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2005年12月

あわただしすぎ年の瀬

仕事おさめの28日は職場の誰よりも早く、はずむような足取りで帰路へ。お絵かき教室もちょうどこの日で終わり。お絵かきが終わったあと、先生が「ちょっと飲みましょう!」とアトリエでそのままプチ飲み会。もうひとり居た生徒さん(女性)は、老人ホームにお勤めのせいか和やかで陽気。みのもんたと氷川キヨシがアイドルとなっているホームの実態など、興味深い話をおうかがいした。モデルの女のコは “ばーちゃんもかーちゃんもトシとともに子供還りしてきてる感じで家庭内がさわがしい” とか。老いについて、さまざまに語り合う。
酔いがまわるほどに、先生のダジャレが兇悪になってきて、もうどうしたらいいのかと(笑)。「メイドカフェって最近人気だと聞きましたが、お客はお年寄りが多いんですか?」 「へ?」 「いや、冥土の土産の冥土カフェかと」 「センセ、ちゃいまんがな!」
てな具合にウジ(サブマシンガン)のごとく乱発されるギャグに反応を返し続けてると、なんだかスカッシュの猛特訓でも受けているかのような心地ですたよ。

んで、29日は掃除。洗濯して、掃除して、つい疲れたので連れとドトールへ。くつろいでしまって、結局は掃除したのは台所やトイレだけで、部屋の掃除は完了せず。年賀状……あああ、すみませんすみません m( _ _ )m。……新年は節分だよ、うん(←未だに旧暦で生きてる)。

で、とっとと寝ればいいのに朝5時までイラレいじり。でも今日、30日は朝9時半には起き、昼からは満を持して、旧き好敵(とも)とカラオケへ。1時間は無我夢中の食事に充て、歌ったのは4時間半程度で、やや物足りない(その間1分たりとも空き時間はなかったが)。「9月には歌おう」 といって、あわや年越しのところまで延びていたのだしなぁ。まぁ、また来年も歌おう!

で、明日が大晦日で、そうなると冬休みがはんぶん終わってしまうわけだ。この程度の休みで何ができるというのだ _| ̄|○ 。年とともに一日の時間感覚は短くなっていくという。まさにそう思う。いったい、こんなにヒマなはずの人間が、どうしてこうも何もできずにあわあわと時をやり過ごしてしまってるのだろう? まったく、世間の人々というのはどのような日常処理能力を有しているのだろうか。加速装置が欲しい、コプロ(コプロセッサ……今は死語だな)が欲しい。くそー、スパーク!!

もはや正月モード

旅行から帰ったら、街の空気が正月ムードしていて、びっくら。まぁ当然だけど。
ということでテンプレートも正月……明日出勤すれば休みだ。あー、三ヶ月くらいゴロゴロ休みたい(←失職するって)。来年のことは来年かんがえよう。それに私の年明けは例年節分ということになっている(本格的に年明けなのは春分以降……って冬眠熊かい)。
冬休みを活かして何か学ぼうかとか思っていたが、それも難しそうだ。吉井さんのライブDVD見て(そそ、TVKの音楽番組をソースにした 『ライブ帝国』シリーズDVD、イエモンのが23日に出ましたが……や~、えがったえがった)、イラストレーターでもいじって(学ぶところまで辿りつきそうもない)、たわたわとタワケた冬休みを過ごしたい。うんうん。

でも、大掃除は必要だ。

昨日、マシンが起ち上がらなくなった。

ばん!と筐体たたいたら、中から “ばふっ” とホコリが噴き出した…… _| ̄|○

筐体あけて掃除すますた。その後は、もちろん一発で起動しましたとも。

『冬休みのタスク = 掃除』

新潟の旅・パート3

クリスマス。昼の三時過ぎのMaxときで帰る。まだ時間はある。ホテルをチェックアウト後、マクドナルドでソーセージエッグマフィンを喰らいつつ、「ではどうする」と話し合う。
ひいじいちゃんは養子で来たので、そのルーツな土地でも見てみようということになる。こちらも番地はわかるのだが、戦後の区画整理で整合性がとれない。いかんともしがたい。なので本屋で住宅地図を見て見当をつけ、ぐるぐる歩くだけということで。

駅におりたつ。そういえばこの辺りでは、電車のドアは手開閉だったりボタン押しだったりする。合理的だがまごつく。二両編成の電車が雪のなかを走っていく景色は、鉄オタ(=鉄道マニア)でなくとも感動的だ。
で、おりたつと、何もない。
ほんとうに。何もない。
強いていえば、駐輪場と案内板と雪に埋もれた広大な田んぼがある。誰も居ない。たくたくと歩き出す。
DSCN2739 阿賀野川の河川敷へ出た。「うはー!!!!」
白い。白い白い白い白い。
野球場であるはずの場所をあるく。何もない。なめらか。15cm、あるいは20cmは積もっていて、さらにさらに雪が深くなる。ひたすらに白い中を歩くうちに、感覚がおかしくなってくる。
と、とつぜん後方から雪が飛んできた。雪玉を投げてデモーニッシュに嗤う連れの姿。怒りに逆上。 「貴様ァァァーっ!!!」 疲労しているのに、さらに消耗しようというのか!!
雪国はみなクルマ移動なので、人にはほとんど行き交わない。それから雪が積もっているので、音もしずか。異様に浮いた二人組は、無人で無音の雪広場で狂乱の雪合戦を繰り広げ、いいかげんイヤになってまた歩きだすのだった。

さらにさらに歩きつづけ、駅から2kmは歩いたであろか、ランドマークである稲荷をみつけた。「おお」
おみくじ引いて、写真とりまくって、近くにバス停を発見。……だが土日はバスはない。てゆーか、普段でも一日2本とは _| ̄|○ ちなみに私が稲荷で引いたおみくじは「凶」(笑)。

