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2008年5月

PCギザヤバす

3月頃から異様なビープ音がしていたのだけど、最近では、PCがとーとつに再起動するようになってしまった……。
ポータブルのHDDだけ、バックアップ用に買っておいてはあるんだけどね。
電源なのか、マザボなのか……。いつ動かなくなるかわからんのがナニだなぁ。
まぁ、自宅PCはたいしたことにゃ使っちゃいないといえばいえるのだけど。

毒をもって毒を制す

先週というか先々週というか、その辺りからだるだるした風邪をひいて、不調に不調がかさなるイヤげなミルフィーユ状態。そんななかでも季節はめぐり、そこらで見かける緑がやたら美しい。

明確なものにせよ曖昧なものにせよ、答えがわかったら、なにがしか書き出していけるのだけれど、いまは答えがまるで見当がつかなくて、何もかけない。朝が来たはいいが、何をしていいのかわからない。そんな感じ。

そんな時は、とりあえずお湯わかしてお茶のんで、日のめぐりに乗っかっていく。それもまたよきかな。

自然と人

今日は、「六ヶ所村ラプソディー」なる映画の自主上映会にいった。週末皆勤の図書館のすぐそばでやってたから。こういうのを見るというと「原発政策反対派ですか?」と訊かれそうだが、このモンダイは色々読むほど複雑なので、実は反対とも賛成とも言えない。まぁ、反対派・賛成派の両方に取材した内容ということなので、純粋にドキュメンタリーとして見にいった。

で。制作側の意図とは違うかもしれないけど、単純に「生き方の選択」として見て、考えさせられる映画だった。
そして自然の素晴らしさと苛酷さ。地場産業の振興の思いをかけて育てた花畑が、たった30分の雹で壊滅的な被害を受けてしまうあたりなぞ、ただ絶句。小笠原で体感したことをあらためて思いだした。自然は別に人間を愛しも憎みもしない。ただ自分の時計を刻んでいるだけなのだ。そしてその中で、人も人なりの時計を刻んでいくしかない……。

ちょうど最近、吉野せいの圧倒的なノンフィクション「洟をたらした神」を読んだところだったので、土に生きる人の根太さをあらためて感じさせられた。圧倒されてばかりでも仕方ないのだけれど。

「冒険王・横尾忠則」展に行ってきた

今日は旧き強敵(とも)と一緒に、世田谷美術館でやってる「冒険王・横尾忠則」展に行ってきた。
用賀の駅から緑したたるプロムナードを、「道案内があちこちにあってわかりやすいね~」 「うわ、住宅展示場みたいなデカイ家ばっか!」 「倉庫でお花屋さん&アンティーク……オシャレすぎだぁ」 「ベンチが広い!浮浪者の寝邪魔用の手すりもない!」などとビンボくさい地元といちいち比較して、おのぼりさんモードを楽しみつつ散策。緑が生い茂り森林浴気分な砧公園を、気持ちよくあるいて、さて美術館へ。

今日は荒俣宏との対談もあるとのことだったが、12時半頃の到着でやはり対談チケットは完売。最初からムリとあきらめていたのでかまわない。ざこざこと見て回る。

この人の絵は、「この一点が好き!」というよりも、「何喰ったらこんな配色センスが生じるんだ……」ってな色遣いや、出所が知れないけど誰しもが感じるだろう独特なノスタルジーに、惹かれるものがある。でかいでかいキャンバスに縦横にかけめぐる、異様だけどビタッとハマってる鮮やかな色彩の奔流。

今回おもしろかったのは、グラフィック・デザイナー、イラストレーター時代の作品の大量展示。ざくっと奇抜で大胆な作品が実に細やかな神経に裏打ちされていることを見せつけられた。以前に「たけくまメモ」で存在を知って図書館で借りた「うろつき夜太」の原画があって、「おお」と感動。
また、夢をテーマにしたシリーズは、F6くらいの紙とアクリルと、F0くらいの小品を多々並べたものがあったが、どちらも狭い画面なのにふしぎな広がりがあって、「小さいサイズだから迫力ある絵が描けないんでないかな」などという自己弁護な詭弁を打ち砕かれた感じ。とほほ。

「赤い風景」のシリーズや、「Y字路」シリーズ、チャンバラや冒険活劇をモチーフにしたシリーズなど、魅力的な作品が多々あって、見応えは実にたっぷりだった。
しかし、「ではY字路シリーズの絵はがきをどれか一枚買って帰ろうか……」と思ったとたん、どれにも決められなかった。
おもうに、この人の絵は元形みたいなものを、それもアタマではなく手と目で扱っているから、ひとつのモチーフで無数のバリエーションが生まれ、そしてすべてが「途上の記録」として描かれることになるんではなかろうか。どの絵もすべて、ログの一部であって、ゴールではないというか。
そういえば、作品のひとつに 「人生にゴールはない」 と書き込まれていたっけな。
そしてY字路についてもこんな感じの言葉が(立ち読みウロ覚えなので意味が違ってても寛恕) “人生の岐路とかそういう意味は特にないんだ。だいたい僕の描くY字路はどっちにいっても闇じゃない。どっちかをえらぶようなもんじゃない。それにY字路の先にもまたY字路があって、またY字路があるんだろうし……。闇の中を進んでいって、自分の守護天使に出会って導かれてくような感じなんじゃない?”

エネルギー, Oh, エネルギー

昨日と今日、ふつか連続で甥っ子とあそんだ。
特に今日は一族郎党で城ヶ島までドライブ。雨が降っていたので当初は海へ行くつもりはなかったのだが、途中で雨もあがり、陽も射してきて、磯遊びなぞもしてみた。甥っ子は三歳で、これが人生初のナマ海遊び。いったい彼の目に海だの魚だのカニだのはどのように見えたものだろうか。

成長まっさかりの三歳児なもんで、数か月ごとに会うたび、語彙は増え、目方も増え、背丈も伸び、赤ちゃん赤ちゃんしていたものが、すっかり子供らしくなった。人間はじめて三年、いろいろな環境の変化にさらされ続け、まいにちまいにち人生初体験に遭遇し、ものすごい情報量を試行錯誤で処理しては成長してるわけだ。
たいへんだろうなぁ、とも思うけど、泣いたり笑ったり、おどけたりふくれたり、百面相でぽんぽんと鞠のように跳ねている姿を見てると、わけもなく感動させられてしまう。意味もなく走って跳ね回って、ほんとに無心に大喜びしてる時なんかは、オレンジの皮を剥いた時のように、ぱあっと空気に光の飛沫が舞うようにさえみえる。
親は大変だろうが、傍目に見る分には、実にいいもんです。こどもが心から大はしゃぎできるヨノナカは、きっと空気がピカピカだろう。

それと……おもしろいことに、こどもってやつは、おいでおいでとオトナが媚びてみても無視するのに、オトナが何か熱心にやっているとそばに寄ってくるね。小笠原でスケッチしていた時の野鳥(近づこうと思って目を向けただけで逃げてたのに、風景スケッチに熱中し始めた途端、向こうから遠巻きに近づいてきてた)を思いだして、なんだか微笑ましい。

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