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2007年2月

四半世紀を超えて

今日はお絵かき教室に行って、スムーズに進んで楽しく描けた。でもその心の取り分を大幅に損なわれるよーな展開もあったので、為す術もなく、家に帰ってから、鉛筆で手近なものを描き写してた。コップとかライターとか。その間は心が落ち着くし、幸福の補充もされる。ふだんは家では絵は描かないのだが。
雄大な空想の翼を広げるのではなく、ちみちみと地味なモノを描いちゃうあたり、自分でもナニだと思うけど、しかし気持ちが落ち着くのは、圧倒的にこういうモノを描いてる時ではなかろうか。昔も、一時期ちみちみしたものを描くのに凝った時期があったなぁ、と思い出した。あまり進歩がない……。

花粉が……

花粉の季節が到来。やんなっちゃうことだよ。
私の場合は鼻水や涙といった流出系ではなく、目がしぱしぱして鼻の奥が腫れて頭が熱を持つ乾燥系の症状。なので、「わ~大変ねぇ」 と言われるよりも 「春だからってぼーっとしてんじゃねーよ!」 といった感じになってしまう。
今年は早めに薬をもらったのだが、土曜に医者に行くのを忘れ、完全に薬が切れた今日は見事に発症。鼻を洗ってみたりもしたが、効果が三十分も持たない。
春は素晴らしい季節なのに、なんだってこんなトホホになってしまったのか。海外に行けばスギ花粉地獄はないのだろう。ああ、毎年春先には海外逃亡できるような身分になりたいものだ。

ちょっぴり考える(3D感覚の鍛錬)

今日はお絵かきしたり、何だりかんだり。いろいろな画家の話が出てくる本を読んで、いろいろ考えさせられた。ので、まるでまとまってないのだが、読んで考えたことを覚え書きをかねて書いとこう。

人生、山あれば谷あり。というと、いい時もありゃ悪い時もあるという意味に捉えられがちだけど、そーゆーことでもないのだろう。
実際の山歩きを思うに、谷を歩いてると日陰になりがちでひたすら寒い。見通しが利かずどこへ向かっているかもわからず不安になる。先行きは日が当たらずどんどん暗くなる。でもだらだらと降りていくだけなので、ある意味でラク。
山を登る時はもっと大変。風は強いし、カラダは疲れるし、強い意志がないと登り続けることができない。ただ、高いだけあって、さまざまなことを見晴らかすことはできる。そして高く高く登れば、誰より先に「新生した太陽」を拝むことができる。
谷底でそのままヘタれてしまったり、上へ至る道を諦めてしまったら、山に登れなくなってご来光は拝めなくなるわけで。まぁ、ちょっと登ったところで腰を下ろして、下をああ言いこう言うのだけが愉しみになるのも、ある意味、谷底で止まってしまったのと大差ないけど。

人生は旅だというが、地図の上を歩いていて、しかもその地図は3Dで出来ている。人は人の人生を見るときに、肩書きや住居移動やら経歴という外見(そとみ)を結んだ2Dでしか判断できない。「山を登る」ことの意味は実は3Dの問題で2Dの問題ではない。それは人のこころの歴程なんだろう。
ついでにいえば、2Dでの移動距離は人の見聞の豊かさに比例するが、3Dでの移動距離は人の慈悲心みたいなとこに比例するような気はする。

ちなみに絵も同じことで、人は描かれているモノ(まさに2D)しか見えないけど、それでも3D(画に宿ったたましい)も感じとっているんだと思う。時代を超えて残ってきた名画のたぐいには、たしかに人間の“3D感覚”を呼び覚ますものがあるんだよね。西洋でなぜあんなに芸術が尊敬されてきたかって、そういうことだろう。

私もえっちらおっちら歩いてる途中の身なのでエラそうなことはいえませんが、よろしければ皆さんも “ご来光 Yeah!”とシャトウな気分で “道中ご一緒にGo!” はどうよ?

ダナエ

昨日お絵描き教室にいったら、先生がデカいキャンバスに向かっていた。
「おお」
描いているものを見て驚いた。レンブラントの「ダナエ」である。
「いまは見られなくなりましたからねー(※バカに硫酸かけられてひどい損傷を受けたんです)。描いておきたいなーと」 「なるほど」
ちなみにこの絵が30年ほど前に日本に来たとき、この絵を使ったポスターが駅貼りされていたが、しばらく経ったら撤去されていたそうだ。
「なんでも”あんな裸の女の絵をデカデカと貼るのはけしからん”とか言ってくる人が多かったらしくて。バカげてますよねぇ」 「端的に言ってそんなヤツは氏ねですね」
たしかにシーン自体はエロっちゃエロなんだが、そういう輩はバックボーンの神話なぞ知りもせずただハダカというだけで非難しているに決まっている。何より、奇跡と歓喜、官能と恍惚、そして荘厳と厳粛に満ちたこの画を見て、どうして単なる劣情絵扱いできるのだか意味不明だ。そんな連中の眼窩に詰まっているのはがんもどきか何かなのだろう。
そもそもダナエ自体が、私の大好きなギリシア神話の英雄ペルセウスのかーちゃん。ちなみにペルセウスは私の大好き神様ヘルメスのごひいきでもある。それにジョン・バースの小説「ペルセウス物語」もムチャクチャに好きだし、島谷ひとみの曲「Perseus」だって全く声が出ないが好きだ……もうこうなってくると何を言っているんだか収拾がつかないが、ともかく好きな気持ちだけ感じ取っていただければありがたい。
だがさらに、『何か最近、別にダナエの名を聞いたような覚えが……』 と釈然としない感じがしていた。うーん。
で、今日になって気づいた。今月の25~28日に横浜港に外国客船「プリンセス・ダナエ」が入港するのだった。
最近はウェディングケーキかマンションかというような巨大客船ばかりなので、すらっとエレガントな佇まいのこうした客船はより一層の気品を感じさせる。ちなみに3/6にはQEIIも入港する。こちらもすらっとタイプ。
美しいカタチが描いてあっても、派手で人目をひく装飾があっても、それがすなわち黄金ではない。カタチの向こう側には作者の魂が、実は透けて見えちゃうものだよね。徒花か実を結ぶ花かは魂という球根ひとつの問題かと。