DSCN2747 「……んでは、帰ろか」 と言ったところで、連れが道沿いに一軒の店を発見。ちょうどお昼なので入ることに。
「手打ちそば」なそのお店は、そば好きな連れが喜ぶほどおいしかった。内装もきれいで、ぽかぽかと暖かく、常連さんもついていた。特に食後にたのんだ “そばがきぜんざい” は、もちもちと柔らかく温かく、ほどよく甘く美味しく、感動したので写真まで撮ってしまった……ふだん食べ物の写真など撮らないのだが。
駅までの道すがら、“ここは縁者にちがいない” という建物も発見。やはり来てよかったと思う。
さらに駅の待合室で、隣にいた中年女性に 「新潟は雪がすくないですねぇ」 と話かけられ、「そ、そーなんですか?」 「ええ、私は上越なもので……お宅様は?」 「いえ、実は横浜から来てまして」 「まぁ、横浜でしたら蒔田には年に3、4回いくんですよ(宗教の本部があるので)」 などと、新潟駅までお話させていただいたり。上越は桜が素晴らしいそうな。四季がある国って美しいなぁ。

帰りはMaxときでサクサクと帰り、ミレナリオでにぎわう東京をただ通過し、クリスマスで浮かれる横浜駅をサクッと通過して、家にたどりついた。んで不二家でケーキ買って(いちごやクリームを使ったのがもう売り切れてたー)、ビミョーなクリスマスしました。はい。

一夜あけてみたら、やっぱ疲労してたことを痛感。ちと熱。今日はお休みを取っておいてよかった。
でも、旅行はいいもんですなぁ……観光をほとんどしてない人間が言うのもナニですが。

新潟の旅・パート2

二日目。起きる。朝食バイキングを食べる。夜更かししたわけではないが、疲れて、再度寝てしまう。昼頃に起きて、「さぁ、どこへ出かけよう」

DSCN2713 外を歩くと、三分歩かないうちに、晴れたり曇ったり雪ふったり。てか、なんで五分のうちに吹雪くよ!地元の人々は少しくらいの雪では傘はささない。つまりわかった。新潟はヨーロッパなのだ。信濃川ではなくテムズ川ということでひとつ。

DSCN2719 DSCN2727 吹きすさぶ雪に泣きながら、例のマンガペイントの循環バスに乗る。マリンピア水族館にいってみた。荒ぶる日本海のすぐそばなせいか、海獣たちが元気!冷たい海のケモノたちだということを実感する。おっきいトドやアシカのほか、球でしかないバイカルアザラシもいた。

DSCN2732 そして水族館を出て、すぐ裏手の日本海を見る。……うひゃー!!!!!
五分と居られない寒さ。海の色はブルーではなくシアン系。グリーンも入って、やはり違う海の色。
“海にゐるのは、あれは人魚ではなゐのです……” てな感じの波濤なことだよ。あまりに感動したので、予定を変更して、日本海タワーなるところにも行くことに。バスが行った直後なので歩くことにしたが……さむい!!! さむすぎ!! しかも意外と歩くし!!
バリアフリーなどという言葉に一切無縁なタワーに登ったが、日本海を心ゆくまで堪能する間もなく閉館時間に。さぁ戻ろうとバスを待つ……が、その十五分が、超過酷。てゆーか、なんだよこれ! パラパラいってるよ! あられが降るなよ!! いたいよいたいよ!!!
ようやくやってきたバスに思わず “ここだー!!”とばかりに手を振ると、“心配すなー!”とばかりにパッシングを返してくれて、雪深いなかで人情に触れると感動は倍になるという法則を知る。

あたたかいもの欲しさにとんかつ食べて、スタバでラテ買ってホテルに帰って、街はクリスマス・イブとゆーのに、TV三昧。ふだんTVを全然見ないので(週に一時間も見てないと思う)、食い入るよーに見てしまった。特にローカルTVは極端にたのしいし。国内旅行の最大のたのしみのひとつ。新潟のテレビは独立文化圏してて、とてもよかったです。住みたくなってしまうくらいですが、クルマがなければ死にますな。

新潟の旅・パート1

生まれてこのかた、日本海は見たことがなかった。
連れは関西人だが全く関西人らしくなく、むしろ私のほうが関西と間違われるくらいである。そもそもルーツは関西ではないらしい。「てか、yourじーちゃんの墓ってどこよ」 みたいな話題から、遡って戸籍を取ってみたりして、イロイロがイロイロと重なって、衝動的に旅。

DSCN2681 冬至の夜が明ける前に家を出て、だが電車が混み混みなことにびっくり。朝7:08に東京発の「とき」に乗る。んでもって、トンネルを抜けると雪国。「うひゃー!!」とスパークしていると、はるか後部座席でもどっかのお子が大スパーク……つまり幼稚園児と変わらないのだな、自分たち。ちなみに、新潟駅に到着する間際にも 「にいがたー!」 とはしゃいでいたら、そのお子も 「にいがたー!」 と叫んでいた。魂の双生児 in 上越新幹線。
前日は大停電でたいへんだったらしい新潟。駅には9:30に着。すると、別のホームに、奇妙な姿。
DSCN2683 クリスマス運行で会津と新潟をむすぶ「SLばんえつ号」。この路線というかルートは会津と越後を結ぶ重要な街道であったそーだ。戊辰戦争でトホホになった時にも、この道をたどって逃げたり落ち延びたりした人も多々いたのであろ。しみじみと見送る。

DSCN2691 んで、新潟で、特にやることはない。マンガで町おこしをしていて、こんな看板や循環観光バスもある。あと、水島新司のマンガストリートもある。たしか「What's マイケル」の小林まことも三条市かどこかだったし。寒いとついつい家にこもってマンガを描くようになるのだろうか(違)。そのうち有名ミュージシャンの出身地と並んで、有名マンガ家の出身地も “聖地” となって、世界の “OTAKU” がやってくるようになるやもしれない。映画やドラマもいいが、これからの時代、マンガやアニメでも街のプロモーションが必要になりそうだ。

新潟駅に降りた時には、おじーちゃんの生まれた番地しか知らず、しかもその番地はグーグルマップやマピオンを見ても掲載されていなかった。田んぼばっかだし。なので、「その近くの駅で降りて、風景でも眺めて帰ろうよ」と。
だが。
その午後には、本家のおうちに上がり込み、新潟弁にナンギしつつも、初耳な貴重な話に聞き入っていたりした。
とむとむと話が進んだので、きっといわゆるお導きがあったのであろ。道すがら助けてくださったすべての方々に感謝したい。断片的な知識をつなぎあわせて謎解きをしたり、誰もいない雪の車道を30分以上あるいたり、飢えと寒さに苦しんだり、まるでRPGゲーのようであったが、なべて旅とはそのようなモノにやあらむ。

