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2009年4月

変遷もまたよろし

しかし、考えてみるに。
サイトを開けては閉じ開けては閉じしてきた自分だけど、このブログだけは細々とながら続いている。内容がどれをとってもトホホなところは棚上げとして、ありがたいことだ。

にっきという習慣も持たず、読書録をつける習慣もなく、また書いたものをマトモに保管することさえない自分としては(たとえば生まれてこのかた自分が書いた詩なぞはすべて散逸している……リア厨やリア工の頃にノートに書いてたのも割と長く保管してたがどこへ行ったのやら)、ちょっぴり驚き。

とはいえ、このブログも、タイトルを「あかオカ」から「アカウロ」に変えてからすっかり、「アカツキ・ウロツキ」ならぬ「明け暮れ鬱記」になったよーな気がする(苦笑)。今後「平成日本のゲットー生活ブログ」だとか、「YOKOHAMA発・電波ゆんゆんブログ」だとか、「偏屈と変態の狭間でブログ」とかにならないとも限らない。いや、すでにそうなっているような気もするが。

まぁ、それでもよろしければ、こんなたわごとしかない辺境ブログですが、今後ともあそびにきてください。


……まったく話が変わるけど、なんだかんだ言いつつ、日曜に海老名で映画「グレンラガン羅巌編」を見てきました(←睡眠時間を削ってスケジュールを詰めた理由はそれかい!)。いや、感謝デー千円&日曜日(休み)って、あの日だけだったもんで。※因業な強敵(とも)は、別レポートも参照のこと。

……サイコーでした。椅子から転げ落ちそうになるほど「まんが祭り」でした。頭を抱えるほどに全力なベタ笑いと爆裂スパークの狂い咲きサンダーロード。今石監督は私の中で不滅のアニメーターになってしまいそうです。

きっと、中年や壮年どころか老年になっても、私はこんなです。とほほ。

息継ぎ息継ぎ

ブログの更新がおろそかになってしまっていた、ここしばし。忙しかったわけでもなく、壮絶に落ち込んでいたわけでもなく、ただクスリの副作用か春のせいか、一日十時間くらい眠っているわけで。

グレンラガンの映画が見たいよ~、とか、阿修羅展に行きたいよ~、とか思いもするのだけど、思うだけで時間的にも体力的にも気力的にも動けないので、脳内で完結させている日々。ひとさまのお出かけを読んで、いいなぁと思う半面、どう転んでもそんな活力がないので、月世界のできごとを漏れ聞いているようにさえ思える。

やっとこやっとこ一日づつをしのいでいると、なんだか以前に水泳教室で、プールでひたすらばたばたしていたときのことを思い出す。息を継いだらすぐバタバタ、苦しくなって息を継いで、はいバタバタ。だが決して、ひどくツライというわけでもない。ちょっとシンドイだけのこと。

だぶだぶだぶだぶと寝て起きて、シゴトに行って、たまに図書館にいって、たまに仏教団体に遊びに出て(周囲とは捉え方が全くズレてる)、その他もろもろ含めて半径2kmで完結する生活。
たまには思う、掃除もしたいし、洗濯もしたいし、おいしいごはんも作りたい、と。だが。

いきものなんだもん、生きてるだけで丸もうけ。人間という得難き舟を得て、そ、苦悩の大河を渡るべし。

雨の日はダウンダウンダウン

ここのところ小康状態だねぇ、と思ってタカをくくってて、うっかりクスリを飲み忘れてた(医者に行き忘れて残り少なくなってることもあって減薬気味だった)。

すると、天気と連動する部分もあるせいか、月曜の昼からダウナーが入って、昨夜から今日にかけては 「うああああああっ」な落ち込みで大変だった。がくがく震えて頭の中が白くなって、生え際に汗びっしょりでボロボロ涙目。
今日の朝のきついこときついこと。医者を予約し(すぐには行けないので)、ドグマチールを頓服して二度寝し、血中濃度が安定した頃からか、ようやく人並みな精神状態に戻る。ともかくウダウダしていたかったが、なんとかシゴトにも行き、行ってしまえばどうとでもなる、何とかごまかしてしのいできた。

