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気持ちが重たくなること

原発関連……ずれた位置から見てみる

ノー・スキルの人間にできることは限られているので、被災地にはせめてタマ(お金を政治家はこう呼ぶそうな)だけは持たせねばと、ネット上で貯めたポイントあらいざらいとか小金をお送りしておいて。あとは粘着気質的に、数年先に、傷ついた人たちが苦しい立場にさえ立たされてるなんてことのないよーに、じーっと監視することにして。

原発関連のハナシ界隈……ダーティ&エグい話は抜きでね。書き始めると、「一晩でも二晩でも聞かせちゃるけぇそこに正座せいや」になりかねないので。で、心に響いた文章を、いくつか紹介。


ログ取ってないけど某匿名掲示板でのカキコ。原発立地県にハコモノが立ち並ぶことを引き合いに、「今まで甘い汁を吸ってたんだから自業自得」とか口汚く罵るレスが続くなかで、つけられたレス。ログ残してないので文意のみ。

“そういう働き口があれば子供が都会に行かなくてすむから。年寄りは子供たちと一緒にいたかったんだよ”

……うちの亡きハハはそんな状況になりたくないあまり、自分が上京して首都圏で見合い結婚したという事実(そしてその悲願は半世紀後に四人の子供全員に看取られる形で成就)。そんなこともあって、しみじみ哀しかった。


1101新聞でリンク張られてた元東芝原子炉設計部長さんのレポート

ここで前提とされる原子炉の損傷状況は官邸レポート以外まともに出ていないので考察それ自体については抜きにして……。モノをつくる人のかなしみに満ちた末尾の一行に、「自分が何を忘れていたのか」を思い出させられました。

物質それ自体に善悪は無い。
原子力という作用がなかったら宇宙探査なんて不可能(太陽光の届かない空間では原子力電池以外の代替案は無い)。放射性物質が骨ガンの痛みを温熱で癒す治療法だってある。


ちなみに、世界で初めて(1934年)原子核の殻模型を考えだし、ひいては世界で初めて(1944年)今日つかわれる原子炉(非均質炉)のもとになる理論をも提唱していたのは、日本人なのだとか。東北大学の彦坂忠義という方。
この方は「陽子と中性子が原子核内ではっきり分かれ、しかもその間に、宇宙最大のエネルギーが潜んでいる。だから人類は、それを悪用せずに制御しなければならない」と言っていたとか(ソースなし)。

東北大学ゆかりの人々:彦坂忠義

世界が原爆開発に狂奔していた頃に、原子力エネルギーを人類の未来に役立てる方法を考えていた先人がいた。
その高潔なこころざしを無視して、目先の欲にとらわれてきた、その末が、これなのか。

転換時代

はたらかねばねばねばねばねばねば……とエンジンが焦げるほど空回りして始めた短期シゴト、『質問が多いわりには異様にハズしてる』、『ミスが多い(思い当たるフシがなかった辺りがヤバイ?)』と呆れられ叱責され、情緒不安定MAXで出勤7日間にて退職。うわー。最短記録かも?

こうまで終了フラグが立っちゃったので、さすがに、しかたない。いまやサナギ状態にあると認めます。
超コワイけど、どんなチョウだってセミだって、「羽化するまでに地面にボテッと落ちちゃったらどーしよー!」、「潜ってるうちに上にマンション建って出られなくなったらどーしよー!」とかウダウダ芋虫やってたら、どっちにせよ時間切れアウトになるしねぇ。
そもそも、そんなん、誰にもわかるわけない。『過去』や『未来』っつー妄想を悪くこじらせて死んだりするのって、人間だけだよなぁ。
しゃーない。虫にまなぶ冬。

XXXでXXXXXなXXの縛鎖

そうそう。
つい最近、身内から、このやうなおしらせをもろた。
虐待致死傷罪制定及び虐待防止社会に向けての請願署名

ちと目にしてもらいたい。実名必須だけど晒しにはならないので、署名もあんしん。なに、署名なんてこわくないです。公安の監視つき集会で毎回のよーに実名住所いりサインしたって何も起こらないもんなんですよ(ホント)。