まぁ、つまり一日目、なんの観光もせず、ひたすら歩き、唐突な来訪者となり、へぎそば食べて終わったわけだ。ともかく、たくさんたくさん寝た。雪道をひたすらあるくのは、やっぱりさむいよ。

生還♪

何をどうしてきたというほどではなくとも、たのしい旅。じょじょにご報告。
新潟から横浜に帰ってきたら、「さ、さむくない!」 「これはむしろすずしい!」 というくらいに感覚かわってますた。まぁ一日で元にもどるでせうが。
新潟や長野は、「そちら出身のヒトには親切にされることが多かった」 という理由だけで、けっこう好き。旅行したら、さらに好きになりますた。※あ、九州育ち(というのか?九州カルチャーとでもいうべきか?)のヒトには迷惑かけられることが 『多い』 といっても 『すべて』 なわけではありません、当然ながら例外ケースです(笑)>私信

とか書いていたら、今日の昼間に乗ったばかりの羽越線で特急脱線のニュースが。ケガ人があまり居ないことを祈る。てか、周囲は田んぼだけだったから、中のヒトが無事ならたぶん大丈夫かと。

それにしても。
なんで買えない時に限って予想は当たるのか>有馬記念 (新潟競馬場、遠すぎ)

讃美華と臨死

昨日のお絵かき教室で、もうひとつ話題があった。いや、「植物とか見てると飽きないよねー」 「よくできてるしね」 なんて話をしてるうち、「神、すごくね?」 「神って才能ありすぎ」 「何億年もクリエイティブやってっしさ~」 「バリエーションあるしさ、飛ぶのから泳ぐのから」 「熱帯の魚とかさー、何考えてんだみたいなポップさだし」 「だけどほれ、北の魚とかシックじゃん」 「味だって違うしさ」 「いや、それいったら植物も動物も違うし」 「しかも、どこにもサインも入れてないワケじゃん?」 「優雅ってゆーか、真にアバンギャルド?」 「どこから見ても、やっぱすごいよね!」 と、全員で「神 (・∀・)イイ!」という結論に達した(口調はやや改竄してあります)。
考えてみると、クリスマス前に実にふさわしい話題であった。

さらに。クリスマスの古い起源はヨーロッパの冬至の祭りだとか何とか。「太陽が闇に屈して死に(一年で一番夜が長いからね)、また復活する(また昼が長くなっていく)」という、死と再生の日なのだが。
思いもよらず、死にかけた。水泳教室で(笑)。
いあ、背泳ぎのキック練習の時に、例のコヨーテなコーチが元気に押しすぎて、顔の上を流れる水流が止まらない止まらない。どうにも息が続かなくなって、ぷはーと息を継いだが、まだ水から浮かびきっておらず、水を呑むどころか、まともに気管に吸い込んだ。
立って歩こうとして、息を吸おうとして吸えず、「だいじょーぶ?」と声かけられても返事もできず、むしろ……“し、死ぬ!!”
『もしやこんなところで死ぬのか』 『てか明日の朝には旅行なんですけど』 『クリスマスを前に水泳教室で死ぬってバカ』 『忘年会にも行けないってことか?』 『ここで死んだら連休あけのシゴトは』 『バカすぎる、あまりにもネタすぎだ』 アタマの中でぐるぐる。
吸えない。息が吸えない。水を気管から排出しようとする。出ない。プール脇の排水溝へドトールで食べたばかりのミラノサンドCを少々戻してまでゲフゲフしても、出ない。コーチやら見張り役やら飛んできて、背中さすられ、「吐いて~、息吐いて~」とアタマの悪い小学生のごとくになだめられ、しまいにはしばらく水から上がるハメに。
10分ばかり休んでふーふーしてから、ようよう復活。周囲に心配はかけたが、本人的にはメゲてはいない。だがしかし、コヨーテコーチは九州人だが、私はやはり九州人(生まれも育ちもの人)とは相性が悪いのかもしらん。悪気はなくともヒドイ目に遭わされたり迷惑をかけられる場合が多い。
トシを取ると真っ先に低下するのは、目より歯より嚥下機能であるそうだが……、もはや、あの苦しみを知った私としては、正月に餅をのどにつまらせて死ぬ老人を嗤うまい。てか、そのニュースを聞くたびに思い出すだろーなぁ。

ということで、長い夜の夜明けに新潟に行ってきます。用もないのに(笑)。ぶじフカーツしたら、クリスマス当日にはまた書き込むでせう。ではでは。

ハナブタに続いてハナウタの話

シゴトで煮詰まっていると思っていたのだが、実はそーゆーコトではないのかもしれない。単に破壊衝動……というと聞こえはいいが、いわゆる 「アジャパー衝動(笑)」 がむくむくしているだけであろう。
私の場合、ちゃんと意味があったり、ためになったりするよーなことばかり心がけて過ごしていると、この謎の衝動が突きあげてくる。しょせん私の精神構造は野の生き物。セイウチとかハナブタと大差ないんだからしかたない。無意味な時間って、すっごくたいせつだよね!(力説)

今日はお絵かき教室。描く方だが、モデルの娘さんはとてもカワイイ。私の大好きなムスメさんと同じく今年21歳になったそうだ。服飾デザインを勉強していて、仲間たちと来春開くファッションショーのために、ポーズの合間の休憩時間にはいつもニットを編み編みしている。
その娘さんが今日はCDを持ってきてて、先生に「これかけてください~」と。ビートルズのベストであった。ふぁっしょん好きの娘さんのご多分に漏れずロンドンに旅したことがあるそうだが、ビートルズは最近聴くようになって気に入ってるそーな。「Strawberry Fields Forever」がだいすきと言うので、「あの曲は実によいよね~」と意気投合。また何せ忘年会シーズンで今日は集まりが悪く、開始までずいぶん待ったので……待っても結局、先生と娘さんと私の三人だけだったが……、そのあいだ、何か好きな曲や知ってる曲がかかると、みんなてんでに口ずさんでた。
好きな歌を好きに口ずさんでて、ふと気付くと一緒に歌ってるのって、なんか照れるけどたのしいよね。
「じゃあ、また来週~」と、ぐっと親しさを増した笑顔で言われて、にこにこ帰ってきたことだよ。

しかしあのベストCD、「Strawberry Fields Forever」 入ってなかったぞぃ (^_^; ?

