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2005年10月

ことばの比率

トシのせいか、毎日毎日キーボードを相手にしてるせいか、腕にニブイ痛みがある。しかし、ふと思うのだが。
こうしてモニタに向かっているヒトの少なからぬ数のヒトは、キーボードをいじる作業をしていると思う……あるいはマウスをいじる作業かもしれないが。まぁ、どっちにせよ「ことば」にかかわる作業だ。
文章なら、稟議書を書いたり、請求書を書いたり、招待状を書いたり、自作の話を書いたり、とかとかとか。絵や音楽やアニメなら、「高感度な」企業サイトを作ったり、自社のホームページを作ったり、依頼の版下を作ったり、自分の売り込みサイトを作ったり、次プロジェクトのゲーム用音楽を作ったり、年賀状を作ったり、パロディ絵(二次創作?)を作ったり、趣味絵を作ったり、とかとかとか。
私にいわせると、絵も文も音楽も「ことば」なので、みんなやってることは同じ。(プログラムを書く作業もことばだが、あれは違う経路をたどることばだ。そこらはいつか詳述するかも)。
作る人の例だけあげたけど、それ以外の人もスレやブログに応答したりして、「ことばイジり」程度のことはやってる。そうでなくともメールで、チャットで、“直裁に?”コミュニケーションはしている。

で、自分にふと聞いてみたい。
一日打っているうち、どれだけの「ことば」が、「自分のこもったことば」なのだろう? 「なにかに言わされてることば」なのだろう?

私は自宅でも仕事でもたくさんキーボードを叩き、マウスをぐりぐり動かして、ことばを並べる。「ただの入力機械」というような匿名的無責任なことばから、「せいいっぱいの誠意と愛を込めて」というとても individualなことばまで。
キカイで済む仕事ではあっても、できるだけ「私は指示を受けただけですから知りません」 「以前からそのような決まりです」といったキカイにはならないよう、ちょっとでも手をかけ、ちょっとでも息は吹き込むよう、気はつけているつもりではある。形骸的なやりとりもプライベートでは避ける。それでもなかなか、ねぇ。

できれば、自宅でも仕事でも、「自分のこもったことば」をたくさん生みたい。ただのジャンクワードで体を損ねるのはイヤげすぎだかんね。

眼福&眼災な日

さて今日は人体クロッキー&デッサンの日。
眠い目をこすりながら行ってみると、女性ヌード。着衣じゃなかったんかい、先生!? うれしい誤算に、ふはははと心が笑う。裸体モデルさんなど描いたことがないので感動。
モデルさんを十人以上で取り囲んで、まず午前はクロッキー。10分ポーズ、5分休憩の繰り返しで12ポーズ。
モデルさんはまずまずキレイめな二十代後半とおぼしき女性。やはり同性とはいえ、描くのならキレイな人物のほうが創作意欲は湧く。傷やケガやシミやシワや痣などのない、ごく均整のとれたカラダというのは、あらためて考えてみれば貴重かもしらん。美術モデル経験がけっこうある人らしく、横たわってポーズをとるとき 『み、みえてしまうっ!?』 と一瞬こちらがキンチョーしたりしたが、巧みな脚さばきで無問題。さすがだ。
かなり集中力を使ってヘロヘロになって午前はおわり。お昼は家に帰ってごはんしてもよかったが、連れが寝ているので、教室の近くでおべんと買って、天気がいいので公園でひとり食べる。だが、あまりの天気の良さゆえ、ブタクサ花粉も多く、食べてるうちに、目のしぱしぱがひどくなってきた。ほうほうの体で教室へ逃げ帰る。
午後は固定ポーズのデッサンをみっちし。20分ポーズを休憩はさんで6回。デッサンのデキは……描き終わった時点で珍しく全身がちゃんと画面におさまってたので、よし。
しかし、生きてるもの描くのって、むずかしいけど、たのしいなぁ~。特にヒトは、デッサンの狂いがわかりやすいので、ナンギだが、なんか特別おもしろい。
きょうは人生でまたひとつ初体験がふえた!

微風邪?

