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2007年1月

水が凍ってる感じで

髪も切りたい、服も新調したい、ブログのテンプレも変えたい、ひらたくいえば Yeah ! したい。だが今はひたすら単調に暮らしている。何か願掛けのように、無気力か鬱のように、ひたすら単調に、単調に。

凍った池の底の鯉のような気分だ。

何か待っているような、もどかしいような、うざうざするような、だけど動けないような。
こういう止まってる感じが、まさに冬まっさかり、節分前の気だよねぇ。

でももう一月も終わる。んでもってまた花粉の季節がくる、そして春がやってくる。
地球がまわってるから夜空もまわってる、太陽が昇り、月が沈み、繰り返し、繰り返す。たくさんの時間をくりかえしてきたけど、さほど賢くも強くもなっていないなぁ。

それでもまた春の匂いがかぎたい。あれは実にいいものですね。

電脳ネットワークはデンジャラス

毎日たぶん一冊はamazonで本を検索している……ほとんどは買わずに書名等を確認したらそのまま図書館検索に移行するのだが、図書館で借りたあとにやっぱり欲しくなって、たまには本を買うこともある。中古で。相当にしみったれ感はあるが、昔に比べて本一冊にかけるエネルギーがイヤげに濃厚になった気もする。心の舌でベロベロ舐め回さんばかりの勢いで……そう、自分が “落籍した若い娘さんをウヘウヘと引き寄せる因業ヒヒオヤジ” のように思えるほどに(なんてイヤなたとえだ!)。

で、まったく前フリとは異なるのだが。
いろいろとネットで探し物をしていると、時にはヤフオクとか楽天とかにも行くわけで……、すると、『お取り寄せスイーツ』 なるものが目に入ってしまう。年齢とともに坂を転がり落ちるよーに甘いものにだらしなくなっている身としては、何かのはずみでカリビアンドットコムに辿り着いた中学生男子のよーに(これもイヤなたとえだ!)、きらきらしいスイーツに目を奪われ、食い入るよーに見入ってしまう。
美味しそうなスイーツと(;´Д`)'`ァ'`ァな煽り文のオンパレードを目にするたびに 『だらしなくなっているのはゼイニクも同じこと、ここで道を踏み外しては!』 と乏しい自制心を発動するのは、かなりの精神的負担になる。なんとかならないものか。
三十代人妻との出会いSPAMは全く引っかかる心配はないが、魅惑のスイーツSPAMなぞが来たらフラフラと踏んでしまうかもしれない。おともだちのところには“かわいい子猫の画像が満載”という肉球系SPAMが来たという。……まったくネットは危険きわまりない場所である。

こんな文章を書いておいて、さっきまで鬱々と滅入った気分で1940年代ブルースなぞ聴いていた、といっても全然信憑性がない…… _| ̄|○

地面のうえの花々

「隣の家の少女」を読んでしまった。最近、本を読んでいなかったので時間がかかるかと思いきや、二時間足らずで読了。作者の筆力ですな。「THE GIRL NEXT DOOR」の原題がいかにも、って感じの可愛く爽やかな滑り出しから、やがて女子高生コンクリ殺人を思わせるエグイ虐待話が、1950年代末の古き佳き(そして深く暗い)アメリカを舞台に展開する長編……実話がネタだそうで。さまざまな側面でエグい話ですが、語り部(主人公)も含めた登場人物たちへの作者の冷静(not冷血)な視点こそが壮絶。
基本的に人様にオススメできない本ですが……、たまには重たい燃料を投下しないと心のキンニクが衰えるかもしれないので、筋トレ指向の時なぞどうぞ。

いっぽうで、日経BPオンラインの人気連載コラムの記事「捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと」を前日に読んでいたので、なんだかなぁ。
独身なのに、瀕死の捨て子をつい拾って育ててしまったおとーさんの田舎的善良は古き佳きアジアな感じでしみじみした。少女が書いた詩も澄んだ空気が満ちているし、少女の墓碑に捧げられた文章の結句の美しさは心を打つ。

世界というのは本当に何が何だかわからない。理解しようとすることが無理なのかもしれない。世界=自分という全能感から切り離されてヒトは大人になるわけだが、とはいえ世界と自分を完全に切り離せばエゴチズムの化け物が出現する。ときどき自分の生きている世界についてイロイロ見聞きしては、理解できずに頭を抱える。そんなことを繰り返してばかり。

