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2006年1月

鬱っぽいぞ

やっぱり雨が降ると気持ちもシケるのか。

仕方がないので音楽を聴く。
ビートルズの 「I'm Only Sleeping」 。

もうすぐ立春で、内部的に正月になるのだが……
だゆだゆしていたい。だゆだゆ。

あらあら

木村カエラがミカバンドのボーカル。……ま、桐島かれんの時よりゃマシだろうかね、再結成ライブ見に行った友人が「♪たいむまーしんに~、のとこで声が出なくなっちゃっててさ~」と嗤ってたことを思い出す。
ミカバンドは「タイムマシンにお願い」ばっか有名でつが、他にも名曲目白押しですな。とはいえ、最近のカラオケではなんと「塀までひとっとび」だとか「マダマダサンバ」だとか「どんたく」だとかが入っててビックリ。
私がだいすきなのは 「HOT MENU!」 の 「Hey! ごきげんはいかが」の次の部分ですな。
♪どんな悩み事だってさ いつか終わるものさ
 だけど ユメを見ていることだけで 救われるというのかい?
 あせらずに さりげなく 心のまま……
 チューインガムにこの曲仕込み、のほほんと脳天気に口ずさみつ、てくてく出勤する晴れた朝は、たいへんよろし。

まごついたことなど

「ホリエモンと兄弟なの?」武部幹事長が孫に問われる
見出しだけみた瞬間、「いい度胸してんな……孫(そん)」と思ったのは、私だけか?

ちなみに、いまだにソフトバンクを日本ソバと呼んでしまったり(旧社名は日本ソフトバンク)、Yahooと聞いて「そーいや日本ソバが Yahoo! Japan 始めた頃にアキバのLaoxザコン館でYahoo!創業したコを来日させてサイン会ひらいてたよな」なんて思い返したりもするのも……私だけじゃないよね?(汗)

裸族と肉のぶるぅす

風邪完治してないのに、裸体描きだけを目当てに、お絵かき教室の人体デッサン日に行ってきますた。今回を逃すと、また三ヶ月後を待つことになるしねぇ。今回も美人なおねぃさんでしたが、やや年輪がおなかまわりに……いや、自分のことを棚に上げて無礼なことを言ってはいかんな。デキもいまいちで萎え~ですた。
しかし裸族マツーリな一日を過ごしてみれば、今度はおなかを壊している自分がいる。ダチョウ肉の残りが悪かったのか。

肉といえば。私と連れには、数年前になるが、痛恨の記憶がある。

よくあるく散歩道に沿って、川がある。よく鴨がスイスイしている。見ていても愛らしく、よく眺めているのだが、「ん~、青首だねぃ、食べたらおいしいのかねぇ」などと連れと語らうのを常としていた。いや、食べてしまいたいくらいカワイイってことでひとつ(←嘘くさい)。
だが、そんなある日。時はとーとつに訪れた。
てくてくと散歩道を家へと帰る途中。車道を横断する我らの前に、物体。
車に撥ねられたのか、鴨。まごうことなき、青首鴨。
「う、うわ」
昼の日中だが、辺りに人影はない。車もまったく通らない。
鴨だよ、手を下したわけではない、まさに鴨がネギしょって状態で死んでるし。
だが、徒歩残り15分の道を、片手に鴨ぶらさげて歩くのか? そこらのおばはんに誰何されるに決まっている。ではリュックに隠して? 見えない下半分が、血まみれだったらどうする? 血ぼたぼたリュックで帰るのか? そもそもホントに車に撥ねられただけなのか? ヤバイ病気で死んでたんならどーする。それこそおなか割いたらエイリアン状態とか(うわわわわわ)。
でもでも、これはチャンスだ、いつも口にしてたことがリアル化してる、ヌミノースな瞬間と言ったって過言じゃない。合法的にっつーか、手を下すことなく、目の前で、獲れたて鴨がくたりと横たわってるわけで。なんつーか、「さぁ」ってな感じの千載一遇、盲亀の浮木。
そして、決断力の無い人間を、時は待たない。
そこに下校中の小学生の一群が通りかかり、「わー、鴨だー!」 「わー、死んでる?」 「ど、どしよっか、埋めよっか」 「誰か呼んでこようよ~」 「わ、さわるなよ~」 「ひゃー!」
第一発見者たる我々の顔色をうかがいつつも、驚いたりはしゃいだりのガキんちょたち。この子供らの目の前で、鴨死骸を拉致するのは、もはや気合い的に不可能だった。
我々は、“チャンスは後ろハゲ!”の一言を胸に重く響かせながら、苦い微笑みとともに現場を離れた。