昨日、ちと「風邪かいな?」と思ったが、極力気にしないようにして水泳教室に行き、異様な泳げなさに 「んむ、変調」 と思う。だがコヨーテの仔どものよーな新任コーチは元気で、完全に高校生の部活ノリ。ざばざばと泳がされる。平泳ぎのキックの時の説明では「ホラ、階段を二段抜かしで駆け上がる時なんか、こう、チカラ入るじゃないっすか?」と元気に言うが、そんなこたァもう十年以上やってない中年生徒たちは微妙なほほえみでうなずくのみ。若々しいコーチを老いた生徒たち皆が生暖かく見守っている(そしてコーチは一向に気付かない)、風情ある地球の光景。だがその若さが感動的なせいか、ここのとこ皆さん出席率は大変にいい。

んで、今日はもはやスルメのようになって会社に行き、でも昼間はお子たちの駆け回る山下公園ではむはむとおべんとうを食べて幸福。帰りにはもはや一本の線。それでもクロッキー帖とやらを買い求めに駅ビルに赴く。
ついでに本屋でぱらぱらと立ち読み。
岡本敏子とよしもとばななの対談が平積みになってたのでぱらぱら見たが、岡本敏子ってやっぱ太郎の片われ、ウルトラだよなー。生まれてこのかた化粧したことがない!という話やら、「Always 躁ですかい?」と言いたくなるよーなエネルギーがびんびん跳んできてしまう言葉の感じやら。立ってる地平(グラウンド)が常人より10万ボルトくらい上って感じ。いろんなクリエイターに「あなたが側に居てくれたら自分もいくらでも創作できそーだ。一人占めしてる太郎さんはズルイ!」と言われたそうだが、ホントにそう思う。電気だくだく流しこんでくれる感じ~。
で、さらに小野節子なる人の世界銀行での28年の苦闘の半生伝?みたいなのも立ち読み。そーとー感動した。完全に「異文化」な国際機構の、コネと野心と差別と利権と異能と嫉妬と運とグチャドロの中で、強靱かつしたたかに、そして高潔に、自分の信じるもののために闘いぬく姿に、大抵の人は「自分の仕事での悩みなんて単なるトホホだな~」と思うのでは。ちなみにこの方、ヨーコ・オノの妹さんです。
ヨノナカには、パワフルな人がたくさんいる。パワーをもらった気持ちでGo。

むだの効用

今日もまた、わたわたわたわたわたしていて、顔を上げると終業間近という展開。だが今日は某有名ホテルさまのリニューアル内覧会にお邪魔してよいとのことで、後学のためにご一緒する。ふかふかする絨毯とか見上げるような天井とかのロビーに入った瞬間に平衡感覚も方位感覚も失ってしまう、びんぼー人のかなしさ。「見ろ、この夜景!」と言わんばかりに窓の向こうにひろがる夜景やら、シンプルさが贅沢なアロマセラピールームとか、まぁ私費で行くことは決してあるまい。ご近所だし。帰りにいただいた資料中のアロマセラピーの料金表を見た瞬間「……揉むだけモナか!?」と絶叫してしまった。
※元ネタFLASHはこちら。概略サイトはこちら。スピーカーは避けてヘッドフォンで。ご家族と一緒には見ないでください。仕事中にも見ないでください。まして耳についても絶対に口ずさまないでください(……晴れて無職になったキミはOK!) 。私の人格を今さら疑わないでください。

うちに帰る前に家にでんわ。連れはまだ戻っておらず、留守。自分用夕ごはんにおべんとうを買って帰る(←手抜き)。だが帰ると、入れ違いに帰宅していた。ひさしぶりに会ったのでたくさん話す。
たくさん話すと、ひとりで何かする時間がかなり削られる。ふだんはそれが不満ではあったが、ひさびさに長話してみるに、やはり精神的には良い気がする。むだにはむだの価値がある。仕事に喰われる人生がナニであるように、「自分だけ」に喰われる人生もナニかもなぁ、と思った日であったよ。

念じてGo!

なんか乱調子な週明け。おやすみの日に社内サーバ関係をいじったとかで、マシンもいじられたそーな。
「うわー!!!」
設定が……いろんな設定が片っ端から消えとる! てか、いきなりIMEでローマ字変換ってとこで _| ̄|○ 。もちろん辞書からプログラムの関連づけから調整しなおし、さらにメールアカウントがおかしくなったり、FTPのパスワードとか消えてたり、スタートアップも直してやらねば、あ゛あ゛あ゛使い慣れたデスクトップ上のアイコン配置がメチャメチャに (;_;)。ことことことこと作っていた環境が崩れてしまって、巣を踏み荒らされた野生動物のごとく、超逆上。
そんな調子の日に限って、なぜか依頼がバカバカと舞い込み、心静かに修正点をチェックしたりするヨユーも一ミリたりともない。さらに一ヶ月に一度もないミーティングへ出席するハメになったりして、しかも昼休みまでも潰れたり、もう、帰る頃には「ぶはー!!!」と叫びたくなっていたことだよ。それでも残業はしない、させない、やりゃしない、ということにしている。うん。
救いといえば、げとー・しすたーの異国の土産「ぞうじるしなiPod入れ」。ヘタレた心を癒すアヤシイおまもりのように首に下げて、でんしゃに揺られる。

