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2006年9月

びば! 食べ放題

食べ放題。それは魅惑のことば。
人並み外れた大食漢や、餓えに悩む食生活を送る人でなくとも、なんとなくワクワク感が湧いてくるだろう。
しかし、うちの場合は、連れが 「アヒャヒャヒャヒャ どーして女はこんなに食べ放題が好きなんだ?」 と無礼にも人のことを愚弄するもんで、魅惑は感じていてもなかなか足を運ぶ機会がない。
ところが今日は幸福なことに、会社の同僚たちとともに中華街の食べ放題店に雪崩れこむことができた。「大珍楼」新館。平日ならば昼でも夜でも2100円。雨の平日というのが良かったのか、店は空いていた。
中国料理は人数が揃わないと楽しくない料理なので、ぞろぞろと連れだって食べるのがいちばん。二時間をギリギリまで使い切る勢いでガツガツと食べた。まるでミッションの如く、制限時間いっぱいにすかさずデザートまで注文し、しかも二皿を平らげた私。
ちなみにココは、点心系がおいしかった。そして中国茶も(別料金だがポットで300円と安い!)おいしかった。食べ放題飲茶として利用するのが一番賢明だと思う。だが、すべては食べ終わってから出した結論であって、食べてる間はトライ&エラー。ハズレをつかむときもあり、当たりによろこぶこともある。
かくして帰る頃には「食べ放題」は二日酔いにも似た後悔と苦悩を伴うコトバになっている。……店のHPに「食べ過ぎにはご注意ください」と書いてあったそうな。気持ちはわかる。
だがしかし、楽しくしゃべれる仲でわいわいと食べまくるのは、呑めない大食ベヒモスとしては、実にたのしいことであったよ。社会生活の付き合いで誰しも痛感することだろうが、「おいしい」の半分以上は、連れだって行くメンツが決めることではないかいな?

誤解を招くといけないので、ひとこと書き添えておく。横浜の地元民は中華街には行かない。行ったとしても、勤めが近い人間が格安ランチで使うか、遠路やって来た人の接待くらいだ。狭い町内に数軒の中華料理屋がひしめく(しかも店主が日本語カタコト)環境で住んでいると、わざわざ中華街に出る必要は感じないよ、やっぱり……。

使い込んでクタクタ

初秋(あき)の陽に 二日遅れの 筋肉痛

それはともかく。吉井さんのニューアルバムの全曲試聴がはじまったので、うきうきと聴きにいきますたよ。→こちら
歌謡ロックの艶を少しづつ取り戻しつも全体に暗めのグルーヴ、精神を病んでるような、でも透き通ったカコ良さも宿した、まさに鬱がちな中年期に良い一枚ですな。しかし残念なことに、(今回のアルバムは特に)ライブで聴いた時のほうが壮絶に良かった。“作品”感が前に出ていて、叫び感が足りないというか。
ちなみに、明後日だかには Blanky Jet City のベンジーのソロアルバムも出るそうで。そっちも激しく聴きたい気が。でもさらに魅かれる「TALI」のPVを作った人のアニメーション「Highway Jenny」(これもなぜかベンジーが曲をやってる)。「TALI」のPV見てもらうとわかりますが、生理的に気持ちいい動きをするアニメーションって好き。モーフィングの快楽。

モーフィングといえば。
某さんの名言「美形ほど傷みが早い」という言葉通り、吉井さんもツヤテカ20代の頃の目の覚めるような美貌はすでに無いですが、私ゃ今のほーが好きですね。もともと眉目秀麗な男性や女性が放蕩の限りを尽くして枯れた感じの凄艶さって、単にそう生まれついただけの美よりも、味わい深く貴重だと思うのですが。
(美意識について、とか話し出すと異常に長くなるので豪快に割愛)。
まぁ、人はかたちによって美しいのではなく、存在によって美しいのでしょ。目が利かない人はかたちに騙されて時間に裏切られてりゃいいわけで。もっといえば、人は、美しいから、すぐれているから愛するわけでもないでせう。相手に「自分」が宿っていると感じ、その分のタマシイを取り戻そうとするような衝動かと。(←セルフツッコミ。……「どろろ」じゃねーって!)