ということで、実体験からいえる。人の願うことは、時には笑い話では終わらず叶ってしまったりすることもあるかもしれないのだ。だが、叶った瞬間に “あらゆる制約を振り切って” 願いを掴みとることは、いざその時が来ると意外とムズカシイものだ。いや、ホントホント。
みなさんもどんどん願いを持つよろし。ヘタすると叶ってしまうかもしれないのだから(笑)。

年中行事は乱調とはいわない

もしかしたら、風邪のみならず、花粉症もMixなのかもしれない。季節は早いが、そんな感じが。
金曜日は会社を休んでしまった。昏々と寝ていた。だけども夜には起き出して、絵のモデルだけは行ってきた。てゆーか、11月・12月の二ヶ月のはずが私の休みが多くて描き手の皆さんにご迷惑をかけつづけて一ヶ月延長になっていたし、単に椅子に座って本読んでればいいので。それでもちとフラフラした。望外にもモデル代をもらった。というか、もらえるならもう少しマジメにやるべきであった。人様の創作意欲をくじく外観とやる気のないポージングと不規則なスケジュールとでご迷惑をかけっぱなしの三ヶ月間であった。むむむ。

ネットニュースで芸能欄など見ていると、芸能人がダウンしたとかよく載っているが、ホントにあの人たちは大変だ。看板しょってる人間はそうヘチャヘチャとダウンはしていられない。そういう気構えは見習わねば……と思っている矢先、在宅シゴトが舞い込んできて、一瞬で萎え~ _| ̄|○。

そういえば最近気付いたのだが。他人批判系なグチを言う奴に限って、具体的提案や反証を挙げると逆ギレしたり黙り込んだりするものですな。こっちに物言わぬ懺悔の壁か何かを投影するのは勝手だが……客観的に見て、壁相手にグチばっか言ってる奴って、どうよ?(笑) 私もしょっちゅーモニタ相手に(ブログ含めて)脳天気系ひとりごと言ってるけど、よほどコワイ気がする。
まぁ、こーゆーヒトって畢竟、自分しか見えてなくて、言い替えれば他人は「モノ」だからな~。てか、「他人はモノ」でもいいけど(うわっ)、モノは大切にしろって。人を大切にしないから、人から大切にされないんだろうが(笑)。大切って大きく切ないんだから、切ないとこで相手にモノを言わなきゃ何ひとつ始まんねーんだよ、身振りだけで大切ぶるのはそりゃ卑屈ってんだよ、とかとか……、ツッコミ百連発してもいかんな(笑)。
女性誌の特集でよく「ひとりの時間を美しく過ごす」なんてあるけど、「自分しかいない空間」で心ある振る舞いをするのは、なんというか……ムズいよなぁ~。

肉肉肉

こないだウサギ肉を買ったサイトに感想カキコしたら、オリーブオイルと塩の詰め合わせプレゼントが当たった。初見の客だから親切にしてもらえたのだろうが、しかし嬉しいことだ。

「うさたんシチュー」のあと、ダチョウと鹿を食べたが、どちらもおいしかった。ダチョウはミディアムレアで焼き、鹿はタタキに。あまり手をかけない、野人な家庭。ダチョウはやわらかいオージービーフのようなノリ。脂肪分が少なくてヘルシーそう。赤身好きな私としては近所のスーパーに売ってたら週一ペースで買いたいくらいだが……高い。キロ4000円なら、牛肉買うほうが良くないか? 鹿も似たようなもんで、マグロに似ているという人もいるが、何に似ているというでもない、キメの細かい、クセのない肉であった。でもわざわざ取り寄せても引き合わないよな気が。

で、いろいろ食べてみても、「やはり肉は肉だな」 という結論に至った。やはり、すっぽんのほうがコストでも味でも優れている気がする。代替になるものがないし。
それに、あまり肉を貪るのも、なんか罪深い気がする。いや、いきもの(特に温血どうぶつ)殺すのって、やっぱ感情的にキビシイよ、フツーは。デカイいきものになると肉体的にもキビシイし。もちろん人間、波があるので、ハーブを摘むことにさえ憐れを感じてそのままにする時もあれば、荒れ狂う猛牛に「ちぇすとぉぉぉ!!」と一撃を喰らわせてその場で焼き肉パーティーしたくなる時もあるわけだけど。
私は決してベジタリアンではないが、人間は「自分で殺せる程度のものを、殺せる気分の時に」食べてるのが一番健康的でいいような気がする。うん。