魔法使い

三連休に入る際、灯油を買い忘れた。
で、残り少なくなった灯油でやりくりしていたが、今晩はいよいよ無くなってしまった。暖冬とはいえ、そしてセイウチの名を名乗っているとはいえ、寒がりな私は行動不能状態に。風呂に入っても、時間がたつと寒い。
「そ、そうだ」
てなことで、ふとん乾燥機を取り出して、ふとんを温めて、ぬくぬくしようと思った。だが、なんということか、ふとん乾燥機のタイマーを回しても動かない。
「あ、あれっ?」
かちかちと音がする。だが動かない。何ということだ。今年の冬は家電モノの壊れ年のようだ。さらにまた粗大ゴミを出す羽目になるのだろうか。今から粗大ゴミの申し込みをして、申し込み済みの壊れFAXと共に捨てられるものだろうか。てなことを考えつつ、動転しつつ、かちかちかちかち。
「う、動かん!!」
と、連れが隣の部屋からやってきて、ぽちっと謎のスイッチを押すと、動いた。目の前で温風が布団をふくらましてゆく。
「温度調節ヒューズが前に飛んだんじゃないかな、一度リセットしなければ動かないよ」
説明も聞かずに一発稼働。なるほど、なかなか Wizard だねぇ、と感心しきり。

そもそも灯油を買い忘れたのはこの Wizard だが、まぁ不問にしておこう、と思った。

「唄いまくり踊りまくる 世紀の爆弾娘!」

今日はゲットーシスターのおうちで、台湾からのカワイイお客さまに “日本の家庭” を体験していただいた。といっても、私は “地元庶民の一員”として参加して、ただ竜巻のように食べていただけだったが。
ご一緒させていただいたシスターのお父様も、カタギじゃない感じ……というと誤解を招くが、知性も教養もありながら気取らず威張らずさりとて下品ではなく、人情があって好奇心があって自由人な感じ、つまり私の定義による “ハマっ子”な人であった。久々にハマっ子な人に出会えて大変うれしいかぎり。
楽しい食卓では、客人から台湾の台北と台南の街の感じの違いなどを聞かせてもらったのだけど、「世界の都会はみんなおなじ。どこに行っても高層ビルがある。日本だったら京都とか、その国の顔がある町がいいですね」という言葉が印象深かった。
今回のタイトルはその場の会話で出た、かつて横浜に在った映画館の名前をぐぐってみた結果から。かの、ひばりちゃんの「悲しき口笛」の封切館だったとは……もちろん今はあとかたもない。
長い長い歴史のなかで町も人も栄枯盛衰していくわけですが(ガルシア・マルケスの小説のように!)、日本全国どこの町ものっぺりとした均一な顔になっていくとしたら悲しい。町も(そして人も)、そこを愛してくれる人が誰もいなくなった時に、顔を失ってしまうのでせうな。

とりたてて何もなく

鬼太郎のようだった髪型が座敷わらしな髪型になった。
さいわいに、ここ二、三日は、陽射しはぬくく、風も暖かく、よい日和だ。
春が沖合の波のように、近づいてるようなまだ遠いような、そんな風に感じ取れる。
んで、こういうシーズンは、意固地になった気持ちをほぐし、凹んだ気持ちを修復し、また日々の事柄を新たに捉え直してみたり学び直してみるのによさそうだ。
心にもストレッチが必要だ。トシや季節とともに、固くなって歪んでいるのはカラダだけではない。ぬくぬくした陽射しの中だと、自然と伸びなんかしちゃったりするもんだが、そんな具合に、ちと生真面目や一生懸命をサボって、イロイロと気持ちを動かそうと思う。とりあえずは、動物とか植物を見たり触れあったりしたい……野生児なもんで。

立春を過ぎて

節分の日はざくざくと髪を切った。フルコースだったもんで、一日がかりになってしまった。やはり赤+緑は黒で、イメージより暗い髪色になった。そろそろ今の美容院も潮時だなぁ、とか思った。夜はお絵かき教室にいってから家族集会した。

この日はあまりモノを食べなかった。お絵かき教室に行く際、時間がなくて国道ぞいの激安(かつ激ショボ)ラーメンに飛び込んだが、格差化進行中の社会を感じさせる雰囲気がツラかった。陰鬱な表情の老夫婦、そして聾唖とおぼしきその娘夫婦(か息子夫婦)、変なケミカルが入ったかのよーにはしゃぐその子供たち。私のちゅーいんがむことiPod shuffleからはT-REXの「Ride A White Swan」が流れていた。目の前のプロレタリア文学くさい風景と、マーク・ボランのチョコレートボンボンのようなねとつく声と妙な浮遊感のあるブギーの取り合わせにやんなっちゃって、3分ジャストくらいでラーメンすすって店を出た。なんか毒気にあたった感じの凄さですた。

立春の日は、ナースコール代わりのあやしい簡易インターホンの取り付けなんかやってるうちに一日が終わった。ホームセンターの園芸コーナーで花を見られたのは良かった。いい天気の下できれいな花が咲いているのを見るだけでも、疲れた気持ちがけっこう快復していくもんですね。ひょこひょこと自由に外を出歩けるのは、実はかなりしあわせなことだ。しみじみと思った。おてんとうさまバンザイ。

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