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2008年9月

誰になってしまうのだろか

クスリは続けている。多少の気持ちの波はあっても、日常のレベルでおさまっている。
相変わらずダルいので、一日だいたい8時間くらい寝ている。フツーの時間まで起きていようとしても、気づくとCD聞きながら寝てたりするので(私の場合これは普通はありえない)、さっさと横になったほうが身のためだとおもうからだ。
それより何より、フシギでしかたないのは、片づけとか掃除とか倹約だとか日常こなすべき様々な雑務といった実務的な事柄、そして園芸とたまに料理にしか、まるっきりアタマが向かわないことだ。

昔、刑務所で凶悪な受刑者が、医者の騙しも交えた説明もあって、(当時まだ禁止されていなかった)ロボトミー手術を受けたそうな。男は手術を受ける前には絵を描いたり何かとクリエイティブ(んだから問題行動もあったんだろう)な人間だったのだが、手術後、まったくもって感情が動かなくなっている自分に気づいたそうな。
そしてある日、夕焼けを見てて、まったく自分が無感動であることに気づき、『これなら死んでしまったのと同じだ』 と思って、自分を手術した医者を殺しに行ったそうだ。実際には医者のヨメが殺されたらしいが。

そんな話を連れから聞いた。夕焼けを見て心が動かなくなってしまった男の悲しさ。

自分は外側はちゃんとうごいている。でも中身の動きが変わってしまっている。
エロく美しい絵に惑溺するより家計簿をまとめたりするほうが心やすらぐとか、どうなってしまったんだ。
クスリのせいなのでしかたないとは思うのだが、そもそも「自分」とは何なのか、薬物や何かでコロコロと変わるにまかせておけばいい、「変化の相の一時の在り様」として、さらりと受け流してやればいいのか。
人はしょせん顔など書き込もうなぞとせず「無面目」のままでいればいいのか。

うすい膜ごしでなく、夕焼けと直接に接して、心の芯から涙を流したい。いまそれを言うのはきっと、欲張りだが。

だるくて死にそうだが誰も信じまい

何も書けずに何をしていたかというと。

たとえば、なすの炒め煮や鶏レバ煮やひじき煮などの作り方を、連れから受けていた。しかし、姑のお小言のようにチェックされるのが死ぬほど嫌いな私としては、最初に一通りの講義を受けたあと、やおら台所に籠もって実技に入り、ときおり心配して見に来る連れに、殺意ある視線を飛ばしていた。こういうのは講習といえるのだろうか。

さくさく切ったオクラやシイタケやベーコンやきのこを、オリーブ油でざあっと蒸し焼くだけで、できたては、気絶するほどにおいしいものだが、しかし火加減の差か、自分で作ると、絶対にそうはならない。不可思議。

人間にはふたつのタイプがある。他人様の教えを乞うてでも一念を完遂するタイプと、「好きなようにやらせろ!」といって何事にも大成しないタイプが。そして私はどうにもこうにも後者である。自慢にはならないが、もはや厭味にもならないだろう。「そのようなものでしかない」という事実なのだから。

またある日は、朝から晩まで横浜の大混雑ドラッグストアや雑貨店をさまよい歩き、サンプルだけもらい、散財などは決してせず、もあもあと空想だけ楽しんで一日をあるきまわった。でも6時間もあるいたら、ぐったりぐったりして、もう何が何だかわからなくなった。その間、食べたのってドトールのチキンエッグベーグルだけだったしな。
土日は洗濯やら医者やらウインドウ・ショッピングやらで、まず家にはいない。躁転した人のような出歩きっぷりで、時には鼻歌も出るくらいだ。

ヤフオクも思ったほどではなくとも少しはモノがはけてよかった。今月は生活苦ばかりでなく、躁転したかのように精力的に写真を撮り、解説を書き、今月は10~15品は出したのではなかろうか(しかもまだガラクタ類が残っている)。つまらん転売屋が「評価を入れないでくれって言ったのに」とかクレームつけてきたけど、ヤフオクのコメントって削除できないから手遅れだしね。てへへ。アダルト系なら評価はやめてという気はわかるが、転売屋に言われてもなぁ。ケータイが本格参入してきた頃からか、ほんと、ネットは欲の皮の張ったゲスとクズが増えた気がするなぁ。

