いシーンなどのサービスもあるし、萌えだけ・燃えだけの興味でも十分満腹できる、丁寧かつゴージャスな作り込み映像には圧倒されます。メガネかけて、もう一回くらい見たいかも。
次作が待ち遠しいなぁ。展開がいままでと違うので、先を推理するたのしみもあるしねぇ。

躁じゃない、ちがう

わりとたのしみに読んでいる「たけくまメモ」、今回の企画はウケた。
『ファミ通のアレ(仮題)・京都編』を掲載開始
これで、スズキさんとこの昔エントリを読んで読んでみたという「恋の門 」(いや、これ何つーかオススメです、真剣と書いてマジと読む(←昭和センスギャグ)、映画はハズしてるけど)の羽生生純(ちなみに、はにゅにゅう じゅん と読む)が描いて、たけくまが編集しているという、ある意味貴重な(当然に世間からは偏った)マンガなんだが……。

そうか、羽生生純、エゴン・シーレの影響を受けていたか。意表を突かれたと同時に「なるほど!」となんか頷けて、一人でめちゃくちゃウケてしまった。「漫画家になるには漫画ばかり読んでちゃダメだよ」というけど、エゴン・シーレから入るひとってまず居ないよな……。

なんかマンガ・サブカル系の話題が続いてしまってるなぁ(笑)。……明日シゴトが休みになってうれしい。あぶなく12連チャン出勤なんかになってしまうところだった。そういう自己挑戦は避けたい、骨からなまけものの私。

知らんかった

手塚治虫の「MW」が映画化されるんだねぇ。
ちなみに私的には手塚作品の中で屈指に好きな作品……他が「ばるぼら」とか「奇子」とか、ロクな趣味じゃないと言われりゃそれまでだが……、おはなしとして完成度が高いと思う。まぁ、腐女子も一定の市民権を得た(?)今日だから、原作そのままドロドロディープで映画化されても不思議じゃないといえば不思議じゃないしね。
70年代手塚作品の松本清張ばりの社会派系作品なんだが(遠藤周作のキリスト教風味もある)、こういう感じの現代社会派シュミで力のある作品って、今なかなか読めないと思うわ。いや、不勉強なので、あったら教えてほしいが。
ここらを機に、アトムとレオの「白手塚」じゃない、重たくてピカレスクな一連の「黒手塚」作品も、もっと知られてほしいよね。

髪切りついでにマンガ喫茶

行きつけてた美容院が人手不足の惨状が続いてるようなので、ホットペッパービューティーとやらを検索して、安価&近場なとこを新規開拓してみた土曜日。
ウデ自体は悪くもなく良くもなかったけど、建物の設備自体の問題か、シャワーの途中で湯温が変化するのは恐ろしかった。混みすぎのスーパー銭湯かい!ってな感じで。
お絵かき教室の時間までハンパに空きがあったので、そのまま、かつて強敵(とも)に案内された保土ヶ谷駅近くのマンガ喫茶に行ってみた。
んで、Sりんオススメの「平凡ポンチ」など読む。うーん、Yahooコミックで1巻の無料部分だけ立ち読みした段階じゃ、こんな展開になるなんて絶対にわからんよ!! 自分の脳の硬直化を感じてしまいました。映画愛の詰まった「メタ映画」なマンガでよかったです。サブタイトルがB級映画中心な辺りがまた……。
あ、それとようやく、岡崎京子の「ヘルタースケルター」読みました。コミック化した「うたかたの日々」が好みじゃなかった&マンガに関しては絵だけで喰わず嫌いするタチなので……。とはいえ、当時さすが各方面で絶賛されただけのことはある。後半なぞ、クリエーターが天才してるときの「物憑きオーラ」が強烈に出てて、ぞくぞくしました。
また数か月したらマンガチェックに行こう……。とはいえ、私の読みたいマンガは多くがレトロかマイナー。横浜地区にレトロ&マイナー系マンガ喫茶を求む(中央線沿線だったらありそうだが)。

