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2007年9月

雨で十月がやってくる

九月も今日で終わり。
昨日とうってかわって、なんて寒い一日だったんだ。
グレンラガンの最終回にしみじみし、ゴロゴロし、猫のようにまるくなって、珍しく昼寝もした。
粗悪灯油でファンヒーターをぶち壊したせいで、ファンヒーターなしで迎える秋。そいでもって灯油も高騰しているらしいので心配。それでも、涼しいのはいい感じ。満員電車に乗る身になると、特に。
しみじみと心満ち足りる良い秋が、私にも皆様にも訪れますよーに。Love!

圧縮無用

初出勤。一日目は何となく無難にしのげますた。
皆さんの恩愛のお蔭ではないかと思う。

一日を通していちばんキツかったのは朝の東海道線。
あれは貨車ではないかと思うのだが、違うのだろうか。

なんてお得なシュミ

お絵かき教室では、じっくりとまだ水彩……しかも「白黒なしの三原色だ、どんと来やがれ!(ヤケっぱち)」のまま、夏頃からは模写に入っている。これがなかなかムズカシイのだが、たのしい。
最初にやったのは、モネの「かささぎ」なる雪景色。白は塗れないので(紙色を残すことで白にする)、死ぬかと思った。
んで、二枚目の模写候補を物色していて(お絵かき教室には、過去の展覧会の複製ポスターや大型画集が大量にある)、ふと目に留まったのが、世にも愛らしく、そして俗世離れした聡明さを放つ少女像だった。
あまりにもかわいらしいので、何時間も見てても大丈夫そうだし、おそらくはバロック頃の絵だからパキッとして描きやすいし、赤系統が主調だから減りが早いウルトラマリンブルーの節約にもなる、などとセコいことを考えあわせてその絵を選んだ。
タイトルを知って少女の雰囲気にも納得したが、その素晴らしい雰囲気がうまく描けず、紙に穴が空くんではないかと危惧しながら何度も何度も描き直した。

むかしは、模写ってーと、アカデミックな絵の修練でやらされるイヤげなものかとイメージしてたのだが、やってみたら実にいい!! 濃厚にすぎる絵画鑑賞だということがわかった。これで元絵を前にしてねっちりと描けたら、どんなに幸せだろうかと、心から思う。

その絵は先々週には完成したのだが、今日、スケッチブックから外して持って帰り、(仕舞う所がないので壁にかけっぱなしの)展覧会の時の額縁の絵に入れかえてみた。すると、照明の傘の上になるし、遠目だし、おまけに自分は近視&乱視なので、なんか素晴らしく見える!!
てなことで元絵をリンク(複製ポスターではさらに素晴らしい絵でした、念のため)。
スルバラン 「聖母マリアの少女時代」
模写したものはちょっと違われ感がありすぎなので(汗)、掲載は遠慮しときます。

お気に入りの世界の名画(もどき)で部屋を飾るというのは、実にたのしいということを知った。
名画の模写は、絵が好きな全人類に勧めたい(うわ)。

happily ever after

就労は(とーとつに)近づいても、済ませとくことが完結してないし、予習しておきたいこともいろいろあるし、でも気の狂ったよーな暑さのせいで体調はバテバテだし。彼岸過ぎれば涼しくなるとはいうけど、何で秋がこんなにも暑くなったのだろうか。うざー!!
♪幸せはいつだって 失くしてはじめて 幸せとわかる 小さな不幸~
などと、しょこたんが歌う「happily ever after」がつい口をついてしまう。
いや、大切な人との死別を歌った哀切な歌を、こんなヤメタランスな怠け者状態に適用していいとは思わないけども、ついつい。
まぁ、まずは一ヶ月の辛抱なので、カレンダーに×つけて、まいにちをちみちみと消化していこう。