あまりの鬱屈、しかも完全にヘタレた靴ゆえの痛みも、ずーんと足にくる。昨日は元町まで行って色々探したのだが、足にぴったりくる靴がなくて、結局さらに足が疲れただけだった。
んで、結局、憑かれハイ状態で、旧き強敵(とも)に教わった横浜の地下街の店にて、中敷きが凝っているクソ高い革製スニーカーを買ってしまった。笑顔で靴クリームをサービスしてくれる程度には高いシロモノだったのだが、難点は、まったく高そうに見えないところ(致命的)。 履き心地はともかく見てくれは、滅びに瀕したご近所商店街の履き物屋でも売ってそうだよ……。もういい、きもちよく歩ければ、おーけー!!

で、さらに妖怪ポストを通じて、かつて魂と血と時間を傾けた(笑)シェアウェアゲームがちみっとバージョン(リビジョン)アップされている旨を聞く。今やプレイする時間的ヨユーはないが、作者の(良くも悪くもな)諦めの悪さに感動。

何にせよ、わたわたわたわたわたわたわたわたわたしたよー!!!!!!

天と地のあいだに自由がある

紹介までずいぶん日にちが経ってしまったが。 Loveなおともだちに教えてもらった、すばらしいサイト(音注意)→「愛の妖精ぷりんてぃん」
その衝撃を胸に、翌日出勤し、ぱちぱちと演劇公演のデータ入力をしていたところ、タイトルが書いていない公演に気付く。「………?」
当該サイトを検索して、見つけて納得。→「劇団ミルキー」
_| ̄|○

今日はよく晴れている。ブタクサで目がしぱしぱするのはナニだが、青い空は実にさわやか。好きなことにスパークする、いやスパークしてしまわざるを得ない、すべての濃ゆい衆生に幸あれ。

たむたむとした一日

朝、宅急便でシゴトの差し戻しが届く。実は朝ではなく昼だが、目覚めた時間が朝ということでひとつ。
昨日から連れは出かけていて月曜まで戻らない。さびしいので、さびしさを表現するパフォーマンスがてら、連れが帰るまでチキンラーメンしか食べないことにしようかと思ったが、奇矯な上にカラダに悪そうなのでやめた。というより、単に「ごはんを作るのが面倒」という真実を誤魔化している辺りが間違ってると思うし(笑)。
てれすけてれすけと図書館に行く。ネットで本の予約をできるようになったご時世。しあわせ。
すると何と、借りた本の一冊「すぐわかる画家別幻想美術の見かた」の中に、二十年ほど前に見かけて作者名がわからずじまいでトラウマ化していた絵をハケーン! 先日その絵が載ってたはずの展覧会図録をヤフオクで落としそこねて諦めていた矢先だったので、ふしぎなめぐりあわせに感激。
んで、できあいのおそうざいを買って家に帰り、ごはんだけ炊いて夕飯をしわしわと食べ、在宅シゴトをやり、そのあとはごろごろとお絵かきの真似をしていたりした。てか勉強とかしないのかよ>自分
しかし……それにしても一言いわせてほしい。
毎週三連休だったら、すごくいいなー!!

気違い帽子屋のお茶会

昨日……というか微妙におとといになってしまったが、展覧会のあとは、ふぁんく・シスターたちと呑みに行った。……てか、有給とっていながら終業頃に会社のそばに出かけて呑む辺り、高校時代からまったく進化していない私(高校の頃は、悠々と寝て学校をサボりながらも放課後の部活にだけ出たりした)。もつろん、ぐいぐい呑みますた。ペプシ&ジンジャエールとか、アイスオレとか。
いつものことながら。 「たのしい仕事はたのしい人間関係から」 「たのしい人間関係には個々の人格の歪みケアから」という、まっとうといえばまっとうだが、とってもナンギなところに結論はいく。 宮大工さんの格言で「木を組むには人を組む」というのは真実ではある。みんな歪んでるのがヨノナカというものだ。さいわい、ふぁんくなシスターたちは「そうだねぇ、みんなどっかこっかオカシイものだ」と前向きに受け入れられるくらいに真にかしこいので嬉しいかぎり。
まぁ、ヨノナカ、「君はおこりっぽいねぇ」と言うなり「どこが怒りっぽいっちゅーんじゃ!(゚Д゚)ゴルァ!!」と激怒される、といった漫才みたいな展開はよくある。自分も相当にけったいで人三化七という感もあるので、あまり人のヘンは気にならないけど。
とはいえ。
何はともあれ人には愛が要るよね。
スペクトルの広い、それこそカラフルな虹をひくよーな愛情の光までは与えられずとも、自分なりの光を、できる範囲でおたがいさまで向け合って、心の発達不全な部分を育て合っていきたいものです。
(自分なりというと、う~ん……。芋の焼けそな遠赤外線な愛よ、読んでる人にとどけ(笑)。こんな背景だと宇宙線でも飛んできそうだ(有害じゃん!))

