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よいオトナになりたい(ゲットーの谷間で)

いいトシこいてつけるタイトルではないが、そういうふうに想うことが最近は多々あったりもする。
身近に憧れるオトナ(つーかロールモデル)は特に居なかったが、救われた!という経験は何度かある。特に、もはや四半世紀前になる経験は、今も心に生きていたりする。
今日はちょっとお東陽先生の話にでも出てきそうなゲットー思い出話など。長いよ?

横浜では桜木町のガード下の落書きが一種の名物になっている。大昔は暴走族のスプレー書きであり、それからN.Y.のキース・ヘリングのようにロコ・サトシ氏が絵を描き出し、それからしばし経って海の向こうでの流行を輸入するようにペイントが増えていった。四半世紀前は、たぶんロコ氏がようやく逮捕されなくなって来た頃だろうか?
血気さかんでスパークだった私も、何ぞ描きたかった。だが桜木町のガード下で描くのはイヤだった。てか、人が苦労して開拓した場所でケツ馬に乗るように描くのは、記念スナップの時に横から割り込んできてVサインか何かでドアップで映って一人だけ悦に入るDQNなやり方だ。美しくない。人のふんどしで相撲を取るのは弱い三流ヤンキーの思考であって、ちゃんとした不良でもなければ、アーティストでもない。つかそもそも、唯一無二の在り方を願わない人間は表現なんかすることないのだ。肝心の表現はともかく、その程度の分別はわきまえていた。

で。うちからそう遠くない、駅へと続く道の壁面をねらった。中が公共施設で、ぐるりと壁に囲まれてて、つるつるしていて、描きやすそうだった。何で描いたらいいのやら画材の見当もつかなかったので、超極太マジックをふところに忍ばせ、深夜の二時にささっと家を出た。で、ほどなく描き始めた。
しかし誤算だったことに、街路灯が明るいのは良かったが、意外と車の通りも多かった。見とがめられたらヤバイことになる。どきどきしながら、必死に、心のままに、マジックを動かす。
「おーい、そこで何してんの?」
と、道を渡った反対側に、いかにも焼肉食った帰りですよ的ゲットー風なパンチなおっさんと水商売な茶髪おばちゃんの二人連れ。
だっ!!と一目散に逃げた。しかし視界がいい道で、曲がっても隠れ場所がない。停まっていた車の影に、おさかなくわえたドラネコの如く逃げ込んで、しゃがみこんで様子を見てると、パンチなおっさんがのんびりした声をかけてきた。
「おーい、そんな隠れてないでさー、出てきなよー、悪いことしてんじゃないんだし」
ひ~っと怯えながらも、立ち上がると、「何やってんのー、絵を描いてんでしょ」 「は、はい」
「悪いことだと思ってやってんの?」 「い、いえ……」 (立派な軽犯罪だけどな>過去の自分)
「うん、じゃあ隠れることないじゃん、堂々と描きなよ。……おぅ、おめぇ、先に帰ってろ」
と、パンチおっさんは連れのおミズさんを先に帰し、私に続きを描くように促した。
「おぅ、おれさ、こっちで見させてもらうから。描きたいんだろ? せいいっぱい、描きたいように描けよ」 「はいっ」
道路を渡った反対側でしゃがみこんで(壁面はデカいし、なにより気が散らないように気遣ってくれたのだろう)、パンチおっさんは私の制作過程を見ていた……というか見守ってくれていた。そりゃ冷静に考えれば、十代女子が深夜二時半にひとり落書きをしている状態って異常だし、他の通行人にどう難癖つけられるかわからない。だがパンチおっさんは「見ててやる」といった傲慢な物言いはしなかった。
そういうことにも気づかないテンパった私はたった一人の観客の前で、壁にマジックでせいいっぱい書き殴り、描きあげた。すみっこにはご丁寧に「どう思った?聞かせて」と添え書きした。
肝心の絵のほうは今にして思うと、岡本太郎がモダニズムに退化しておポンチ入って、しかも習作じゃん!って感じのトホホなものだった。てゆーか、ダダとか表現主義とかOK!な人でないと 「コイツって頭ヘン?」ってのが一般的反応だろう。もちろん別に死体絵とかデスメタル(笑)な絵ではないのだが、ちょっと「想定範囲外」に遭うと、鶏が三度どころか一度鳴く前に 「知りません、こんな人」 と掌を返すのがヨノナカ。“美術館に飾ってありゃ途端にわかったよーな顔しやがって、とまでは罵倒しないでおくが、まぁ、その時点までにも、絵に関してはずいぶんとずいぶんな思いをさせられていた。
だが、パンチおっさんはニコニコして「おう、よく描けたな~」と喜んでくれた。
帰りの夜道はだいじょうぶかと確認するパンチおっさんに、家は近所だし、と告げると、「気をつけて帰れよー」と手を振って見送ってくれた。家に帰ったら三時半過ぎていた。パンチおっさんは一時間近く、見ていてくれたのだ。

その翌日のこと。当時、のったりのったりしか学校に行かなかった私は、11時過ぎあたりに登校する際、気になって、その壁面に続く曲がり角をひょいと覗きこんでみた。すると。
あの壁の前で、あのパンチおっさんが誰かと一生懸命言い合っていた。自分の絵のことで問題になっているのだ、と直感的にわかった。だがここで自分も出て行くと、親やら学校やらまで巻き込んだワケのわからない話になるのもわかった。ぐるぐる悩んだあげく、ヘタレな私はその場を離れた。心の中で血を吐くほど感謝しながら。

パンチおっさんの尽力のおかげであろう、そのムチャクチャな絵は、一週間ほどの間、消されずに壁面に踊っていた。その間、いちど夕暮れ時に、こっそり前を通ってみた。すると。
「どう思った?聞かせて」の字の下、同じようにマジックで誰かが “So Good !!” と書いてくれてた。
私ゃ、あまりの嬉しさに涙ぐみますた。


なんかそのあとは、憑きものが落ちたよーに壁面に描く気が失せたんですけどね。いま考えると、「なんであんなことをしたんだろう(できたんだろう)」とも思うけど、そーゆー時に、そーゆーオトナに出会えたのは、ゲットーならではかもしれない。たとえば諭されて帰されるとか、関わりになりたくないオーラ全開で無視するとか、露骨な気の毒顔で憐れまれるとか、警察や親に連絡されるとか、まぁ、良くて二言三言かけて去っていくのが、いわゆるふつうのヨノナカ。まぁ、それ以前にそんな真夜中にガキが歩き回ってないか(笑)。

ま、周囲に尊敬される立派な大人や、子供に憧れられるステキな大人には到底なれなくとも、心に余裕と人情のあるオトナにはなれたらいいなぁと思います。飲み屋のねーちゃんと夜中の焼肉食ってパンチパーマでもOKなんだし!(笑)

※ということで、難儀なコドモの心に光を与えるのに、完全無欠な立派なヒトである必要はありません。実体験バリバリで保証します。ただ “ともに在る” だけで十分ではないかと!>某身内

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