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「精霊の守り人」 読んだ

杖なしで歩けるようになったので、足の甲はまだ腫れているけども外に出歩けるようになった。いろいろと用をすべく、連日出歩いていたら、また腫れてきてしまった。つか、スニーカーの中敷きを外してヒモを思い切りゆるめないと履けない程度の腫れの引きなのに、あまり出歩いてはいけなかったようだ(サンダルだと甲が入らない)。
ということで、おとなしく本を読むことにした。おともだちのブログなどで評判がよく、「児童文学」というジャンルに入れられているから読みやすかろうということで、「精霊の守り人」。これは一作独立式の連作シリーズの第一作らしい。文庫で廉価で出ているのがさらに嬉しい(図書館ではエライ待ちになっている)。作品のあらすじや登場人物は、ネットなんだから他でも読めるので全略。以下、感想など。


年齢とともに本(特に小説)を読むのが億劫になっている。この億劫の原因を私なりに考えるに、「再構築速度の低下」が挙げられる。行ったこともない場所、会ったこともない人間、聞いたこともない世界、などを、紙にインクで記された文章から自分の脳内に移し替えて、本の世界を自分なりに再構築する能力だ。設計図を見ながら、ぱぱぱっとモデリングする能力といえようか。DNAからRNAに転写する感じ? 実はよく知らないのだが。そうして人の脳内から投射された本の世界は他人の脳内でしばし活性化する。時には逆転写までしたりする。
自我が硬直化するにつれて他人とのやりとりが面倒になるように、「ちょっとちょっと、面白い話があるんだけどさ」と呼びかける本(作者)に対して、面倒くさくなって「なんでオマエのこさえたタワ言に付き合わなきゃなんないんだよー」みたいな気になってくる。かくて私の “視野の狭い年寄り化” はがんがん進行していっている。
ちなみに、トシを取るにつれて現実の世界の観察能力は増すし知識も増えるので、あまりに描写のリアリティのない話はタワケていて読めなくなりがち。いっぽうで“全くの異世界”に対する再構築能力も落ちていきがち。勤労者のおおくが現代小説、そして一種のファンタジーとしての歴史小説や時代小説を読書の中心とするのは、無理もない話だと思う。
ということで、ファンタジー系は結構しんどいだろうなぁ、と思って読んでみたが、そんなにしんどくなかった。神話や伝承を数おおく読んだ人ならば、逆に食い足りないくらいなもんだろう。
だが、それでいいのだと思う。安いファンタジーに限って、衒学趣味まるだしの固有名詞がこれでもかと未消化のままに並べ連ねられ、得体の知れない独りよがりの術語が飛び交うものだ。九九を並べてこれは数学の本でござい、とかやっているようなもんじゃないのか。実用書にもならなきゃ異世界にも出会えない、そんなファンタジーとやらに時間を割くのは、こんなヒマ人だって御免こうむる。
その点、この本は、昨今のライトノベルの読者層あたりにとってはクサくならない程度に、異世界らしい設定や伝承が盛り込まれ、しかも作者の骨身に達している民俗学的感性のおかげでか、違和感もなく読める。翻訳本などでは訳者が理解していない部分は読者も引っかかって読めなくなるのだが、小説でも、作者が消化していない部分は読者にもウザイ異物として残るもんだし。まぁ、(民間伝承という)伏線の張り方があまりにわかりやすかったが、若い読者への作者の親切だと好意的に解釈しておきたい。
見える世界と見えない世界のくだり、カルロス・カスタネダなど読んだ人にはナワールとトナールか……とするっと了解されるだろう(もちろん二つの重複世界について述べたのはカスタネダだけではないが)。先住民の呪術師、ふたつの世界の二重視など、何となく近しさを覚える。カスタネダの「ドン・ファン」シリーズは後年カルト的になり、何より捏造疑惑が絶えないのでアカデミックな観点での価値はないだろうとも思うが、第一作と文庫で出た「未知の次元」辺りだけなら参考に読んでみると楽しいかも。
こういう異世界話をするりと読ませてしまうには、やっぱり世界をリアリティをもって描写できるだけのデッサン力(つまり目と手)の裏打ちがある。文章はくせがなく読みやすく、しかし堂々としていて、成長期のこどもにはこういう文章を読ませたいとさえ思う。個人的な傾向としてはけれん味のある文体(往々にして語りのリズムの文体)が好きだが、こういう正統派な文章も実は好きだったりする。色遣いとして解するなら、自然な中間色を遣った深みのある風景画を見ている感じ。
ってな個人的な感想からいうと文庫版の装画はいまいち。なので有隣堂のカバーかけっぱなし。本についていえば、フォントや版組や紙質などの基本装飾をなおざりに、装画でごまかすのは、デザインとして稚拙だとは思う……まぁそういう良質の本は高すぎて売れないけど。
ちなみに描写で誰もが「おお」と思うだろう部分は、食べ物。美味しそうな描写は、立ち上る湯気と匂い、かぶりつく人々の笑顔と安堵、人々の間でほぐれていく空気の感じまで、きちんと伝えてくる。こういう生活表現で魅了するには、文章のデッサン力と健やかで静謐な感性が要る。ありふれた固パンさえが魅力的なフェルメールの絵とか、さ。