やきもの?の展覧会を見てきたよ

今日は、あたまリセットのため有給。連れが二、三日実家に戻るのを見送ったあと。職場に舞い込んで放置されていた招待状をもって、展覧会の取材?にいった。
「陶による大地の恵みを謳う 自然の息吹とかたち 杉浦康益」というもので、山下公園前の県民ホールギャラリーで開催。この県民ホール「ギャラリー」というのがくせもので、うっかり正面の噴水広場から入ると、見つからない。裏手に回れば、すぐの入り口がある。
もともと、チラシなどを見ていて「いいなぁ」と思っていた展覧会であったが、実物はもっと良かった。土肌の色、釉薬の色、彩りの金泥?等が、自然にまざりあい、おおきなおおきな(直径90cmくらい?)のひまわりになっていた。ただのつくりもののはずなのだが、ちゃんと「息づいている」ひまわりだった。
とはいえ、ただ感動しっぱなしではなく、技術面を考えてみると、「ど、どうやって作ったんだ!」と驚く。じーっと見て回ったが、すごい。きちんと一本一本の蕊まで作っている。写真など見るに、それを窯入れの前にきちんと形にして焼いているようだが……よく崩れたり割れたりしないもんだ!
信じがたい技巧と、また、ひたすらにひたすらに作っていく力に、思いを巡らすごとに感動が深くなった。
……だってさぁ、一日100個の石(焼き物製だよ)を、型取りとはいえ100日間つくりつづけたりとか(9999個まとめて展覧会に出品したんだそーな)、驚くほど見事な「(焼き物製の)蓮の咲き乱れる風景」を、その蕊ひとつひとつをちまちま作る緻密さを貫いて完成させてたりするんだよ~。それらが「なにげない」顔をしてるのがまたすごい。
こうすれば他人に嫌われないとか、こうすれば仕事をやらずにすむとか、その手のいじましくも計算高くもビンボくさい心根の浮世にいると、人間本来が持つ愚直なまでの「なにかを生み出す」力を、ともすれば忘れてしまう。
「アート」とかいうと教養やら品性の問題とカンチガイされがちだが、自分にとってはそういうもんではない。人間の「心の脈動」を人が人に伝えたり取り戻させたりする、楽しくも勇気のでてくるシロモノが、「アート」である。
※あ、「楽しさ」をお笑いやウケ方面で考えないよーに。鬱に沈んでも、ハイに飛んでも、「こころが動く」こと自体には「からだが動く」ような楽しさがある。ちびっこは無意味に走って笑って喜んでたりするが、そんな感じ。
閑話休題。
とても感心して展覧会をあとにして、タダ見にちと気がひけたので、県民ホールの「詩と音楽」なるコンサート?のチケットを買い求めた。これはこれでたのしみだなー。またレポートしま。

蝕は蝕むと読む

今週は月曜が月蝕だったっけ(日本じゃ見えないが)。そのせいかしらん、異様に冴えない。そのくせ異様に焦っていて、「あれも学ぼう、これも学ぼう」などと考えて、わたわたしていたりする。また珍しく、否定的な気分が次々湧いてきたりもするが、これも周期にやあらむ。雨期と乾期みたいなもんで、今は少し心がひからびているのであろ。まぁ、雨続きだったから鬱にもなったのだろ。

会社で上司というかご同輩が仕事中こらえきれず落涙していた。ご同輩といっても冷静に考えれば一回りも離れていることもあり、とてもいじらしくもあり、かわいそうで、何の気なさげな顔をしつつもどうすべきなのやらと気を揉みまくって、なかなか落ち着かぬ日であった。人はシゴトが大変という理由では凹まない。不当な扱いにこそ凹むものだ。
私は不満が生じると、悲しむより、モロに不機嫌な態度になる(それも中学生並みのロコツさ)。ので、人間関係やシゴトの円滑さを損なったり、情緒不安定を疑われることは、実に頻繁。これじゃ社会人としてダメぢゃん、とは思っちゃいるが、野生動物な性分ゆえか、何の愛もなくペースを乱されると、もうダメ。自制心など即飛び。
何でも、動物は毎日同じよーなごはんを食べ、毎日同じパターンで暮らすのが、一番おちつくらしい。まるでサラリーマンのようだが、サラリーマンと違って我慢はできない。てか、ムリに我慢すればテキメンに早死にするようだ。