可もなく不可もなく消耗

土曜にはベイサイドマリーナに行って、500円はらって見物するペットショップへ。強烈な臭気や悲しげな顔の動物たちにはいろいろと考えさせられるものがあったが、しかしハナブタはかわいかった。ブタといっても鼻先はバクのごとしでヒゴヒゴと動く。ネットで散見するハナブタの写真を見るとよっぽど耳も目もちいさく、おそらく亜種なのであろうか。さわれるのでさわってみたら、結構な力で、ぐーっと人の腕を抑え込み、ただヒゴヒゴヒゴヒゴと匂いをかいでいた。鼻で世界を認識しているようだ。逃げるでも噛むでも抱え込むでもなく、ただただヒゴヒゴヒゴヒゴと匂いを嗅がれ続けるというのもなんだかけったいな体験であった。

ちと疲れがたまっていて(何の疲れだかよくわからないが)、最近ミスが多い。ある意味、シゴトに飽きが来ているのだろーなぁ。飽きと疲れがたまるとヤメタランスの幻が見えるようになるので(笑)、さっさと冬休みが来て欲しいものだ。

ヤフーでやってる動画配信を見てる。「バットマン」の第一作はプリンスが音楽を担当していて、そのサウンドトラックが大変好きでした。つか、スピーカーがデカくなってから一度聴いてみて、改めてプリンスの音造りって凝ってるなぁ~、と感心した。天才というか変態というか。映画自体のデキもマッドでなかなかよい。わざわざ借りて何度も見なくとも、こーして軽くおさらい程度に見るには、ネットの動画配信も便利だなぁ。ジョーカーのキメのセリフ 「Think about future ! 」が、ちっと沁みる日だぢぇ。

で。あまりダウナー系な話ばかりでは皆さんも楽しくなかろ。ということで、プリンスから連想、最近ネットで見かけた楽しい画像を。かの石原豪人の描いたマリオブラザースの来し方想像図
………。
何かが間違ってるとおもう。

「プチクリ」とヨノナカ

さらに。「プチクリ」(岡田斗司夫)という実用書?も読んだ。マイミクづたいにコミュを発見し「何だろう」と思い、買うことに。「プチ・クリエイターになろう」というふれこみの本で、「そんな力みかえってプロクリエイター目指さなくても、好きなことを好きなふーにプチ・クリエイトして、まいにちを楽しく彩ろうよ」といった感じの、読んでいて元気になる本でした。なんか昨日書いた記事の内容と合致しているような(笑)。
作者はオタクの王=オタキングとして有名な人らしいが、あまりよく知らない。いしかわじゅんも唐沢なをきも俊一も、マンガや著作のつまらなさゆえに好感を持てないので、一視同仁で敬遠してたし(笑)。でもこの本を読んでて「この作者は良い感じのヒトではないか」と思った。

んで。「経済的ヨユーがなくなったら、プチクリなど成り立たないのでは(これは同書がターゲティングしている“フリーターやニート層の存在そのもの”と置き換えてもいいね)」といった心配をする向きもあろうが……意外と、そんなに心配ないのかもしらん。
てか、これから先を考えると、かつてのヨーロッパ諸国が、国力は衰えながらも音楽やファッションで一種の『存在感』を保ったような方向へ、日本も舵切るしかなくなるだろし……。ま、国家が“コンテンツ”育成とか言い出す時点で、(国家の本来的責務である)“コンテナー”の標準化・国際標準化・保護で勝てる見込みはないってことが歴然としてるわけだし。
私も驚いたクチだが、ヤフオクなどで自作イラストを売っている人も事実いて、しかも失礼な言い方だが、?な作品でも数千円、時には万円台で落札されてるのも珍しくはない。このブログで紹介したよーに、アニメセルに数万払うよーなヒトもいる。もうモノは行き渡った以上、あとは「ユニークで点数のすくないもの」や「参加意識をかきたてるもの」(ほぼ日な商売だなぁ)といった分野でしか、ヒトは消費意欲をかきたてられないのかもしらんね。今後、国が傾いて大多数がビンボーになってしかも一生その階層からの出口が見えないよーな社会になったら、人間、好きなことに熱中するしか、生きていきつづける術はないしねぇ。
……とはいえ駄菓子屋で駄菓子を買って交換するよーなノリの、オクやフリマなどを使った「超ミニミニリテール」が一般人の消費常態になるんじゃ、国家にとっちゃ税収どころじゃない気もするけど。ソフトバンクは、GHz周波数(コンテナー)と国内最大のオクサイト(トランザクション)押さえてるんだね。羨ましいなぁ(笑)。

それに本筋としては。クリエイションにとっての真の問題はお金の多寡より、表現の自由ではなかろか。
プロのクリエイターになればクライアントから要望や規制もかかる。あるいはプロでなくとも、「こいつ才能ないよ ┐(´∀`)┌ヤレヤレ」や「イイ年してシュミに熱中ってイタいな( ´,_ゝ`)プッ」といった批評のための批評や白眼視や罵声などの“世間様基準による圧力”がかかる。さらに言うと、時代が非道くなればプロもアマも関係なく、本意でもないものを礼賛させられたりして筆を曲げるハメになったりもする。

みんなが「プチクリ」する時代に向かっていくうち、ニホンジン特有の“世間様基準による圧力”や“ねたみそねみ”がうす~くなって、『個人』というものが存在しうる社会につながっていけばいいな、とも思う。でないと戦後の豊かさって何だったのさ。企業が儲けました、モノがふえました、チャンチャン♪で終わりかよ(笑)。
ま、「ビジネスもできて恋愛も自分流、さらにオフ・タイムにもクリエイティビティを発揮しちゃえるのが、いま一番すてきな女性!」 みたいな安い方面に落とし込まれて、アメリカン・ウェイな 「さらに上へ上へ」の選抜条件にひとつ付け加えて終わるキケンもあるけど。