アキバ系

今日は入院中のハハが、外出許可を得て、短時間ながら家にかえってきた。
子供4人に孫+ひ孫各1人が来て、がつがつ喰らい、バカ話を炸裂させ、大変にスパークなひとときであった。特に、遅すぎる反抗期を迎えて暗めのせえしゅんを送っていると漏れ聞く無口でピュアハートな甥っ子が、いつのまにやらマンガ家を夢見ていて、しかもアキバ系に傾いているらしいとの話は、なかなか心を打たれた。
「そういうアレゲな話なら、この叔母に振ってくるがいい!真正面から受け止めてくれるわ!」 と思うのだが、あんまり積極的に受け止められてもイヤげだろう。それに彼はまだ若い、更正の余地はある。ここはひとつ、生暖かい目で遠くから黙って見守っておこうと思う。
……叔母としては、立体造形が得意で手先が器用で凝り性な点を活かして、美少女系ガレージキット作家への道を激しくキボン(←黙ってないし因業に過ぎるし)。

しかし。
どんな道であろうと、自分が心から幸福!って感じる時間が一秒でも多くなる、そんな道を歩いてほしいもんです。別にそれで生活しなくてもいいし、人聞きが悪くたって、かまやしないし。“ジャンルに貴賤なし、ただし一流と二流の差はあり”という村松友視の至言もある。
ただし……、他人の期待に応えるよう後ろ指を指されないよう卑屈に生きて、他人に期待を押しつけて後ろ指を指す尊大な人間になる。そういう王様と奴隷ぷれいを日常でするのは、完全に変態だからやめてもらいたい。

香ってるよ、秋

季節の移り変わりをかんじる匂いというのは、実にいいものですな。

先日のシゴト記事で「だいじょーぶかー」とご心配いただいたりしましたが、不思議なことに、別のところで良いことが起きたりしました。つまりニンゲンも植物みたいなもんで、どっかで芽を摘んでも、また別の芽を吹くこともあるのでせう。

と、植物な話を書いたのも、今日は一日、えっちらおっちらプランターを植え替えていたわけで。植え替えといっても、夏前に植えた草花がほとんど全滅こいたので、「これは水やりだけではなく土がヤバイ」ということで、植物はもちろん、土も全取っ替え。完全に園芸土にすると高くつきすぎるので、ある程度はふるいにかけて再利用……でもすげー大変だったよ!!!
まずは昼前からサカタのタネに行って、とりあえず花のついてる苗をざくざくと買って電車で帰った。地下駅になってから反町で乗降するのは初めてですた。
午後遅くから、プランタの土をひっくりかえし、ナメクジやらワラジムシやら謎の幼虫やら巨大グモやらに「ひー!!」と脅かされながら、ざりざりと土を盛り、草花を植え、土が足りなくなって近所に買い出しに行き、土を盛り、だんだん外は暗くなり、草花を植え。最後にはかなり疲労。風呂してごはんしたあと、ここまで三時間ほど、動けなかった。

(てか、土いじりとかガーデニングとか連想すると優雅かもしらんけど、事実は、目つき悪い中国人と因業DQNがたむろするパチンコ屋の間近、マナー悪そうなワンボックスカーが頻繁に通行するアスファルトの道際で、見苦しい中年夫婦が揃ってしゃがみこんで土をふるってたりすんだかんな? 道行くヒトの視線がすっげーイタイ中で作業してんだから。そこんとこ、決して勘違いしないようにな?)

だが、それはともかくとして。今回買い足したローズマリーが良い香りをさせててくれてて、また道すがら、キンモクセイがやさしい匂いを風にのせていた。素晴らしい。花粉症でなければ、この季節もっともっと素晴らしいのだけど、それをさっぴいても、植物のいい匂いに包まれて過ごせて、ほんとうによろしい一日ですた。

香りといえば。
何かにつけて凝り性の連れは、手軽なプランタ園芸などにはそう興味がない。いきおい、植える植物を検討しているときでも、食べられるものや良い匂いのするものをプッシュしてくる。
連れ:「どうせだったらバラを植えるのはどうだね、大輪のバラとか」 
私:「……こんなゲットー地区でバラ絡ませてアーチつくるんかよ、おめでてーな」
連れ:「いや、この際、“○○(←町名)のアンソニー” になる勢いでひとつ」
私:「………」 

