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2009年2月

うつの自助グループに行ってみた

前々から存在は知っていたのだけれど、何しろ遠いので(今の私には半径2km以遠だとすべて「遠い」になってしまう)、行ってみようとしなかった「うつの自助グループ」に、極道クリスチャン姉の進言もあって、過日、参加してみた。ネット上に情報を還元するのも大切かと思うので、書いてみる。

参加した自助グループは、匿名でも予約なしでも参加できて話したくなければ黙っていればよい、ごくごく、まったりした会。しかし、多くの(そして様々な県にまたがる)「うつの人」や「うつの家族を持つ人」の参加に、まぁ病院やクリニックに行ってる人間なら誰しも知ってるだろうが、「ん~、うつの人って今メチャクチャ多いんだな」と改めて思わされた。

感想としては……、行ってみてよかった。
病歴十年以上の「うつの先達」たちからクスリの副作用や減薬のノウハウを聞かせてもらったり、良い病院やロクでもない医者、医者のかかり方についての情報交換などもでき、障害年金手帳を見せてもらったり、持参した自立支援手帳を見せてみたり、なんだかクローゼット・ゲイの解放区のような気分を味わった(笑)。
何より、お天気の話で「いや~、曇りの日は落ちるよね~、この間の雨の時はひどかった」 「うんうん、わかるわかる」、仕事の話で「見た感じはフツーの人っていうのがタチ悪いよね」「うん、ただ“ミスが多くて頭の悪い怠け者”ってレッテル貼られるし」 「クローズで働いてるけど、ほんとにキッツい。これでオープンにしたら“やっぱり”ってことで辞めさせられちゃうし……」などと、生活実感に即した雑談に、しみじみ心なごんだ。
うつ病の家族を持つ人も多々参加されているので、同様の状況にある人も「病人と日々過ごすツラさ」や「工夫して良かった点」などをわかちあえるかもしれない。

行けばサクサクと治るとか、すぐ楽になるというわけもないが……、ともあれ、病気に押し潰されそうになっている本人やそれを支える家族には、こういうグループへの参加は何らかのヒントや気づき、そして心の安らぎにつながるかもしれない。周囲に支えられるだけで生きてしまってる自分だけに、こういう場を創っている自助グループの世話人さんには心からの敬意と感謝をおぼえる。

いま思うと、うつの自助グループゆえ、終始うつむいて落ちてる人もいるし、どうしても身なりも構わなくなりがちなので、傍目には奇妙な集団に見えたかもしれない。
だが、「人間いつだって何かの拍子でマイノリティになりうるんだ」とわかってしまえば、あまり気にならない。「メンタルは元気で健康!」でも、明日クルマにぶつけられて不自由な身にならぬとも限らない(例えだが、シャレになってなくて済まぬ>旧き強敵)。そうでなくても、欧米に行けば「黄色いの」でひとくくりにされてマイノリティにされがちな身だ。
うつ病、自殺者、ワーキングプア、移民、障がい者、ひきこもり、要介護高齢者……増えているのに見えないふりをされている「メジャー・マイノリティ」とでもいうべき人たちの存在を、圧殺するように時代の機関車は進んでいく。過去の歴史を紐解けば、いつでもそうだった。
これからは、どうなる……、いや“未来は僕らの手の中”だから……どうなっていくのがいいのかな?

しかし考えてみたら

昼間、昨夜かいたエントリ(この直前の投稿ね)を思いだした時、ふと、頭をよぎったこと。
「仏教徒と……クリスチャンと……。これじゃ『聖☆お兄さん』の世界じゃん!」と。
ひとり爆笑してしまいました。

ちなみに今日うつの自立支援医療受給者証が交付されたんですが(笑)。
(SSRI系のクスリはまだ特許が切れてないので代替品がなくて薬価が高い。これで三分の一になる!)。

生かされてます

生きてます、なぞという言葉を通り越して、生かされてます、という感じの日々。
中年期ヘアピンカーブをギリギリ、壁に大接触、ピットに収容されて、薄皮いちまいちまいペースで修復されながら、日々を生かされてます。

こないだ、ダイコンを例の「やおやさん」で2本100えんで買ってきたときに、ふと茎の部分を切り残し、窓辺に置いといた。すぐに枯れてしまうだろうかと思っていたが、ところがどっこい、外側の茎は日が経つにつれ黄色く枯れていくが、中心から、生きる意志いっぱいに新しい緑が湧いてくる。
朝の光のなかで見ると心すべてに沁みいってくるので、捨てるに捨てられず、さりとて小さな皿では時間の限界ってもんがある。今日、手もとから離し、土に植えた。山河草木鳥獣虫魚悉皆成仏。

ちなみに私には、仏教徒の姉とクリスチャンの姉がいる。
さいわい、どちらも他宗を否定するよーな狭い心の持ち主ではない。
スタイルは違っても、ふたりとも、心を支え、手を引いてくれる。
おかげでマリア様の画に多々飾られた部屋で毎朝お経をあげるというケッタイな日々。
笑いたきゃ笑えなありさまだが、ふたりともが今を「恵みの時間」と言ってくれる。
「生きてる」という真の神秘を、「祈り」という人間の最も深い感情を、何ひとつわかってない未熟者だったんだ、と痛感するばかりの日々。苦しくとも、価値ある立春を迎えました。うん。

いちまいちまい日めくりカレンダーが移ろうように。いちにちいちにちを生かされてます。
不平も不満もいわず、かすかな陽射しに素直によろこび、いちにちいちにちを生きる、植物のように。

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