かなり異色の感想になりますたが、作者さん「才能を見抜くのが才能」ということなので、アジテーター(その気にさせるヒト)としても有能ということかと。そういうヒトは、だいたい遠視眼なので、この本も、国とか社会の未来図も視野に収めつつ、とっても身近なコトから楽しくさそっているのではないかと。もちろん誘いの半分以上は、「新しい才能の輝きをあちこちで見れたら楽しいな♪」という自分の楽しみからであり、またひそかに、消費に埋没して閉塞し絶望する「落ちこぼれオタ」へ投げかける“浮き輪”でもあるような気もする……そこらに勝手に「やさしさ」を感じました。はい。

わさわさ本をよむ

今日はお絵かき教室でモデル……っても、椅子に座って本読んでるだけなので、休憩時間になっても同じカッコしてたりするよーな。通勤中に読んでた「ベルナール・アルノー、語る」を読了。あーんど、おともだちのところで紹介されていた「うたの心に生きた人々」(茨木のり子)を読了、あと「我が愛する詩人の伝記」(室生犀星)をはんぶんくらい読んだ。
アルノーは、「ブランド帝国LVMHを創った男」というサブタイトルから知れるが、ルイヴィトンモエヘネシーの総帥。その人がインタビュアーに応えるというカタチのもの。このヒト、まったく畑違いの建設業界から、クリスチャン・ディォールの買収を皮切りに高級ブランド業界に進出、新デザイナー投入など大胆な路線転換でメキメキと業績を回復させ、やがてヴィトン・ヘネシーも買収、傘下に四十以上のブランドを擁する一大ファッション帝国を築き上げたヒトです。
いっぽう、「うたの心に生きた人々」は、与謝野晶子・高村光太郎・山之口貘・金子光晴といういずれもクセ強すぎな詩人たちの伝記。さ・え・ら書房のを図書館から借りました。「我が愛する詩人の伝記」のほうは収録の数多く、北原白秋や萩原朔太郎や釈迢空や立原道造などなど。高村光太郎も載ってて、前書とはまったく別の視点でおもしろいっす。
こちらは、前書をよむと「むかしの女はエラかった……(超人じみた忍耐力ってば)」と思わせられる。後者は詩人の業績とかいうより、ひたすらそのオンナや美人の姉妹の話などばかり書いてるのが、いかにも犀星の犀星たるゆえんというか。

 最初の本は「ビジネス書」風ではある……実は私はこのテの実業家の話などが大好きだし、本の好みもフィクションよりはノンフィクションや社会批評などのほうをよく読む。ノンフィクションは常にどこかしらは面白いが、同じ程度に面白いフィクションは自分的に少ないし。
ま、国際的なブランド・コングロマリットを創りあげた総帥、というと派手さや強烈な性格というイメージが湧くが、本を読むに、ごく淡々と企業育成に励む庭師のよーなおっさんのイメージで、そのギャップも面白かった。しかし、工学部出身の合理主義と堅実さ、そして音楽や絵画をこよなく愛する心(妻は有名なピアニストだし自分も結構な腕前らしい)を併せ持つ、このブランド帝国の総帥のことばには、ちょっと感動させられた。
Q.絵画、音楽、文化遺産、創造……。これらはあなたにとってどんな意味があるのですか?
A.創造は心を魅了し、私の思考や存在に意味を与えてくれます。(……後略)


あと、今日のベストワード。「うたの心に生きた人々」で、山之口貘が危篤になって、駆けつけた晩年の友にかたったことば。
「周郷さん、ぼくはね、詩人としてきたえた魂で生きてきたんだよ。」
と、いわずにはいられないというように、そういったのは、なくなる二日前でした。

……底知れない誇りだよなぁ。
だが、詩人の第一の資質はタマシイの誇り高さであろ。
※この言葉に関して茨木のり子が加えている通り一遍な推測は間違いです(断言)。 ナンギな人生のなか、雲のようにふわついてご時世につられ流され生きる周囲のひとびと(詩人ではなく周囲こそ雲なのだ)を眺めつづけて。沖縄の強烈な陽射しのよーな、底抜けの明るさ。底抜けの絶望。
モデルやってる途中なのに、泣き出しそうになっちゃったい。

このブログの最近の記事タイトルを見て

「うわー」だの、「うひゃー」だの……。
なんなんだよ _| ̄|○ > 不惑もそう遠くないはずの自分

うわー

20~40代女性の2割がオタクを自認
しかも。
『熱中対象に関して自分を“オタク”と自認している女性が20.4%にのぼり、そうでない女性よりもストレスを感じる割合が低いことがわかった。』(以上、記事より引用)
んーむ、ヒトから見るとオタクに分類されるであろう私にも非常にうなずける。
(脱線。『オタク』という場合は、 1. 『何かの分野のマニア』 ・ 2. 『モノや知識を通してしかコミュニケーションできない自閉的気質』 ・ 3. 『狭い自意識世界に籠もる劣等感と尊大さないまぜのネガティブ系』 などなどの意味がグチャグチャに混ざってるので、こんなふーに 『オタクですか?』 と聞かれても何ともいえない気が。もとが自閉気質ではあるけど、何のマニアでもなきゃ、ネガティブ系でもないので……、こーゆーのは 浮かれ系Nerd とでもいうのか?)
なんか、好きなことがあって熱中してるほーが長生きできそーだなぁ。フツーの人として過酷なストレスに耐えるより、ヘンな人でいいので幸福に暮らそう、と改めて思わされた。

ちなみに、いま、外は満月。月が、きれいだなぁ……。

しばらく間が空きましたが

要は風邪が治って、「うおおおおお!!」とアクティブして忙しかっただけです。

さむいからといって、ババシャツだのセーターだのダウン入りコートだのをぼこぼこ着込んで、だくだくと汗をかく毎日。でも表皮は寒さにさらされるしなー。商店街の総菜屋のふきさらしに並べられる揚げたてコロッケの如きありさまだなぁ。

