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2007年5月

でかけます (Hit the Road, Jack)

明日からしばし、留守を連れにまかせて、二週間ほど旅行してきます。
国内ですがネットにアクセスしないので、メールも返事できません。よろしう。
旅行らしい旅行は五年ぶりくらい? さらに一人旅なんて二十年ぶりだぁ!!
旅慣れた人には大したことはなくとも、この出不精にとっては一大事です。
戻ってきたらまたご報告しますです。でわでわ。

「アートで候 会田誠&山口晃」展と「アンドリュー・ワイエス」展

今日は、目下自由人の旧き強敵(とも)と連れだって展覧会を見にいった。
ヤフオクでしこたま展覧会のチケットを仕込んだのだが、先週でかけようとしたら豪雨。んで、都合がつくのは今日……つまり大抵の美術館がお休みの月曜日のみ。で、回れる展覧会は2ヶ所だけとなった。 まず最初は 「アートで候 会田誠&山口晃」展。さすが現代美術の売れっ子だけあって客層が若い……が、上野の森美術館がサンケイ系列&平日午前中だけあって、「お芸術を見に来ました」系のおばはんもちらほら。そーゆーのに限って展覧会場でぺちゃくちゃぺちゃくちゃと五月蠅い。だが、会田誠の作品展示でエンドレスに鳴り響くラジカセの 「♪I should be so lucky~」 の前に影が薄い気も。彼女らは壁面をどーんと飾るスク水美少女乱舞絵をどのように見たものであらふか。
山口晃の絵の細かさには感心。みんなちまちまちまちまと描いてあって、それをいちいち確認するのが楽しい。ので、観客は絵の前からなかなか動かない。頭目天を見て「ゴマキに似てない?」という強敵(とも)の指摘にもちょっぴり感心。会田誠も山口晃も “萌える美形” を描けるのが、ウケてる理由のひとつではないのだらふか。技術的にも相当に巧いしな~。

てなことで、ポップな今様感覚あふれる展覧会を楽しみ、次の展覧会に向かう前に、おひるごはん。
ここですぐに目についた焼肉屋に入り、いろいろ悩んだ末に「豆乳冷麺」をチョイスしたのだが……。この十年来の衝撃とも言えるほどマズイ。強敵(とも)には 「どうしていつもそう危ういネタ的な道を選ぶんだい?」と言われてしまう始末。いや、ネタじゃなかったんだ、ネタじゃ。
『マズくても体にはいいはずだ!!』 とか己の心に言い聞かせながら食べたのだが、これで中国産危険農薬どっぷり大豆豆乳だったらどうしよう、などと要らぬことまで心をよぎってしまった。踏んだり蹴ったりじゃん。

で、次は青山に移動し、青山ユニマット美術館へ。ここはシャガールをメインに、レオナール・フジタ、ピカソ、モディリアニ、ユトリロ、ドンゲン、スーティンなどなどエコール・ド・パリの画家たちをコレクションしているよーで。キスリングがちょっと気に入ったり、マルケが巧いなぁと感心したり(この人もモローに学んだんですね、知らなかった)。
しかし、まぁ、目当てはアンドリュー・ワイエスの企画展。この絵が有名ですが、アメリカン・リアリズムの画家・イラストレーターってことで。
こーやって見ると、「すげーリアル!」と感心するけれども、実際にはサクサクと何気ない調子で描いてある。テンペラ画法の絵もあったけど、水彩画なんかは塗りムラも多々あったりして。なのに……二、三歩離れて目を細めると、あら不思議、やっぱり「すげーリアル!」。
まぁ、とどのつまり、光と影、色の調子の捉え方が絶妙に的確なのであらふ。てか、「水彩ってうまく描けないよー、だめじゃん~」という、日頃の自分の言い逃れがいかに言い逃れでしかないかを眼前に突きつけられてしまって、ただひたすら謝罪な気分。

ちなみに青山では駅出口から美術館までわずか50mかそこらの間にオサレなカフェが何軒も立ち並び、「やっぱり都会だー!!」と感心しました。さらに入ったおにぎり&甘味屋は安くて美味しくて内装もきれいで椅子もゆったり。「やっぱり都会だー!」