またもや乱調

なんかだるくてだるくて、今週は朝が起きられない。ギリギリギリまで寝ている。のどは痛いが、風邪なのかどうかは謎。今日はmy勤め先建物に旧き強敵(とも)が用があるとのことで昼食の約束をしてたので、なんとか出勤できた感じ。
もちろん、シゴトに出てしまえば働けるもので、片づけられるものはバキバキ片づけた。とはいえ、実のところ私の業務は「無いよりはあったほうがマシ」程度の位置づけなので頑張る必要はどこにもないのだが。ま、働いてないと寝ちゃうから(笑)。
夕方近くなると、座ってるのにクラクラきた。歩くとフラフラした。ゲットーシスターに、すてきな練り香水を嗅がせてもらって元気をもらった。香水をつけると9割、オードトワレでも8割方は吐きそうになるが(アルコールのせいか?)、練り香水は (・∀・)イイ!。またタルカムパウダーなども佳いものだと思われ。
定時と同時に席を立ち、よい匂いと、見かけたはまりんバスに心励まされつつ、家路につく。本来は木曜日は水泳教室で、しかも今月のバタフライ練習の最終日とあって、とても出たかったのだが、この体調では先月に続いてまた臨死しそうなので、パス。もう意識がボテボテボテボテしていて、気付くとなんと家の最寄り駅を乗り越してしまってた。
夜になると、連れ作成の牡蠣のソテー(←好物)も、味付けが美味いので全部たべたけど、あとで何かキモチワルくなってしまった。肩も張ってきて、リンパも腫れてきた。
ということで、こーゆーこと書いてないで、サクサク寝るべきだろうが、ブログなり何なり、自分の地口で書く時間を一日に5分でも持っておかないと、本質的な部分が窒息死しそうな気もする。考えていることで生きている人間なので、しかたない。誰も自分をまもってくれないものだ、という人生のキビシイ見方があるが、目に見えない“自分の本質”に至っては、素晴らしい誰かが守ってくれようとしたとしてもどうしようもない部分なので、自分で手入れするしかない。なんか盆栽みたいだけど。
……だが。
自分自身でも思うのだが、週の早いうちから風邪気味だなーと察して、毎晩早めに寝るように心がけ、寝るときさえもマスクをして、それでも日に日に悪化させていくというのは……マヌ~というか、ダメというか……うん。

どうでもいいことだが

捕まったライブドアの経営陣、なんでみんなあんなに不細工なのか。顔を中心として結びついたとしか思えない。いや、不細工とかいうと、造作で人を差別する人間と誤解されてしまうかもしらんので言い直すけど……、「なんであんなに美しくない顔なのか」。
時価総額がいくらだろうと、美しくない野郎揃い(反動的に女は美人揃いにしているケースが多いが)の会社になど関わるべきではない(もちろん反対のケース、ブス揃いで美男揃いの会社というのも何かヤバそうだから関わらないに越したことはない)。その念を強くした。

しみじみニューシングル

吉井さんのニューシングル 「Beautiful」 を一日フライングで買って帰ってきたオラが来ますたよ(笑)。や~、収録3曲とも(・∀・)イイ! 特にツアータイトルの「My Foolish Heart」、心にしみじみと沁みる系の曲ですな~。ひとり頑張り&ひとり口ずさみ系というか。月夜に海なんか眺めながら聴きたい曲ですよ。あー、早く吉井さんの人気が凋落して、小さなステージで間近に聴けるよーになんないかな(←サイテーなことを考えるファン)。もちろん、ジャパニーズ・ドドンパ的なノリを宿すアップテンポ曲 「HIKARETA」 が入ってる辺り、エンターテインメントもばっちり。
(私信:そそ、吉井さんは大層な苦労人なのだよ~、苦労人びいきの人なら落涙もんだ。ぐぐってみれ。>旧き強敵(とも) ハァハァ_| ̄|○ ←ごひいきアーティストのことで厨並みに興奮して息切れ)

トシの近さゆえでせうか、吉井さんのしみじみ曲を聴くと “自分も毎日をがんばろー” と素直に思えます。そーゆー人が存在してくれてよかったなぁ、うん。

雪の降る町を

昨日は雪ふりしきる中、所用があって渋谷へ。帰りには中目黒で途中下車して、ギャラリーで会田誠の展覧会見てきました……ってほど長居はしませんですたが。
んで、今日。熱っぽいよ……(またかい!!)。