そう考えてみるに。
自分のリズムで、傍若無人に規則正しく生きる。
そういう生活の実現を今後の人生の目標にしたい。うん。

あんにゅいな雨

月よう
土ようのアサ
とってもおっくうな日
こうゆう日は
風のあたるところで
アイスティなんぞを
のんだりしながら
ロシア語の
べんきょうするのが
一ばんだ
「おっくうな日」 by 岡真文

この時12歳だか未満だかの作者の気分にハゲ同(=激しく同意)な日。

だがロシア語=宇宙語な私は、こないだヤフオクで衝動的に落とした坪内逍遙訳の旧がなシェークスピヤ戯曲など通勤の行き来に読んでみてたり。昭和八年刊。円本というのかな、文庫本サイズハードカバーというのか。持ちやすくて、口絵や挿絵もついててね。装幀はどうでもよいはずの私も、こういう少し前の文庫本サイズものは愛があふれてて好き♪ こきたない16冊セットを落としたのち、40巻揃い美品を見かけたりして _| ̄|○。いいや、全部読むかどうかもわからないのだし。
「颶風(テムペスト)」のミランダの台詞などご紹介。「あれ、父様(とヽさま)、そのやうに手荒うなされますな。優しそうで、怖らしうは見えぬ人ぢゃに」……んーむ、風情。
長雨を眺めつ、気合いがはいらない月曜。さらに筋肉痛まで残ってたりして。何をどうするでもなく、時間が過ぎる。

※昔の本って、まぁもちろん旧がなですが、総ルビだから誰でも読めます。いいよね。移民してきた人なんかにも便利だと思うのだが。

人を任命するのは土地

今日は「中年ヨガの集い」の後遺症で、全身イタタ状態。なんというカラダのなまりかた。
それでも、連れが武道具屋に用があるとのことで、先週の散歩で見つけた武道具屋にテクテクと向かう。途中、赤門のところを覗くと、先週の猫が先週と全く同じところで全く同じポーズ。お気に入りだな?
武道具屋の用は十五分で済み、もうすることがない。「映画でも見てみないか」ということで、みなとみらいまで歩くが、目当ての「チャーリーとチョコレート工場」は次回席は完売。疲労が増してきたので、もう帰ろうということに。

んで。世話になった猫の写真を……と、うちの近所の道を通ってみる。とっぷりと暮れた集会場に行くと、多々いる。連れがデジカメを構えるが、暗いし、フラッシュ焚くと目が光って映るし、猫びびるし、よろしくない。
そこで、ふと気付く。いつも猫がたむろっているアパートの門のところに、おっさんが仁王立ちになっている。光を背後にしているので顔は見えないが、凶暴気な感じが漂っている。そのおっさんの前を通りすぎたとこで恩猫に似た猫らを見かけ、連れともどもしゃがみこみ、デジカメを構える。その時、ふと脳裡に「理解」が通り過ぎる。
「おい」
コワそうな声をかけられ、振り向く。くだんのおっさんである。
「あんたら、そこで何してんだ」 「え……猫撮ってるんだけど」 という連れの声につけ加えて、できるだけ愛想よく言う。「猫を撮ってるんですよ~。ここらの猫はとてもカワイイし、たくさん居るしね~。」
ちとおっさんの声がほころぶ。「もっと居るぞ。もう少し経つと、もっと来るんだ」 「わ~スゴイですねぇ」 「ん、俺が面倒みてるんだ。十匹以上は居るかな」 「それはそれは。これからもよろしくお願いします」 「ん、これからも面倒みるさ……かわいそうだからな」
最後にはゲットー者的な情け深さをにじませた、コワそげなおっさんシルエットに会釈して場を立ち去る。
(このヒト、猫の番人だ)という直感的理解は間違っていなかったわけで。

