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2006年8月

すべてに時がある

映画化されるとかいうので、少女マンガの「笑う大天使」を古き強敵(とも)に貸してもらった(しかし何でもかんでも物保ちがいい奴ちゃな……)。
私の若かりし日に、周囲のマンガ好きに人気があった少女マンガのひとつだが、少女マンガはあまり読まないのもあって、スルーしていた。ので、作者の川原泉の名前のみ知っていたが、未読だった。んで、読んだ。
“名門お嬢様高校に入学してしまったが心根は単なる庶民”の猫かぶり三人ムスメの冒険活劇ながらも、なごみ感ある、たのしいお話ではあった。
だが、ん~む、どうもこのマンガを読むには、私は年をとりすぎてしまったようだ。
少女マンガというからには、少女の感性や、当然ながら時代の感性などを織り込んであるわけだが、あまりに遠い日々のことゆえ、キャラクターたちに共感や感情移入するのがムツカシイ。面白くないわけではないのだが、主人公たちとともに心躍らせてみたり、似通う面を発見して親しみを覚えたり、というのはムリだ。
びみょーにdisplacementを感じつつもマターリと仲間との友情を育む少女たちの姿は、おそらく同年代の頃なら相当に共感できてたとは思うのだけど、いま読んで思うのは、『“らしく”あろうとなかろうと、せぇしゅんというのは眩しいものだねぇ』 という傍観者じみたことばかり。

やはり思うに、児童書は児童のうちに、少女マンガは少女のうちに、読むべきではないかいな。
ま、本って一期一会だから、いつ出会っても、その人にとってはその時が最善の“時”なんだろうけども。

文章家と小説家

今日の帰りは、探し本があったので本屋に立ち寄り、ついでにゲットーシスターお勧めの時代小説などを読もうかと、作者名も書名もうろおぼえのまま、書棚のあいだを彷徨ってみた。
いまは全然、本が読めなくなっている。サラサラした雑学本やノンフィクションはまだいけるが、長いお話は相当にダメだ。だが、本もまた、読まなくなるとてきめんに読むスピードが落ちていく。
で、ふらふらと本屋を彷徨っていたのだが、当初の目当ての本もおススメ本も、どちらも無かった。困ってしまった。
そこでふと横を見たら、岩波文庫があって、漱石があった。で、「夢十夜・文鳥」があった。「文鳥」は教科書で読んで、なかなか好きだったので、手にとってパラパラしてみた。むう、読みにくい行間。だが、それがいい。
で、改めて読んでみて、「なんて(・∀・)イイ!文章なんだ!!!!」と感動。さらりと見ただけだが、内田百聞の文章より“淀み感”(否定的な意味じゃないよ)は少なめで、颯々と描いた水墨画のよう。思わず(;´Д`)'`ァ'`ァが抑えられずに買ってしまった。いや、漱石って三部作も読んだことないんで。

自分の記憶を振り返るに、おはなしの筋はほぼ全部忘れてしまうのだが、シーン(というか一節)だけはいつまでも覚えているほうだ。小学生の頃に読んだ本でもけっこう覚えている。たとえば眠狂四郎なんかもワンシーンの描写だけ今なお覚えてる。こういうタイプの人間は、辣腕ストーリーテラーよりも、むしろ文章家タイプの作家を読むべきなんだろうな、とあらためて思う。

爆走ハイウェイスター

一昨日、「まだまだ暑いが、もういいかげん、この暑苦しいテンプレもナニだろう」と思って、このブログを金魚のテンプレに変更した。
だが、見え方がヘンだった。IEでもFireFoxでもヘンであった。
そのうち修正されるかと思って、放置した。
今日になっても直らないので、テンプレをいったん削除して入れ直した。
だがそれでも直らなかった。 _| ̄|○

つまり夏が終わるまでは、テンプレのごとく、爆走しか許されないのだと悟った(笑)。
バテてしまったなんだと弱音を吐いている場合ではない。人生はそう長いもんでもなし。
炎上するタマシイのハイウェイ。……いや、自転車にも乗れない分際で言うのもどうかと思うが(もちろん免許もない)。