しかし……客観的状況は平穏で変わらないというのに、気分的にはずいぶん疲れた。
こんな小さな錠剤で振り回されてしまうと、人間って何なんだろうか、と思わざるを得ない。
今の望みといえば。時を忘れて、かぶとむしの幼虫のように、丸くなって土に埋もれていたい。ふ~。

しめつけ禁止(立ち入り禁止ではなく)

道路工事の立ち入り禁止コーンの円錐形に、親近感をおぼえる体型の今日このごろ。

無理して履いた昔のスリムパンツがたたったのか、スニーカー海獣の私がパンプスを履いてたのがいけないのか、金曜の朝(というか昼)、起きてみると腰に異変が。
「い、いたい」
腰痛持ちではないので、びっくり。ギックリ腰とかではなく単に痛いだけなのだけど、体の中心部分が痛いのは、とても困る。シゴトにはだぼだぼのパンツで行き、うちに帰って横になるにも、うにうに体をひねって痛くないポジションを模索する。なんということだろうか。二日間、ナンギなことであったよ。

休みの今日は、温湿布というのを貼ってみた。そしたらヒリヒリ感のすさまじいこと、すさまじいこと。温かいというより痛いのだけど、表面の痛みで深部の痛みを忘れてみるテスト。
そのまま、図書館に返し損ねていた本があったので、よたよたと出かけたけど、髪の生え際に汗が浮かんだのは、何も今日の汗ばむ陽気のせいばかりではない。

さらに悪いことに。風呂でシャワーを浴び、湯が背中を下っていった瞬間。
(ぐぎゃぁぁああっ!!)
蒙古斑の青味……ではなく、みごとな紅潮っぷり。いたいよいたいよ。おもわず涙目。

なにはともあれ。
カラダが弱っていても、そこはそれ、考えようによってはネタの宝庫。
「ナンギだね? おい」と、飛行場の如く広大なこの腰をぽんと叩いて、ぼちぼちやろうぜと笑いかけたいところだ。

連れも最近は目がしょぼつく、などとボヤく。そりゃ、最近ベルグソンだとかエックハルトだとか活字が詰まりすぎた本を読んでるからだろ……という気もするが、衰えをうなずきあえるのも、またよきことかな。

ちなみに今日は、窓んとこにある、挿し芽したローズマリーが、一輪かわいい花をつけてました。
これだから春は好きさ。

いまどきの女子高生(心はセブンティオーバー)

さういへば。
このごろ老人めいた日々を送っている旨を書いていたが……。

さっき、上の姉が「今日はステキな人に逢ったの!」とコーフンして電話をかけてきた。何事かと思ってよく聞くと、なんでも齢78にしてこの春に高校を卒業したお婆ちゃんとお近づきになったそーな。PTAの謝恩会で意気投合し、しかも姉のとこの寿司屋のすぐ隣町にお住まいだったとかで、そのまま一緒に店に雪崩れ、おいしい鮨&亡くなったハハの絵手紙なども見せ、とても喜んでいただいたとか。
お婆ちゃんは地元老人会の町内会長さんを務めていて、「高校生と老人会会長の両立は大変だったのよ~」と語ってくださったそうで。高校を卒業したこの4月からは通信制大学でさらに学びを深めていくとのこと。
78歳の女子高生というのは、なかなかステキではないか。
老人めいた、などというセリフはリアル老人に失礼だと思い知ったエピソードだった。

偶然ではあろうが、私はつい先日、この齢にして高校生してる夢を見た。
しかも夢のなかで、「このトシで高校生というのも悪くないよ~」と、中学時代のかつての同級生に得意気にうそぶいていた。さらにいえば、なぜかリアル年齢より二、三歳若くサバを読んでいた。
……起きたあと、いたく自己嫌悪に陥ったのは言うまでもない。

お花見フェア開催中

先週の土曜から、ひとり「お花見フェア」を開催している。
なんのことはない、仕事帰り、行き来にある猫の肉球ほどの公園で、ジュースを飲みつつ一服、のんびり夜桜見物するだけのこと。それもわずか十分ほどである。

土曜日は雨上がりでベンチに座れなかったので、遊具の家の机に腰かけて桜をみた。
月曜からは天気もよくなり、花もたわたわしてて、なかなかステキであった。
今夜は月の上を飛行機が横切っていき、夜中のひこうき雲と月見&花見をたのしめた。
春の匂いが大気に満ちて、ああ、夜がきれいだなぁ、と思えるひととき。