ヒトは自然に喰われる。言い替えれば環境に喰われる。つーか、いきものは環境と相互契約を結ぶことで命をつなぐ。土地が特定のいきものを呼び寄せたり、特定の部族(トライブ)を呼び寄せる。それが「xxっ子気質」とか言われたりもする。
んで、その中で人間は地域社会を作り、ロールプレイするわけだ。土地が任命するのは「町の顔役」やら「町のお騒がせ者」とかいったものだけではない。「元気な若夫婦」やら「昼間からブラブラしてる若者」やら「口うるさいご隠居」やら、いろんな属性を負い負わされる。ふだんは誰もそんな「ロールプレイ」を気にしたりはしない。だが、たまーにそういうシクミを直感的に知る時もある。
……ヒトはほとんど、個人の抱えてるものに「憑かれて」行動したり話したりする。だが、個人とは別の「土地の意識」みたいなものに「憑かれて」るヒトと話すと、ヒトと話しているというより、それこそ精霊か機械と対面しているような感じを覚える。とはいえ、決して悪い感じではない。不思議な感じはするけど。ちょっとだけ土地とつながったよーな気がする一瞬だった。

いきものローカル紀行

今日は二ヶ月ぶりとなった中年ヨガの集い。体重増加に、いつもなら難なくできるポーズが地獄のよう。特にワニのポーズ(寝転がって、足を揃えて持ち上げて片サイドに倒す。顔は反対。その繰り返し)は、自分の脚の重さに動転。おもわず 「奥さん、米屋です!」 と叫びそうになったが、疲労が増しそうだったので、自制。
で、帰りに区民館を出ると、雨の中、目の前1メートルほどのとこで謎の物体がひょこひょこ。かへるであった。しかもでかい! 二十三区内でも蛙は住んでいる(昔に目黒区民だった頃もよく見かけたが)。
とはいえ、身近なところに、いきものは結構いるもんだ。
sanpomichi nanida hanawa よく行きかかる散歩道の景色。この虫は何というのだらふか。名前は知らないが、よく見かける顔というのはいる。人間が知っていようが知っていまいが、いきものは元気。ちなみにこの前後、けなげに一輪だけ咲いてた薔薇の匂いをかいでたら、ミニ毛虫みたいなのが葉をしゃぐしゃぐと囓っていたので、拾った枝で皆こそげて退治した。
そばの川にはブサイクで巨大な鯉がわさわさと群れ、カメも泳ぎ、鴨も泳いでいる。金木犀(や銀木犀)が咲いて楽しい季節だが、きんもくせい日和は長くは続かず、いつも早々と雨で散ってしまう。さびしいよねぇ。しかしそれにしても、なぜにこんなに花の色って、きれいなのだろうか。

katarai 一時期、気持ち的に世話になった猫の写真を皆様にも伝えたかったが、猫には猫時間があり、居て欲しい時に居てくれるわけではない。そこでお見かけした、「狭い場所で深い語らい」な集会のさまをアップ。ブレにブレているのは、もはや薄暮だったがフラッシュを焚いて邪魔などしたくなかったということでご了解くだされ。

kaeru さて、ここで本題にもどる。かえるといえば、先月ちょうど 「かえる」 オブジェを入手している。東急ハンズで見かけて Love at First Sight。が、値段的にバカげていると諦めようとしたのだが、どうにもこうにも気にかかって耐えきれない。ネットで色々調べたところ、「銭蛙」 という風水の縁起物と知る。それはどうでもいいんだけど。いろいろ比べてみるに、やはり見かけた一品がいちばん値頃だし、何といってもいちばんツラ構えがカコイイ。十日ほどののち迎えに出て、店にあった大小ともども揃えてしまった。あ、あまりカコよく見えないなら映りの問題と思ってね。美意識の問題ではない。きっと。

いきものを飼えない現状、暮らしの友はオブジェや家電である。とはいえ、これも一種の眷属にやあらむ。仲良く過ごしたいものだ。

夜とは地球が自分の影をみている時間

なんかいきなりすごいデザインになっているが……、今日、水泳教室の帰りに体重計&体脂肪計に乗った私の心境だと思いねぇ。意識がいきなり成層圏へ逃避。
ありあまるほどの浮力はついたが、あいかわらず泳力はついてない気が。

春くらいにしきりに「なんか動きそーだなぁ」「でもやっぱ秋からかなー」とか書いていたが、なんかここ二週間ほどのあいだに周囲のひとびともイロイロと変化を経験しているような。では私が大変化したかというとそういうこともない。好きなことに費やす時間を一秒でも増やそうと、相変わらずじりじりじりじり心を動かしている。