ゼニを取れる芸

金曜は帰りがけに連れと一緒に渋谷へ行って、クラッシックのコンサート。
といってもリッパなものではなく 「クラッシック100」なる初心者向きCDがヒットしているので、その便乗企画として開催された素人さんウェルカムこんさーと(TV収録つき)というものだった。結論から言ってしまうと、やはりTV向きというべきか、はりぼてのデコレーションケーキのようなコンサートであった。“のせられたい” “だまされたい” 善良な素人さんである我々としても対処に困った。
最初の音合わせのところで感じた微妙な違和感は、こないだのコンサートで聴いたばかりのモーツァルトの曲の演奏で決定的に。こないだ聴いた時には 「やっぱモーツァルトだね~」と思った、水銀の珠のようなキラキラ感や跳ねるような弾力や飛翔感が、ないのだ。その謎は、連れが「これさ~、音が “La” じゃなくて日本語の”ら”だね」 といったところで解けた。つまり音が洋食。しょうゆくさい。……でももまぁ、それはそれとして音楽は楽しみたい。私らかて民謡の民、洋物の肉でなくてもよかろ、ということで。
ただ、それを差し引いても……ねむたい音楽だった。寄せ集めオケということもあるのか? 門外漢にはよくわからんのだが。

しかし、チャイコフスキーコンクールで優勝したピアニスト・上原彩子さんなる人は凄まじかった。鬼気迫るというかお憑かりというか、ナマのいのちを乗っけて音を響かせる。ドイツ表現主義の画家のデッサンみたいな、でぐでぐと手ごねした指跡が感じられる音、なおかつそれを支えるのは 「うげー!」 と驚嘆する巧さ。メロディーが重たい筆をふるう後ろから、静かなさざめきが聞こえるから何かと思えば、左手があたかも他人のように天上の音を奏でていた。
音楽家というのも、今まで縁遠くて理解できなかったけど、芸術とやらに冒された人々の例に漏れぬ “ケッタイな何か” なのだなぁ、とよくわかりますた。
んで目当ての千住真理子はサクサクと2曲弾いて帰りますた。自分のリサイタルの宣伝活動としての出演なのだろうし、ソリストはそれでいいと思いまつけど。クラッシックはよう知らんので腕の優劣はわからないのだけど、この人のストラディバリウスのバイオリンが実に実によい声で歌いかけてくるので好き。最初聴いた時は、セミみたいな響きの、ダミ声というかクセのある声で「なんやこれ」と思ったけど、ずっと聴いてると「人の心の機微を知ってる歌芸人」の歌を聴いてるような心地よさがでてくる。ナマで聴いても実にいい音ですた。何とかしてまた聴きたい。

で、まとめとして思ったこと。 「クラッシック音楽のプロが育つには、日本に西洋音楽が入ってきてからまだ時間浅すぎ」。プロというのは “その人の名に対する投げ銭” の有無の問題なので、まず投げ銭が生じる土壌があること(寄席とか芝居小屋とか街角演奏とか……言い替えればそれだけ人口に膾炙していること)が必要ではないかと。日本のクラッシック界では、海外に出て投げ銭を取ってくる形で優れたソリストは生まれても、それ以外の国内でのコンサートは“お勉強”風に扱われるからダメなのではないかと。
もちろん私はクラッシックには無知だが、客をナメてる演奏の時は拍手はしないし、面白かったら思いきり拍手をする。つまんなかったらブーイングしたって野次とばしたっていいと思う。“芸を育てるための” 客の義務だし (ストレス発散や八つ当たりの悪罵は違うぞ)。

こないだのコンサートの演奏家たちはアカデミックでまっとうな音楽家たちではあろうが、一方で、投げ銭で食っていけそな腕いっぽんのやくざな芸人Soulを感じられた。王様の前で、お気に入りの音楽をひとくさり、ご婦人方に流行歌も取り混ぜて、さらに気の利いたフレーズも披露し、キレイで声のイイねーちゃんにも歌わせて、宮廷の雰囲気を華やかにさせる、そんなエンターテインメントの “ギルドの伝統” が感じられた。
いっぽう、迫力あるピアニストが聴かせる音は、異様な緊張感で人を眠らせない。くつろぎや気の利いたウィットはないし、何が何だかわからないし、デート等には不向きかもしれないが、ともかく圧倒させられて 「すごいものに触れてしまった」 と舞い上がらせてしまう。
どちらにせよハッキリしているのは、エンターテインメントもアートも眠たいものではないってことだ。その点、やっぱねむたいコンサートだった……。

うさぎー!!