あるいはガリガリ君についてた応募券や朝飯めかぶについてた応募券を集めて応募してみたりした。会社では毎日ある(というかないと身が持たない)おやつタイム用の、「分けやすく・おいしく・安く・ふぁんしー」なおやつを買ってみたりした。

こういうことばかり書いていると、平和このうえない主婦の日常という気がする。
しかし9時には布団に横になったのに8時まで寝坊して(それでも間に合わせた!根性)、それくらいに、だるい。やっぱり、ふらふらし続けてる(それでもこうしてイロイロやってる)。明日医者にいったら、減薬の相談でもしたい。

だれぞが心で言う。 「これだけ色々なことをしているのはね、生きている気がしないからだよ」
わかっている。
誰の役に立つどころか、むしろはた迷惑なばかりの、私の「生きている」感を取り戻すために、とりあえずまず、日々を生きるんだ。はためには元気よく活発に、だけど中身は案山子のように生きてる。でも生きてるので、よし。

回って回って回ってて……

やや尾籠な話ではあるが、まぁ、病にまつわる話は、率直に語っといたほうが人の参考になるだろう。
パキシルを止めたせいか、昨今、じょじょに便秘も解消しつつある。もともと便秘には縁がない方だが、ここまで排泄がないと、自分が「もんじゅ」にでもなってしまったかのように恐ろしかった。腸内で勝手に核融合でも起こして、カスさえ残らない状態にでもなっているのかと……。いや、突き出た下腹を見たら、そんなことはありえないとわかるけど。
まいにちまいにち、山盛りのひじきとめかぶをガツガツと食べても、まったく出ない。つーか便意自体が起こらない。それで三日四日は平気で経つ。身体がおもたくて不快感はあるけど、ある意味、面倒でなくていいやって気もしていた。なにせ人間、食べて出してのために、日々、汗を流し、涙を流し、血を流し続けているのだから。

さて、ここからが本題。これはクスリが変わったせいかどうか不明だけれども、最近、「うわわわっ?」ってな立ちくらみが起きたりする。ばたーんとぶっ倒れたことはないが、それでもあちこちにぶつけたりする。もう少し様子を見てみなければなるまいが、おかげで、脚なぞは痣だらけになってしまった。近所の八百屋の特売の桃のごとき傷みようで、かなり見苦しい。

そしてここからが、お伝えしたかったトピック。話題に出した近所の八百屋は、規格外モノを扱っているせいか、何でもかんでも大量&安い。二人では食べきれないところを、倹約のため 「しいたけ30個入り100円」 「桃やや傷みあり6個200円」 「ゴーヤ3本100円」  「なすび6本70円」 とかの野菜類と、(鮮度を見きわめつつ)まいにち闘っている。
そして、この謎の八百屋だが……、ある日レシートを見たら 「やおやさん」 とあった。
このシンプルな店名は、誰も忘れないだろう。あらためて感銘を受けたことだよ。

なお、野菜をいくら食べても、薬物類による便秘の解消にはならないことも今回よくわかった。
ま、「野菜はおいしいなぁ」と思うようになって、年齢を実感したけんども。

自己観察なぞ途中経過で (Good Times・Bad Times)

まだクスリのお世話にはなっているが、平穏さは取り戻しつつある昨今。
ナンギな思いをしている人、あるいは身近にナンギな思いをしている人がいる人、の何らかの参考になればと書いてみる。当然、すさまじい個人差はあるので、すべてを真に受けないでほしい。

「うつ」といっても、なりかけの頃は、花や自然の色彩が異常に目に沁みた。魂が足りないビタミンを摂取しようとするかのようで、道ばたの花の前で五分も十分もたたずんでいたものだった。アタマの足りないこどものように、ただただ自然物を見ていた。それで生命力を補充する感じ。そいでもって、時折に波が押し寄せてきて、感情がぐるぐるして出られなくなり、理由なく涙があふれたり、異常に否定的な思いで自己否定の極に墜ちたりする。

