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時空が何だというのだ

ふとコメント返しをつけながら考えていた。
「どんな人も、生まれてから20才までで人生の半分」という台詞がある。ハタチくらいになるまでが人生で一番未知が多く一番ナンギで一番甘美でもあるということなのだろう。じっさい、人間の芯の芯になる部分は、ハタチすぎるとあまり変わらない気もする。

自分では全く変だとは思わないのだが、私はコンサートだろうがアングラな集いだろうがカラオケだろうが展覧会だろうがアヤシイ集会だろうが、どこへでも独りでひょこひょこ出かける。もともと友達が少ない上に友達作りも下手だし集団に入れば浮くし、たまに友達が出来ても同類の単独行動派。だもんで、いきおいそういうふうになってしまった。
連れができてからは連れとも一緒にでかけるが、向こうのシュミでもないことに付き合わせたりはしない。二人の人間がいればシュミがまったく同一ということはないので、何年たっても独りでひょこひょこ出かけることには変わりない。
なんだか、かんがえてみると淋しい人間なのかもしれない。

しかし、どうも人様を見ているに、人間は人間にとっての娯楽装置にしか過ぎないのだなぁという感をふかくする。多くのヒトは、仲の良いふりで陰口やら嘲笑やらを繰り返していても、決して相手を“嫌い”なわけではない。他人の外観・行動・言動の様式を見て、ああでもないこうでもないと評論していること自体を楽しんでいたりする。それくらいにある意味、相手が“好き”なのだ。
ただ、娯楽という意味では、私はヒトというよりヒトが生み出すもの、絵だの音楽だの、つまり“要約”のほうを好む。なにしろ根がせっかちだし。人を相手にする場合、のんびりと客観的に観察して特性を理解するにとどめ、自分から干渉はまずしない。相当に変なヒトでも、実質的に迷惑を被らないかぎりは全く無問題。
……ちなみにヒトそのものつまり“原文”に強く惹かれる人は自分も“原文”の魅力磨きに力を注ぎ、ヒトの成果物つまり“要約”に強く惹かれる人は“要約”の魅力を磨こうとする傾向があるようだ。前者は他人の外見観察などに優れているのに対し、後者は他人の存在自体に無関心だったりする……脱線。
やっぱり、つらつら考えてみても、淋しい人間なのかもしれない。

けれど、“出会う”ことは、要約だとか原文だとかいった情況には還元されない問題だ。
ただ人は、あるとき、出会う。物理的に会ってから何秒後か何年後かわからないし、一生出会わないかもしれないし、出会ってもいつまで続くかは誰にもわからない。
それでも、人とは出会いたいものだ。
それがどんなに悲惨なものでも。強烈な認識の前には、時間も空間も言葉あそびってことで。

飲み会に行き、カラオケに行き、喉も嗄れるほど絶叫して盛り上がり、あげく考えるのがこんなこと。こーゆーことを繰り返しても、出会えるかどうかは神のみぞ知るだわな(笑)。

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