うさぎを買った。ただし、肉。
かねてより 「ジビエ料理(狩猟でとった野禽獣)って食べてみたいね~」と連れと言っていた。しかし一流フレンチは決して安くもないし、血をだぶだぶ入れた濃厚ソースにはフルボディな赤ワインと相場が決まっている。赤だろうと白だろうと、うちは二人とも呑めねぇんだよ!>フレンチ料理(怒ってどうする)。高いメシ食って悪酔いして、挙げ句その場で吐いたりしたら、目も当てられない罠。
ということで、うちでサクサク食べてみようと、ラパン(うさぎ)の冷凍まるごと一匹肉フランス直輸入モノとやらをネットで買った。ついでにダチョウや鹿の肉もおたのしみで買った。んで、昨日、届いた。
「ひゃー!!」 ……グロ画像を載せるつもりはない。因幡の白ウサギ治癒前・冷凍版がぼーんとやってきたと思いねぇ。うさぎは可愛くて好きなので(ちょっと前にはペットにしようかと真剣に検討していた……だがそもそも生き物の世話自体ができそうもない自分に気付いて断念したが)やや残酷感はあるが、好奇心&食欲は別物だな。吊り下げられたまま冷凍されたのだろーか、「長いうさぎだー!」と驚嘆したはいいが、サイズ的に従来の解凍法では手に負えない。解凍をめぐる諸問題は日頃仲の良い夫婦が互いへの殺意とぐろ巻き状態に陥るほどナンギなものだったが、最後には自然解凍(つまり放置)。
そして今日。お絵かき教室に行って、「IT企業の人は今日はイテー(IT)でしたね~」と繰り出される先生のギャグを軽やかにスルーしつつ、二ヶ月ぶりの石膏デッサン。前の描きさしの続きを描くことにして、二ヶ月前の絵を見て下手さに悶死する。だが二時間半がんばって描き直して、改めて見なおして、やはり悶死する。とはいえ、デッサンは好きだ。うまく描けようが描けまいが、ただモノを見つめている時間自体、なんか (・∀・)イイ! 頭がリセットされますぞ。
で、帰った。「うさたんと蕪のシチュー」ができていた。
……とても、おいしかった。鶏と豚の中間くらいで、コク&うまみがあって、そんなコテコテのフレンチ系や洋風にしなくても塩焼きで十分イケそうだ。アタマやアラで出汁をとったというスープがおいしかった。わざわざ何度も取り寄せようとまでは思わないが、近所で売ってたら月に二、三回は買ってしまいそうな味。他のもののお肉は週末にでも食べようかと。
うさぎを食べたあと、なんかカラダがどよーんと疲れた感じになった。不慣れな物質を取り入れてまごついたのかな(←味覚よりこういう体内感覚のほうが鋭い私)。まぁ、ものを食べてみることも自分を取り巻く世界を自分なりに把握するための手段のひとつ。見たり嗅いだり触ったり食べたり。世界はいろいろにできている。

それにしても

ライブドアの強制捜査って……いや、日本のニュース番組って、「どんな悪いことをしてた」っていうより「何故いま挙げられた」って方が、どーにも気になるよね。ジャーナリズムなき報道って要は“キャンペーン”だから。
それにしても楽天のポイント不正取得問題が騒ぎになってる矢先にコレかい。なんかつくづく狂言回しのよーな立ち位置だな、ホリエモン(笑)。リクルートの江副氏のよーな展開になるのかなぁ、彼も。
IT族とかいうとコンピュータとかネットとか言われるけど、本質はそーゆー器の問題ではなくて、「あらゆるメディアが融合する時代」という大きなビジネスチャンスに貪欲に食いついてる人たちって感じがすます。どうやってコンテンツを取得するか(球団を買うとかね(笑))、放送会社持つのとか(TV・ラジオ)、出版社持つのとか、携帯電話に参入するのとか、IP電話ソフト扱うのとか。
まぁ、先兵みたいなもんですか。先兵って、本丸の都合次第でいつでも切られるんですけどね。でもそういう状態の時のほうがむしろ、メンバーたちにとっては野放図でやりたい放題やれて、楽しいかもしれない(笑)。ネットの “また別の時代” の訪れは近いようで。

頭を使うのは7割8分まで

機械は、適当に使い、適当に休ませるのが、長持ちのコツかと。あまり連続してアタマを動かすと……疲れるねぇ。ないアタマは休み休み使えと。

三十代の話題といえば健康、ということでカテゴリ“健康”を新設して語ってみるてすと。
ここ数年ほど、重力に抗する力が極端に弱くなったのか、足がむくむくにむくんで、夜ごとに痛い痛いと苦悶していますた。んで、アヤシイ「かかとのない靴 ロシオ」なるものをネットで見つけて、最初はタダで当選しないだろうかとモニター応募してみて、“外れた人には期間限定で割引販売”という、わかりやすい手法で入手すますた。
んで、正月から履きはじめ……二週間ほど経った今の効果のほどは。間違いなく、むくみません。うん。ダイエット効果やら消費カロリーやらは謎ですが、ともかく足はむくまなくなった。断言できる。
ただし、階段の上り下りや電車の中で立ってる時は、バランスが取りにくくてキケンです。また女性の脚のラインをもっとも美しく見せるのは8cmヒールというのが定説であって、-3cmヒールではないのも事実。もはや失うものはない、オージェ アルスキュル のアクティブ・バインダーを打ち捨てる勢い(←オタにFSSネタ)で日々を生きてる皆さまはご一緒に。
ちなみに、私のように、ずんずんずんずん歩くのが好きな人には、ちょっと恐ろしい靴でもありまつ。スピード出過ぎ。 風のない日に、肩でびょうびょうと風が鳴ってた時には、自分でもどんなもんかと(汗)。
また、ちょっぴり悲しいのは、もともと持ってる革のスニーカーと、かかと以外は何ら見分けがつかないくらいにデザインが酷似しているので、何もメリハリのない足もと生活を送ってることですな。