せぇしゅんだった頃は、夜は飲み屋さんとか人が居るところでイロイロ語って濃ゆく過ごすのが好きだった。
夜の夜中に人とやりとりするのは、月明かりの下で影踏みをしてあそぶようなものだ。タマシイの真夜中にも、人は往々にして人を求めるが、やはりそれは心を慰める鬼ごっこで、何だかんだいって夜が明けることはない。というか、夜のさびしさを他人と分かち合おうとするうちは、夜はおわらない。タマシイの時計は止まったままだ。
何かを創造しようとすれば、新しい世界がうまれる。マッチ売りの少女みたいに儚い創造でもペーパームーンな妄想でも、今度は、タマシイの時計が刻まれていく。いつか夜が、おわる。
まー、中年になると「人生の夜」が近づくわけだろが、そうでなくとも夜の中に在るヒトも多々居よう。
……ま、でもさ、闇の中でしか星は光らないもんだわな。自分だけの星をみつけるには夜もいるもんだ。“貴男も貴女もみなスター(Every man & every woman is a star.)”ってね。

彷徨える蒼い海獣・その2

昨日はカラオケに行ったので(しかも一人!)、続きを書くのが今日になってしまった。雨模様の三連休というのは、なんかイヤげなものです。

DSCN2403 DSCN2400 んで続き。イセザキモールの裏(ちょうどカラオケ屋の近く)には、厳島神社があります。といっても都会の真ん中の神社らしく、境内はほとんど駐車場になってますが。んで昔は遊郭地帯だったようで……鳥居向かいの家の紅殻塗りにあらわれてます。てか、今はバーになってるんですね。
DSCN2404
そーゆーのを見ながらてくてく歩き、線路を越えて、関内方面へ。横浜スタジアムのある横浜公園の横をあるくと、あーてぃすとがぱふぉーまんすをしていました。ヒモというかロープを空にほうり投げて、その着地点にダッシュして背中で受けるという。パフォーマンス系あーてぃすとというのは、よほど精神的に強靱なのか、あるいはエキセントリックであることに快感を覚えてしまうかでしょう。そういうヒト好きだけどね。ちなみにこの近くで心身に障碍のあるヒトたちのアート展をやってました。見ました。色やカタチの自由さに感動しました。「とてもこうは塗れない」「こうは見えてこない」とか思いつつ、世界の自由さと多様さに思いを馳せました。

それから開港記念会館に行きました。開催の特別展はドン・ブラウンというジャーナリストの特集で、戦前は日本で記者として滞在、戦時中は対日宣伝戦(戦時ビラ)作成に携わり、戦後はまた来日してGHQの情報検閲に携わったというヒト。年配の方ばかりでなくイロイロな人が来て、投降呼びかけビラなどを興味深く見ていました。

kue DSCN2410 DSCN2418 山下公園ではワールドフェスタというおまつり。というと聞こえはいいが、世界中のいろんな国の食べ物や雑貨の屋台が出て、ステージでは踊りその他あり、という俗な感じのイベント(笑)。でもザキの定食屋に入ってしまった自分は何も食べられず、なぜか山形のメロンジュースを飲みました。……100%のメロンジュースって、むしろ「メロン汁」だよね。屋台を冷やかしてまわるのはたのしかったけど、こーゆーのこそ、一人で来るとつまんないものです。わけて食べたりできないし。琉球から来ている若者たちのステージ見ました。獅子舞が迫力。ステージ下にも乱入し、お子たちを阿鼻叫喚に叩き込んでいました。

fusen2 fusen カラフルな風船売りが、曇り空の下で異様にあざやかな色で、かなりアートして見えました。トリエンナーレも開催中でしたが、時間を鑑みて入りませんでした。会期中には一度くらいは行きたいものです。風船売りの奥、空にはためく赤白の旗は、トリエンの入り口ゲートの辺りです。それから電車に乗って帰りました。

……アタマの悪い子供のような文章を恥ずかしげもなくつづってしまう、起き抜けのひととき。

彷徨える蒼い海獣・その1 横浜でぃーぷ(超ローカル系ネタ)

今日は起きて、どこかに行きたいと思った。連れは寝ていた。
ちゅーいんがむに、普段聴かない音楽を詰め込んで、とりあえず出かけてみることにした。いつもの図書館という選択肢もあったが、足おもむくまま、てくてくと伊勢佐木町方面にむかう。強敵(とも)と近日襲撃予定のカラオケ屋にフライング乱入しても良いのではないかとか思いつ。
しかし、歩いていると、幸福感が増す。音楽を聴きつつテケトーに湧き上がる妄想や連想に身を任せながらザクザクと歩いていると、それだけで人生がチャージされる。なんて安上がりなんだ>自分。

mon ずるずると国道沿いに歩き、ずーっと道なりに行くと、紅い門の寺がある。この辺のいわゆる赤門。町名にもなっている。小学生の頃から存在は知っているが入ったことはない。ので入ってみる。
neko neko2 中は単に何もない。だが猫がいる。
※猫がいたのは、左側のたてものの前。
自決した民族派の野村秋介は昔この辺りにあったいわゆる連れ込み宿で、恋人(のちの奥さんで下獄して離婚、だが出獄してまた再婚)と初めて同衾したというエピソードを読んだことがあるが、まぁどうでもいい。