おおざっぱ

ヨノナカには大雑把な人間がいる。自分は間違いなく、その中の一人だと思う。
何事も ”てなもんや” で生きているので、衛生観念もなければ善悪の観念もあやふや、時には自他の区別さえあやしくなったりする。自分でも、野人というか妖怪というか、何が何だかわからない。ちなみに連れは私が洗い物をした時には、すすぎで泡を残してばかりで皿が安心して使えない、とボヤいている。
もちろん、こんなんではヨノナカではたらいてお金をもらうことが困難だ。ということで、せいうちも芸を覚えるもの、長年の艱難ののち、労働時間のあいだだけでも、大雑把を小雑把くらいに抑えることをおぼえた(大ザッパと小ザッパだったらやだな。大バッハ、小バッハみたいなノリだな……)。
それ以外では、あいかわらずというか決して進歩しないというか。テキパキして手際よくて細心でスマートなパリッとした人間などには、七度生まれ変わってもなれないだろうという諦念さえ抱いている。

だが、シゴト以外でも、おおざっぱが悩みになるときがあった。シュミの写経……でなかった、お絵かきである。
いまの段階では、個性もへったくれもなく、ただ描く、描き写すことだけを目的にしている。そして、見たとおりに描くのは実はけっこう面倒くさい。大雑把者としては、ほどほどなとこで “てなもんや” に描いてみてしまったりするのだが、そうすると一方で「いかんいかん、これでは写生したことにならんぞー」と自分が自分を叱咤する。しぶしぶと消して、また一生懸命に見て、できるだけ一生懸命に描き写すことになる。描いているうちは自分自身との葛藤というか、絶え間ない闘いであったりする。
もちろん画力が足りないので、画用紙には何か違うものがえんぴつ描きされる始末だが、それはともかく、そこで教室のおばさんなどに「細かく描くんですねー、繊細なお人柄ねぇ」などと言われると、(ち、違われ……)と眉目に苦悩の色がつい浮かんでしまう。
自分自身の大雑把との“我が闘争”は、はたからはあまり理解されていないようだ。ヨノナカを生きていくのは、誰しも多大な苦労がつきものなのだろうか。

ダメすぎなココログ(言葉はビットよりも軽く)

昨夜は、気持ちよくテンプレでも変えて記事でも書くか……と思ったが、いきなりテンプレの表示はおかしいし、それでテンプレを切り替え直そうとしたら、さらにおかしくなるし……。
seesaaとか使ってみたこともあるけど、便利だよなぁ。テンプレも綺麗だし。
とかいうことで、ブログシステムの乗り換えも検討中。いや、いまのレンタル鯖にMTインストールされてなかったっけ?って事実もあるけど。

しかし、ネット始めてから今までの自分のメールやフォーラム投稿やコミュ発言などなど、きちんとすべて保存している人って、いるんだろか? 保存されていたサイトもいつかは風化し、Web Archive だって万能ではなく、記憶媒体はやがて劣化する。何よりムゴイのは、読み出し装置なかりせば、すべての電磁媒体記録はただのゴミ。
言葉の価値は軽くなっているような気はするが、20世紀あたりから世界人口が増えたせいか、人類の読み書き能力が飛躍的に向上したせいか、つまりは総体的な情報量が増えたせいか。いつの時代でも value の総量は変わらないが、分配の按配は変わっていく、ということなのにやあらむ。うーん。