最近、個人的にはこの事件よりも髪の毛が逆立つほど不愉快だった事件もあった(大好きな諸賢のお耳にお目に触れさせるのもイヤなので紹介しない)し、前々からこのテのXXXXXXXXXな連中はXXXXしてXXXXにでもしてやりたいと思っている。
ま、はっきり言って、厳罰化したからといって、こういうXXXでXXXXXなクソXXどもが改心するとは全くおもえないが、こういうキマリが成立して広く喧伝されれば(地デジなぞよりも力強く喧伝されれば!)子供は虐待して平気の平左でも我が身だけはどっぷり可愛いXX以下のXXXXがXXってるXXXXXXXXどもも少しは大人しくなるかもしらん。自分がそう思いたいだけではあると、よーくわかってるけど。こういうXXXXXXXXXを度することができるのは人間じゃなくて神仏の領域だもんな。
……橋本治の「蝶のゆくえ」所収の「ふらんだーすのいぬ」なぞ読めば、このキモち、よくわかってもらえると思う。

それにしても、いろいろと思い、想いめぐらすと、心底やんなってしまう。

“こういうふうに扱われてそういうヒトになる” 連鎖。
なにひとつ選んだわけでもないのに、そう生かされる、人間の不条理。

♪あっちの人も失敗だ こっちの人も失敗だ しあわせ運ぶバケツリレー
(吉井さんの『TALI』の原詞。あまりキツイので♪失敗運ぶ……に変えたそーだ)

………。
♪あ~あぁ、やんなっちゃぁ~った
(最後は牧伸二で軽めに〆よう、せめて)

※今回やたらと伏せ字なのは、激情のままに書くと諸Loveな皆様に引かれてしまいそーな、発禁用語バリバリのエグエグ罵詈雑言の嵐になっちゃうからです。普段からお目汚しな文なのにそんな語彙ばっかテンコ盛りしてもねぇ。

不景気とはいうけれど

今までそれほど好景気のおこぼれにあずかってきたからしらん?などと思ってみたりもする。
この失業時代に職探しなぞ、まったくもって楽観なんか出来る状態ではないのだけれど、気分的にはどん底は抜けてきてはいる気がするこの頃。クスリのおかげだろうか?(抗うつ剤は効き目がでるまで個人差が大きくて、人によっちゃ3ヶ月はかかるとも聞く)

そういえば今日、健康診断の結果が届いた。わずかな在籍の間、ハケンでの健康診断を受診したのだ(使えるもんは使いまくった感もするなぁ)。去年なぞはヤバイほどまるまるしていたが、今年はベスト体重にあと2Kg程度の微デブにとどまった。一項目だけ基準値を超えていたので、ひゃー!と青くなったが、しらべてみたら善玉コレステロールだったので、よろし。連れの料理のおかげだろう。自分ひとりだと、冷蔵庫に何かしら材料があっても、カップメン食べて残り汁に冷や飯いれて、とか、カロリーメイトを満腹するまでかじって、といったムサい独身男の如き栄養失調な食生活を送っていたに違いない。

まだ何も創ったり書いたりする気持ちにはなれないが、DVDを借りてきて見るくらいはできるようになった。本はまだ長いのは読めない。マイナスがゼロになった程度でよしとしておかなければならないだろう。

ということで、過去に読んだ本の中で良かったものを、右側のアマゾンのウィジェットに入れておくことにした。今後も気が向いたら増やしてみようと思う。つか、クリックしても絶版の本も多いので、図書館やヤフオクなどで探してください。日々に困って売り払ったり、借りただけで泣く泣く返した本のなかで、今も手もとに残ってる私の数少ない本が多く含まれてまふ。マンガは濃ゆすぎるので万人にはオススメしませんが(汗)。いわゆるベストセラー系とも関係ない本がほとんど。何もできないなりに、何かをネットに還元。はふ~。

日蝕の日

暑い……んでもって八月になってしまった。職探しに努めるうち、ナニがナニだかわからなくなって、己の適性も都合も忘れて片っぱしからエントリしてみたり、その端から辞退したりで、さらに混迷を増す毎日。うーむ。ともかくまだ情緒不安定なんだなぁ。負荷の少ない仕事で社会復帰を企てるのが先決か。

8月は始まったけど、もう週末。ぷつんと開き直って、今晩は「Live! Eclipse」でも見るか。はー。

※日蝕ってことで、PINKの80年代名曲「日蝕譚~SOLAR ECRIPSE~」をご紹介(ちなみに作詞は吉田美奈子。サビの歌詞好きだわー)。

>ブログが403になってるムスメさん
昔のメルアド、読んでくれてるかどうか不明なので、ブログにて個人的連絡。
(いちいちウザイかね?そう思われても声をかけちゃうのは、愛ゆえの因業ということで許してね♪)
ダイガクがなんだー!こっちなんか入ってもおらんぞ!(笑) そいでもって、貴女を愛してる人間が(おそらく私に限らず)いること、つまりは貴女が人から愛されるだけの価値がある人間だってことは、どーか絶対にお忘れなく。