養命酒も二本目に入りますた。暖かい日もありますが、まだまだ寒い日も続きそう。みなさまご自愛ください。カラダが資本の労働者、がんばってまっせ(笑)。

ワルツ聴いてきたよ

クラッシック等にはうといのだが、初心者でも大丈夫そうな、「新春お好み歌謡ショー」的な、正月の定番(なんだそうだ)・ウインナワルツを、みなとみらいホールで聴いてきた。クラッシックらしいクラッシックを生で聴くのは初かな?
んで、演奏が始まる前に最初に驚いたのは “ヴァイオリンの人、みんな立って演奏するんか!” というもの。そもそもどーゆーのがフツーの形態なのか、知らないが(知ってたら教えてぷりーず)。でも、演奏はじまったら、ヴァイオリンに限らず、チェロ以外の人はみんな立ってたし。足が疲れそうな気がした。まぁ、一曲が短いからそれでいいのかなぁ。そもそも、こーゆーのって “社交ダンスのバックとして演奏” するもんだから、リズムにものりやすいし。
はるかウィーンから巡業にやってきたという、ヨハン・シュトラウス・アンサンブルという皆さんによる演奏はとても素敵ですた(いや、比較基準がない人間がどう誉めてもアレでしょうけど)。肩を揺らし、足でリズムを取り、ノリノリ全没入モードで聴いていたけど、そういう客は少なかったようだ。うーん、踊ってやれよ(違うのか?)。プログラムはもちろん、私らのような初心者でも楽しめるよう、変わったアレンジの曲やコミカルな曲を織り交ぜ、題名は知らなくとも聞けばわかる十八番な曲をゴージャス演奏で振る舞ってくれる。コロラトゥーラとかいうのかな、メゾソプラノの女の人がオペラ歌曲を演技をまじえながら歌ってくれたもした。
こーゆー伝統芸は通なお客がいるもので、いいとこで手拍子を入れたり拍手したり、シロートのお客はそれを見習えばいい。歌舞伎の掛け声に通じるものがある。つまり、“イケてるお客”するのも芸のうち。
休憩20分の大半をトイレの行列で潰され、一息つくつもりでアイスを買ったら、三分の一も食べないうちに「まもなく第二部でーす」と言われて泣く泣く見捨てたことは残念であった(同様に半分ほどアイスを残して困っていた外人の女性と“お互いトホホね~”とアイコンタクトしたのはささやかな慰めだが)。
でも、学校の授業なんぞでも聞かされる、手垢のついたベタな曲のはずの “美しき青きドナウ” のイントロ……、“うわぁ~” と感嘆するくらい美しかったですよ!! 「みんな聴いといてや、これが本場の味やで!(なぜ 関西弁)」てな出演者たちの矜持を感じました。
最後には指揮者とコロラトゥーラが一階客席を一周し(席が二階の斜め後ろ側だったのでちと残念)、場内が楽しくもりあがって幕。帰る時、他のお客さんが 「うん、ウィーンで居た時思い出したよ~。日本だと堅苦しくなりがちだけど、現地じゃこういう気軽な感じで楽しんでるんだよねー」 と言っているのを小耳にはさんだ。何にせよ、“楽しもう”と“楽しませよう”のハーモニーがあって、たのしかったなー。うん。

Sweeet 50 (人間半世紀)

職場で、ひるごはん。ふと、ゲットーシスターに訊かれる。「そういえば、トシいくつよ?」
淡々と事実を告げると返ってきたのは驚愕。「ご、50歳前くらいかな~とかおもってたよ」
―― 人間半世紀かい _| ̄|○
まぁ、何かにつけ 「老いたのぅ」 としみじみする異様に老けた物言いや振る舞いゆえだ、とフォローされたが……だが、こんな50歳がいたら、“ヘンな人” を通り越してむしろ “医者に連れて行くべき人“ だと思うのだが、どうだろう(そう書いてから、50になっても全然変わっていない自分を激しく予感してイヤげなのだが)。

