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誰になってしまうのだろか

クスリは続けている。多少の気持ちの波はあっても、日常のレベルでおさまっている。
相変わらずダルいので、一日だいたい8時間くらい寝ている。フツーの時間まで起きていようとしても、気づくとCD聞きながら寝てたりするので(私の場合これは普通はありえない)、さっさと横になったほうが身のためだとおもうからだ。
それより何より、フシギでしかたないのは、片づけとか掃除とか倹約だとか日常こなすべき様々な雑務といった実務的な事柄、そして園芸とたまに料理にしか、まるっきりアタマが向かわないことだ。

昔、刑務所で凶悪な受刑者が、医者の騙しも交えた説明もあって、(当時まだ禁止されていなかった)ロボトミー手術を受けたそうな。男は手術を受ける前には絵を描いたり何かとクリエイティブ(んだから問題行動もあったんだろう)な人間だったのだが、手術後、まったくもって感情が動かなくなっている自分に気づいたそうな。
そしてある日、夕焼けを見てて、まったく自分が無感動であることに気づき、『これなら死んでしまったのと同じだ』 と思って、自分を手術した医者を殺しに行ったそうだ。実際には医者のヨメが殺されたらしいが。

そんな話を連れから聞いた。夕焼けを見て心が動かなくなってしまった男の悲しさ。

自分は外側はちゃんとうごいている。でも中身の動きが変わってしまっている。
エロく美しい絵に惑溺するより家計簿をまとめたりするほうが心やすらぐとか、どうなってしまったんだ。
クスリのせいなのでしかたないとは思うのだが、そもそも「自分」とは何なのか、薬物や何かでコロコロと変わるにまかせておけばいい、「変化の相の一時の在り様」として、さらりと受け流してやればいいのか。
人はしょせん顔など書き込もうなぞとせず「無面目」のままでいればいいのか。

うすい膜ごしでなく、夕焼けと直接に接して、心の芯から涙を流したい。いまそれを言うのはきっと、欲張りだが。

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コメント

ほんと、なにをもってして「自分」があるのでしょうね。交通事故で脳を損傷してしまった友人の母は、やはり少し変わってしまい、むかしからのお母さんではなくなってしまったけれど、生きていてくれるのがうれしいと言ってました。この子どもの頃かわいがってくれたお母さんと、脳の損傷を受けて変わってしまったお母さん。同一人物なのに、なにが「自分」をつくっているのかという疑問にその時もぶつかりました。

時間がすぎて、すぎて、はやくつらい今が過去のものになりますように。

コメありがとうございます。(o^-^o)
時間というのは、残酷なものだと泣ける時もありますが、同時に慈悲いっぱいな優しいものだと思えるときもあります。
大雨のあとの川に浮かんだ流木のように、ともかく流されてみます。
どこかで何かに引っかかってカタマリができれば、きっとそれは新・自分の足がかりになるのではないかと、信じたいです……。

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