ザコン閉店に今さら感傷

アキバの「ラオックス ザ・コンピューター館」が昨日(20日)で閉店だったらしい。
ザコンはもちろん、最近アキバもほとんど行ってないんで、関係ないっちゃ関係ないのだが……。
十年ちょい前は都内にいたこともあって、連れとよくアキバに行った。初代ペンティアムだとかAMDとかが出始めで、オウムのDOS/V屋やとらのあななんかが出来はじめてて、うさんくさくて楽しかった。薄ら汚い店やジャンク屋を回って、それからピカピカの周辺機器を見たさに、よくザコンに寄ったものだった。エスカレーターから見下ろすチチブデンキを、キッチンジロー前を流れてくパソオタの群れを、夕日が染めてた風景はよくおぼえている。

好きなものをずーっとずーっと好きでいられたら、どんなに楽しいことだろう。
夢がなくなったところで恋が終わり、恋が終わってもなお踏みとどまれば、愛だか情だかが始まって、実入りある生活やプロフェッショナルの道が始まるんだろうけどねぇ。
そこで、自分は何はともあれ享楽的だから何においてもアマチュアなんだなと思い当たる。かなわんなー。

※ここまで書いたとこで、ググってみたら、かつてアキバにあったバッタ屋「マヤ電気」の小説 「安売り一代」というのが出ていることを知った。読んでみよっと。

わかっちゃいたが

11~13日の新月(&月蝕)あたりには、おともだちの皆様にも、内心にせよ状況にせよ何か変化があった人も多いのではないかと。私も部屋の模様替えだけ済ませて、のんびり潮待ちしていた。
んで、「次にシゴトの話が来たら、何にせよ断らずに受けよう」と思っていたところ、夏前に登録したきりの口入屋(人材派遣企業……という言い替えは好かないなぁ、実態かんがえると)から紹介がきた。で、さくさくと話が進み、まもなく就労に。ひさびさの労働なので朝起きられるかが心配だが、まずは1ヶ月契約なので気が楽。彼岸過ぎれば少しは涼しかろうし。
なにごとも誰しも、半分はわかっていて、半分はわかるとつまらないんでわからずにとどめて、日々を生きてるんではあるまいか。そんな気がしてくる今日この頃。

んで、わかっちゃいたが、床生活でのPCは実にキビシイ。オペレーションするなら椅子のほうがいいに決まってる。早くも腰に来てるんで座椅子も注文したが、たいして足しにはなるまい。
床生活に切り替えた理由は、PC中心の生活を止めるつもりだったんだけど、二十年分の習慣をくつがえすのは大変だ……。

なぜなんだ (影薄いかぐや)

今日は月探査衛星「CELENE」つか、“かぐや”の打ち上げ。私も超寝不足のまま、連れに起こされ、ネット中継を見ました。凄まじいですね、ロケット打ち上げは。一度ナマで見てみたい。

無事に打ち上げられて我が家ではとても喜んだのだが、しかし、TVニュースとかではチラッとしか取り上げられないんだよな。ほんとにチラッ、としか。
なんかさー、「殺伐とした世相が……」とか言ってるマスメディアってさ、“おまいらが好き好んでそういうニュースばっかり取り上げてるからだろ!!”ってツッコミ入れたくなるんだけど、どうよ?

こーゆーユメのある……宇宙開発の国家間競争という殺伐な面もある話題ではあるが……話をちゃんと取り上げてやれ、と心から言いたい。総理が誰になる、とかそんな目先の欲得話ばっか朝から晩まで流してんじゃねーぞ、ゴルァ!!

こだわるな(厨返り)

生きていると固定観念が水垢のようにこびりつく。
だが、この夏、アニメやマンガ(特にB級やレトロ系)にひたってみて、「あ、どうでもいいんだ」と思えてきた。
ロボットが合体時に都合よく膨らんだり、わけわからん敵が空間から出現したり、念じるだけで変な爆発が起きたりとか、一歩距離を置いて見るとムチャクチャにもほどがあるのだが、想像の世界は本来、ご都合主義で野蛮な楽しさにあふれているものだ。
子供じみた世界だから、とも言えようが、こういう内的なエネルギーは本来は誰の中にもあるものだし、それが現実を変えていく最初の火種でもあるんだなぁ、なんて元気づいたりして。

