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2008年1月

珍しいやん

日曜からぐだーっと体調を崩し、月曜には休んでしまった。ううう。
読む本は体調の異変を予告するのか、そういえば最近、珍しく小説を、それも最近の作家をちょっぴり読んでいた。小説だけ挙げれば、笙野頼子の「幽界森娘異聞」、リリー・フランキーの「ボロボロになった人へ」、浅田次郎の「鉄道員」。うーん。あんまり最近でもないな(笑)。
森茉莉にまつわる最初の作品はともかく、あとの二作とも面白かったなぁ。リリー・フランキーの短編集は、いきなり「大麻農家の花嫁」って最初のタイトルで爆笑したし(でも内容的には切ない系)。浅田次郎は「楽しみたい時に楽しませてくれる」作家として安心。しかし「角筈にて」は、帰りの東海道線の中で思わずボロ泣きしてしまった。出勤の時じゃなくてよかった。
それに懲りて、通勤の時は橋本治のエッセイとか読んでます(笑)。いまは「日本の行く道」ね。

そりと。ヴォネガットのエッセイ「国のない男」も先日、ようやく図書館で回ってきて読めました。シニカルな毒舌で、厭世的で悲観的で、しかしどうにも優しい心根が、泣ける。のほほんどっぷりと小説読みな気分になったら、何作か読んでみたいね、ヴォネガット。

雪が降ったよ

朝、はやくに目が醒めて、外がやけに白っぽいので、窓をあけたら雪だった。
感心して、それでももう少し経ったら消えてしまうだろう、と思いつつ、寝直した。
起きて窓をあけたら、雪の勢いが増していた。びっくりした。でも途中で雨でも降ったのか、地面に積もっていた分は溶けて消えていた。
やすんで、ぼーっと外を眺めていたかったが、そういうわけにもいかないのがヨノナカ。
雪の向こうからひときわ長い霧笛がきこえた。つまり風向きは海から陸に吹いている。冬なんだなぁ。

ぬくぬく

なんでも関東南部、今夜は雪が降るとか降らぬとか。ほんとかな?
まぁ、男女問わず、カラダに冷えは大敵。夜の安眠の妨げになるし。いま現在は慣れない仕事……三ヶ月経ったんだけど私の場合は何にせよ理解するのに時間がかかる……のせいで、ただでさえ眠りが浅いため、眠りの妨害要因は大変不愉快。
愛する養命酒と、ユニクロの肌着(モイスト何やらというのが実に暖かい!)と、五本指ソックスとで、乗り切りたい。みなさまもご自愛されたし。

あ、そういえば、こないだ田中美津の「いのちのイメージトレーニング」を読みました。読んだ本を逐一載せちゃいませんが、毎週毎週、図書館で借りては読書三昧(笑)。

わかったような?

横浜そごうで「プラハ国立美術館展-ルーベンスとブリューゲルの時代」をやっていたので、見にいった。
去年Bunkamuraでやっていて見損ねた展覧会で、「まぁ見なくてもいいかな……」などと思っていたが、これがかなりのアタリだった。個人的にはフェルメール展よりよっぽど良かった。
ブリューゲルの細密でユーモラスな書き込み(海の緑色が好き♪)や、エラスムス・クエリヌス(子)なる人のスーパーリアルな果実描写もさることながら、ルーベンスの色彩の輝きといったら、もう。ルーベンスといえばあの肉肉した肉食人種の肉体描写がキライという向きも多いと思うが、1600年代初頭に描かれながら亀裂ひとつなくテラテラと輝く画面のみごとさは「すげぇ!」のひとこと。それに、版画の下絵の油彩デッサンは単色ながら強烈に素晴らしかった。
夜は、スペシャルにたのしみな時間となりつつあるお絵かき教室。
お絵かき教室は最近やけに若者が増えて、今日なんか席がいっぱい……まぁ、満員でも十人なんだが(お絵描き教室自体は、一日3コマ×週六日やってる)。またもやぺたぺたと塗りたくって、幸せにひたる。展覧会の帰りに買い足した筆がしなやかで、実に気持ちよくぺたぺたできた。
先生との雑談で展覧会の話をしてて、「画家といえば不幸&性格破綻&貧乏&夭折」というステレオタイプは、二十世紀以降の神話だよねー、と合意。何でもドラマティックなほうがサマにはなるけど、ドラマティックなだけでホンモノだと見なすのは、なんか違うだろう。

