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心の平和

消耗していたので、きょうはお絵かき教室にいった。300円程度のリポDローヤルも飲んだ。
絵を描くのはひさびさだし、ちょっと時間に遅れたので、前のヘルメス神像絵の仕上げを軽くしようと思っていたのだが、ちょうど席が埋まっていて、違う絵を描き始めることにした。これがまぁ、カタチを取るのがヘタなもんだから最初は手間取るのなんの……。

今日描いてたのは、うっとりするほど魅力的なヴィーナス神像なのだが、困ったことにギリシア彫刻というのは、ちょっとでもカタチを狂わせて描くと、なんだか鈍くさく不細工な粘土細工みたいにしか見えなくなる。したがって、今んとこ、ダサくて見苦しいナニかを紙の上に留めることしかできない。
また正直にいって、いざ描いてみるぞとマジマジと見るまでの私は、ギリシア彫刻の美などというものを発見することはできなかった。私のギリシア彫刻への理解っつーのは、世間一般の 「わ~、きれい~」 で片づける、いわばお愛想でスルーする存在でしかなかったのだなぁ、としみじみ思う。

ものごとの上には耳なし法一よろしく、無数のコトバが書いてある。彫刻の上にももちろん、美にまつわる “コトバならぬコトバ” が書かれているのだが、今までの自分はそれが読めずにいたので、“物体” として扱っていた。しかしあれは物体ではなくて明らかに “本” だ。つまり人と関わりのないオブジェクトではなく、人の精神のなかで生を得る共生物、悪く言えば “ウィルス” だ。
考えてみるに、 「固まった高野豆腐を、自分の心の池にひたして戻して、そのさまを提示する」のがお絵かきなのかもしれない。そう考えると、抽象画やシュールリアリズムなんてーのは、心の池の湯葉やおぼろ豆腐をそのまま引き上げたんだよ、とも言えないこともない。

で、私の心の池に戻して見たヴィーナス神像は、むちゃくちゃにデリケートな調和(ハーモニー)の均衡点。“ここからちょっとでも動かすと崩れちゃうよ~”という完璧なカノンといいますか。そういうものをヘタな腕前で必死に描いていると、なんか画面がドリフのギャグのカタストロフシーンに思えてきて、へげへげになってしまう。
心の平和というものも、とてもデリケートで、一瞬でドリフ化してしまう何かにやあらむ。だが絵だって時間をかけていればある程度はマシになるもの、心の平和というのも、やがてはもう少し獲得できるようになるだろう。うん。

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