バテてます

夏だねぇ。日本の夏は蒸す。そして昨今の毒気を増すばかりの太陽光線。
昨日はゲットーシスターのヒルサイドな新居(愛人宅?)へ数人でお邪魔した。おいしい食べ物をはむはむといただき、びみょーにアルコールを摂取し、腰に根が生えて帰れなくなり、朝ごはんまでちゃっかりごちそうになって、目に沁みるような緑のなかを帰ってきた。十代のムスメズのような友人宅での合宿?で、夏やすみ気分を満喫。
いつも夏シーズンになると「夏だー!うがー!遊びたおすぞー!」と年甲斐もなく思うのだが、気づくと夏が去っている。つーか、夏バテが来て、「うううう」とうめいているうちに入道雲がいわし雲に変わっているのだ。
フェスはとっても楽しかったが、疲れがいまさら来ているのだろうか(二週間後かよ!)。
かといって別に食欲は落ちない。もりもりと食べ、シックス・パックに割れるのではなく、こんもりと盛り上がるエアーズ・ロック腹をベヒモスのように叩いて「世界遺産を体内に格納!」などとかんがえ、人体の経年変化、ひいては世の無常に思いめぐらす。
そんなことをしているうちに、夏は去るのだろう。てゆーか去ってくれ。もはや冬が恋しい、バテバテな日々。

マターリ

今日は東陽片岡ファンブログでご縁の、遠くて近い仲のスズキさんがMCをする、ダーティ工藤監督のトークイベントを見に、新宿っつーか西武新宿っつーかのネイキッドロフトへ。
ロフトプラスワンには一時期よく行ったですが、ネイキッドロフトは初めて。それでもロフトのフードは美味いだろうと沖縄やきそばとさんぴん茶たのんで、マターリ。初見のお東陽先生は……らくだのステテコが似合って、すげー常識人風にも見えて、エロ本モデルで風俗好きで、職人気質で、なんつーか……神が粘土でこねあげて作りしオヤジ、継ぎ目が見えないキャラ、確固たる存在物と思われですた。
またーりイベントということは告知されていたので、告知通りにマターリ。お盆気分でたのしかったです。

ひさびさに新宿などに出ると、情報パルス乱射と焦燥感と昂揚感とあてどなさと必死に息づく充実感が、ちと気持ちを満たします。あの雑踏に居ると帰る家なんていっそ無ければいいのになぁとさえ思ってしまうものなので、だから家出人や異邦人は新宿にたむろするのかもしれませんな。

調味料

食卓が単調になるのは微妙にかなしい。
我が家の食文化担当である連れが、献立の考案にひらめきを感じなくなったというので、土曜日は連れだって料理本を買いに行った。しかし料理本はいいなぁ、多少の年月が経っても使えるあたり、こんぴゅーた本と違ってオトク感がいっぱい。
そして今日はさっそく伊太利亜んなパスタが出された。なかなかおいしい。いわゆるイタリアンレストランに行くとこんな味を出されるなぁ、という感じの味だ。だが何かが足りない。
微妙に当惑していると、連れが「……チーズをかけてみよう」と言いだし、パルメジャーノなるチーズをすりおろしてかけることに。すると、「おお!」 味がぐんと深まった。「おいしいよ~」とがつがつと食べていると、「これは伊太利亜の味の素ではないのか」と連れ。なるほど、しょーゆをかけると何でも “和風” になるようなもんだろうか。
調味料はたいせつである。今日おとずれた某人形の家1階のカフェの薬膳根菜スープとやらが“調味料が入っていない”のをウリにしてゲロマズで死ぬかと思ったが……あれも少々の醤油や味噌が入っていれば違ったに違いない。また、連れは塩をびみょーに加えてさっぱり感を増した麦茶を作ってくれるのだが、言われなきゃわからない程度の塩加減でないと、ゲロマズになってしまうものだ。
何につけても、足りなくてもナニだし、過ぎたるもナニだ。バランスがだいじ。と、根っからバランス感覚が欠如している人間が言っても、あまりに説得力がないな。

私信:あまりに下らないのでやめておこうと思いつも、耐えきれずについ告白。「たいわんしゅっぺい」と聞くと、脊髄反射で「しぶやてっぺい」と返してしまう……。

非日常な三日間(夏フェスダイエット)