とまぁ、一年半経ってから驚愕の事実! ということだが、今の職場では女性の多さゆえか文化的影響ゆえか、互いの年を尋ねる習慣が、ない。年上と思っていたら年下ということや、その逆は当たり前。今でも実年齢を知らない人は多々居る。ま、年齢層高めだし、関連部門まで考慮すれば女性でも定年まで勤めあげる人も珍しくないものと思われ。
とはいえ、自分はそもそも立ち位置が違うわけで(もちろんビジネスであり契約なので不満はない)。つらつらと鑑みるに、世間の “消耗品” 労働力市場で 「求人応募お断り」 、つまり 「償却期間そろそろ終わり」 「型番古いから若くて賢い“部品”に交代」 とされがちな年を過ぎちゃってるよな~、ということで、老いを禿しく感じすぎてたのかもしらん。ていうか、『働きうる残り時間』 から逆算したら、あきらかに周囲より 『年寄り』 だよな(笑)>自分。
まぁ、その反面で開き直って 「これからは老いに負けぬよう、心(人格)・技(スキル)・体(健康)ともにメンテせねばな!」 と人生のたのしみごとに力を注いでいたのだが。
ま、そんなドメスティックな目で自分を計ってはいけないのかもしれない。人生なにがあるかわからんし、世界はひろい、ということでひとつ>自分。

まぁ、私なりの 『理想の自分像』 は、“豁然と開けた心眼&スパークすれば電撃100万ボルト! だが、ふだんは何気にありふれた素朴な年寄り” なので、ある意味、うれしいことかも。……ビミョーにすぎる理想像であることと、最後の 『年寄り』 しか周囲に認められてない事実は、無視な。

からまわってみるてすと

かりかりと爪を囓るクセが未だに抜けない。だが最近になって気付く。「なんか自分……ねずみっぽくね?」
自分を省みるに、何かにつけて、うわああああああああっとパニくって、逝っちゃってる目つきで当たるを幸いといった感じで仕事をやっつけ、だが同時にシゴトが雑なもんで、一段落ついたところではーはーと息をつきながらひっそりと後かたづけをしていたりする。なんか、逆上したウォンバットのようだ。さらに今はアタマが回っていない時期なので、それをカバーすべく無理にアタマを動かそうとして、たちまち灼けつく感じですな。

で。今日は家でやってるシゴトの代価が望外にもまとめて振り込まれていた。一部は前払い感が強いので、両手を挙げて喜んでいいのかどうかビミョーにすぎるけど(汗)。さらに今日は珍しく長時間労働をしたので、帰りにうきうきショッピング♪ などということもなかった。
荒廃した現実・焼け爛れた懐から目をそむけ、何かたのしい使い道はないかな~♪ と夢想していたところ。取引先からメールが来て、「今月中にもう一本やってもらうからよろしくね」 _| ̄|○。
……い、いえっ、_| ̄|○ なんて滅相もない! ありがとうございます! 仕事があるって最高です、はい!……と最近はそう思えるようになってきた、人として進歩の遅いわたし。感謝の念を持たねば。わがリスペクトな吉井さんが書いてた 「仕事が人を選ぶ」 「すべての職業はサービス業」 を肝に命じよう。

ということで、ささやかな代価を使って、まずは労働用BGMのレンタルしまくりケテーイかな。ザ・フーも聴いてみたひ。てか、映画「さらば青春の光」(←ザ・フーのアルバム『四重人格』がモチーフとか)もまだ未見だし。メジャーが抜けてたりマイナーが濃かったり、私の音楽シュミも相当な虫食い(笑)。
ま、1/25に発売の吉井さんのニューシングル「BEAUTIFUL」がBGMになりそーな予感。今月はクラッシックのコンサート2回、来月は吉井さんのライブ。好きな音楽が共にあれば、ぱにくりウォンバットだって頑張れるぜぃ!

ぱやぱやと過ぎる

仕事は、世間標準でいえば忙しかったわけではないが、アタマをぐるぐる回しすぎて消耗~。その反動でか、三連休は痴呆のように過ごし、もう休みの夜もあとわずか。ん~む。美術展とかに行けばよかったけど、昼すぎに起きていてはなかなか出かけられないものですな。

そうそう、ネットを放浪していて偶然みつけた癒し画像。けっこう有名らしいのでご存じの方もいるかと思いますし、動画はもうリンク切れだけど……、やっぱいいよねぇ。動画系で癒されたい人はこちら
また先日、探検ロマン世界遺産の「~ブラジル・セラード~」ってやつを録画までして見ますた(録画してまでTV見ることは三年に一回もない)。いや、「アリクイが好き」というコミュニティで、オオアリクイがたったったっと軽快に走ってたり、こどもを背中にのっけてたりすると読んだもので……。なかなかすてきな番組でした。生き物は自然の中で見ると、さらにケッタイで異形で素晴らしいですな。
もちろん、舞台となる草原も不可思議な光景で、すごい。地球のうえに拡がる、いろいろな風景をたくさん見てまわりたいな~と、年とともにつくづく思うようになりますた。宝くじ当たんないかな。その際にはこのブログも旅行レポートになるな(笑)。

とはいえ。現実には、なんかどうにもこうにも動けない。ごろごろごろごろしていたい。……たぶん立春くらいまで、脳内はまだお正月なんだと思いまつ。反応が異様に遅くても気にしないでくだされ。

もったいない!