とはいえ、もう散り始めているので、フェアも一両日中には終了予定だ。
明日は満月。望月の下の散る桜でもたのしむとするかね。

春なのでカラフルに

春なので、たくさん写真を載せよう。色は心のビタミン。輝くスペクトルはよろこびの歌。

Photo
まずは、前の写真ではしょげてっぽかったチューリーちゃん。陽射しとともに直立して、このあとでは完全にまっすぐに立っています。まいにちまいにち、起きて雨戸をあけて、チューリーちゃんの顔をみるのが楽しみです。
Photo_2さらに、寝ている時に激写。つぼみがしっかりと閉じて、しっかり寝ていたのに、フラッシュを焚いてスマソかった……(フラッシュ禁止にするのを忘れてた)。


ヨノナカを明るくいろどるのは、こどもの笑顔。姉の孫にあたるコ……って、私にとっては何といえばいいのだろう、ともかく「のんちゃん」は何故か母親より祖母より、この大叔母さんにそっくりとよく言われる(よく考えると不憫でならない)。
その「のんちゃん」が、私も最近出入りさせてもらってる宗教団体(コワくはない団体です)でやる『お花まつり』に稚児さん姿で出るというので、頑張って早出して、仕事前に激写してきました。

Photo_3象さんは手作りで、製作現場もみました(なかよくしていただいてる方がペンキ塗りに励んでいたので)。
Dscn4116やっぱり“象様”はいいよねぇ(クドカンが撮った映画「弥次さん喜多さん」をみてください)。

……って、その上のお釈迦様の立場は(汗)。

で、こーやって甘茶を濯いで「目を覚ませ」、と(聖☆おにいさんネタ)。濯いでいるのは「のんちゃん」です。

んでもって……。
Photo_4 だいこんノ実ニだいこんノ花サク。
何事ノ不思議ナケレド。

→参照


ちゅーりーちゃん、咲く

Dscn4098 ちびっこ甥が、ハウステンボスでえらんでくれたチューリップ。
昨日ほころびかけていて、ほぅと思っていたら、もう全開。


Dscn4099 昨日の雨のせいか、しだれてます。乾けば元に戻るでしょう。


Dscn4100 花弁はきれいなピンク色。
まるで、思い出にのこる甥っこのほっぺのようです。

たむたむと過ぎゆく日々

1日6じかん、しかも天然夜型にはうれしい午後遅くの出勤とあって、まいにち無難にシゴトしている。大人数でイモ洗い式にシゴトをしているせいで風邪をうつされ、ちと疲労気味だけど。

気持ちを常にたのしく保つため、のほほんと毎日お経をあげたり花に水をやったり春の陽射しに目をほそめたり、もはや年金生活者なみの生活。いわゆる老後生活というものをたのしめるかどうか、明日のことさえわからないのだから、今のうちから老後を先取りしておいてもバチはあたるまい。

そう早々と老け込むこともあるまいともおもうが、哀しいかな、人間、内面というのはトホホなほどに成熟していかないものだ。心はいまだにせぶんてぃーん(リアル17歳の自分がこんなトシの人間からこんなセリフ聞かされたら殴りかかってたと思う、ホント)。こんな調子で70や80を迎えることなど許されるべきものなのか。前倒しに老いに慣れておかないと、自分のような調子っぱずれ人間は、間違いなく 『奇妙な老人』 になる気がするし。いや、学習しても焼け石に水かもしれないけど。

ま、しかし、うつのおかげで仏典だの東洋哲学だのに親しんでみようかという気にもなったし、これまた膨大な質量があるので、この先ちょっと長く生きてもずうっと楽しめそうだ。なんの役にもたたないが、役に立つために生きてるわけでもない。

死んだ人の遺した、たくさんの服やたくさんのモノ。いまは何にもつかわれないモノモノ。なんとも切なくもむなしいものだが、自分の部屋を見回しても、やはりこんなモノのために日々労働してきたのかと嘆息する貧弱なモノモノ。

シゴトを終えて。おそい夕ごはんをたべて、カフェオレを淹れて、部屋をくらくしてくつろいで、連れとふたり聴くバイオリンのうた。

ちいさなちいさな毎日が、たむたむと積み重なって、心ささくれさせることなく、むしろ安息の枕になりますように。

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