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共生関係

今日は千住真理子のリサイタルを聞きにみなとみらいホールへ。ずいぶん前にチケットをとったので、一階席のどまんなかの、かなりいい位置で聴けた。クラシックは知識も全然なく(超有名な曲でも曲名がまったく出てこない無知)善し悪しもわからないのだけど(ふだん聴いてないし)、千住真理子がストラディバリウスを入手したと騒がれてたときにCD借りて(←ミーハー)今もたまに聴いてるし、まぁナマで聴いてみるのも良かろうと行ってみたわけで。

この人の演奏はすごく巧いんだと思うけど、ひきずりこまれるものがない。毒気がなくて疲れない、とても上質なイージーリスニングとでもいうべきか。その毒気のなさは、湖水にうつる山影を見ているような気分になる。古めかしくいえばダイモーンの憑いてない、オタな人向けにいえばMHとファティマのみの組み合わせ、といえばいいのか。私なりの分類でいえば、アートというよりアルチザンのワザという感じだ。でも、ぜんぜん偏りがない演奏や非常に高度な名人芸というのも、それはそれで価値があり貴重だと思う。“魂をゆさぶる演奏”ばかりが音楽のありようでもなかろ。

わからないといえば、楽器の善し悪しや音の違いも良くわからないが、それでもストラディバリウスの音は音というより「かわった声」という気がした。なんだか生き物のように感じるのだ。奏者が「ストラディバリウスは、コンサートの初めと終わりでも音が変わってくるまるで生き物みたいな楽器なんです」と言っていたけど、それ以前に、なんだか妙に生き物めいたシロモノだった。途中からは、何か人形浄瑠璃とか腹話術とかの類を見せられているような気がしてきた。
楽器の形をした生き物が人間のエネルギーをつかって歌いたいように歌っているようにも見えるが、人間が楽器に振り回されるだけのヘタクソならばその「生き物」は命を持つことはない。人が楽器を使っているのではなく、楽器が人を使っているのでもない、なんだか不可思議なユニゾン。こういう関係になっちゃうのなら、演奏者にとっての楽器はただの道具なんてもんじゃすまないだろう、と納得した。なんといっても音楽では楽器がうたうのだし。

ちなみに奏者は「ストラディバリウスを鳴らすには五年かかると言われてます」とも話していて、今で六年目らしい。十年くらい経ったらまた聞いてみたいもんだ。ただその時には願わくば、もうすこしひきずりこんでほしいもんだとも思うなぁ。リラクゼーションだけが効能だったら、クラシック聞くよりマッサージのほうが良い気がする。

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