もちろん、ただほのぼの系なわけではなく、戦闘シーンなどもしっかり読める。とはいえひどい残酷描写はないし、何より、ストーリーの中で絶対的な悪や根っからの悪人などは登場しない。狂気や保身や立場にとらわれ振り回される人間の弱さ、しかし自分の願いを胸に生きようとする人間の強さ、そういうありのままの姿が見てとれるし、またそれが魅力的だったりする。類型化されていない、記号化されていない、ありのままの人間のデッサンに宿る美しさというべきかもしれない。

あまりに褒めすぎな気もするので、ちょっと難をつけておくと、目と手は確かだけれど、足が弱い気がした。つまり移動にかかる距離感、時間の経過(それにともなう淡い疲れ)の感覚には乏しかった。子供の成長や事物の移り変わり、戦闘での疲労といった折々の描写はあっても、ストーリーを通して降り積もってくる、通しの時間の感覚には欠ける。もちろんこれは展開の早さやドラマ性、ましてやページ数を言ってるわけではない。
なので読み終えたあと、「いい話を読んだ」とは思えても、「旅をしてきたなぁ」とまでは思えないのが残念。本格的なファンタジーの醍醐味は、読了後の「戻ってきた……」感にあるのではないだろうか。やはりこれは、もっと長い旅の序章でしかないからだろうなぁ、と好意的に解釈しておきたい。

偶然だが、この話は秋に始まって夏至に終わるので、ちょうど夏至前に読んでいることにわくわくした。こういう小さな偶然が、意外と読書ではうれしいこととして響くよね。


ここまで読み返して。本の感想というより、「独りおだを上げては何かをけなし、自分のことはすべて棚上げでエラソウにへんな分析ばかりしてる駄文」に、当初の目的である「人様の参考になるもの」には全くならない……、と改めて気づく。しかしどうも自分はこういう書き方しかできないみたいなので、今後もこんな風に書いていくと思う。

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コメント

 わー、この前この本読んだばかりなんで嬉しいです。来月「闇の守り人」の文庫が出るそうなので、それ待ってるところ^^;
 私は甘ったるくなくて、さくさくすすむとこがいいなあと思いました。若者がぐじゃぐじゃ悩む話ではないのがいいです。安いファンタジー…のくだりには、うんうん、あるある。
 アニメ絵の帯もじゃまでしたよね。すごくどうでもいいけど私の脳内では主人公は江角マキコなイメージかなあ…

そーです、世間での評判は一応耳にし、さかなさんとこに載ったので注目し、サトりんが良いと言ってたので、読書に踏み切りました~。サトりんの好きなモノは、私もハマってしまふことが多いので……。

確かに、甘ったるくないサクサク感がいいですね。男性にもお勧め(チョコみたい)。私も続きは文庫待ちをするか、予約待ちをするか……(最新刊など以外は予約が少ないものですし)。
いずれにせよ、間をあけて読んでも大丈夫そうな、あまり風化しないタイプのおはなしだと思いますし。うん。

江角マキコ……うん、うしろでひとつ結びな辺りとか、イメージ湧きます。でも日本映画で実写化はしないでほすい。どんな味付けされるか、わかったもんじゃないからなぁ~。


ところがどっこい(古きよき言葉)
私には、大いに参考になりましたー。

「なんでオマエのこさえたタワ言に付き合わなきゃなんないんだよー」の辺り。
最近、会話してても、
すぐ自分の話につなげる、年上の人に、
辟易してたのですが、「年とって、
視野が狭くなってきてるんだな」って
納得できました。
これで、その人とも、
広い心でやりとりできそうです。

もっとじっくり読みたいので、
またきまーす。

こんにちは~。
なぜか本筋とは関係ない辺りばかりレスがつきますな(笑)。

うん、トシを取ると「自分の考え=何より真実、他人の考え=取るに足らないこと」という思考回路になってきがちなようですね。
自分ももう少し、読書などでアタマを柔らかくして、精神の老化防止に努めておきたいものです。
あと、実際に人様にタワ言ばっか言って聞かせてないかどうかも、ちょっと気をつけておかないと(汗)。

ブログではタワ言、
削らないでくださいね♡

寿司に例えるとすれば・・・
『あからさまに、オカルト。』の、
玉子巻きやおいなりさん部分を中心に
読む私です。

すみません、
この上のコメント(↑)、私です。
申し訳ありません。

コメント了解しました。
どぞ、お気になさらず。

寿司に喩えると、ガリとあがりしかないような困ったブログですが(汗)。

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