鬱になる硫黄島

おとつい、なにげに「硫黄島からの手紙」のDVDを借りて見てしまった。激鬱 orz 。
んで、昨日は図書館で太平洋戦争後期について概略本を読みなおしてみた。
まぁ、戦争の推移とかはおおかた頭には入っていたけど、改めて向き直ってみて……ハード鬱 orz 。
むちゃくちゃな精神論で兵隊っつーかヒトを見殺しにすんなよ、自己陶酔な美学で殺し合いさせんなよ、って感じ。なんつーか、日本のアニミズム的な感性は良いのだが、象徴と現実をごっちゃにして、つぎつぎとイケニエを捧げて祖霊カルトみたくなっちゃうって、もう見てらんないっつーか……。なんつーか、「腐れ土民め、未開の輩め!!」と叫びたくなった。
もちろん先の大戦の是非やら実際に戦争に参加した人をどうこう言いたいわけではない。ただ、人命をひたすらイケニエに捧げる行為のどこに、勝利(国益)につながる解決策があるのか。そもそも論理的思考なんかどっかに消し飛んでしまってて、宗教的熱狂と疎外への恐怖のためだけにムダに 「仲間うちの生き残りゲーム=不運な脱落者見殺しゲーム」 をしてただけなんだろうかね。戦争をいつ止めるべきか判断できなかったのは、要は 「下はどんどん死んでいっても、自分だけは何とか生き残れるかも?」 ってな上層部の欲と恐怖があったんではないのか。
まぁ、終わった戦争をどうこう言ってもしかたない。ただ、やりきれない感がありすぎ。そしてそーゆー 「個人が簡単に 『組織霊』 に喰われ、しかもそれで良しとされる」 日本的(あるいはアジア的?)精神風土は、60年以上経とうが(おそらくは100年経とうが)も変わってないだろうなってことも、鬱。

わかっているのだ

百回読み返せる、真珠のごとく貴重な本のひとつに「スーフィーの物語」というのがあって、その中の挿話に使われている比喩で 「引き潮に運び去られていく人間が、陸の上で豹に追われている新米の水夫を見ても救いの手を差し出せないように」 というのがある。非常に気に入っている。

少なからぬ物事に個人の奮闘の余地があると信じる(信じたい)のだが、「決定済みの事柄」 にたまに出くわすと “わかっているけど何もできない” 感にものすごく消耗する。これがたとえば会社や世間の決定事項ならば何とでもなるもんだが、世界認識の隔たりとかいうレベルだとかなりムズカシイ。さらに人の生き死にになると何をかいわんや。まぁ、連れの言うとおり 「死んでゆく人にはさわれない」 のだろう。ふに。

不満+諦め=肥満

どうも最近おもうに。不満を溜めると太るというが、あれは半分しか真実ではない気がする。不満を溜めて、しかも爆発させるのではなく、諦めを覚えると、人は肥満するのではなかろうか。中年太りというのも、この伝でいけば、たいへん理解しやすい。
しかし……。困ったことに、この一年でじりじりと確実に肥満してきている。
肥満は困るし、さりとて大スパークして暴れ狂うわけにもいかぬ。はてさて。ふと「ふたご座さんの運勢」を見ると、何かとイラつかされブチきれやすくなってる時期だとか。うーん。

人を呪わば

朝から眠くてさえない日。たゆたゆとシゴトをし、お昼ごはんはどこにしようかと迷い歩き、重慶飯店にいって、お一人様でもおひつで出てくるごはんと大量のスープやおかずにたじたじ。それでも完食する。いいのだらふか。
午後。電話をかければ先方は出ないし、欲しかった情報はあとから来るし、タイミングがなんかズレてる。トドメに、目立つ位置や内容でのミスを連続して指摘されて(しかも外から)、とても凹む。
なんでこのやうにトホホなのだらふか、と自分に(´・ω・`)ショボーンしながら家路につく。
帰ってマシンを立ち上げると、メールボックスに一通の「申し訳ございませんでした」のメール。読んでみると、それは土曜の夜、興味の失せたメルマガを解除しようとした際に、メール内はもちろんジャンプ先のサイトのどこにも配信解除や停止ができる欄がなく、探しあぐねてつい激昂(゚Д゚)ゴルァ!!して直接メールした、その返信であった。
丁重な謝り文には担当者にも注意するとの旨まで書いてあり、読んでいるうち、怒られる担当さん想像図や自分の厨さへの慚愧の思いなどなどが浮かんできて、さらに(´・ω・`)ショボーン。人を呪わば何とやらではないが、今日のダメダメさは、きっとバチがあたったのだ~!という気がした。
人はしたことをされるものにやあらむ。人生で何十度目かに思い知らされ、自分のトホホは抑えつつも(←治らないので)人様には寛大にせねば(単に怒らないのが最善とは思わないが)と、つとめて建設的な方向に心を向けてみたりして。 
おし、“明日は常に、残りの人生の第一日”ってことで、ひとつ。