とまぁ、今回は古典絵画ではない絵をいろいろと見てきたわけですが。「絵って結局、好きなよーに描けばいいんだなー」と、絵の自由さを再確認した気がします。絵を見るのってたのしいもんですな。

シュミがいい

ネットでちゃらちゃらっとできるゲームは気持ちを休めるのによい。
ましてやセンスがよいものだと、なんか触れているだけで、自分まで高尚になった気さえする。
ご存じの方も多いかと思うが、ここはキレイでよかった→http://ece4co.vis.ne.jp/
特に「星探」は実によい感じですた。

昔のAppleとかのセンスに通じるもの、幾何学的なきれいさとたのしさ、自然と相通じていながら人間だけが発見できるなにか、を感じるのは、とてもよい。自分にはこんなセンスはないので、ただただ感心するばかりだけど、こういうゲームって、いいなぁ。
あ、ねこ好きの人にはここの別館http://www.nekogames.com/もおすすめ。今、マウスがへたってるんであまり遊んでないですが、かわいい上にセンスがエレガント(『エレガントなプログラム』的ニュアンスで読んでね)に触れるのは、心の静かな場所がなごむ感じがしますな。

しみじみ系映画が好きな昨今

戦争の話で思いだしたが、今までで一番心に残った戦争映画は 「シン・レッド・ライン」。約3時間の長尺、話が散漫で冗長、日本兵が蛮族みたいに描かれてる、などで賛否両論あるらしいが、私的には全部無問題。戦争映画だけど、異様に内省的でしみじみしました。戦争映画では 「フルメタルジャケット」 と 「地獄の黙示録」 も印象に残ってますが、やはりトシとともにしみじみ系に弱くなっているのか。
しみじみ系では 「アバウト・シュミット」 とか 「アメリカン・ビューティー」 とか 「ジョー・ブラックをよろしく」 とか好き。あそこらへんの、冬の寒い日にあったかいカツ丼大盛りを完食した時のような “人生感” のある映画を求めている今日この頃。

最近みた日本映画では 「地下鉄に乗って」 も悪くなかったんだけど、色恋沙汰を遣ってしみじみ系に持っていけるのは相当の手練れだけではないかと。ラブストーリーだけで一本おはなしはできてしまうものなので、それをうまく物語世界全体の中で調和させて見せるのは至難の業だよねぃ。

鬱になる硫黄島

おとつい、なにげに「硫黄島からの手紙」のDVDを借りて見てしまった。激鬱 orz 。
んで、昨日は図書館で太平洋戦争後期について概略本を読みなおしてみた。
まぁ、戦争の推移とかはおおかた頭には入っていたけど、改めて向き直ってみて……ハード鬱 orz 。
むちゃくちゃな精神論で兵隊っつーかヒトを見殺しにすんなよ、自己陶酔な美学で殺し合いさせんなよ、って感じ。なんつーか、日本のアニミズム的な感性は良いのだが、象徴と現実をごっちゃにして、つぎつぎとイケニエを捧げて祖霊カルトみたくなっちゃうって、もう見てらんないっつーか……。なんつーか、「腐れ土民め、未開の輩め!!」と叫びたくなった。
もちろん先の大戦の是非やら実際に戦争に参加した人をどうこう言いたいわけではない。ただ、人命をひたすらイケニエに捧げる行為のどこに、勝利(国益)につながる解決策があるのか。そもそも論理的思考なんかどっかに消し飛んでしまってて、宗教的熱狂と疎外への恐怖のためだけにムダに 「仲間うちの生き残りゲーム=不運な脱落者見殺しゲーム」 をしてただけなんだろうかね。戦争をいつ止めるべきか判断できなかったのは、要は 「下はどんどん死んでいっても、自分だけは何とか生き残れるかも?」 ってな上層部の欲と恐怖があったんではないのか。
まぁ、終わった戦争をどうこう言ってもしかたない。ただ、やりきれない感がありすぎ。そしてそーゆー 「個人が簡単に 『組織霊』 に喰われ、しかもそれで良しとされる」 日本的(あるいはアジア的?)精神風土は、60年以上経とうが(おそらくは100年経とうが)も変わってないだろうなってことも、鬱。

ゲゲゲの鬼太郎を見にいったよ

先週、ふぁんくシスターズと一緒に映画を見にいった。前職のシスターズにはカワイイ若手組の新規加入もあり、ますます健在。水曜れでぃーすさーびすを利用して、一律千円で映画をたのしんだ。
んで、見たのは「ゲゲゲの鬼太郎」。そう、いまTVアニメで放映されている第5期の猫娘がカワイすぎて物議をかもしたという、原作の発表以来、半世紀を超えてなお話題を提供しているあの作品の実写版。
で、鬼太郎を演じているのはウェンツ瑛士。……としたり顔で言っているが実はどんな役者やら顔は知らなかった(爆)、しかし名前はよ~く知っていた。なぜって……彼は吉井さんの大ファンらしく、昨年の武道館ライブにも来ていたそうなので。Wikipediaで略歴を見ると、吉井さんと誕生日いっしょだし!!(10/8)。性格も、吉井さんと同じくかなり複雑かつイイ奴そうなので、今後は応援していきたい。いや、私の応援って、顔と名前が一致するかどーか程度のもんなんだけど。
で、肝心の作品のほうだが、テンポは軽くあかるく楽しく、時々は泣かせもあり、CG活用もおもしろく、みんなでワイワイと楽しく見るには実によかった。初デートや、中途半端に時間があまった時などに、実によい感じのエンターテインメントであった。
俳優さんが皆なかなかハマっていた(と思わせるのが俳優の力量かもしれんね)点は、やっぱり特筆しておきたい。ウェンツ瑛士の鬼太郎は、美形なんだかダサいんだか不真面目なんだかマジメなんだかよくわからない辺りも含めて(そもそも原作の鬼太郎もひねくれ系の悪ガキだし)、なかなかいい感じであった。田中麗奈の猫娘は実に感じが出ててよかった。もちろん大泉洋のねずみ男はすばらしすぎ。他の役者さんもなかなか。またシスターから指摘のあったよーに、シリーズを通して変わらぬ目玉おやじの声こそ、どの年代のアニメを見た者も安心できる「鬼太郎クオリティ」を提供していたように思える。
映画館ならではの 「みんなで見る」 たのしさを満喫したよーな感じですた。うん。

ようやくリキッド

先週はじめ、やっとこ自宅でも液晶モニタを導入。三菱の19型ワイド。
発色の良さなどを考え合わせて、いつまでもCRTだったんだけど、手前にキーボードを置くと、もう何ひとつ置けなくなる(ヘタすると飲み物などはこぼす)状態に耐えきれず、導入。つくえが広くなった。
前は17型だったので画面は広い。つくえの横幅や圧迫感、ドットピッチ(目が悪くなったし)を考慮して、19型に留めたのは正解だったかも。ましてワイドだから、FlashやPhotoshopなどAdobe系ソフトだと便利なんだよね、ツールバーがサイドに置けるから。
1677万色と、同梱物の多さと、サポートの良さを考慮して決めたんだけど、視野角がかなり狭い。まぁ、寝ころんでオペレーションするわけでもないので良しとしよう。
しかし、我が家のグラボにはDVI-I端子が無い。文字にじみ対策などにはデジタル接続が必至というのだけど……あまり最新式のグラボにすると、マザボを買い換えるハメになる。ということで、ヤフオクでのんびり中古グラボを漁ってます。
何はともあれ、視界がひろくなったのは何より。
てか、これからはPCをまた違った使い方をしていこうと思う。

ふぐパラダイス

さて日曜日。実兄と私と連れとで、なんと海釣りにでかけてみた。
きょうだい雑談からなんか釣りに行くことになったのだが、釣り好きの兄に輸送から道具貸しからポイント選定から釣り指導までを任せてのラクラク行楽。小学校3年以来の海釣りとあいなって、私はいたく楽しみにしていた。
とっとと朝から出発、風邪気味+寝不足で往路やや気分が悪くなったりもしたが、まず第一目的地の海岸に到着。ここはルーシー・ブラックマンさんの遺体が発見されたとこ(うわー)。ちっさい魚が多いが、いろいろな種類が何かしら釣れる、ということで楽しみ。
んで、最初に連れの竿にアタリ。ひきあげてみると、ふぐ。かわいいふぐである。生きている魚というのは、えもいわれぬ色彩をしている。魚屋でしか魚を見たことがない人は美しいものを見る機会を取り落としている。針はずしにナンギしつつ、ともかく海に逃がす。
次に私の竿が、藻にでも絡まったか異様に重くなる。「絡まったようなんだが」と兄に言い、竿を渡すと「こりゃ魚だぞ」と。んで、そのまま兄が釣りあげたのは、なんとデカイふぐ。
「おおっ!!」 実にのっしりした姿、実に見事な面構えであった。
最初は 「おおきな魚を釣って帰って、食べるぞ!!」 と勢い込んでいたが、相手は、ふぐ。
いや、うちの父親は図鑑片手に包丁さばいて、舌がピリビリする(うわ)ふぐ丼をよく食べさせてくれたもんだったが……意識がはっきりしているのにだんだん呼吸できなくなるという強烈な神経毒を体感しながらあの世行きする気にはなかなかなれない。それになかなかユーモラスでカワイイので、なんか殺生する気になれない。
かくて、ふぐは逃がされ、海原のどこかに消えていった。
この日は曇り空。曇りは釣りにはちょうどいいのだが、いかんせん、風が凄まじかった。何ひとつ遮るもののない強烈な潮風が向かい風で吹き付けてくる。しかも岩場の上で釣っているので、風が吹くと、エサ箱が飛びそうになる、上げた糸があらぬ方に流れる、竿が転がり落ちそうになる、足を滑らせそうになる。苦行状態ながらも、けっこう釣れるのが面白いので、必死に釣りをつづける。
またそれなりにいい型のふぐを釣った時には、針をはずそうと慌ててたら、ふぐが「ぶち」とハリスを噛み切ったのでビビったりもした。そう、貝を割るだけあってふぐの歯は鋭いのだ。あるいは 「釣るなー!!」 とばかりに丸くふくらんだり、コッコッコッと音を立てたり、ここでは別の魚も釣れるはずなのだが、すっかり 「ふぐパラダイス」 と化してしまった。いや、多少は違う魚も釣りましたが……。しかし皆ちいさい魚だったので、「おおきくなれよ」 と逃がす。
個人的な感覚としては、釣って食べるなら、巨大な魚でないと食べる気がしない。できれば30cmオーバーくらいからでないと。「りっぱに大きな異種生命体を取り込むハレの祭儀」くらいの意識をもっておかないと……人は一方的な殺戮に簡単に慣れてしまうからなぁ。

初トライというのに、たくさんの魚を釣り上げて、実に楽しいかぎり。とはいえ、あまりの風の強さ&満ちてくる潮に辟易。場所を変えて釣ろうと車に乗り込んではみたが、どこも風がすさまじく、また全員が寝不足気味&すさまじい風圧での消耗状態。ゆえに車内で一時間半ほど仮眠を取った。
そのあと、場所をかえて防波堤の釣りにもアタック。風は凪いで陽も出て過ごしやすくなったが、まるでダメ。ここではエサにイソメを使ってみたが、これはブキミなB級ホラー映画「スクワーム」を彷彿とさせるシロモノ。私は触るのはまるで平気ですが、しかしこれを針につける時には、ヘモグロビンがあるのか赤い体液が流れ出し、二本の牙で必死に噛みついて抵抗してくるので、殺生な感じがいっぱいで、ちょっとやんなってきてしまった。
結局釣れていない兄の執念に付き合う形で夜釣りにもトライしたが、まったくアタリなし。
結局、最初に遭遇した巨大ふぐが、最大の成果ということになった(逃がしたけど)。連れはなぜか、ひとつの場所で(超ミニミニサイズでも)一匹はかならず釣りあげていた。それぞれに違ったビギナーズラックの出方なのかもしれない。釣りはなかなか不思議なものだ。
※写真は右下の「フォトアルバム」からまとめてごらんください。

身体感覚が無い人

髪を切りに行ってから、なんかだるくてやる気が起きない。いつもだったら即レスするメールもすべて放置。
こんなことではいけない、ダラダラしすぎだな、などと自責の念にかられていたが……、どうやら風邪みたいだ。いや、クシャミしたりお腹こわしたりで、周囲のほうが 「風邪ですか」 と聞いてくれてるのに、なんか今ひとつわからなかった。ので雨の中を出歩いたりして、さらに悪くしたよーだ。
明日は行楽なのに、こまったなぁ。このまま気づかないふりをしていようかな。

カット+カラー=500円

とりあえず髪を切ることにしていた。
以前から行きつけの店はカラーはイマイチ好みになれない(技術力はあると思うのだが)。で、HotPepperなど片手にイロイロと検討してみたが、いかんせん好みに合いそうな店はどれも高い。カットだけで6000円くらいだが、美容師=技術者だと考えると、それくらいは妥当と思う。しかし無い袖は振れない。中途半端だとガッカリするに決まっている。
と、そこで思いだした。
以前にネットでイロイロと検討していて見つけた、関内の店「HDA」。ここはフツーの美容室ではなく技術研修用の店、平たくいえばカットモデル募集のような店舗だ。しかしすさまじいことに、カット+カラーだろうと、カット+パーマだろうと、一回の入店につき500円(ちなみにパーマとカラーは同日には不可能だそーで)。
どうせ当座は無職。多少イタイタしい姿になったとしても無問題。そして何より、面白そうではないか。ということで予約を入れて、今日でかけてきた。
関内でも文体のそば、つまりゴミゴミした一角の雑居ビルで、ビルの外見はひょえーという感じ。4階と5階がお店なのだが、最初4階でエレベーターのドアが開くと、そこは研修室。ヘッドを使って、たくさんの技術者タマゴが一心不乱に練習している。あわてて5階に向かう。
と、店内は予想以上にキレイで、平日というのに一杯のお客さんで活気に満ちていた。
私についてくれたのは、まだ二十代なりたてとおぼしきサクサクした短髪にーちゃん。
簡単に髪質や毛流について説明し、「短くしてくれりゃいいので何なりと提案して」と言うと、「ん~、せっかく長さもあるんだし、ボブ風のラインで、こんなふーにしてみませんか?」と言ってくる。「ではそのように」と任せる。もともと定見はないのだし。
職人系のにーちゃんなので、気疲れしなくて私的には楽だ。この美容師さん、バイクが趣味のよーで、言われてみればハサミでなく工具を握ってても似合う気がする。
てなことでテキトーに意見を差し挟みつつ、モノを作ってもらうことにする。
「顔がまるっこいんでね……オンフェイスのボブにすると丸々しすぎるよ」 「じゃあ襟足を長めに残します、あとオフフェイスにしてもいいようにカットします」
「こういう面で見せるタイプのスタイルだと、艶がアクセントになるから髪色は暗めのほうがいいね」 「そうですね、髪色は暗めでお願いします……この撥ねてるラインは整えますから」
などと、客も美容師もそろって真摯にモノ作りに励む。
しかしそもそもこの手のヘアスタイルは、顔の彫りが深くないと、ただのアンパンマンなのだが……。しかし彼的にはスタイルのイメージしか浮かんでいないのだろう。まぁいい。面白いので任せることにした。
んで、カラーを入れる。ちゃんとリクエスト通り、赤みを抑えたグリーン系の暗い色で。
カラーを担当してくれた女性に聞くところ、ここは研修の店なので、技術者も色々な店から来ており、入れ替わり立ち替わりで、一緒に作業する人間のほとんどが初対面なのだとか。客も美容師も一期一会という、なんかスゴイ店である。当然、指名なぞはありえない。
ちなみにカラーを入れているとき、はす向かいの席にダルビッシュばりのハンサムな客を見かけて「おお」と喜んだが、撫でつけてるてる坊主の如きマヌケな姿でいる時にそーゆーもんを見かけると、なんかツライものがあるよね。
んで、カラーも終わって、できあがった。前髪が重ためで、「なんかKOFのシェルミーみたいだな……」と思ったが、そんな美麗なシロモノではない。
「これは……鬼太郎ではないか!!」 と思った瞬間、得心。
とはいえ、にーちゃんとは良い協同作業ができ、会計をする段になっても 「あっ、襟足が……」などとちょきちょきしてくれた。技術がどーよ、という問題はあるだろうが、しかし安くても1000円カットのご時世、500円でイロイロな実験ができて一応は客扱いされる、という以上、気にする筋合いではあるまい。もちろん、人様に会う仕事の人や、髪に命を賭けるような人は別だろうが、そんな人はそもそも冒険してはならないのだ。

帰りはザキをぶらぶら歩いて、阪東橋からバスに乗って帰った。
母親が入院している時は、しょっちゅーこのバスに乗ったもんだ、と思いながら。ちなみに今日は母の誕生日でもあった。風は暖かく、歩いていて気持ちよい、いい一日だった。

つらつらと Let it be

先だってのお東陽先生のトークショーも阿佐ヶ谷だったが、今回の詩の朗読も阿佐ヶ谷で、 「北口も南口も商店街があって、住みやすそうないい街だなー」 と思った。アタリマエだが家賃高すぎで住めやしないけど。
しかしたまに出る新宿はいい。空気にまで情報が充ち満ちて乱舞してる感じがする。あまり長時間いると疲れちゃうんで、渋谷のほうが好きだけどね。おかげで帰路に五番街通りかかって 「ヨコハマ……しょぼい~」 としみじみ感じてしまったんだけど。

とはいえ。中年期にさしかかり、みごとに体型も中年じみてきたので、これからは鈍重かつ温厚な 『おばさんSTYLE』 をモットーとしようかなどと思い始めている。『おばはん』 でもいいんだが、そこまで行くとフツーに就労するのは難しくなるだろう。考え方も地道におばさん化していきたい。いや努力するまでもなく、なりつつあるんだろうが。

時間が経ち、身体も変わっていく。つか、万物は変化する。意識も変わっていかなきゃ、なんか不動産でいう果実とやらを取り損ねた感じもする。せっかく変わるものの中で居るのに、あまりに自分が変わらずにいるのも芸が無い気がする。変わるものは楽しまないと。

一切は時の果実。何にせよ、今までの考えや自意識なんぞにとらわれず、好きに転がっていけばいいのだろう。

詩の朗読会みてきたよ

夕方から阿佐ヶ谷までおでかけ。11年前、つまり大昔に第1回(というより第0回)を見たきりの「T-THEATER」が、今回が最後の公演になるとのことで出かけてみた。
大昔からのネト友の皆様はご存じだろが、私は今は亡きニフティのフォーラム、その詩のフォーラムに参加していた。誰だ、イメージ違われというヤツは。
私のよーな小唄レベルとは異なり、フォーラムでは現代詩にきちんと取り組む人が多く、中でもお近づきさせていただいていた中核な皆さん(中核派ではない)が詩の朗読公演をやっていたのだ。2年に一回のペースで開催されていたのだが、地元に出戻って無精になってからは一度も足を運んでおらなんだ。
第0回の時は「あれじゃ料金高けぇよ」とかムチャクチャ無礼な暴言を吐いたものだったが、今回、ラスト公演となる第5回はちょっと現代演劇風な演出も入って、なかなか楽しめるものであった。料金半分、クォリティ倍増。
さて肝心の公演。
小さなシアターの席に陣取り、開演を待ちつつ、配られた小冊子(朗読される詩ね)を読みふける。
開演してまもなく、席のすぐ後ろで、靴音高く不作法に座る気配。「……るせぇよ」と呟きそうになったが、どうやら演出で客席からも朗読するものだったよーで、不作法な感じもキャラ演出の一環だったらしい。危ない危ない>自分
肝心の詩のほうだが、これが結構おもしろかった。やはり眼で読むのと耳で聞くのは大きな違いがある。音になると詩はまるで違う。眼で読んだ時には面白く感じた詩がいまいちに思えたり、眼で読んだ時にはどうよみたいな詩が結構おもしろかったり。
また、少なからぬ作品が、作者とは違う人が朗読してたのだが、「ふむ、こういうふうに解釈したのか?」 と自分の解釈と引き比べるのも楽しいし、作者本人の朗読でも 「おお、こうだったのか?」 と得心してみたり。こうなるとクラシックの作曲家と指揮者のような楽しみ方だ。
舞台自体は、二部構成になってて、舞台装置を替え、衣装を替え、さらに演劇的な演出が多々あって、タイクツしないで見ることができた。いや、寝不足だったんで、長い詩だとたまに意識が飛んでたけど。あと逆光やスモークや大きな音はしんどいんで割と目を閉じて過ごしてましたが、楽しんでました。

しかし、ああいう肉体遣いのパフォーマンスは大変だ。誰が朗読し慣れているのか、声の出方ですぐわかってしまう。腹に重心が来る人、胸で話す人、喉の開き方や共鳴のさせかた、あるいは微妙なイントネーションの狂い、耳で解釈するしかない分だけ、どうしても意識はそっちを見てしまう。「言葉」というより「音」に近くなるだけ、たとえば「漢字ではこう書くんだな」的な脳内変換と解釈はすっとび、いってみりゃ呪文、はっきりいえば歌に近くなる。かつてのビートニク詩人のポエトリーリーディングあたり、現代のラップにつながってるんでないかと思うが、逆にいえば 「どうしてあえて 『詩の朗読』 になるんじゃろ?」 的な疑問は湧いてきてしまう。
紙に書かれた言葉と、口に出す言葉そのままは、結構違うのだし(たとえばインタビューをそのまんま一言一句まで起こしたら大抵は意味が通じにくい内容になってると思う)、つーか、そもそもラップなんかでは、文盲の人々のあいだで生まれてくる・文盲の人々にも通じる『口承のことば』という部分は無視できないんではないだろか。ニホンジンの英語学習みたいに 「読み書きから入る詩」ではなく、「語呂合わせや音の快感から来る詩」なわけで。
(あ、別にラップだけが詩の出口だとは思ってません。初期のP.I.L.とかあるいはグレゴリオ聖歌とか、あーゆー「お経みたいな歌」もありなんではないかと。ただどういう技術を使うか(どういう意識へ持っていくか)の違いはあると思うけど)
そーゆー意味では、昔にくらべて詩の朗読が流行るにつれ、定型詩の技術ってますます無視できなくなってくかと。やっぱ、ニホンゴって言文不一致やね、どうしても。てか、明治以降は大変なんかな。梁塵秘抄とか「流行歌」なんだが、今じゃ詩として読まれてるもんなぁ。ううむ。

などとつらつらと考えさせられました。やっぱり詩って考えれば考えるほど、ムズカシイもんですな。
何より、10年以上が経って 「良かったなー」と思える舞台と、ちゃんと積み重ねてきた人たちを見て、この10年なにひとつロクな進歩のなかった自分に気絶しそうになったのが一番イタかったなぁ。

少しづつ

回復傾向。まったく先は見えないが、今は見る気にもなれんわ。
とか言いつつ、「うわー、FUJIROCKにTHE CUREが来るんかい!! 23年ぶりの来日って……聴いてみたいなぁ、うーん」とか思い、「早く今年のROCKIN ON FESのメンツが発表にならんかな……吉井さん出てくれ!渋谷だから出すよな?なっ!?」などと思っていたり。初夏の風が生きるエネルギーを運んでくるものなのか。
それにしても先月の職場で壊れた iPod Shuffle、困ったなぁ。ディスク容量の割り振りができないまま。
そんなに頻繁にマシンを壊すほうでもないのだが、ともかくマシン周りの故障が連発しまくってた。「このままずるずる行くと自宅マシンまで壊れてしまう!」 と慄然としたのが辞職の直接原因というのもどうかと思うけど、PCは第二の私だからなぁ。

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