この期間にあったことでは……新横浜ラーメン博物館に新しくオープンした「龍上海」というお店、おいしかったです。トッピングされた辛味噌(ニンニクの荒すりおろし山ほど入り)を混ぜつつ、どーぞ。んまかった……。現在ラー博でも人気の店「欅」より私的にはオススメ。あと、「世界でひとつだけのカップヌードルができる」という触れ込みの「Myカップヌードルファクトリー」。300円ですが十分もとは取れるたのしさですた。
かといって、土日は混んでるだろーし、わざわざ一日潰して行く場所でもないので、昭和三十年代な風情を味わいたかったり新横アリーナに用があったりドライブの途中おなかが空いたりした時にどーぞ。でもでも、ラーメン、んまかった……(←しつこいけど)。

あとは、ざくざくとお絵描きし、ざばざばと泳ぎ、図書館でも山ほど本を借りて読む時間が取れず、すっかり手配を間違ってた極安旅行代理店に文句を言い、会社でも家でもシゴトに励み、『あ~、あーゆーコトも学ばねば、でもこんなコトもしたいしなぁ』 などと妄念でアタマを一杯にし、気がつくともう十二月も半ばなんだよなー(汗)。

ちなみにこの期間、何かにつけてアタマの中で明滅していたフレーズは、「冗談も休み休みYeah!」。いや、オースティンパワーズ大好きってほどじゃないんだけどさ。でも名コピーだよね。うん。

さらに節操がありませんが

正露丸を浅田飴で溶いたよーな味の養命酒。しかし体に良いよーな気がします。
今日は凍えるよーな寒さのなか(←寒さにも暑さにも弱いので形容がオーバー)、しぶしぶ図書館まで行きましたが、出かける前に養命酒をくいっと飲んでいきました。おかげでぬくぬく。酒に強いヒトはどーか知りませんが、冷え性なヒトや寝つかれない方、食欲不振な方、若さゆえに往々にして体調不安定な方など、ちびちび呑むのもよろしいかと。
んーむ、この冬は、チンザノ・ロッソとかドランブイとかシャルトリューズとか、薬草酒系をおうちに揃えようかしらん。もちろん養命酒は特等席ってことで。てか、酒瓶が2、3本あったら、それで五年は軽く持つな>我が家

まったく節度がありませんが

前後の脈絡など全くなく、ふぁん語りをしたっていいのではないかと。
吉井さんのライブDVD初回限定版買いますたよ。いや、勤労感謝の日にリリースされていたのと予約してなかったので、結局ネットでまだ初回盤うってるとこ探して買うハメになりますたが。
んで、ヒマがないはずなのに、他のことは後回しにして、とりあえずは今までのシングルのPVを見ました。……相変わらず、理解不能です。イイとか悪いとかいうレベルじゃなく、「わたしにはわからない」というひとこと。イエモンの後期あたりのPVからして、わたしには謎ですが。 「世界には好きか嫌いかさえ言えないくらいわからないものがある」という事実を鮮やかに感じられます。つか、ある意味、このヒトのPVを、世界の広さを知るためだけに見てる気さえすます。もつろん吉井さんへのリスペクト感はまったく変わらないのですが。
ちなみに来年からは YOSHII LOVINSON ではなく、吉井和哉のおなまえで活動されるわけで。なんつーか、やっと吹っ切れましたか、みたいな気もすますが…… YOSHII LOVINSON の時期は、バンド活動から人生から、おそらくは夏の終わりのような途方もなく痛切な時期だったのでせう。斜に構えてみたり、フザけてみたり、イゴイゴしてきてる分、逆に、不器用っつーか生きることに純情っつーか、ピュアなヒトだよなー、つー気がすます。見た目より何より、その “いのちのちから” みたいなトコが響いてくる人ですな。
オラもなんか理由もなく、生きてくことに頑張っていこうと思わされますだよ……いや~、リスペクトできる人がいるのって、しあわせだな~。うん。

BankARTとトリエンナーレ

a 風邪から87%ほど回復したので、溜まっているタスクをこなすべく動く。この週末は、美術館の展覧会カタログや画廊のカタログなど、あまり出回らないアート本を集めたブックフェアをBankART1929でやっている。ので、ちょうど展覧会も見ておかねばだったので行ってみる。一般参加をつのって雑巾で作った野毛山動物園のどうぶつ(これはぞうさん)などのゆかい展示もあったが、まぁ、ブックフェアの本も展覧会の作品も「どうよ」なもので、一番印象に残ったのは、中に入れる作品に潜り込んでいたら、会場が無人になったと勘違いしたらしきカプールの野郎が彼女と必要以上にベタつき始めたさまを目撃する羽目に陥ったことだったりするありさま。別館のBankART NYKのほうに行くと昭和40年会の出品があった。同年代の感性としてカナ~リわかるのだが……これを外国人が見てわかるのだろうか。謎。

dcそれからトリエンナーレへ。前からの評判はそう良くないからなー、と思ってロケーションをたのしむ。普段は一般立ち入り禁止の倉庫は……遠い遠い。エントランスから会場入り口まで、帰りには無料で市営バス送迎があったくらい。でも、なかなかステキな風景なので、眺めながら歩けばよろし。

e f また、今日は夕焼けがなかなかすばらしかった。氷川丸とマリンタワーが並んだ一枚は、わかりやすいよーに思い切り修正かけてます。でも、もう一枚のよーに、視界はオレンジとモーブと澄んだ青に染まっていました。