ファウンデーションの興亡-場のうつろいと「鉄コン」の“俺の街”

なんか先日、ワールドコンを見つつ思っていたことなども書き留めとこうと思う。まとまらないけど。

人が日常的な身分や序列といった構造から解き放たれる関係性の場、人が新生するためのとなる場である「コムニタス」というのは、確かにある。というか、あるときある場所において「顕現する」。
たとえば初期SF大会やコミケの立ち上げ時など、その中核は確実にコムニタス化していただろう。参加者が熱意や才能や献身を持ち寄りぶつけあうことで、熱くて全人的な関係性が生まれ、各人が時には大きく傷つきつつ、大きく成長したのだろうと思う。
けれど、コムニタスは長持ちしないものだ。組織が安定運営をはかるためにも、各人の精神的ストレスの限界からも、そんな波乱に富んだ関係性だけでは存在しえない。人間は安心して寄りかかれる構造をも必要とするのだ。
たとえば知識や教養の豊富さによって、あるいは人間的魅力や年功によって、コムニタス内にも自然に序列ができてきてしまう。構造から自由になったはずの場所でも構造は生まれ、序列が生まれ、格差が生まれる。
一昔前は 「マニアならこれは押さえてて当然」といった基礎教養があり、またそれを諾々と学んできたものだが、今はそうではないようだし、それはそれで一理あると思う。構造から自由な関係の場を求めてきた先で、先達たちが半人前扱いしかしてこないなら、「なんでそんな序列に従う必要があるんだよ」とキレたくなるのも無理はない気はする。それは互いにとって不幸な道ではある。新しい潮流が生まれたり、新しいコムニタスが生じたりする機会にもなるわけだけど、たらいの水ごと赤ん坊を棄てるような愚行も数限りなく起きていく。知恵と愛情の聖火リレーは難しい。
まぁ、こちらは 『世代の断絶』 みたいなところで、洋の東西を問わない悩みどころなんじゃないかと思うが。

※コムニタスの概念についてマトモに知りたい人は「境界例とインターネット」(「サイコドクターぶらり旅」内トピック)を参照してね。

それはそれとして。今日は家に帰ってからアニメの「鉄コン筋クリート」を見た。素晴らしい美術だが、ちと長い。また、あの原作独特の乾いた感じが、ぐりぐり動くアニメというメディアに変わって、エモーショナルな(ウェットな)ものになってた気がする。まぁ、より感情移入が容易になってるというべきか。

アニメ「鉄コン」では、舞台となる宝町について様々な人間が “俺の街”という。それぞれにとって、自由な遊び場であり、ナワバリであり、人生のすべてを学んだ場でもある街。けれど、誰かにとってかけがえのない街は、他の人間にとっては「自分を受け入れてくれない街」であり、やがて「受け入れたくもない街」にもなったりする。そしてある限界を超えると、陽がうつろうように街の顔が変わっていく。
でも、これは現実の「場所」についての話ではない。問題はその舞台に生きる主人公たちの「関係性」であって、街がどんなに魅力的に描かれていても、あくまで背景だ。主人公たちがこよなく愛し、同時に憎んだ宝町は戦いの舞台となり、そして主人公たちが成長を遂げたラストでは “後にしてきた景色” になる。もうそこがどのように変容しようと主人公たちには関係ない。土地とのへその緒を断ち切り、どこに行っても生きていける一人前の人間になったのだから。
結局、愛するにせよ憎むにせよ、“ある場所に永遠にとどまる”こと自体が無理なのだし、また “場所自体には何もないんだよ” ということだったりする。

このように個人としてみれば、割と手短に済む話なのだけどねぇ。
ビジネスとして成長はしたが構造化がどんどんと進み、コムニタスの法灯を絶やさない条件「全人的な参与」の範囲をぐんぐん狭められた(いわゆる「疎外化」が進んでいる)、アニメやコミック界の明日はどっちだ。