土曜は強敵(とも)とボリショイ・サーカスを見に行く。ちいさな女のコ、萌え~。早変わりしながらのダンスはろまんちっく。騎馬サーカスはカコイイ! 女族長風コスでの騎馬は凛々しさに(;´Д`)'`ァ'`ァ。
夕方から夜は市民のつどい(?)。いろいろな人と同席させていただき、どうも私は組織に属していない人のほうが気が合うなぁ、とか改めて思ったりして。てゆーか、「個人」で参加してるはずの席でも、「組織」の肩パッドが外れない人って、つまらんよね。人格が組織に浸食されているというか。でも笑顔の良い人たちにも会えて、よかった。

日曜はひたちなかロックフェス。渋谷陽一ひきいるロキノン主催です。朝5時に起きてバスに乗る。いや~、たのしかったたのしかった。
てか、オープニング前の「朝礼」で、いきなりツェッペリンの「THE SONG REMAINS THE SAME」のイントロが流れて「おおっ!?」と思ってたら渋谷陽一が登場して、ワロた。そしてそのまま、ステージを見る。何の因果で日曜の朝も早よからひんぱんにチ○ポだのS○Xだの聴かされたり、まったりした午後にオマ○コだのコールさせられたりするんだ……とかも思ったが、そういう破天荒やムチャクチャな若さ炸裂なステージがあるのもまたフェスというものだろう、と理解につとめる。出会いをもとめて若手バンドも頑張って聴いてみますた。悪くないのもあり、シュミに合わないのもあり。アラカルトお試しはフェスの楽しさだが、そのために移動時間の都合で木村カエラを聞きそびれたのは残念。「タイムマシンにお願い」、聴きたかったよ。
陽射しは強烈で、ゴルフ場のキャディさんのごとくタオルかぶりまくりだったけど、腕の先は焼けて、腕時計とリストバンドのあとがくっきり。でも、木立の中を散歩したりごはん食べたりしながら音楽をのびのびと聴けるのは、実にいい感じ。あれは友達と何人かで行って、テント張って泊まりで楽しめれば最高でしょうね~。
さまざまなTVで取り上げられてる大トリ・矢沢は、コテコテに矢沢で良かったです。てゆーか、あれだけステージングできる56歳ってスゴイと思う。「SOMEBODY'S NIGHT」をナマで聴けたのは良し!
え?大トリひとつ前をつとめた、吉井さんのステージ?
……神かと思いますた。やっぱライブハウスとかより、大舞台にこそ合う人なのかも。存在感ありました。
フロントエリアまでは行かなかったけど、スタンディングのほとんど最前列、それなりに距離はあるけどステージが一望できる好ポジション。おかげで、最後にイエモンの曲2曲やったときには、後方からダッシュしてきた人々に潰されるかと。腕のあたり、痣できました。ナマ「LOVE LOVE SHOW」はえがった。ただ、ソロになってから楽曲がどんどん深化してるので、そっちもちゃんと聴けよ、と言いたい。ちなみにビジュアルもロックスターの義務として当然にかっこよかったですが、それが本筋とは思えないので、音楽聴かずに地蔵のようにただ見とれてる古株オタは場所ふさぎで邪魔ですた。フェスのスタンディングで、リズムも取らずにただペンギンのように眺めなくても……。
ま、吉井さんのステージで残念だったのは、矢野アッコちゃんと同じ時間帯で別ステージだったことだけですかね。
帰りは混雑を避けるべく、永ちゃんステージの途中で抜け。なのに出口を間違えて、田舎の真っ暗な道をえんえん15分ほど歩く羽目になりました。おかげでラストの花火打ち上げも見られたのだけど、これならステージの最後まで見て花火まで見て、バスに乗れたよな……というほどのタイムロス。でも、花火が終わったときは既に会場を出てたのだけれど、周囲に居た、帰路の人たちもみな誰からともなく拍手をして 「いいフェスだったね」 とにこにこしていたのが一番よい思い出かもしれないなぁ。
横浜には10時半過ぎに到着。全身がドロドロに疲労困憊してますた。