あきない

かのサイバラの名言で「人生と商いは止まらない列車」というのがあるが。ともかく商いは自分が飽きないものを選ぶに越したことはないかもしれない。若い時は自意識の満足や実入りの良さでシゴトを選んでしまいがちだが、それだけでは段々とイヤげがさしてくる。それでも自分を騙し騙し働いていると、異様に老けこんでくる。もっとイヤんなってくると自殺だってしかねない。
でも本当に自分が好きなこと・向いていることを見つけるのはムズカシイ……わけではない。その人が本当に好きで本当にできることは「何の必要に迫られていなくても、必ず、ほぼ毎日やっていること」だ。んでもって、たいていの人は別段、何もしてないのではなかろうか。やっていても、せいぜい義務としての歯磨きやペットの世話、あるいは退屈しのぎのゲームとかネットかTV視聴だったりとか。そーゆーのとは別に何か毎日毎日やっているのであれば、それはその人の商いのタネになるのだろう。やろうという努力や熱意はなかなか十年、二十年とは続かないが、無意識の習慣は半世紀でも続く。
私が毎日欠かさずにやっていることは今は何もない。「小人閑居して不善を為す」とはよく言ったものだ、としみじみ思う。誰に何を強いられるでなくとも毎日何かをやれる、つまり“自律運動”が何もできないようでは、何の商いも始められんわなぁ、うーむ。

べたべたとつくる・こそこそとさらす

今日はおえかき教室。先日から新しくいらした女性が居て、年代が比較的近いせいか、入って最初に会った生徒仲間のせいか、割とマジメに絵が好きなせいか、なんか知らないがフレンドリーに接そうとしてきてくれている。それ自体は人間として良いことだと思うが、基本的に私はおえかき教室に絵を描きにいってるのであって、社交に神経を使うつもりは全然ない。さらに折悪しく、今は画題の関係で席が隣。で、今日は時間が終わってからこっちの絵を覗いて褒めてこられたので、『うわっ、ひゃあ!!! ぎゃああああ!!』という感じで、挙動不審になってしまった(汗)。

基本的に、モノをつくっている途中にヒトに見られるのは死ぬほどキライだ。指導を受けている身だからイーゼルに絵をさらしてても平気なフリして耐えているだけで、パーティション方式になっていたら迷わずこもる。褒められるとかけなされるとか、そういう問題じゃない。下手をするとトイレ真っ最中にドアを開けられるよりも耐え難いかもしれない。お弁当の中身を見られないようフタを立てるとかを超えて、青ひげか夕鶴か出産直後の母猫かというレベルで、どーしよーもなくイヤである。他にもそーゆーヒトはいないだろうか。

私の場合、ひとさまに何かつくったモノをさらすのは、「そこから自分を切り離すために」やることだ。切り離してやっと、別のものに取りかかれる。だが、よく個展とか謎の即売会であるよーなシチュエーション、「作者と作品が見比べられるほど近い」状態にまで耐えられるかというと……、まったくもって自信がない。

しかし。デキはどうあれ、何にも縛られず、誰のためでもなく、没頭して何かをつくっている最中って、めちゃめちゃしあわせだよね。生命の泉が湧き出てくる感じ。どこに着くかどこに居るかじゃなく、その瞬間瞬間が人生の報酬。非常によろし。

てのひらの星空

取ってるメルマガで配信されたニュース。買わないとは思いつつもカワイイと思う。
1000円を切るプラネタリウム?「HOMESTAR PURE MINI 星空のたまご」
……いや、記事を読んでいただければわかると思うが、力点は「1万円を切るエントリモデル」のようだ(てか、勝手に記事タイトル変えてるし!)。でも万華鏡のように覗く「うちゅうたまご」のほうがカワイイと思う。鳥は神に向かって飛ぶ……てな感じで。

いや、どうしようかと

クラッシャー・バンバン・ビガロが亡くなったそうで。いや、ファンでも何でもなかったし、周囲もまたそうでもなかったので、わざわざ人様のところにコメントをつけたりメールを送りつけたりするのもどうかと。
いろいろ悩んだ末に、コソーリとひとりブログに書いてしまうあたりに、自分の自分たるゆえんを感じることだよ。

よしなしごと

この土日は、ハハの横でごろごろと読書をしたり、教室でお絵かきをしたり、PCでお絵かきしたり、散歩しながらイロイロ夢想&妄想をたのしんだり、まぁ、大昔から変わらないよーな時間の過ごし方をした。

ハハがまた思い出したように 「私のLLの服はあんたにみんなあげるからね。おねえちゃんたちには合わないからねぇ」。もうそれ聞くの二度目だから。てか、そんな部分で一子相伝すんなー!