そいでもって。
つい先日、創作というものについて十代の頃から考えていたことに、自分なりの回答を出したので書き付けておく。
考えていたことというのは、まぁ、十代なら誰でもが思う悩みだ。「素晴らしいアートを見るとムチャクチャ感動すると同時に、自分にはこんな作品はとうてい生み出せないという事実に打ちのめされる。才能がない人間が創作をすることに、なんか意味なんてあるんだろうか?」
んで、ふと先日、自分のなかから答えが出た。
「素晴らしいアートは、日常性の外に意識を連れ出してくれる。つまり人の意識の針を、毎日の生活のせこいストップウォッチではなく、自分として存在し始めてから消えるまでの “絶対時間” に時計合わせしてくれる。そういう鳥瞰的な意識をセンスとして備えていて、何らかの形で表現できる人間が、アーティストなんだろう。けれど、そんな意識の高みに登れない凡人こそ、高みへと登っていくための“杖として”、創作し続けていくことが大切なんだ」と。

うーん、若かりし自分の不服げな顔が目に浮かぶようだ。けど、今はそう思ってる。

モラトリアム夜明け前

そういえばこのブログも、今度の立春で開設まる4年になる。人目を気にせず書き散らすゲットー系ブログだから続くんだろうなぁと思う。さいしょに開設を勧めてくれたさかなさんに改めて感謝したい。

ただ、今になってみると、どーもこのブログのタイトルはビミョーな気がしてきた。
私的には「Occult」をラテン語の原義通りに「隠されたもの」の意味で使っている。……つまり「あからさまに隠されてます」ということで、「裏があってもおもてなし」とか「どんより曇った日本晴れ」とか「クレタ人は嘘つきだと言うクレタ人」というような、パラドックスを含んだタイトルだ。あと、「隠されたものをあからさまにする」意味も入れてある。
要は「鏡の国のアリス」いうところの「かばん語」とかパラドックス含みの語が、昔っから大好きなのだ(ジョイスの「ユリシーズ」はだいすき!)。

しかし、矛盾をたのしむ「心のモラトリアム」にも、もう飽きてきた。
アクセルとブレーキを同時に踏んでどちらに転ぶか賭けるのも、いのちが有り余っている間の楽しみだ。そんなヨユーなどもう無いし、だいたいそれをカコイイなぞとは思わなくなってしまった。
在り方は、もっと単純なもので良いんじゃないだろうか。

と、前フリは長かったが、そのうちタイトルを変えるかも。「漫談ブログ:あかオカ」とかも考えたが、昔の職場の関係者でそんな名の人もいたからイヤげなのでやめとこう(笑)。

※とはいえ。 自分自身を、他の何より(目に見えない神秘をかんがえる徒という意味での)「オカルティスト」と考えてること自体は、今も昔も変わらない。
人間が生きていることの意味、人間が人間を愛することや憎むことや育てることの玄妙さ、様々な考え方や人格の在りようの長所と欠陥、国家や組織や家庭の生成や発展や崩壊、人間の来し方行く末、星空を見上げた時に胸にこみあげる出所不明の感動の理由。
こういう、世界共通の「謎と神秘」に、いまんとこ誰もが納得できる正解は出ていないし、これからも出ないかもしれない。
もちろん、うえの「人間」は「自分」という言葉の置き換えでもある。だから死ぬまで、自分なりの答えさえ出せないかもしれない。ただ、少しでも「わかった」と思ってから死にたい。そういう想いは十有五の年からずーっとある。
つまり自己規定とかいうより、「あー、こりゃしょーがない、そういう生まれつきなんだわ」と観念してるというレベルの話だ。うん。

※ちなみにケッタイな心霊話を指して「オカルト」と言うほうが多いようだけど、個人的にはそういうもんは「ヨノナカにたくさんある、わからないこと」のひとつでしかなかったりする。そういう現象があっても、いまの時点では未解明のエネルギーの類が起こすもんではないかいな。電気が活用される前の「エレキテル」、ニュートン以前の「りんご落ち」みたいなもんで、時代が下ったら賢い人が解明してくれるんじゃなかろうか。ということで、私にとっちゃ「何か役に立つんなら有難いが、困ることになるなら係わりたくない」、つまり「無関係なこと」でしかなかったりする……。

