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ビバ・ぶざま

文章を書いても絵を描いても、死ぬほど遅くて、トロくさくて、常にぶざまを痛感しているけれど。
そのおかげで、表現に対する一種の謙虚さ(?)は保っていられる気がする。
どんくさい自分がやだなぁと思いもするが、素晴らしいものが素晴らしいとわかることと、ぶざまを重ねて進むことは、表裏一体だと思う。そういう意味では、しあわせかもしれない。

天国に至る道は地獄にあるというが……地獄にあっても天国への道を探し続けるには、消えないあこがれが必要だ。地獄と天国をつなぐ蜘蛛の糸は、欲望ではなく望郷ってことかもね。

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コメント

地獄と天国。
うーん。
ひょっとしたら同じ場所だったりしてね。
右旋回の偏光で見るか、左旋回の偏光で見るかの違いだったりして。

こんにちは~。
生まれてこのかた死んだこたぁないので、天国も地獄も“この世の無数の相のひとつ”としてしか把握できませんが。それでも、自分の見たい相で見ること&それを持続させることは、なかなかナンギですな。

自分のぶざまは論理と実感を一致させないと気が済まないことから生じるのだな、と、書いてるうち気づきました。ありがとう。

いや、なんかね。
日本の浄土系地獄観では無間地獄に堕ちたって何億年とか修行すると極楽へ行ける。

一方阿弥陀様の西方浄土に行ってもそこでのんびり暮らせる訳ではなく、そこは雑念が起きにくい「修行しやすい」場所であり、結局解脱できるまで修行が続く。

日本の土着的な死生観では死んだ人は祖霊となって子孫や地域の人を見守ってくれるということなのだけど寺尾玲子さんなどの話ではその見守るという行為自体が霊にとって
修行なのだとか。

そうすると、地獄も浄土も山の中も似たようなもので、要は見方次第なのかな、という気もチラリとしたもので。

あーっ、コメント書いたのに保存失敗してる! ココログのばかー!!

……ということで、ナニを書いていたのか失念してしまいましたが……。

地獄も浄土もこの世も「過程」ということで……しかし“ここでおしまい”の場所、あるいは“もはや変化のない”場所で、意識というのは存続しうるのかなぁ。謎です。

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