 _| ̄|○ コノバラハスイートキャンディ……ジャネーヨ

だって Born to Be Wild

最近、周囲で退職・転職する人が多い。その勢いが伝染ったのか、仕事量が減ったのを機に、在宅シゴトのほうを今月いっぱいで切ることにした。面白みの失せたシゴトを顔つなぎにと続けるのはつまらない。シゴトで触れる情報自体には非常に興味も価値もあったが、担当オヤジからの意識混濁した指示は意味不明で毎回ブチ切れそうだったし。
とはいえ、断りのメールを入れてから、「うあ、お絵描き教室やめなきゃダメかな……、いや、それは絶対イヤだ! では受注し続けるべきだったのか? だがしかし……。大倹約生活しなければ!!」と苦悶。
だが折り返し来た「じゃあ、とりあえずこのシゴトだけ、やってくれませんか」という打診にも、「他に委託していただければ」と間髪入れずに応えてしまう自分がいる。
人間、イヤになっちゃうと、努力では続かない。何かを断ち切ればまた新しい道も開けるだろう。西部開拓時代のように、進むぞ、人生のケモノ道。

誰も死なない世界

身の破滅なのでコンシューマーゲームは持っていませんが。任天堂のWiiという新型機ではMSXからメガドラから、さまざまな過去ゲーが動く予定らしいですな。いやNESくらい持っていますが……、ごくふつうのゲーム好きな人が、過去作品を安価かつ手軽にDLして遊べるのはとてもよいことかと思います。
ちょっと前に、エロゲの有名ブランドであるアリスソフトも、(いまなお中古屋で高値がつくレベルの)過去作品を大量に配布フリーに踏み切って、某匿名掲示板でニュース板にスレが立って祭りになっていましたな。宣伝ももちろんあるでしょうが、「自分たちがいなくなっても作品は残り続ける可能性があることは嬉しい」といった趣旨でした。
私らより少し上くらいの世代が職業ゲームプログラマー第一世代かと思うけど、この世代も(業界から足を洗ってなければ)現場の一線どころか、そろそろプロデューサー職もひいて、完全に役職につく頃でしょう。つまり「世界の外に出て行ってしまう」頃ですね。そう考えると、古いゲームの廉価販売や配布フリーといった動きの加速には、「年配客の懐古シュミへの迎合」というだけでなく、つくる人には誰しもある「つくったものを遺したい」という願いというか欲望というか、しみじみと感じます。
……そうして滅んだかのように見えるものは蘇り、死者たちは墓から出てくる。ミームしかないこの仮想空間では、それがありうるのですな。
コンシューマー機は身の破滅だからWiiは買わないかもしらんけど、スペースハリアーやりてぇ!(←唯一わたしでもあそべたアクションゲー)。

べひもす漫遊

そうそう。
市民メディアサミットに行く際、バスで尾上町で降りて、蒸し暑さのせいで、ドトールを探してさまよっていて、ひとさまのブログを読んだために以前から行きたいと思っていたお茶屋さんに行き当たった。……あ、ちなみに別に紅茶はそれほど激Loveではない。てか、ミルクティー(つーかチャイね)は相当に好きだが、何といっても淹れるのが面倒だからねぇ。なので家では飲まない。つまり面倒くささに負ける程度の好きということだ。
アイスティーが飲みたいと思って入ったのだが、ケーキセットのロールケーキ&オススメの「オレンジミルクティー」にひかれてそちらに。しかしセットで1100円は高くないだろーか。ティーポットでゆうに二杯半はあるので店で粘るヒトにはいいと思うが、「ちょっと飲んでこ」にはキビシイ。
ただし、味はおいしくて、置いてある砂糖も可愛らしいきび砂糖、器も和風で嫌みのないかわいさ。癒しの空間としては実に魅力的である。そういう “かわいさアンテナ”や“インテリア好き属性”が痛々しいほど欠落している私でもそう感じるのだから、そうだろう。スリランカの物産などもちょっと置いてあったりした。はるか昔にトランジットで立ち寄っただけのスリランカの光景を思い出した。
いろいろなお菓子をテイクアウトで売っていたので、ついでにパイナップル入りパウンドケーキ一切れと自家製いちじくジャムを買った。何がダイエットだ、とメタボロード爆走。

金曜の夜には、横浜スタジアム近くの、はわい風味たくさんな店に飲みに(私は食べに)行った。ピザやらナマ春巻きやら、いずれもおいしかった。ピーチネクターはまさにアメリカンサイズ。500mlはあったのではなかろうか。実にオトク感いっぱいなお店であった。またぜひ行って、わいは~♪って感じに飲み食いしたい。