よこもじ話を見ると疲れる

三連休の三日目くらい、お休みらしくしようと思った。
で、昼ごろに起き出して、再放送でやってたNHKの「未来への提言スペシャル」を見たりして。環境問題で外国の権威筋にインタビューをしたダイジェストだけど、いろいろな意味でなかなか興味深かった。 たとえばCO2の削減ということで、HSBCの全社挙げての取り組みを映していた。ここなんかはやり手の投資銀行、まさにBankerという感じで、日本のマジメしか能がないぼんくら銀行ズとは訳が違う。その取り組みは宣伝効果を考えても、やっぱ行動が早い&徹底的で、なんかモノが違うというか……。
「環境問題」は単純に「自然をたいせつにしよう」ではなく、英米を中心とした、「社会の在り方を変えていく」意志の顕れでもあるんだろう。もちろん「不都合な真実」のアル・ゴアは、情報ハイウェイを提唱して時代の先鞭をつけた人物で、当然、西海岸のIT産業に大枚を出資している。そしてIT業界はデンキのコストが凄まじい。
いみじくも、「気候変動の経済学」なるレポートを出した英国の経済学者のインタビューも流れていた。ま、つまり、次の発展産業は代替エネルギー関連ってことなんだろう。そしていわゆる西側の先進諸国で代替エネルギーへの切り替えが早急になされなければ、エネルギーをめぐる戦争は明日にでも起きかねないかもしれない。ブッシュは戦争したいかもしれないが、次の大統領が中国やロシアとの激突につながる道を取るとは思えない。
で、日本は、ネットの普及スピードを考えても、意外と早く「社会の切り替え」に順応できるんじゃないかと思う。ただエネルギー問題は官が絡むし、日本はその官の動きが遅すぎるので、どこまで民の力を活かせるか(言い替えれば、官と癒着してきた既得権者に引導を渡せるか)次第だろう。テクノロジーの発展は今まで戦争が担ってきたが、ネットワーク社会の発展には世界平和が不可欠だ……相互通信とエネルギーの安定供給。なので、民生品でテクノロジー発展してきた日本には、良い時代って気もする。
……などと、生臭い&しょーもない感想を並べるより、自分で見てもらう方が興味深いかと。今日登場した学者さんたちのロングインタビューも20日にBSで再放送放映されるそうなので、でひ。

で、DVDも見た。「トランスフォーマー」。
ティーンエージャー向き夏休み映画、客層としてはアニメやサブカルを好む低所得者層(メキシコ系移民やアフロアメリカンが多かろう)とオタク系少年、制作会社のCG技術プロモーション兼用、という感じの一本。
もちろんCGは見事。高速移動しながらの変形のカッコ良さと迫力は、スクリーンで見るべきだったかもしれない……でも、たるい感じのシナリオで2時間半あるので、スクリーンで見たら疲れたと思うけど。途中にしょーもないギャグが多々入ってムダにも感じるけれど、前掲の客層にウケるためのいわゆる「程度ひくい」ベタなギャグは不可欠だろう。
客層っつー意味では、アメリカの娯楽映画って大変だなー、といつも思う。これなどは、主人公とヒロインが黒髪でラテン系な顔立ち、ただし主人公のパパとママは典型的な郊外住まいの中流白人、いじめっコ役にモロにJocksなフットボール部の白人(ただしこうしたマイナスイメージを補完すべく、白人で、勇敢でハンサムで家族想いの、つまり典型的な理想のアメリカ軍人も出てくる)、南部出身の黒人兵士、いかにも現代風な黒人ファミリー、アラブ系の人々、訛りのキツイ英語を話すインド人、などなど、すべてがステレオタイプな人々がまんべんなく出てくる。人種問題はあまりにアメリカ的な話なので私のような国内引きこもり日本人にはどうこういえないが、ハリウッドのお子様向けムービーを見てると、たまにドキッとさせられる。まぁ現地の人々はもっとタフに決まってるが。
しかし、「世界を滅ぼす力の源を捨てに行く」モチーフは指輪物語、「氷の下に埋もれていた巨人」モチーフはエヴァンゲリオン。そんでもって見所は、カーアクションとロボットバトルと戦争アクションと青春ムービー。そんなゴッタ煮式コラージュ話ですた。ある意味すごいよな、こりゃ。
それと。これが一番大切な点だけど。
主人公が、髪型のせいか、「えなりかずき」風に見えてしまい、どうしても感情移入できなかった。どうしても。

空気の底 (宇宙の番外地)

晩ごはんのあとは、たいていは連れとよしなしごとを話す。ときには話は宇宙に飛ぶ。
エネルギーの話をしていたときだろーか。 「そうはいっても、人間が取り扱えるエネルギーなんて限られてるからねー。ジェット燃料とか、核分裂とか核融合とか、反物質による対消滅とか、いろいろ検討しても制御の問題とか寿命の問題とかで、いまんとこ、隣の恒星にも行きつけないんだよ?」 「うーむ」
想像を絶するよーな宇宙の規模にくらべると、人間のちいささに呆然とさせられる。
どうにも脱出することのできない、ブラックホールの底というか、空気の底に棲んでいるようなものか。