つーことで、たまには改めて、「何でもいいんだよ、かきたいものをかきたいようにかけや」 と自分に言ってやらねば、と思いました(あ、「かく」ことには、楽しい夢や将来設計など人生全般のもろもろも含まれますので、皆さんもぜひ)。
しかし、こんなにいい加減に生きていても、世間やマスコミや思いこみによる内化された「採点システム」からはなかなか心身脱落できないもんだなぁ。クレヨンにぎって白紙の前に座り込んだ幼な子のようになりたいけど、修行が足りない~。

てなことで、また改めて「つくってあそぶ」気持ちが出てきています。他ブログ立ち上げたり、PCおえかきしたりとかね。遊びの火種がないと生活にも前向きになれないもんです。こんなこというとフザけんな!と殴られそうだけど、ほんと 「遊べない」半年だった。

棄てるのも何だか

部屋の模様替えの下準備と手配が済んで(←やや大げさ)、明日から連休くらいにかけて「うおおおおお」と変更するつもりだけれども。しかし、粗大ゴミを棄てるのにも費用がかかるのが何とかならんもんなのか。

今つかってるPCデスクも天板の塗装がはげてる部分があるから、リサイクルショップでも引き取ってくれないだろう。まだまだ使えるし、90cmの奥行きのPCデスクは(CRT使ってると特に)便利なのに。
それよりも気の毒な気がするのはアーロンチェアだ。6~7年使ってるし、保証書も見あたらなくなってるので、値はつかないだろう。かつていしかわじゅんが絶賛していたように腰痛とも無縁になるし、座面の前傾ができるし、上であぐらもかけるし(笑)、値段相応にいい椅子なのになぁ。
横浜まで車で取りにこれる人限定だけど、誰か欲しいヒトはいないだろうか。喫煙期も使っていたので、気になる人だとピカピカに磨く必要もあるけど……。うーむ。

まだまだ使えるものを、お金を払ってまで棄てるっていうのは、やっぱり心も懐も痛む。とほほ。

※結局アーロンチェアは1000円で引き取ってもらいました。長く使ってたので、再利用されて達者に過ごしてほしい。座面が少しヘタレても張り直せば済む作りだし。

ささやかな完遂

押し入れの三枚のふすま。昨年の11月のエントリに書いたが、いちまい貼り替えただけで放置していた。
でもその放置していた二枚を、今日ようやく貼り替えた。
十ヶ月も間を空けんなよ……って感じだが、螺旋力やゲッター線を積極的に浴びてきたおかげで生命力が回復しつつあるのかな。

しかし……、今さら気づいたのだが、豪ちゃんが超絶に神だった時代(1973~74年)にはまだ生まれてなかったお友達も少なくないのだなぁ。いまじゃ “自作劣化再生産乙” なだけのヒトって印象なんだろか……まぁ否定はしきれないが……、しかし、だがしかし!!
いろいろな人に「あなたにとっての“神作者”は誰でした?」とか聞いてみたい気もする。“神作者”を持てるのは十代までだろうし。

※七月後半からすげーオタくさいエントリばかりで一種ご心配をかけてますが(笑)、たぶん秋の訪れとともに落ち着きます。ひとさまが作ったものに一生夢中になっていられたら楽しいと思うけど、哀しいかな、それは無理な相談だよね。

ファウンデーションの興亡-場のうつろいと「鉄コン」の“俺の街”