おえかき教室でかけてるラジオニュースで新国立美術館の話題が出た。コレクションなし・ハコものだけで総工費350億円というトホホな代物に思わず 「そんなん滅びてしまえー!」 と口走ったら周囲が引いてた。いや、そんな引かなくても……(汗)。それとも、「なかみカラッポの国立美術館」というコンセプチュアル・アートのつもりなのだらふか?

散歩はたのしい。よく行くのは川沿いコースなのだが、最近は、海よりずいぶん内陸寄りなのにカモメがやってきている。よく通行人が鯉にエサをやっているので、それを掠め取りに来ているうちに定着したようだ。カモメはなかなか野蛮でやかましい鳥なので、カモなどは肩身が狭そう。カモメはおいしくなさそうなので、あまり増えなくて結構だ(すげー勝手な理屈)。

土日の休みが終わっていくときはとても淋しい。サザエさん症候群とでもいうべきなのか。だが、時間はつかむことはできない。楽しい時間は過ぎさっていくけど、苦しい時間も必ず過ぎ去っていってくれる。『執着すんな、執着するからツライんだ』 ということかね。それを忘れてはいけない。

U.S.A.スタイルはマイクロウェーブ

こちらは年初から北米に行っていたシスターが、おみやげにアヤシいものをくれた。
「おお」
前に雑談で聞いたマカロニ&チーズ、通称「マカチー」。米国の若者が夜更かしなんぞしすぎて小腹が空いたときに食べるジャンクフードという。いわばこちらの「カップヌードル」や「焼きそばUFO」のような位置づけであろうか。
濃厚なナチョチーズが結構好きだし、たまに無性にジャンクフードが貪りたくなる私としては、一度食してみたいと思っていたので、嬉しいことであった。
で、週末にでも家で食そうと思っていたら、箱の横には「鍋で茹でて、水を切り、チーズをかけて……」などとマトモなことが書いてある。疑問に思ってシスターに問い合わせし、正しいアメリカ方式では「皿に盛って水かけてマイクロウェーブでチン」だと確認。そうこなくてはアメリカじゃない!!
だが今度は「皿に残った水を切ってからチーズを混ぜるのだろうか」などと考えて(←この辺りが日本人的な小市民性)、再問い合わせ。「泡だって消えるから気にするな」とのこと。さらに「牛乳を加えるとよい」「耐えられなくなったら、めんつゆや醤油を少し」などの日本人向けアドバイスももらう。
ということで、家に帰って、晩ごはんのあと、しばらく経ってからトライしてみた。「わしは要らんぞ」という、添加物等には人一倍過敏な連れには遠慮して、自分の分だけ、少量つくってみた。
箱を開けたら、いきなりマカロニが詰まってる(外袋なし)。そこにチーズの袋が突っ込んである。この時点でU.S.A.感いっぱい。(・∀・)イイ!
で、水を加え、レンジにかけて………うわー、なんか泡立ってるよ、あやしいよ、あやしいよ!!!!
何度か様子を見て、アドバイス通り牛乳も足してみて、「そろそろ良かろうか」とチーズをかけてみると。
うあああああああ!! 蛍光だよ! 蛍光オレンジだよ!
洗剤に蛍光増白剤って入ってるけど、なんかアレげな感じだよ!!! ヤバすぎ感バリバリー!!
食べてみると、なんか……なんというか……デフォルメされた味。濃ゆいよ! ここに長椅子があってTVがあってコカコーラがあったら……、気づいたら自分がベースボールキャップかぶってヨレヨレに伸びたTシャツなんか着て腹を出しながら、「HaHaHaHa!!」とか笑ってたらどうしよう!みたいなキケンさを感じる。
しかし困ったことだが。決してキライな味ではなかったりする(爆)。
ホフブロウのスパビザ並みに単調な味なので、途中でめんつゆなんか足してみたりしたが、基本的にマカロニもナチョチーズも好きだし、何といっても頭の悪くなりそうなジャンクフードというのは時に抗しがたい魅力を感じるではないか。
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私が作ると食べる前でもデンジャラス感あふれる盛りつけ 外箱のデザインは洗練されているのだ ガキの頃からこーゆーもんを食べてりゃ、生き残りはおのずと「国際競争なんのその」になるのか?