あらためて考えてみると、人類はエライ辺境地に居るのかもしれない。おーい、と喚んでも、どんなお隣さんにも届きゃしない。よしんば届いたとしても、会うことは叶わない。ま、辺境だとかお隣さんだとか以前に、この巨大な宇宙のどこにも他の生命体はいないかもしれない。
火星や月の写真を見るたびに思う、「宇宙は超・不毛なんだなー」と。少なくとも、あんなところで人間が生きていけそうもない。宇宙飛行士が月面を評して「絶対の荒野」と言ったとか聞いた気がする。40年どころか4日と居られない、苛酷にすぎる荒野だな。

しかし、それならそれで、人類はこの宇宙で孤独な存在でしかないってことで、仲良く平和に過ごしゃいいと思うのだけれど……。やはり、地球が無問題になると、「絶対的な孤独」と向き合って、あらためて「我々はどこから来たのか? 我々とは何者か? 我々はどこへ行くのか?」とか考えなきゃならなくなるから、それを避けたいんだろうか。

機能不全に陥った家族が、家族全体にかかわる根本的な問題からは目をそらし、誰か一人を悪者に仕立てて、家族の態を維持しているというのはよくあることだ。 「あのコがケンカ(戦争)好きだから折檻してやれ」とか「あいつが独善的だから家族が不幸なんだ」とかね。目先の不幸をボヤいていれば、そのうち時間切れになって「死に逃げ」できるからねぇ。人間の歴史も、そんなもんかもしらん。
しかし、それは火星の表面より不毛に過ぎる気がする。

ブログタイトルにこじつけて言えば、「この世は無明の魂の流刑地だ」という考えは神秘主義思想では珍しくないらしい。大宇宙の超僻地で飽きもせず数千年も戦争の歴史を繰り返してることを考えると、そう言われても仕方ない気はする。
だが、たとえば江戸時代の八丈島なんかは流刑地だったけど、気候は温暖だし食べ物はうまいし、初期は思想犯や政治犯が中心だったもんで島の文化も発展し、流人たちも暮らしやすかったとか読んだことがある。
宇宙の片隅にある、「湿って青カビが生えたお餅のような」惑星もまた、「流刑地とか言いつつ実質はオアシス」になったっていいと思うのだけど、どうだろう。宇宙で唯一の知的生命種が 『仲間殺ししかできない凄惨なバカ』 というのは、なんか悲喜劇すぎて、目も当てられないもん。

やっぱ気になるよね

「レンブラントの夜警」かぁ……。しかも監督はグリーナウェイ。
「枕草子」はハズしてくれたが、今度は舞台はヨーロッパ。うおおな映像美がたのしめそうだなぁ。
映画館のでかいスクリーンで堪能するか、それともDVDレンタルまでのんびり待つか。うーむ。

おもしろかった田中優さんの講演

ということで、横須賀線にのって、逗子まで行って講演会を聞いてきました。
田中優さんのブログ
てか、「せいぜい30人くらいしか来てくれないかも……」と言っていた講演会、100人はいる会議室で、なお座席が足りないんだが。やはり逗子だの葉山だの鎌倉だのは、意識が高い住人が多いもんなぁ。
講演会の中身はなかなか面白かった。単なる批判に終わらずに、代替策を考えて実践していく前向きさは、聞いてる方の気持ちも明るくしてくれるものがある。
さまざまなトピックがあるなか、私的にいたく感じ入ったのは、家電が省エネ化がえらく進んでいて、特に冷蔵庫は、新製品だと十年前のものに比べて、電気代が年間24000円も安くなるということだった。省エネでしかもお得ということで、NGOバンクで旧型冷蔵庫の所有者に10万円ほど貸し付けて、新冷蔵庫に買い換え&2万×5年で返済という融資もやっているそうな。返済は電気代の差額でまかなえるし、冷蔵庫は15年くらいが耐用年数なので、返済が終わったあとも以前と比べてお得な電気代を満喫できる。こういうWin-Winで小回りの利く発想というのは、いいもんですな。……うちはさいわい冷蔵庫は合格だが、エアコンはそろそろ新しいものに変えねば(汗)。
また、やがて各ご家庭で太陽光発電パネルと(電池を備蓄できる)大型キャパシタを備え付けられるようになれば、電気が、ひいては石油が、人の鼻面を引き回すよーなことにならなくて済むかもしれない、ってな話を聞いて、かつて「大型コンピュータの中央集権型システムは、パーソナルコンピュータによるネットワークに乗り越えられていくだろう」という話があったよなぁ、と既視感にとらわれた。まぁ、大きなシステムと小さなシステム、どっちも大切だと思うんだけど。
個人的にいちばん印象に残った言葉。
「どんなエネルギーを択ぶかでその社会のシステムは決まる」
なんか、個人の在りようにも当てはまる気がした。

