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2011年2月

運慶展みてきたよ

県立金沢文庫で『運慶展』がやっているので、旧き強敵(とも)と見てきた。京急で「金沢文庫」駅があるので、うとい人でも安心。でも駅から10分くらい歩くので迷子になる人もいるかな? さっそく駅前で初老の人に道きかれました。
しかし文庫には直行せず、義兄がやっているおすしやさんでランチをぱくつき、それから腹ごなしに金沢文庫に向かった。

「金沢文庫」とは、鎌倉時代の武家の図書館。金沢北条氏による私設図書館だったそうな。金沢北条氏の菩提寺である称名寺の隣にある。北条氏滅亡後は、足利とか上杉とか家康とか前田家とかが蔵書や資料を持ってっちゃったそうな(ゴルァ!)。その跡地には、神奈川県が資料館を造っている。

「運慶展」といっても、出ている仏像はわずか7点。とはいえ、運慶作と確定できるのはわずかに30点ほどというから、フェルメール並みですな。
展示を見終わるにも30分程度あれば十分……実にすばらしかったので二周しましたが。いや、ちょっと持って帰りたいレベルの魅力でした。
日本のフィギュア萌えの根底は仏像にあったのでしょうか。そんな気がします。つか、国家や体制ではなく、個人の心に感応しそうな、仏イメージは、この時代あたりからロコツになったのではないでしょうか。いま現在見ても、「ひとが生きている」という意味で官能的、かつビビッドです。

いま橋本治の平家物語よんでますが(まだまだ読み終わらないっ!)、もとの平家物語は、高校生でも、原文にちょっと注釈ついただけでも楽しく読めます。そこらへんは文法レベルで挫折する源氏物語とは大違い。
展示してあった鎌倉時代の文書に「キラメクモノ」というカタカナを見いだして、「うわ、鎌倉時代でも“きらめく”ってあったんだー!」と感動しました。
800年前のブツなのに官能的なほどに身に近しかったり、そのまんまの語彙が生きていたり、わりと鎌倉時代って「最近のはじまり」なのかもしれません。

明王像などを見て「運慶は力人(チカラビト)萌えだったのか?」、大日系の穏やかフェイスについては「弟子で好ましいのをモデルにしたのでは」とか、好き放題言ってましたが、それくらいに、『生々しい』んです。
リアリズム一辺倒ではなく、デフォルメもされているんだけど、でも生々しい。

特に気に入ったのは、滝山寺の「帝釈天立像」。→こちらの真ん中
江戸末期か明治に再度彩色されたと後で知りましたが、あざやかな色と美しいフォルム、凛々しい表情もあわせて、かっこよすぎます。絵はがきも欲しかったのですが、滝山寺の、生写真をただ使った(しかも背景もダサすぎ)絵はがきしかなかったので我慢しました。

展覧会のあとは、隣の称名寺で、庭園にちらほら咲く梅をたのしみ、鯉を眺め、横浜に帰りました。しかし帰り着いた横浜の有隣堂で、旧き強敵ともども、一冊の本の表紙に意表を突かれる。
「マンガ日本史 運慶と快慶」
ちょww ラノベの表紙みたいな絵になっちまってww でもマンガ日本史はたのしそうww

近所の人(いや仏像好きならかなり遠方でも……運慶の作品が7体あつまるのって空前絶後らしいから)、および立体造形もの大好き系には、確実にオススメ。近所には特になにもないけど(せいぜい八景島?)、県立金沢文庫の渾身の展示だと思うので、見にいってあげてください。3月6日まで。

努力というものを間近で見た

前にも書いたが、大きなほうの甥は、マンガ家志望。
前に週刊少年マガジンの月例に投稿して佳作だかで5万だかもらって担当さんついたとか言っていたが、今度は新人賞に応募して、特別奨励賞で15万もらっている……。
新人賞 結果発表(本人の許可とってないので特定はしないでおきます)
しかし……人間における努力のパワーを目の当たりにした気分。画力(特に女のコね!)ではもはや土下座するしかないなぁ、と感心させられることだよ。
かといって自分が何ごとかに頑張るかと言われるとそうでもなく、花粉の訪れに戦々恐々としつつも、また無為にめぐり来る春をたのしみに待つばかりだったりする。

なにはともあれ節分

節分になった。心しずかに、ぽりぽりと豆を食べてる。
ともかく、生きて、心おだやかに日々を過ごせてるうれしさよ。
去年のいまごろをおもえば感動もんだわな。

橋本治の「双調平家物語」読破に再チャレンジ中。前は3巻で挫折したが、いまは10巻の途中。飛鳥時代はまだしも、平安の世になって一段と系図が膨大・複雑・怪奇になって……、まともに読めてるとも言い難いんだけども(汗)。
しかしまぁ、こういうひときわの美文を堪能すると、まともに本が読めるようになった幸福をしみじみと感じる。

あいかわらずお弁当作りはがんばっているが、まいにちのごはん作りはナンギなものである。でも、トシとともに食べることに貪欲になってきたのか、「食べる=つくる」という回路が生成されてきたのか、できるだけ自作メシしたいという気持ちがつよい。「これは!」の必殺レシピがそんなに収集できてないのは残念。

しかし、自分で自分を饗することができる心根は、ずいぶんと豊かなものにおもえる。
「ほう、そういうこともできるヒトになったのか」などと、自分をどこか他人のようにも見ている私。

これからも生き続けると、ものごとに対する理解は深まっていく気はするけども、反比例するように文章はますます拙くなっていきそうだなぁ。見る目は肥えていくけど描けはしないって感じかな。うーん、きびしいなぁ。

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