と言いつつも交流ブラボー

今日はおえかき教室でした。年明けから水彩を始めたのですが、気の毒な小学生のようなすげぇモノになっています。どこが悪いとかどこを直すとかいうレベルじゃなく、何から聞いたらいいのかわかんないよぉ!みたいな。三原色を混ぜて色を作るのは、按配を覚えるまではなかなか大変そうです。小学生の昔から色塗りは不得手ですたが、何ひとつ進歩していないことにビックリ。てか、何もしてなきゃ進歩するワケがないのだが。

と、ここまでは前フリ。同じく生徒で無愛想なおっちゃん(←すげー失礼)がいるのですが、その方に水彩絵の具のセットをいただきました。わーい。
昨年のシメの飲み会(単にその時アトリエにいた僅かな生徒による会)の際に、「業者が持ってきた水彩セットの見本、余ってるからあげるよ」と言われていたのです。小学校の先生なので、業者さんが色々と持ってくるのだとか。別に親しい生徒仲間(←皆無だが)ではなく生徒の中では顔なじみという程度の仲なのですが……、元左翼運動が長かったおっさんとのことで、要は “同族は見分けられる” という奴でせう。つか、私本人もそーですが、私の友人らも、その多くが “反主流派オヤジに親近感を覚えられてしまうタイプ” なので、驚きはしませんぞ(笑)。

某Sさんにも油絵の道具をいただき(この様子じゃ当分使えそうもありませんが)、おっさんにも水彩セットをいただき(もう一式を買っちゃった後ですが)、ありがたい限り。猫に小判ではあるものの、ひとさまの恩愛に感謝しつつ、のそのそマイペースで進んでいきたいものです。

追記:写真も追加すますた。カワイイよねぇ。気分は小学生。
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Web 0.2

と、一瞬だけブログバトラーを置いて、ささやかに交流のある皆様と遊べた時点で 『目的達成』 と、そそくさと手仕舞い。
もっと多数の人々と積極的に交流をもとめるべきなのかと思うが、なんつーか面倒くさい。華々しく合コンを重ねてたのしくやるよりも一人の彼女が欲しい(なぜ彼女)、そーゆー「ひたすら名より実」タイプだと我ながらしみじみ思う。

不特定多数のユーザが活発に参加することがサービスの実質を形作る「Web 2.0」とやらが、コンサル屋さんを中心に、日本の輸入ものネット業界イチオシのトレンドらしい。ひらたく言わせてもらえば、巣箱を作って設置してミツバチを呼んで蜜を取り出したり、果ては枠を海に沈めてノリが付着するのを待って海苔を作ったりするよーな形での稼ぎ方だ(すげー乱暴なまとめ)。一般ユーザは蜜蜂や海苔のような自然資源ということになる(推論するに次なる競争は、いかに良い蜜蜂や高品質の海苔に集まってもらえるかをめぐってになるだろう)。

だが私は蜜蜂でもないし海苔でもない。また他人をそのように見たくもない。

もちろん蜜蜂は協同して“家”を創る。人はそうしたものを本能的にもっている。バベルの塔か黄金の教会か、どんな家が建つのか見てみたくはあるけれど、自分がそこに加わることはごめんこうむる。
「Web 0.2」で十分です、個人的には。

コソーリ置いてみた

いつも巡回させてもらってるお方のブログが年末以来更新がないので、どうしたのだらふと、エントリではなくメインページに飛んでみた。すると「ブログバトラー」なるものが設置されているのを発見。あそんでもらおうと、自分もキャラを作り、ついでにサイドに置いてみますた。
私ゃこうしたアクセサリに関してはとてつもなく飽きっぽいので(実際デスクトップテーマとかランチャーとか使わないしさ……)そのうち消えると思いますが、ブログ持ってる人はあそんでやってください。
……それにしてもココログのカスタマイズってわかりにくい……。しかも明日はメンテとかで記事も書けません。んんむ。