作品はイロイロありましたが、閉幕が近いのと土日だったことで、混んでて全部まわったりはできませんでした。私は非日常を経験するのが「わはー」という感じで好きなので、こーゆーアートものには相当に好意的ですが、お客さんを楽しませるという意味ではビミョーでしょう。
まぁ、要は現代アートというのは、お役所的なものではないかと。学歴はあり、教養はあるのですが、内輪ウケから脱却できないというか。お役人にせよ、アートにせよ、仕える相手はいまや大衆というシロモノで(かつては王様や教会や大名といった特定のパトロンのために働いていたものですたが)、大衆は婆娑羅な血を求めるもんです。エンターテインメントというやつですね。しかし完全なエンターテインメント、売らんかな主義に走ってしまえば、アートや公僕にあらまほしき“何か”が失われてしまう危機に陥ることもたしかですな。
まぁ、私的にはそもそも、ヒトが「何かわかんないけどつくりたーい!」といって何の役に立たないものをつくり、その役に立たないものを見てイロイロなヒトが「ほ~」と思うという、他の動物では決してありえない、ヒトのユニークかつケッタイな営みとして、アートというもの自体が、好きなわけで。
作品のよしあしばかりをくさす批評家タイプのヒトは、アートが好きなんじゃなくて、「シュミがいいものを好きな自分が好き」ということなのでしょう。(ちなみに私は本への愛に関してはこのレベルなので、生年月日が同じとはいえ“ホンモノの本好き”な知己には到底かなわんなーといつも思ってたり)。

まぁ、はっきり言えるのは、トリエンナーレで一番たのしそうだったのは、出展してるアーティストたちだった。まぁ、そうかもしらん。小さな画廊とかじゃなくて、何万人と来てくれる器で、好き放題やってるんだしさ。アートもお役人イベントも 「来ている人より、やってる人のほうが楽しんでる」のが考えもの。 「やってる人は楽しく、しかも来ている人も十分に楽しくなる」 ……うーん、よく考えねば。私だけが楽しいブログで済まんです、いつも(苦笑)。あまりサービスになってないけどサービスショットつけとこ。g

微妙に復活傾向&本を読むなら

何かしようとするけど、何もできない、はかどらない。そんな状態で困ったもんだよ、と連れに言ってみたところ、ぺたと額に手を当てられ「まだ熱あるよ」と。……しかたないので諦める。
今日は昼休み、橋本治の「乱世を生きる~市場原理は嘘かもしんない」を買って読んでた……“ほぼ日”のメルマガで「ほほぅ、出たのか」と存在を知ったので。読もうと思えばもう読み切れそうだが、買った本はじわじわ楽しむことにしているので、また明日の通勤タイムに取っておこう。
通勤といえば、通勤のお伴に、またぞろ、さらさらと読める短編集が欲しくなっている。……本もいまは、こういう“実際的な要求”によって売れゆきが左右されるのだろう。つまりコンピレーションアルバムの存在意義と大差ないというか。本屋さんも煮え切らぬ主観をまじえたPOPなどではなく、「通勤時間30分の方」 「通勤時間1時間の方」 「朝起き抜けに読んでOK」 「スポーツの合間に読む本」 とか実用的なPOPを書いてほしいのだが。なんつーか、昨今本屋に並んでるPOPは、ヒーリングとか癒し系の本に見られるよーな “公的資格もなきゃ刺される覚悟もない” ヒーラーとかカウンセラーを思わせる。最近は店員の名前まで出しているのだが、「生産者の顔がわかる農作物」みたいな雰囲気商売で終始したらつまらない。てか、こちとら、指名買いしたくなるよな根性はいった店員さんをいつも探し求めている。たのむぞ有隣堂。
またもや閑話休題。てか、また熱も上がってきた。もうこうなると、寝てるしかないなぁ。やりたいことはイロイロたくさんあるんだよー!!(←気持ちは回復)

No Future

エミネムの熱狂的なファンである男性が、エミネムの代表曲の一つ「Stan」のシーンを思い起こさせる殺人事件を犯し、終身刑に直面している なにげにありそうな話だ。反社会的スタンスを取ってみせるスターはこういう事件のたびにここぞとばかりに弾劾されるのだが……「ボウリング・フォー・コロンバイン」でマリリン・マンソンが「彼らはスケープゴートが欲しいだけさ」とごく知的かつ冷静に語っていたことを思い出す。他ならぬスターたちは、こういうイカれた人間たちのギリギリまでの「魂の松葉杖」にはなってやれていたわけだし。少なくとも、訳知り顔に批判してみせる人々よりは。

子供が惨い目に遭う事件が増えているようにみえる。統計的な数値じゃないし、マスコミはここぞとばかりに類似犯罪だけ固め打ちして煽るようなゲス商売してるから、あくまで「みえる」に留めるが、あまり気持ちのいいものじゃない。たいそう厭な話だ。
ごく正直に自分の気持ちを見つめるなら。「残酷だが自分の子供ってワケでもなし、関係ねーや」とも思う部分はある。もちろん「自分の子供かなんて問題外だ! 可能性と未来いっぱいの生命を尊重しないようなヤツは人間じゃねーだろが、(゚Д゚)ゴルァ!!」という気持ちもある。
ただ、言い替えれば。人は持っていなくて欲しいものがあれば殺してでも奪おうとする。殺すことは無意識的に強奪=所有につながる。つまり「オマエには可能性も未来もない」と社会的に決めつけられた人間こそが、「可能性と未来いっぱいの生命」を殺すのだろう。

「誰にでも可能性や未来がある」と言うこともできるが……そしてそれを本当に信じていられるなら、「可能性と未来ある人間存在を殺すな」ということで、殺人事件に対してはもっともっと世間の耳目が集まっていいはずだが、そうではない。「誰にでも」可能性があるなら、アムネスティの「死刑反対論」にもっともっと支持があってもいいはずだがそうではない(私も別に支持はしてないが)。
人は人間の持つ可能性や未来を限定する。そして現在の神なき世界では人智のおよばぬはからいの余地など残そうとしないので、人の見積もりがそのままご託宣になる。マーケティングさながらに「未来」が見積もられる。んでもって“負け犬”は選挙の開票速報・当選予測なみに早々に決められ、水に落ちた犬さながらに叩かれる。他の人間も助けるなんて余裕はないし、助けたって、助けた分だけ自分のアドバンテージも下がるわ、“物好きなお人好し”としてナメられるわけだし。そうして結果的に仲間が喰われて死んでゆくのを興味津々に見つめる草食獣たちのよーな世間が成立する。