こそっと松の内モードから切り替えてみますた。まだ頭の中は仕事モードではありませんが、ちびっと職場でかんがえたことなど。

仕事おさめの日、会社の同僚の方が 「お手製の」卓上カレンダーを皆に配り歩いてくれました。もともとグラフィックを勉強していた方とのことで、出来映えも洒落てて素敵なもの。みんな 「これは売り物になるねぇ」 と感嘆。ブログで紹介した「プチクリ」 そのものですが、職場でも個人のタレントが活かせるといいなぁ、と思いますた(あ、このリンクは “買って手もとに置いて何度も読もう!” & “この本で寄付を受けたら嬉しい!” ということでアフィリエイトです)。

『持ち合わせの人的資源を最大限に活用する』 のは、鎖国時代の日本やどんづまりゲットーでは当然のことだったと思う。今は派遣でも何でも 『専用の道具を買ってきて使えなくなったら捨てる』 という移民大国のやりかたを “ハンパに” 取り入れているけども。「人のいいところを引き出す」 とか 「仕事を人に合わせて融通を利かせる」 といったやり方って、いちばん対費用効果が高い仕事のやりかただと思うのだけどなぁ……。まぁでも、そんな環境を創るのって本当にハイレベルな話だし、考えようによっては全てを仕事に吸い取られるともいえるので、痛し痒しか。

でもなぁ。なんというか、もったいない。活かされない才能も個々人のためにもったいないし、プラスの可能性を見殺しなのも組織のためにもったいないし、何より、会社に売ってる時間が刺激に乏しくタイクツなのは自分のためにもったいない。お金をムダ遣いする組織は、それ以前に精神的な土壌の段階でもったいないことが起きていると思う。
……自分のムダ遣いグセも、おなじく精神的な段階でロスが多いのかも(汗)。スパークな時間を増やすために、いろんなコトをぎゅーっと濃ゆくしていきたい。

てか、早く寝なきゃ! でも昼の二時半に起きたから眠くないよ~(泣)。(これ書いてるの、3日の25時です(笑))

一年の計はスパーク

年初からハイテンションですが、起きたの午後3時半。あけましておめでとうございます。年賀状、結局は一枚も一メールも書きませんですたが(開き直り)、これを読んでくださっている皆さまには胸いっぱいの愛を捧げます。

さて、大晦日は夕方から 『男祭り』(ミスリーディングへ誘導するネーミングだな)を見て、のほほんとしていたら、連れがお正月用に新潟で買ってきた濁り酒を出してきた。「ほほー」 「飲み口が軽くて飲みやすいよ~」 「ではひとくち。おお、おいしいねぇ」 「おいしいよねぇ」 「よしよし、もうひとくち」 「ほれ、するめ焼いたから食べながら呑もう」 「わ~い」

泥酔

おかげで夜からの、実家開催の姉夫婦との格闘技観戦(←どこに居てもやるこたぁソレかい)でも、連れは爆睡、私はぐらぐらで大変な大晦日であった。ただでさえ酒が呑めない人間に濁り酒はデンジャラスだとわかっていながら、甘くておいしいとついつい(子供かよ!)。おかげで今なお頭が重い。やはり私は養命酒を熱烈支持。
 とはいえ、ヒョードルvsズールの “今年のよごれ今年のうちに”的にサクサクしたお片づけな一戦は、実に年忘れだったことだよ。曙がまた屠られているのは、もはや 『鬼やらい』 や 『牛追い』 みたいなひとつの年越しの民俗祭事として了解済みではないかと。
 0時ぴったりになると、ぼ~、ぼ~、と次々に鳴りだす汽笛。それを聞きつつ、“あけおめ”のごあいさつをするのがここ数年の恒例。あとは年を越しても延々とジャニーズやカウントダウンTVを見ながら、レトロあいどるの話題とかレトロギャグの応酬に明け暮れていた。

ここで何を書こうか困って、自分が去年の正月に書いたものを読む。自分を多少なりとも好きでいてくれるひとたちに「しあわせでいるから、しあわせでいてくれ!」と要望している。今もその気持ちに変わりはない。では今年はさらに上積み。みなさまも私も、充実したスパークな時を一分一秒でもたくさん過ごせますように!

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