ヤク漬け

年末年始以来の風邪がまだ喉にだけ残っている。似たような症状だが年初からソウル出張に行っていたシスターが金曜に戻ってきて、気管支炎になっていた。ので、自分も用心して(そういうハードワーク職種ではないので要らぬ心配だが)、土曜に喉の医者に行ってみた。ついでに「そろそろ用意しとこうかい」というノリで、花粉症の薬ももらってきておいた。今年の花粉は去年より少ないそうだけどね。
しかし……、医者に行くと、薬をホントに山ほど寄こしてくるよね。果たしてどの程度効き目があるのかというと微妙な感じもするのだが。「傷口を治す」とかいう医術の初歩の初歩のような部分でも、「傷口は乾かさない」「ガーゼ絆創膏じゃなくゲルタイプ」とかいう見直しが進んでいるとか。今日の真実は明日の迷信、というのは科学なら当然ではあるけれど、こーゆー基本的すぎることになると「いったいどうなっているのだろうか???」とも思う。 バイオ研究の進展につれ、もう一度、人間の治癒について見直しがなされるといいなぁ。うん。

タイムマシンにおねがい(むちゃくちゃオタ系)

前の更新の時、テンプレ変えただけで肝心の記事を書いてなかったことに気づく。しかしこのブログもずっと書いてるけど、一度公開してからすぐ削除したり差し替えたりしたことはあっても下書きで保存してたのは初めてだった。なんか筆が進まなかったのだよね。

とか書いてると深刻な日々でも送っていそうだが。実際のところ、図書館で借りた「色の塗り方本」の「イラストレーターさんの描き方公開」みたいな記事で、「ひ~、カコイイ!」と思われなイラストを見かけ、萌え萌えになってはしゃいでいた。で、「コレハナニデアルカ?」と旧き強敵に問うたところ、「ああ、KOFのいおりんね」と即答された。てか、ゲームにせよキャラにせよとてつもなく有名らしい(私は気質は間違いなくオタだが、ここ20年ほどのアニメやゲームやマンガはほぼ無知)。しかも初出はKOF'95、10年以上前……。しかしネット上をいろいろ見て回るに、どうも自分はキャラ自体というより森気楼氏の絵柄に萌えだということに気づく。そもそも格ゲーなどできるわけがない。とはいえ。森気楼氏の絵でバロン吉元が引き合いに出るあたり、やはり旧き強敵はすげェぜ。(てか、いまWikiで見たら鴨川つばめはかつてバロン吉元のアシだったのね。びっくり)

それにしても。
世の趨勢をつかむ面では早取り・先取りをモットーにしているのだが、こーゆー個人的なシュミについては、常に世間から一周半ほど遅れている。異様に古くをたずねればスーパーカーブーム、さらにFSSやらイエモンやら、何にせよヨノナカのブームの頂点が過ぎたあたりでいきなりハマってしまったりする。世界から消えたはずの天然痘患者がまだ居たのか!みたいな浮きっぷり。
私の周囲に居る賢くて面白い人間は皆、本人の世代的にどうみても一昔前になる歌謡曲や流行語などの世俗に通じている。時折り年代の差を忘れてしまうほどだ。だが、そういう私も若い頃は「生年月日を偽っている」と言われ続けた人間だ。しかし、こーゆーケースはちょっと違うようにも思う。単に私のセンスが旧いのか、それとも時間と国境を越えてすべてが「いま」として提示されるネット空間では、死んだはずのコンテンツや終わったはずの人が何度でも蘇り、“時代と場所を共にする感覚”は人々の紐帯たり得なくなっていくという前触れか(もちろん反動として、大規模な祭りや火事も頻発するのだろうが)。……いや、やっぱり単にセンスがズレズレなのだろう。ふっ。

球根 (根腐れ注意)

昼休み。おひるごはんを食べていた。同僚の可愛い娘さんが鬱っぽくなってて、ぽろぽろと涙をこぼす。私もアッパーではなかったので、フォローを少し入れて、しみじみとおべんとを食べつづけた。生きているとたのしいことばかりではない。でも、冬の空は青く、淡々と日は照ってた。