それを過ぎると、もう感情が動かなくなる。人工物はもちろん、自然でも何でも、そうだ。何をみても、何も動かない。「どこかに出かけて気分転換を……」とか人は気軽に言うものだが、「がんばれ自分」とか、そういうレベルではない。そういう「自分へのかけ声」も出なくなる。もう、なにも動けなくなってしまう。布団から出るのだって、ごはんを食べるのだって、やりたくないったらやりたくない。他人との感情の交渉が面倒になるので、ネットをみるのもウザイ。できることといったら、ぼーっとするか涙を流すか、眠り続けるかくらいになる。

そんな段階になって、睡眠障害とか食欲低下とか感情ぐるぐるが二ヶ月以上つづいたので、「もう致し方ない」と病院の世話になりはじめた。といっても、メンヘル板の人なぞを見ると、たいして重篤ではないと思わされるが。
処方はアモキサン(最初10mg、あとで20mg)、メイラックス(1mg)、レンドルミンD(0.25mg・睡眠薬)。すこし意欲は湧くが、湧いた意欲が自分を責めて、かえって自己嫌悪もキツくなってきてしまう。また、集中力が低下するので、ミスも止まらない。うつには何よりもまず、「まったりした環境」が大切なんだろう。昨今の「赦しあいのない環境」が、うつ増加につながっていると思うのだが、いかがなもんだろうか。

その次には病院を変え、処方を変えた。面接を受け続けたり、いよいよ就業となったので、うつより極度の緊張やパニック障害のほうに重点を置いた。そこで処方されたのが、パキシル(10mg)、ドグマチール(100mg)、メイラックス(2mg)。

いや~、パキシルは効いた。ともかく眠い。便秘もすごい。それより何より、空想や妄想の感情がまるで動かなくなって、生活で必要なことをこなしていくほうにしか頭が向かなくなる。
ちなみに私はアルコールはまったくダメな人だが、長期愛煙家だったことでわかるとおり、ドラッグへの慣れ&親和性は高いようで、わりと変化は敏感に感じるのだ。

個人的な体感でいうと、第三の目とかいう辺りか、あのあたりがまぁるく凹んでなくなった感じだ。連れに言わせると、「ミルク色の半透明な膜につつまれてるみたい」とのことで、それは自分でも自覚できた。ヘロインのような、ダウナー系の薬物ではないだろうか。
だから、逆に言えば、なにか起きてもまるでパニクらなくてすむ。すべて他人事のようだし、半睡のなかで起きているものごとのような感じ。しかし、それと同時に、意欲が湧くような作用も底上げされているので、「羊水に包まれた世界で一人でハイになってしゃべりまくる」躁転状態にもなっていた。
ちなみにこのクスリは薬価が高い。それにかなり副作用がキツいクスリらしいし、何といっても労働初日から生あくびを何十回となく連発しているんじゃ、さすがにマズイ。

てなことで、いまはパキシルをルボックス(75mg)に変えてもらって、おかげで元来の性格の、せっかち&アセアセ癖も出てきてる感じだけど、何とか生きのびてます。空想・妄想癖がまた復活してきているのは、元気という意味ではいいのだけど、非能率的な毎日という意味ではよいのかわるいのか。
うつは再発しうるので当分は通院は続けるだろうし、今後まったく無問題とはいえないけど……。

ということで、周囲にうつの人がいたら、ともかく、闇雲に励まさず、説教たれず、決意を求めず、ただただまったりと、隣にいてほしい時に居てやってください。

クスリはある程度、症状を改善することはできます。
だけんども、「自分が人を何かしら良導できる」なぞと思い上がった人間ごときにほいほい癒されるほど、人間は卑小ではないと思いますです。人間、分け合うことくらいしか、やれることないんでないの?

……しかしこの時期に読んだ、色川武大の「狂人日記」の壮絶な恐怖感は一生忘れないと思う。

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