生きているのに未来を無くしたら、死んでるのと同じだ。
たけしの映画「キッズ・リターン」のラストのセリフ、「まだ俺たちは始まってもいねぇぜ(だっけ?)」は当時の日本では明るく前向きなものと受け取られたらしいが、ヨーロッパではアイロニカルな絶望のセリフと受け取られたそうだ。……今の日本なら、皆もそう思うんじゃないかな? そんなフランスでは未来なき移民たちの暴動が起きてたな。日本ではまだそこまでではない……と思いたい、が、今の経済的繁栄という蜘蛛の糸が切れたらわからんけど。
ゾンビとして生きるのか、人間として殺されるのか。そんなことを選ばされるような世の中になったら、たまらんなぁ。

……ん、ここ数日、情緒不安定ですが、まだ少し続いてますな。皆さんもそうだとしたら、ご自愛くだされ。

still alive

吉井さんの曲タイトルを使ってしまうくらいに風邪~。おとついは午後半休、昨日は会社を休んで寝てますた。
ここ数日は体調崩してるせいで精神的にも不安定で、ハイになったり鬱になったり、世を憂いたり(;´Д`)'`ァ'`ァ論をかんがえたり、もう何がなんだか。

本調子ではないといえ、今日はお絵かき教室に行ってきた。ちと思案したが、今日休んだら丸4週間も描けないし、帰りに寄った本屋で立ち読みした、とても上手なデッサンの本を読んで、ついつい燃えてしまって。……なんと影響されやすい私。

お絵かきした代わりに、明日は水泳教室を休むこととし、また帰り道に、ゲットー・シスターおすすめの養命酒を買うこととした。酒が呑めない人間とはいえ、20mlなら血行が良くなる程度であろうし、もともとアタマのめぐりと血のめぐりは悪いので、適切と思われ。
お絵かき教室のあと、しんしんと寒くて、人っ子ひとりいない、廃墟のような商店街をあるいて帰る。でもご近所の大変愛想のよい酒屋さんは開いている。今は不景気で今ひとつ元気がない様子なので、ちゃんとそこで定価買い。真面目に商いに励むお店で買うのは町民の義務。
んで、呑んだ。一服盛られたような味が新鮮。日本のリキュールおそるべし。
んで、いまこーして書いてるのだけど……、顔があつくてたまらん。なんとコストパフォーマンスの高い体質。
養命酒の話をしたら連れが、「養命酒は太るのではなかったか?」と指摘。はっ! そういえばシスターもこれで極ヤセから回復したとか言っていたやうな(汗)。
いや、聞かなかったことにしよう。バイカルアザラシでもいい。たのしく元気に働いたり遊んだりできなければ、カモシカのような脚もセイウチの鰭に劣るのだ。んむ。

うひゃー

未だ熱。てか、朝、頭が痛くて、なかなか床から出られませんですた。いまも熱あるし。
それでも旧敵(とも)が沖縄旅行の土産を届けてくれるという前々から予定だったので、来訪してもらって、二時間ほどたのしく歓談。
聞いてちょっとビックリしたのが、アニメ「ハウルの動く城」のDVD特典のオマケが、シーンによってはエライ価格でオクで取引されているとのこと。見よ(ったって二、三日の間しか表示されまいが)。
他の高値シーンも見てみると、「やっぱ皆パツキンの軟弱ハウルのほうが好きなんだよね、うんうん」 と我が意を得たりで納得。ていうより、高値がついてるシーンを見てると、宮崎アニメの人気って、“本人は純真なつもりだが絶対違われな、おおきなおともだち”が支えているのでわ? という気がしてきます。しかし、タダのおまけがこうなるとは……。おまけも罪なものですな。
あ、ちなみにくだんの旧敵(とも)の話によると、ハウルのDVDはフランス語版で見ると実にいい感じらしいです。
ああ、コレ書いてる間にも熱が……。なにもできない休みの日ほど、かなしいものはないなぁ。

かいつまんで近況報告

風邪ー!!

昨日は絵モデルにムリヤリ行ったけど、ぜふぜふしているのを先生が見かねて「30分早くあがりってことで」と言ってくださいますた。
展覧会とか回りたいのだが……、近所のスーパーに行った段階で気絶しそーですたよ。しかも来週以降はシゴトの予定も入る。ううう。
働き、病み、働き、病み、むりやり遊びに行き、また病む。
そんな、イベントどころじゃねー師走になりそうですな(もはや遠い目)。

ふぇみにん

昨日の美容院で、目の前に「丸ごと一冊やせる大特集」を置かれ、読んでいる時には「自分も何とかせねば」と思ったが、そういう翌日に限って、ランチではいつもは品切れのデザートケーキがある上にソフトクリームまでサービスされ、もらいもののお菓子もたくさんもらってしまう。もちろん断らない自分がいて、現在(いま)がある。
とまぁ、自身に関してはこんな調子だが、それはさておき、きれいな女性はだいすきだ。特にエレガントでセンスが良くておっとりしてて、できれば働いても子持ちでもない女性(有職女性や人の母だとリスペクトや友情になったりするので違われ)。そういうおともだちを持てれば、さぞや優雅なひとときを過ごせるだろうが……無差別に舞い込む出会い系SPAMでは紹介してもらえそうもない。
SNSでのお知り合いの参加コミュを見たら、だいすきな画家のひとり、デルヴォーのコミュがあったのでさっそく加入。あの“予感だけが永遠に在る”世界を描いていた画家は、100歳過ぎまで生きてたが、晩年の写真をみると老人というより老婆に見える。
……ここのところ、ふかっと温かいアン・バートンの歌を聴いていたせいか、女性的なイメージを求めているよーだ。レンタルCDでも、珍しく女性ボーカルを探して借りてしまった。まぁ、私は強烈なマザコン気質なので(マザコンといっても現実の母親ではないが)、抽象的な女性イメージについて思いをめぐらすと、どこかがチャージされて安心できるのかもしらん。
水泳から帰宅してから、オクのおまけで手に入れたディオールのハンドクリームの試供品(笑)を、ぺたぺたと塗ってみた。フランスの化粧品というのはやはり“らしい匂い”、不思議になつかしい、いわゆる“女の人の匂い”というかんじがする。うっとりと嗅ぎながら、何かを想い出せるような想い出せないような、ふしぎな気持ちにひたっていた。
ただまぁ、なめこ汁や焼いた鶏肉のごはんの前につけるよーなもんじゃなかったな。失敗すますた _| ̄|○。

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