なんか先日、ワールドコンを見つつ思っていたことなども書き留めとこうと思う。まとまらないけど。

人が日常的な身分や序列といった構造から解き放たれる関係性の場、人が新生するためのとなる場である「コムニタス」というのは、確かにある。というか、あるときある場所において「顕現する」。
たとえば初期SF大会やコミケの立ち上げ時など、その中核は確実にコムニタス化していただろう。参加者が熱意や才能や献身を持ち寄りぶつけあうことで、熱くて全人的な関係性が生まれ、各人が時には大きく傷つきつつ、大きく成長したのだろうと思う。
けれど、コムニタスは長持ちしないものだ。組織が安定運営をはかるためにも、各人の精神的ストレスの限界からも、そんな波乱に富んだ関係性だけでは存在しえない。人間は安心して寄りかかれる構造をも必要とするのだ。
たとえば知識や教養の豊富さによって、あるいは人間的魅力や年功によって、コムニタス内にも自然に序列ができてきてしまう。構造から自由になったはずの場所でも構造は生まれ、序列が生まれ、格差が生まれる。
一昔前は 「マニアならこれは押さえてて当然」といった基礎教養があり、またそれを諾々と学んできたものだが、今はそうではないようだし、それはそれで一理あると思う。構造から自由な関係の場を求めてきた先で、先達たちが半人前扱いしかしてこないなら、「なんでそんな序列に従う必要があるんだよ」とキレたくなるのも無理はない気はする。それは互いにとって不幸な道ではある。新しい潮流が生まれたり、新しいコムニタスが生じたりする機会にもなるわけだけど、たらいの水ごと赤ん坊を棄てるような愚行も数限りなく起きていく。知恵と愛情の聖火リレーは難しい。
まぁ、こちらは 『世代の断絶』 みたいなところで、洋の東西を問わない悩みどころなんじゃないかと思うが。

※コムニタスの概念についてマトモに知りたい人は「境界例とインターネット」(「サイコドクターぶらり旅」内トピック)を参照してね。

それはそれとして。今日は家に帰ってからアニメの「鉄コン筋クリート」を見た。素晴らしい美術だが、ちと長い。また、あの原作独特の乾いた感じが、ぐりぐり動くアニメというメディアに変わって、エモーショナルな(ウェットな)ものになってた気がする。まぁ、より感情移入が容易になってるというべきか。

アニメ「鉄コン」では、舞台となる宝町について様々な人間が “俺の街”という。それぞれにとって、自由な遊び場であり、ナワバリであり、人生のすべてを学んだ場でもある街。けれど、誰かにとってかけがえのない街は、他の人間にとっては「自分を受け入れてくれない街」であり、やがて「受け入れたくもない街」にもなったりする。そしてある限界を超えると、陽がうつろうように街の顔が変わっていく。
でも、これは現実の「場所」についての話ではない。問題はその舞台に生きる主人公たちの「関係性」であって、街がどんなに魅力的に描かれていても、あくまで背景だ。主人公たちがこよなく愛し、同時に憎んだ宝町は戦いの舞台となり、そして主人公たちが成長を遂げたラストでは “後にしてきた景色” になる。もうそこがどのように変容しようと主人公たちには関係ない。土地とのへその緒を断ち切り、どこに行っても生きていける一人前の人間になったのだから。
結局、愛するにせよ憎むにせよ、“ある場所に永遠にとどまる”こと自体が無理なのだし、また “場所自体には何もないんだよ” ということだったりする。

このように個人としてみれば、割と手短に済む話なのだけどねぇ。
ビジネスとして成長はしたが構造化がどんどんと進み、コムニタスの法灯を絶やさない条件「全人的な参与」の範囲をぐんぐん狭められた(いわゆる「疎外化」が進んでいる)、アニメやコミック界の明日はどっちだ。

引率した

連れに「ワールドコンの無料コーナーくらい一緒に見てみようかい」と以前に言ってたのをしっかり覚えられていて、今日もまたパシフィコ横浜へ。とはいえ、完徹して朝一でグレンラガン見て寝てから行ったので、会場についたのは4時過ぎ。アートショーも入札終了で立ち入れず。いったい何しにいってんだよ、って感じもするんだが。

Ultraman 日本の特撮ヒーローといえば、やっぱウルトラマン。バルタン星人やカネゴンやらも飾ってありました。
また会場内には、ローゼンメイデンのキャラやら何やらの着ぐるみがいたりしました。


あと、下の3枚は、会場で見かけたキレイな美術作品。これはプロ作家さんのようで。撮影許可をもらったのでパチパチ撮ってみたが、作者ご本人のWebサイトで見たほうがわかりやすいかと。
Dragons Erobike Dragon

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