中年だからにやあらむ、ごく身近にはおらずとも、身内の人が鬱という話はよく聞くようになった。いまのヨノナカ、命を尖らせるのではなく蝕むようなタイプのストレスが増えているのだから、さもありなん。意志の剣を鈍いやすりで撫で回され続けるような状態ってイヤげすぎだが、人と情報が過密な現代社会ではそうもなろう。
だが私も齢を経て図太くなったので、メゲないつもりだ。何かにつけての希望を見失ったり、簡単にあきらめたりはしない。つーまえに、植物を見ればわかる。命はあきらめない。あきらめとは気負いの裏返しだ。気負うことイコール進むこと、ではない。
ので大切な人々には、鬱でも何でも生きて、生きて、生命の芽を輝かせることを切に願う。苦しみもまた人生で得られる自分だけの取り分だ、ほんとうに何もないということではない、ちょいとの気休めでもそう思ってもらえれば。

心の叫び

今日で休みが終わってしまう。悲しい!!!!
とはいえ、せっかくの休みでも本当に人間としてダメな生活しか送れなかったし、地球資源の有効活用とか日本の生産性向上とかの観点から言って、労働したほうがいいのでしょうな。完全復調にはほど遠いのだが、あまりゴロゴロばかりしていても仕方ないだろう。“体調最高!メンタル快調!何でも来やがれ!”な気持ちで毎日働けてる人って実際ほとんど居ないと思うし……。夜更かしゆえの眠気をどうごまかすか、二日酔いゆえの吐き気をどうしのぐか、主にそんなことのために日本のさらりまんのエネルギーは費やされているのだと思う。
そのように怠惰な自分をごまかしながら、なんとか始動すべく頑張ろうと思う。あまりにメリハリのない年末年始だったんで心のリアル正月は節分までお預けとはいえ、“いつでも行けるように肩だけあっためとけよ!”って感じでね。

コワすぎる「失踪日記」

旧き強敵に借りて、吾妻ひでおの「失踪日記」をようやく読む。読むのがコワイなぁと思っていたが、読んでみたらやっぱりコワかった。あぢまの描くまんが世界も相当シュールだが、現実以上にシュールな世界なんてないのだなぁと痛感させられてしまう。人間皆妖怪。三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず。自分も狂人の一人ではあるが、あまりの狂いエネルギーに圧倒されてしまう。
全編を覆ってる「なにかすべてがオカシイ」感じと、「とはいえ自分は平常を保ててる」自意識のミスマッチが、“シュール”のゆえんなのだな、と改めて納得。もちろん描くには重たすぎる悲惨や凄惨(=自意識が一定の距離を保てなくなって“修羅場の最中”に突入するレベル)は抜いてあるのだけど、けっこーヤバイ感じが漂っていて、すごい。大昔にみすず書房で分裂病の人の手記を読んだ時の手触りに似ている(そして実際、社会の底辺層ではそーゆーヤバい感じが瀰漫してる)。経験として壮絶ということもさりながら、“ある精神の軌跡の記録”として凄い本だな、ということでひとつ。

「王の男」を見てきたよ

綺麗なにーちゃんが出るという華やか衣装の歴史劇(=これがホントのcostume playだね)と聞き、しかも日本での興行はコケているというので安く行けるだろ、と、ヤフオクでチケット買って、旧き強敵と「王の男」を見にいった。ひとり頭700円で見た計算になるのだが……、いや~良かった良かった。予想外なことに、とても良かった。
宣伝の仕方だと、妖艶で悪辣な傾国のホモ美青年でも出てきそうな売り方だが、全くそういう話ではない。16世紀韓国を舞台にした、“ゲイ”ではなく“芸”の映画。詳しく知りたい人は他の方のブログ(相当ネタバレだが良い内容です)を見るよろし。
てか、主役のひとりである美青年を見るとやっぱり巫教的青年結社制度“花郎(ファラン)”を想うし(ちなみに美男子の結社だったとの説も?)、そうしたシャーマニズムがやがて世俗化して、映画でも最初のほうで出てくる、身を売り花を売るまさに河原乞食な芸人生活へ流れ着いていくのだなぁ、などと思いめぐらしたり、露骨で卑猥な下ネタ連発の大道芸&おかめひょっとこな仮面劇やら(豊穣儀式かよ!)、身分制度の頂点である王と最下層である芸人が美青年芸人を挟んで一種の両翼のように重なる辺りとか、民俗学的感性を持つ人には (・∀・)イイ! 連発になるのではないかと。
また、野山のシーンが何カ所か出てくるのだが、あの淡い野の色はまさに東アジア的でしみじみ美しかった。服飾の美しさは言うまでもない。主役の美青年の “雰囲気の魅惑” は素晴らしいが(写真では“それほどでもない”と思われるだろうが、女形の真髄は形ではなく雰囲気であろ?)、ラストの、相方と二重唱となる歓喜の(最期の)かけあいの表情は歓びに満ちていて掛け値無しに美しい。まさに人形のようで仮面の表情のようだった彼の、人形の役割を打ち捨て仮面を打ち捨てた、人間としての歓喜の表情は実に心を打った。
芸の話という意味では「覇王別姫」に似ているけど、「覇王別姫」は重たい史劇で、こちらは愛憎劇という感じでしたな。その分だけ肩が凝らないし、歴史に関する予備知識もほぼ不要と思う。役者たちも生き生きとしていて面白い。今から見にいくのはキビシイかもしれないが、DVDか何かで見て欲しい映画でした。※ちなみに主役級の人々のうち美青年以外の紹介ははしょっちゃってますが、見ればわかるし見れば消えない存在感なのであえて省いときました。
……しかし……結構いい内容だったのにヒットもせず惨敗なのは、角川ヘラルド配給だから?? 売り方のセンスが古いんではなかろか。