で、月曜は有給でしたが、疲労困憊ながらも暑さで起き出して、洗濯をする。外に干す際に、雨戸の戸袋にアシナガバチが巣を作っているという事態に遭遇。保健所の駆除について調べていたら、連れが巣を除去?してくれました。でもまた戻ってきて、新規作成に取り組みはじめたので、ハエ用の弱い殺虫剤をかけて追い出しました。でもまた復活するかもなぁ。そして気の毒な気も少しするし。う~ん。
そして夜は会社の飲み会。エライ人しかいなくて、中堅どころの女性は誰も参加していない、なんか行って良かったのかどうなのか、ビミョーになる飲み会ですた。

つーことで、曜日感覚も時間感覚も、完全に狂ってます。困ったもんです。

生きる・あそぶ

吉井さんの新曲「WEEKENDER」はDL販売のを買いました。明後日のフェスに間に合うよう、リピートして聴きまくってます。
明日も出かけ、あさっても出かけ、しあさっても休みと言いつつ出かけまふ。奇しくも「WEEKENDER」は、一週間はたらいて、週末になったら思い切り遊んで、ぴかぴかに生き返るといった内容の歌ですが……。

この一、二年、シゴトや日々が基本的に平和で穏やかだったり、生き死にについて想うことが増えたりなもので、いろいろと物見遊山しては、生きてるって何だろ?と何度も何度も測量しなおしてる感じです。暗くテツガクするというより、迷いながらスケッチして描こうとするよーなノリで。
……さすがに、あたらしい経験をすることそれ自体に興奮して自己拡張的幸福を感じるには、年を取りすぎたしなぁ。これがある意味で、“伸びしろを失う” ということなのかな。
でも、「イベントをたのしむ自分」と「たのしむ自分を見守ってたのしむ自分」という風にしてると、時間を二重取りして生きてる感じで、おもしろいよ。うん。

巨大化

話は前後するが、土曜には人体デッサンがあった。
創作欲をかきたてるモデルさんが来てくれるだろうかと、わくわくしていた。ヌードモデルさんを描くのは三回目。
で、モデルさんがやってきた。正面に座ってポーズをとった。ふと、心の中によぎる言葉。
“人類は、ひと揺れするごとに堕落している。このさまではいったいどこまで落ち込んで行くのだろうか”(シモーヌ・ヴェイユ)
ひとのことを言えた義理ではない。かぶりをひとつ振って、人体デッサンにいそしんだ。
この日は暑かった。あまりの暑さに、途中から左手に扇子をあおぎながらのタワけた態度でのデッサンになってしまった。だが、先生が送風にしようとしたところ、モデル曰く 「風がまともに当たって寒いからやめてください」と。
“雇い主がうだってるのにそうほざくくらいなら、休憩時間に腹筋でもやって脂肪を減らせ! 脂肪は冷えが早いからな!” とかの暴言は吐かなかった。ひとのことを言えた義理ではないので。絵の仕上がりとかはもはや三の次、サウナスーツ気分でだらだら汗を流しながら描いた。 “肥大化してから汗をかく量が増えた気がする……”と、内心忸怩たる思いを抱きながら。

家族内での最近のわが名は“メタボ”(メタボリックシンドロームかい?)。中年のアウトバーンを全力疾走中の夏。

華火

今日はというか今日も病院に寄った。すぐ上の姉が来ていた。兄も来た。
今日は花火大会の日なのだが、病院の窓から花火が見えるのだ。
一番上の姉が来られないのは残念だが、平日なのでしかたない。
ハハを囲み、みなで花火を見た。面会時間が8時までなので、花火の途中で帰らねばならなかったが、えんえんと見てても飽きが来るので適当な頃合いだったとも思う。
なかなか花火はきれいだった。
ちなみに、我が実家からでは音こそデカいが、建物が邪魔で、花火は見えない。
だが、これがうちだったら良かったのになぁ、とも思った。

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