No Future

エミネムの熱狂的なファンである男性が、エミネムの代表曲の一つ「Stan」のシーンを思い起こさせる殺人事件を犯し、終身刑に直面している なにげにありそうな話だ。反社会的スタンスを取ってみせるスターはこういう事件のたびにここぞとばかりに弾劾されるのだが……「ボウリング・フォー・コロンバイン」でマリリン・マンソンが「彼らはスケープゴートが欲しいだけさ」とごく知的かつ冷静に語っていたことを思い出す。他ならぬスターたちは、こういうイカれた人間たちのギリギリまでの「魂の松葉杖」にはなってやれていたわけだし。少なくとも、訳知り顔に批判してみせる人々よりは。

子供が惨い目に遭う事件が増えているようにみえる。統計的な数値じゃないし、マスコミはここぞとばかりに類似犯罪だけ固め打ちして煽るようなゲス商売してるから、あくまで「みえる」に留めるが、あまり気持ちのいいものじゃない。たいそう厭な話だ。
ごく正直に自分の気持ちを見つめるなら。「残酷だが自分の子供ってワケでもなし、関係ねーや」とも思う部分はある。もちろん「自分の子供かなんて問題外だ! 可能性と未来いっぱいの生命を尊重しないようなヤツは人間じゃねーだろが、(゚Д゚)ゴルァ!!」という気持ちもある。
ただ、言い替えれば。人は持っていなくて欲しいものがあれば殺してでも奪おうとする。殺すことは無意識的に強奪=所有につながる。つまり「オマエには可能性も未来もない」と社会的に決めつけられた人間こそが、「可能性と未来いっぱいの生命」を殺すのだろう。

「誰にでも可能性や未来がある」と言うこともできるが……そしてそれを本当に信じていられるなら、「可能性と未来ある人間存在を殺すな」ということで、殺人事件に対してはもっともっと世間の耳目が集まっていいはずだが、そうではない。「誰にでも」可能性があるなら、アムネスティの「死刑反対論」にもっともっと支持があってもいいはずだがそうではない(私も別に支持はしてないが)。
人は人間の持つ可能性や未来を限定する。そして現在の神なき世界では人智のおよばぬはからいの余地など残そうとしないので、人の見積もりがそのままご託宣になる。マーケティングさながらに「未来」が見積もられる。んでもって“負け犬”は選挙の開票速報・当選予測なみに早々に決められ、水に落ちた犬さながらに叩かれる。他の人間も助けるなんて余裕はないし、助けたって、助けた分だけ自分のアドバンテージも下がるわ、“物好きなお人好し”としてナメられるわけだし。そうして結果的に仲間が喰われて死んでゆくのを興味津々に見つめる草食獣たちのよーな世間が成立する。

生きているのに未来を無くしたら、死んでるのと同じだ。
たけしの映画「キッズ・リターン」のラストのセリフ、「まだ俺たちは始まってもいねぇぜ(だっけ?)」は当時の日本では明るく前向きなものと受け取られたらしいが、ヨーロッパではアイロニカルな絶望のセリフと受け取られたそうだ。……今の日本なら、皆もそう思うんじゃないかな? そんなフランスでは未来なき移民たちの暴動が起きてたな。日本ではまだそこまでではない……と思いたい、が、今の経済的繁栄という蜘蛛の糸が切れたらわからんけど。
ゾンビとして生きるのか、人間として殺されるのか。そんなことを選ばされるような世の中になったら、たまらんなぁ。

……ん、ここ数日、情緒不安定ですが、まだ少し続いてますな。皆さんもそうだとしたら、ご自愛くだされ。

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