読んだ本・借りた本

  • seiuchiの最近読んだ本

買い忘れないように

カレンダー

無料ブログはココログ

« アタリだったもの(「航路」「仁義なき戦い」)/大ハズレだったもの(「地球で最後の男」) | トップページ | ナンギだー »

「仁義なき戦い」 オリジナル五部作/この世界の片隅で

日本の夏は戦争を回顧する季節。てなことで「仁義なき」シリーズをようやくに見ました。日にちをおきつつ。
しばらくニセ広島弁が飛び交うほどに、よかったです。うん。
役者の使い回しが凄すぎるとか、女描かせるとダメダメすぎて死ぬとか、アラは数え上げればキリがないのですが、そこは当時の映画会社の撮影体制とか、実質一年半で五作撮られているスピードとか考えれば仕方ない。
それを上回って、役者パワーが異様にあふれまくってて、ほんと圧倒されました。えがったー!!

んで。シリーズ第二作の「広島死闘編」では、広島ロケが行われてて、通称:原爆スラムが映っておりました。撮影時期にはぎりぎり残っていたんですな。マンガ好きの方はおわかりかもしれませんが、こうの史代の「夕凪の街桜の国」でも出てくる場所です。
そこで図書館で、被爆者たちのその後の暮らしを描いたルポ「この世界の片隅で」((未読ですが)こうの史代の「この世界の片隅に」の題名はこの本へのリスペクトなのでしょう、「夕凪の街」も「夕凪の街と人と」へのリスペクトと思う)を読んだりしました。
1965年の本だけあって、まだ生々しい傷いっぱいのドキュメントでした。
被爆者のみならず、差別を受ける者たちは片隅に追いやられ、悪意と偏見に曝され、復興に向かう街から取り残され、貧困と絶望のなかでようように生きる。そこに被爆の後遺症が追い打ちをかける……。なんか読んでいてツラすぎ。「見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。」というべきなのだらふか。
ちなみに、戦後まもなくの被爆者救済運動とそれに対するGHQやご用医学者の妨害、ようやく推進されていった運動の分裂などなどの諸事情も、ある程度アタマに置いて読むと、さらに理解が深まるかと。
「仁義なき戦い 頂上作戦」の中のボーヤ系ヒットマン(小倉一郎!)のバラックも、おそらくこのスラムにある設定だったんだろうなぁ。また、「広島死闘編」では、シナリオの笠原和夫は男女の愛にからめて差別問題も描きたかったけど、時代的に無理で断念したそうで。

この本の中で、真に悲惨におもえたのは、原爆のとき一瞬にして母親が全身血まみれ丸裸の赤鬼のような姿になったのを目撃した少年が、やがてヤクザとなって非道を尽くすが、そのたび、あのときの母親の姿が蘇り「あれが許されるなら世の中に許されないことはないわい」と無感動に思っていた、というエピソードでした。
そういえば、水木しげるは、戦争後しばらく、他人がどんなにひどい目に遭っているのを見ても、「本当に悲惨なのは戦場で殺されていった兵隊たちだ」と、ついぞ同情の念なぞ浮かばなかったそうな。
人間の争いの一番ロクでもないところは、人の心のなかの共苦の泉を根こぎにしてしまうところではないだろか。んでもって、根こぎにされた人間はまた、躊躇なく他人のその部分を根こぎにすることができるようになるのだ。
前線にいる人間が生き死にするってだけの問題じゃない。

ま、そこまでディープに追っかけなくとも、「仁義なき戦い」は面白いです。
今の若い人にとっちゃ、「これってどこのアジア?」って感じになるだろし、一種ファンタジーのようにすら見えるかもしれません。ヤクザ映画と考えるより、香港ノワールとか、別の国のギャング・ストーリー的に見るのもまた一興。ドンパチいっぱいの、迫力系な娯楽映画でもあるわけだしねぇ。
とはいえ、昭和を知る者にとっては、スクリーンからクる情念の重たさが「まさに昭和だー!」って感がいっぱいです。どうにもこうにも成仏しえないものが渦巻いていた、それが昭和という時代なのでせうか。

« アタリだったもの(「航路」「仁義なき戦い」)/大ハズレだったもの(「地球で最後の男」) | トップページ | ナンギだー »

愛する本・映像」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17296/49279174

この記事へのトラックバック一覧です: 「仁義なき戦い」 オリジナル五部作/この世界の片隅で:

« アタリだったもの(「航路」「仁義なき戦い」)/大ハズレだったもの(「地球で最後の男」) | トップページ | ナンギだー »