ここから、黒沢の「天国と地獄」でもヤク中のたむろする腐れ町として描かれていた黄金町もすぐ。ガード下のちょんの間(わからない人は検索してください)は有名だが、今は浄化作戦とやらで人の気配がない。つか、そばを通ると、昼というのにいきなり警官ふたりが警邏中。思い切りうさんくさいモノを見る目を向けてきた。さらに、ちょんの間ストリートを別の警官二人組が訪ねて廻っている。すごい警戒ぶりだ。
私が若者だったみぎり、バイト先のヤンキー入った男のコが度胸試し的にこの道を歩いたとかでスパークしてた。「すっげーんだよ、制服着たコがさー、アンパンやってる感じで 『口だったら三千円だよー』とか声かけてきやんの、俺ビビッちゃったー」とか嬉しげに言っていたが、ビョーキがこわくて遠慮したそーな(笑)。そのコは背も高く顔も良くアタマも良かったが、端的に言うと老中(おいちゅーと読む)出身だった(笑)。ヤンキーだが学区外の進学校に楽々受かり、だが遊びすぎで留年してたコで、いつも親切にしてくれた。在日のすごい美人のコと付き合ってて、周囲にいろいろ言われては悩んで、よく相談を持ちかけてきた。ヤン系のコの打ち明け相談に常にそーゆー差別や貧乏が絡んでたのは、ゲットーな土地柄だなぁ。
ちょんの間ストリートの写真は撮らないでおいた。警官と揉めることなどどうでもいいが、あまり撮られたくなさげな町を撮るのは気がひける。文章だとかカメラだとかがあると、すぐ人は何様かになったつもりになる。そういう手段をあつかう人には「何様にもならずにいる能力」をたくさん鍛えてほしいことだ。

それから若葉町を突っ切って、伊勢佐木町へ。そのとき、前に連れとここを歩いた時のことをふと思い出した。夕方になる頃だったので、「そろそろ化粧したスネ毛の人々が客を引きに来る頃だな」と言ったとこ、「客って?」と訝しむ。「いや、つまり商取引行為っつーもんが」と説明したところ、「誰が買うのだ!」と驚いていた。「ああいう人々は、ただ見せびらかしたくて夜の街角に立っているのだと思っていた」 ……そのほうがよほどの変態じゃないのか? と思いもしたが、こういう場合どう転べば正常とかいうものの範疇といえるのか。困惑してしまった。

fashion2fashion 伊勢佐木町、つまりザキも、6丁目あたりは「滅びた下町」。すごいよ。ヨコハマというとオシャレなイメージを持たれがちだが、完全に間違っている。
こういうジャージは、どうなのか。果たしてオシャレなのだろうか。みなとみらい辺りに持って行くと「パーティーグッズ」コーナーに置かれてしまうのではなかろうか。しかしふと気付くと 「いいじゃん!」 と言ってしまいそうな自分がいる。ほかに店頭で並んでいた 「オイオイ(汗)」 系の服も、ともすれば強く惹かれてしまうものがあった。血中ゲットー濃度が高すぎるのかもしれない。

machiんで、オデオン座のとこ越えて、関内に近い1、2丁目側に入っていくと賑わいも出てくる。信号待ちでふと横を見て、なんとなくアキバの中央通りを思い出したので、いちまいパチリ。指向性も何も違うが、「濃ゆい町」で「多国籍な町」という辺り、アキバの中央通りと福富町界隈は近いか?……気のせいだな。
ここを越えると、まぁ何とかかんとか「人様に見せられないこともないヨコハマ」になってくる。んで、根岸線の線路を越えると「こちらこそがヨコハマです」な応接間なヨコハマになる。つまりここまではトイレや使用人部屋や洗い場を通ってあるいてきたわけ。

さらに線路を越えて道行きは続いたが、今日は書き疲れたのでまた明日にでも。

幸福てんこもりライブ

吉井さん目当てに「ジョンレノン音楽祭」に行ってきますた。初武道館。道を歩いていて発見&衝撃は、併設の喫茶・軽食が「武道」という名前だったこと。
時間ぎりