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2007年4月

ひさびさアキバ

今日はひさびさに連れとアキバに行った。電子工作系のパーツとなるとここしかない。

休日のアキハバラは凄まじいことになっていた。
「メイドさんはいるかな」なんてもんじゃなくて、駅前にはメイドメイドまたメイド。加えておなじみキャンギャルもいるし、甘ロリ系ファッションもいるし、にーちゃん達も金髪茶髪DQN度が大きく跳ね上がっていた。
やんなっちゃうことに、メイドさんが引率の旗をもって数人の団体でアキバ観光散策らしきことまでやっていた。駅前ではメイドカラオケのチラシを渡された。もはや何が何だかわからない。
チチブデンキのおでん缶はいつのまにやら名物になって自販機一台まるごとを占有していた。
アキバの主だったはずのジャンパー姿のおっさんたちの姿は見かけず(まぁ休日だからなぁ)、店先にはバイトばかりが増え、たまに昔ながらのおばちゃん店番を見かけると安堵をおぼえたりもする。人が増えてありがたいことは、飲食店と喫茶店が増えたことくらいか。

そもそも問屋街なんだからして、休日や月曜にパーツ買いに来るのは愚かなこと(月曜はパーツ切れ多し)。だが、良い天気に浮かれて繰り出してしまったのだからしかたない。
大昔に楽しく回っていたジャンク屋は減ってしまったが、その代わりにオタ系の店で一棚を区画別に個人貸しするスペースが増殖していて(フィギュアやガシャポンの賞品とかが売られている)、それがかつての 「掘り出し物さがし」 や 「宝さがし」 の気分を演出しているにやあらむ、としみじみした。

さてさて。
買い上げたパーツのひとつに220Vコンデンサがある。
……先日、うちの天井付けタイプの照明が「ぼん」と音を立てて点灯しなくなった。連れが中をあけたらコンデンサが破裂しており、「コンデンサを取り替えればつくかも」 ということで買ってみたわけだ。こういうパーツはフツーご近所には売っていない。
若松とか千石とか回った末、ラジデパで買ったのだが、パーツを指定すると店主は 「あ、蛍光灯ね」 と言って、「壊れたんでしょ」 という。「あ、やっぱ壊れてるとこ多いの?」 というと、「タイマーなんじゃないの?」 という。つまり、ほうっておけば長持ちして誰も買い換えないので、電圧ギリギリのコンデンサを仕込んでおいて(本来ついていたのは180V)、コンデンサの故障を待つ、と。フツーはそんなもんを替えようなどと思わないので、泣く泣く新しい照明を買うしかない。
安い照明を買うほうもナニかもしれないが、そーゆーアコギな売り手もナニだ。「ソニータイマー」は有名だが、こーゆー手もあったか。皆様お気をつけあれ。
てなことで、照明は無事に復活して、皓々と部屋を照らしている。よかったよかった。

人体でっさん

昨日は人体デッサンの日だった。
今年は土日の人体デッサン日がこの日しかなかったので、勇躍参加。んでもって初の男性モデル描き。
近所というのにやや遅れて着いたら、席の空きが限られている。モデルさんの真正面。深く考えずに腰を下ろし、開始を待つ。さて、開始。
人様の局部をど真正面に見るのは、なんか困惑するものですな。
台の上に立たれると、ちょーど目の高さなんだが。構造上、隠せとも言えないし。
だが、えんぴつを持ったらそんなことは言ってられない。午前はクロッキー、ちゃきちゃきちゃきちゃきと描きすすむ。

モデルさんは……何というのだろう、特徴がない人である。学生さんか少なくとも二十代前半と思うが、すごいハンサムでもひどい不細工でもなく、体もムキムキでもなくガリガリでもなく、全体に清潔感があって、なんだか人体カノンがそのまま現実化したよーな感じである。石膏デッサンをしているよーな気分で淡々と描けた。

午後は2時間半かけてのデッサン。往生しながら描き進む。床に座ったポーズで、また局部が真正面だが、人体なので気にすることもない。ともかく男性のプロポーションの違いや肉付きの違いなどに気をつけながら描きあげる。

だが。
描きあげてみて左右を省みると、右にいる綺麗なおねーさんは少しイーゼルを動かして、側面からの構図で描いていた。左にいるおにーさんの絵では、膝の位置の関係で局部は隠れていた。
私だけですか、ど真っ正面から局部をきちんと描いてるのは。
………。
……。
…。
私は変質者ではありません!!!(必死)

リセット

ぐしゃぐしゃになった末に、今の「後見人」とおはなし。
いろいろと誤解とか勘違いとかもあったようで、立場が変わればいろいろな見方もあるもんだと反省してみたり。
とりあえず、しばしは休み、現場からは休止。

やっと、やっと、リセットできる。

ネガティブスパイラルをいったん断ち切って、リスタートしたい。

超オモシロイ「笛吹童子」

こないだ久々に本を読んだ。「笛吹童子」。
北村寿夫の原作を、橋本治がこども向きに書き直したもの。書き直しモノでも、手練れの日本語遣いだから(原作を損なうとか子供だまし系になるとかは)心配いらんわ、と思って読んでみた。

おもしろかった。
ついザクザクと読み進めて、夜更かししてしまいました。

ドラマや人形劇になったそうだが、とーぜん知らない。主題歌はかろうじて知ってる。だが、これほど萌え萌えキャラ続出の、気高くうるわしい物語だったとわ!!!!!
さすがな仕上がりだが、しかし中盤、びみょーにズレがあると感じた。後書きを見るとやはり、枚数の問題で、面白いエピソードやキャラを割愛せざるをえなかったとのこと。これはもともと、延々とワクワクと、たのしみながら読むべきものなのだろう。ああ、原作まで読みたくなってきた。
こまったことに、これは「新諸国物語」というシリーズのひとつなのだったりする。日本を舞台に延々と繰り広げられる、白鳥党とされこうべ党のたたかいを下敷きにしたものだそうで、ほかには「紅孔雀」なんかもあるよ。
マンガ「荒野の少年イサム」(原作は「少年ケニア」の山川惣治)とか、このあたりの児童向け話って、今でいう児童文学とライトノベルの中間くらいに考えればいいのだろうか。一見甘ちゃんに見えるが、実はそう甘くない。気高いぜ、昔の日本人。
それと今のラノベ系は主人公が直面する逆境は「内面的な苦しみ」が多いんではないかと思うが、ここらの時代の逆境はもろに「生きていく苦難」って感じだ。戦争の記憶っつーか、子供たちが見てただろう「大変さ」の内容がしのばれることだよ。

ちなみにこの「痛快 世界の冒険文学」しりーず、「モヒカン族の最後」を花村萬月が書いてたり、「ロビンソン・クルーソー」を伊集院静が書いてたり、その他、宗田理、眉村卓、立松和平、大沢在昌、藤本ひとみ、田中芳樹、逢坂剛、菊地秀行とか、なんか強烈なラインナップ。原作シリーズの縦糸だけでなく、この全集の横糸もまた、面白そうだ。ううむ。

4/30追記。このあと「笛吹童子」の原作本を借りて読んだけど、いまいちでした……。橋本版のほうが読みやすく、無類の心理描写がすぐれていて、やっぱ面白い。

海王星の下に

誰が正しいことを言って誰が嘘を言って、誰が信頼できて誰が信頼できないのか。 ベストを尽くすべきか尽くさないべきなのか、嘘まみれであるべきか正直であるべきか。 自分は善いことをしているのか悪いことをしているのか。そもそも自分は何をどうしたいのか。 それぞれがいろんな「ユメ」を信じ込んでるだけで、実相は何が何だかわからないのがヨノナカであろうか。 「I will」と言えないのがツライところ。しかしそれでも時間は流れていくのであったりする。

ケモノ道

新しいシゴト場。なんつーか、ケモノ道。
シゴト場というには早い、お金が入るかどーかわからないのだから(笑)。
いままでの長い職歴の中でも屈指のアヤしさがたちこめている。ま、それはそれで、逞しくなるのかもしれない。
唯一の先住民はアングラ系も手がけるライター、ネタ度120%な組織ゆえに離れずにいて、中でまったく関係ないシゴトをやっているらしい(笑)。

ヨノナカは正反合一でうごいている。楽しさと無責任さ、真剣さとルーズさ、いろいろなものがいろいろと混在して生きてるわけで……。善意があれば、それを食い物にする者もいるし、悪いだけの者も色々と善をなしてみたりもするし。自分自身だって、善にも悪にもくくられたくないし。
善なる人には鳩のように、腐れには蛇のように、対応していける人になりたいもんだ。

バタバタと走りながら、息を切らせながら、泣き、笑い、おびえ、歓び、またもや浮き草のよーな半フーテン生活になりそー。つーか、人生は旅なんだろうが、陸路の旅もあれば空の旅もあり海の旅もある。私ゃ河に棹さす感じの水の旅かな。日光江戸村の、キモ三味線芸人同乗・シュールにすぎる川下りのごとし。

自分が創造するとして、こんなにもわけのわからない世界を作れるだろうか? クリエーターというコトバが氾濫する世の中だが、The Creator というわけにはいくまい。

さてさて、図書館いって本でも借りるか!

美の世界行脚-「Ashes and Snow」展

上野を離れ、お台場に向かって、お目当ての「Ashes and Snow」展へ。さかなさんに改めて感謝。

たてもの自体はコンテナを積んで組み合わせたもので、坂茂(ばんしげる)なる建築界で有名なヒトの作品。遠目にも趣きがあるものだったが、内部に入ると 「うわぁ」 という感じに美しい。天井が高い部分で17mとかで、骨組みでつくられた三角形が天井近くにつらなる回廊のような構成。とてもシンプルな大聖堂のようだ。
サイトを見ても驚異的に美しい写真が並ぶのがわかろうが、これらがデジタル修正や合成ではないあたりが実に恐れ入る。
しかし、この作品の真に美しいところは映像だ。バレエのような見事な動きはもちろん、すべてのコマがエロティックで曲線的で、しかも構図が極端に洗練されている。人間の肢体のうつくしさ、動物のうつくしさ、自然の風景のうつくしさ。
なんというか、こういう作品はどうしても「白人が異文化に感じるエキゾティズム」を感じざるをえないのだが、それが極端に美しいので批判のしようがない。カナダ生まれの作者らしいが、フランス的だ。フランス語圏なのかな。姓から考えるにやはりフランス系かもしれない。
フランス人の描くエキゾティズムは極端に美しい。官能的で甘くけだるく、しかも知的で醒めている。あの人々の追憶は世界一美しいのではないかと思うくらいだ。で、また、美に関する感覚が優れているから、自然ドキュメンタリー映画とかはフランスものが多いのではないかと思う。自然の美、人体の美は、数学的でもあるし……。
ここでまたダヴィンチを思う。世界とは何だろう?美しいとは何だ?

ということで、美しいものを堪能して、ショップに行くと……。いや、アートだと当然だと思うけど……高すぎて何ひとつ買えません(笑)。絵ハガキとかそーゆーショボイおみやげ系はなし、ミニ写真集は4200円から。DVD6800円は内容的に考えて適価と思うけど。ゴツイ外人のおっさんが「今日は写真集を買ったら、DVDとミニ写真集をつけます!日曜だけのサービスね!」と叫んでいたが、写真集16800円だしなぁ(笑)。
とはいえ、美的感覚涵養のために自己投資を惜しまない人には良いと思う。また展示作品数は少ないので(60分を超える映像作品はあるんだけど)、ゆったり、ゆったりと時間を過ごせる人におすすめ。

ちなみにこの作品世界を構成するひとつに小説もあって、紙質から手触りから中身まで上等でした。最初の10ページほど読んで、かなり魅惑的と知れたので、欲しくならないように本を閉じて帰りました。ううむ。

美の世界行脚-ダ・ヴィンチ展とかイタリア・ルネサンス版画展とか

すばらしい天気の日曜日。
同年同月同日生まれのさかなさんのご厚意で、「Ashes and Snow」展を見に行けることになった。歓び勇んで出かけることに。選挙だけ済ませて、その足で連れと別れて電車に乗る。
だが、京浜東北線に揺られる車中、よい天気が私に呼びかけた。
「この美術展は嬉しいことに夜10時まで!やっている……せっかくだから、この際、かねてから考えていた美術館めぐりをしてはいかがなものか」
かくて電車は上野駅のプラットホームにすべりこむ。

特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」
一番の目玉は「受胎告知」。展覧会の初っぱなにいきなり展示。部屋に入るなりの正直な心境。
「ちっちぇ~!!」
改めて調べてみると、98×217cm。2m超えったって、美術館で見るとたいしたサイズではない。
貸出美術品の通例に漏れず「作品保護のため」って、チョー暗いし。そいでもって、その前に人の列が映画館の如く。
メガネを忘れたので(勢いつけて出たので、デジカメも、チューインガムことiPod Shuffleまで忘れた)、もう少し近くで見ようと近づいたら、トコロ天状態に……いや、流しそうめん状態に流されてしまう。あれあれという間に終了。「こ、これだけモナか!?」 と叫んでしまいたくなる。隣にいた人も「これはないよ……」と呟いていた。
第二会場でもたくさんの人・人・人。なかみはダヴィンチの画業というより、ルネサンスの万能人らしい様々な研究にスポットを当てているもので、非常に興味深いものだが、いかんせんイヤげずきる人だかり。プラトン立体萌え~♪といったタイプの人にはお勧めしたい。

イタリア・ルネサンス版画展
食い足りないので西洋美術館へ。同類が多々いるようで、地味な版画展の割にはけっこう混んでた。デューラーの版画(もともと西洋美術館の所蔵なんだが)くらいしか見るべきものがなかったような……。あ、美貌と没落とで知られたかのパルミジャニーノのエッチングが二点か三点でてました。やっぱ美しかったです。

ただ常設展で、新収蔵版画の展示もやっていて、そちらのほうが見るべきものがありました。ケーテ・コルヴィッツの「耕す人」と「カール・リープクネヒト追悼」。ムンクの「接吻」。ルドンの「キリスト像」。第一回薔薇十次会のポスター。ここらはイイとこ拾ってるなーと思います。版画だと手に入りやすいし、こういうお買い物なら褒めたい。

たくさんの事柄

シゴトを辞めて、雨模様だったので惰眠をむさぼるだけの日々が終わって、新労働開始。
まったくスタイルが違う職場なので、はっきりいってナンギ。編プロで短期アシスタントはやったことはあるが、なにせ十年前だから、フリーランスな心構えや動き方なんてキレイさっぱり忘れちまってるよーい(笑)。前の職場の心なぐさめられる交流や定時休みや残業無しに慣れた身にとってはそーとーキツイが、日々すこしでもレベルを上げていけるよう頑張らねばねば。

周囲でもぱたぱたと色々なことが動いていて、何が何やらのうちに桜は雨に散り風に散り。ということで新緑の季節に向けて、もう季節は動きはじめている。一年後の自分がどーなっているかもわからない。ともあれ、錆びてはいけない(笑)。
春になっても行動はのたりのたり、でもココロはふれっしゅな気分で、何とか進んでいきましょー!

♪ Let The Music Be Your Master

今日はゲットー・シスター変じて山の手シスターがパーリー(party)を開催。メリケン流に素敵なもてなしの席に、いつもの如くチー鱈を持参。こちらのパーリーはいつお邪魔してもuniqueな人々がいらして、たいそう心豊かな時間を過ごせることだよ。今回はDJさんが来るというので、中年には理解不可能なトンガった(←死語)人が来るかと思えば、たゆん♪としたあーてぃすとだったので拍子抜けと同時に親しみをおぼえた。

ヨノナカではあーてぃすとというと異様に神経質とか衒学的とか破滅的とか唯我独尊な人々だとかいうイメージがあり、また自分もそんなイメージの前で 「あわわわ」 と怯えてひれふしてしまうほうなのだが、しかしまぁ、冷静に振り返ると、今までに出会った(私認定)モノホン系の人はみな、なんか、拍子抜けするほど、たゆんとしてるところがあった。自然体というか、世間のせせこましさからどっかつるりと抜けてしまってる、というべきか。いわゆるアニマ(アニムス)が元気な人はエロスを備えてるもんだけど(ここでのエロスはsexualっつーより、根源的なレベルの “人を惹きつける不可思議な引力” くらいに解釈してね)、真性あーてぃすとの場合はアニマがちょっと違う次元に通じてるのだろう。

哀しいことに私は、音楽・美術・文学といったゲージツ三大ジャンルの中で、音楽に関しては知識も素養も圧倒的に乏しい。音楽は意識の調律に関して圧倒的な力を発揮する(ように感じる)ので、少しは理解力を持ちたいもんだが。歌謡曲だの演歌だの民謡だのといった粗い意識の部分に関してはついていけるのだが、クラシックだの前衛音楽だのになると相当キビしい。文学でいえばベストセラー新書は読めても象徴詩は読んでるうちに寝てしまう、ってな感じ。音楽と美術は深くなると数学(てか幾何学)センスが必須なので、ちょっと私にはムリぽ感も漂うのだが、自分の “3D感覚”を鍛えるためにも、もう少し何とかしたいもんだ。

で、浅薄にもネットでふむふむと漁っていたら、こんなサイト見つけました。
Ishkur's Guide to Electronic Music
昨今の「くらぶ」なるところの電子音楽(←かなり死語)の流れと分布の粗い部分を辿ることができるようで。ちゃんと代表的な音楽が聞けるのがたのしい。

その場所が大聖堂からくらぶに変わり、洞窟の壁からモニタ上に変わり、パピルスからケータイ画面に変わっても、人が人である限り、art の本質に流れるものはやっぱり変わらないんだろうねぇ。

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