絶賛療養中

せっかくプレゼントで当たったので、二日には人混みムチャクチャなみなとみらいまで、ウインナ・ワルツのコンサートを聴きに行った。去年のバンド……じゃなかった、楽団に比べて、アクもなく凄みもない演奏で、無難に時間が過ぎた。前の席に居た、清原を縮小したようなガラの悪い若者とそのツレの娘は、タイクツしたのか第一部だけでいなくなった。横の席に居た初々しいカップルは、クラシックのコンサートを心から楽しみにしていたようで、身を乗り出して「すごいすごい」と喜んで楽しんでいた。“好きだー!”という気持ちが態度に出ていると、傍目にも快くてよろし。
と、治りがけのところをはるばる出かけたのがアダになって消耗しきって、帰るなり寝てしまう。十五時間くらいは軽く寝て、目覚めるとすでに冬休み最後の日。こういう時の無常感とやるせなさはどう言葉を尽くしていいのかわからない。慟哭の思いで冬休みを過ごすとは思わなんだ。
てなことで、今日は会社に行ったのだけど、まだ治らない……てか、12月の26か27日くらいからずっと風邪じゃん!もういいから治ってくれよぉぉぉぉい!!>自分
明日も休み取りました。この残りで何とか復調したいもんです。くっそー、新年はやっぱり節分からだ!!

そして今年も

今年は大晦日はひたすら伏せり、午後になってようよう近所に買い出しやDVD借り出しに出かける。あっという間に家に戻り、また横になりながら 「嫌われ松子の一生」 を見る。この作品は極彩色の 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 のようなものだと思えば良いかと。そのまま伏せりつつ、年末恒例の格闘技を見るのだが、再放送しかしない21時までは第九を見ていて、そのまま少し寝てしまう。クラッシックは本当に寝やすくてよろし。
それから21時になって格闘技を見始めると、連れが 「曙、また負けちゃうの?」 と小学生がおとーさんに尋ねるようなことを言う。私は曖昧に微笑む。ちょっとチャンネルを変えたりしているうちに、曙がリングに倒れていた。つまり一年がつつがなく終わった。あとはタワけた試合を気もなく見て、紅白の終わりを見て、窓を開けて汽笛を聴いて、早々に寝た。

新年になって、だるいながらも一泊二日のDVDを返しに行った帰り道、道ばたで年初の挨拶に実家に来た姉夫婦と偶然に遭遇する。そのままなし崩しに新年交歓会がはじまる。公機関にいる団塊の世代は何故あそこまで働かない……のを通りこして物体化してしまうのかや、寡聞にして知らなんだな「粋Z(いきじぃ)」なる語句についてや、2ちゃんで飛び交う単語の絵解きや、曙の倒され方で豊作や不作や一年の吉凶を占うのはどうかとか、正月早々タワけたことばかりを愉しく話す。

気温は高めだわ、風邪にやられて寝込むわ、例年以上に年末年始感のないまま……すなわち年賀状1枚も書かぬまま……新年になりましたが。今年も私の好きなみなさまが心たのしく生命キラキラな日々を過ごせるように祈っております。2007年はラメラメしく行こう!!

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