かえり、逗子市役所の隣の神社にお参りしてみたら、拝殿の前に狛犬ならぬ「狛カメ」が置いてあって、注連縄が飾ってあって、かわいかった。デジカメ持ってたらよかったなぁ。亀ヶ岡八幡宮というだけのことはある。

面白いよ、「幽霊塔」

正月ボケがまだまだ抜けません。明日になっても抜けない気がします。どうしましょう。
それはそれとして、今日はネットを見ているうち、ふと気づくと青空文庫で黒岩涙香の「幽霊塔」を読みふけっていた。
これはもとは英国のミステリー小説で、それを明治の文学者・ジャーナリストである涙香が翻訳(つか翻案っつーか)したもの。当時の読者は大熱狂したそうな。私は幼少のみぎりに、江戸川乱歩による版(乱歩は涙香版「幽霊塔」の大ファンで、後に自分でも翻案した)を読んでドキドキしたものなので、思わず読んでみた。→詳しくはWikipedia「幽霊塔

いや、面白いよ、これ。
明治の翻訳ものだから、ベタな日本人名の登場人物が、「祖先が国王から塔を賜った」り、倫敦はじめ英国の諸地方を闊歩して回る、この違和感。明治時代の小説って、なんかいい味出してるんだよなぁ、途中、おもむろに戯曲のよーに“A「なんですって?」B「そうなんです」”ってな書き方が入ってきたり、“何とかって訳サ。”とか砕けた口調を平気で入れたり。ういういしい日本語遣いが、好きだなー。

しかし……、“からくり時計塔”にはロマンがあるよねぇ。おぼろげな記憶を確かめつつ筋を追っていくうちに、ついつい耽読してしまった。わはは。

おでかけ予定

そうそう、6日(日)はマイ冬休み最終日なのですが、知人の関係で、こんな催しを聞きに行くことにすますた。
田中優さん講演会 in 逗子市市民交流センター
田中優さんについては、wikiに載っている来歴のほか、ap bankの創立者でお役人と付け加えておこうかと。山田玲司の人気連載マンガ「絶望に効くクスリ」にも登場したそーな。エコブームの昨今だけど、ご家庭のささやかなエコ運動ではマトモな解決策にはなりえないとして、大企業や社会のありかたなんぞも含め、自己満足系の耳にはキツい正論を言う人らしい。楽しそうなので、500円で聴けるならと行ってみることにした。
予約は要らないようなので、興味をひかれた方は気軽にどーぞ。ちなみに私は、その知人が美人&いいヤツなので聴きに行くことにしたんですが……(なんという理由)。
※道連れ募集は締め切りました~、ありがとうございました♪

新年そうそう

新年はだらだら過ごしている。
今日はだらだらと寝て、夕方にひとりで散歩にでかけた。ずっと図書館が閉まっているので、いつもの散歩コースには進路は取れず、かといって遠出する元気もないので、近場であまり行かない方向をぐるぐると一時間半ほど散歩した。

様々な職場を経験して色々な街を歩いたはずなのに、夢に出たり、脈絡なく思い出すのは、子供時代に歩いた道や街角ばかりだったりするのはフシギなもんだ。小学生、中学生以来ずーっと行っていなかったような道を歩くと、小さい頃にあった抜け道が消えてたり、その一角まるごと無くなっていたり、あるいは変わらぬままに廃墟化していたりで、何ともいえない感慨があった。まぁ、四半世紀やそこらなら、まだ追憶に耽ることもできるが、百年経ってしまおうものなら、追憶もへったくれもあったものじゃないだろう。追憶するにも有効期限はあるようだ。

ちなみに、近くには市内でも屈指の巨大墓地がある。新年そうそう墓場歩きするつもりはなかったが、ショートカットの進路を取る都合で、周縁を横切ったりした。さいわい、年明けの墓参りに来てた人が多く、花や線香の匂いもかぐわしく、「すさまじきもの」感はなかった。しかし、見渡す限り墓だらけ(建築はせいぜい寺)、みたいな光景は、思えば珍しいものだろう。見慣れてしまってるから何とも思わないが、初見だったら絶句ものだわな。

旧い年は死んで、新しい年がやってくる……新年の動きって節分から始まる気がするのでこう言うんだが。
子供時代はしんどかった坂をさくさく登り、だが続く急勾配にひーひー息を切らし、高台から黄金色の夕陽とシルエットの富士山を見おろす。新年そうそう、旧い記憶を丁寧に埋葬するかのような、不可思議な散歩になってしまった。

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