で、また話は戻って。市民メディアサミットの帰り。中華街の「皇朝」(世界チャンピオンの店と宣伝してるとこね)で、肉まん(ミニサイズ)を買い喰いし、お持ち帰りギョーザと杏仁豆腐を買って帰った。土曜の中華街は混んでいた。

……どこのおのぼりさんだよ……>自分 _| ̄|○

前向きにころぶ

今日は市民メディアサミット講座にひょこひょこ出かけた。シゴトの参考にと言いつつ自分のシュミも兼ねて。最初の参加希望メールの時、職場からシグニチャ入りで送ってしまったため、いらぬ期待を抱かせて申し訳なかった。個人的にはオープンソースの試みは応援したいのでご紹介リンク。http://www.globalbase.org/

セッションはなかなか面白かった。大学生はこどもなのだなぁ、ということが印象的だった。というのは、自分が(怠け者ゆえに)大学に行けなかったせいか、大学生というものを見ると「うあー、高等教育を受けてるヒトたちだー! まぶしいよ、まぶしいよ!」と怯えきってしまう傾向がずーっとあった。
しかし、もはや彼らの親といっていいくらいのトシになってみると、「そうか、アタマの出来は自分よりよほど優れていても、こころの出来はまだ成長途上に変わりはないんだなぁ」と理解できてきた。なので、かわいく思えるようになってきた。……若者を見て未熟ばかりを感じるヒトたちは、おそらく本人がちゃんと成熟しているのであろ。可能性や楽しさを感じる私は、よほど成熟から遠いのかもな(汗)。
もちろん、自分よりトシがよほど若くても、こころの出来もよほど練れている、立派な人間もたくさんいる。そういう時は黙ってニコニコと後ろについていく (もともと末っ子気質なので、ヒトの後ろについて行くか、そっと放置されているのが一番しあわせ)。

そうそう、その意味で、セッションで講義された京都のウェブ制作会社の社長さんは、私よりお若かったが、元気パワーが出てて励まされた。てゆーか、セッション中に芋ようかんが配られるのも意表を突くが(セッションを聞きながらムシャムシャ食べ出す私もどうかと思うが)、ウェブ制作会社がM&Aして和菓子部門を設立というのもスゴくないだろうか。おいしい芋ようかんの横にはカタカナ社名が印刷されていて違和感バリバリ。で、社長さんも、土星や星をちりばめた着物姿で登場されたが、とてもサマになっていてよろし。てか、笑顔にパワーがあって、短い質疑応答に答えていただいただけで元気が出た。まぁ、“いっしょうけんめい考えてる人間は、似たような結論を出してるじゃん!”というのが大きいのだけど。

百のことをやっても、本当に実になるのはひとつかふたつ。マンボウは成魚になるのは三億分の一。なので、報われるかどうかは、どうでもよい。いま前向きにでんぐりがえししてればいいのではないかと。

新陳代謝

陽射しは夏でも風は秋。
イロイロと出かけたいとは思っていたけれど、いまいち体調もすぐれず、結局は土日はどこへも行かず、本棚にあって読まない本を図書館に寄付しに行きました。単に買うだけ買って積ん読だった本も全部ね。
本棚の新陳代謝が滞っているというのは、ある意味で、本を全く読まないことよりも恥ずかしいと思うので、この際、多少は入れ替えてみようかと思い立ったわけで。
しかし、やってみると、しょーもない新書とかムック本ほど捨てられないもんですな。古典的な名作や名著は図書館に行けばいつでもあるし、青空文庫でもいけるかな?とか思うのだけれど、儚い新書や雑誌だと、それこそ「ここで手放したら、こんなチャチな本、もう絶対に見つからない!」と思ってしまう。そしてまた事実その通りなのだけど。
おかげで知性のかけらも感じられない本棚になった気はするけども(笑)、自分が「いま」好きな本や好きなに満たされている本棚にするのは、なかなか悪くないです。過去の思い出だけでパンパンの、老人アタマじみた本棚になるにはまだ早い。
それに、本当に大切な本というのは、たとえその本が無くなっても、いつまでもエッセンスは覚えていられるもんです。つか、意識ではすっかり忘れてしまっても、自分のなかで生きてることにふと気づいたりもします。人が(いろんな意味で)見えなくなってしまっても、いつまでもその人のことを忘れはしないようなものでしょうな。

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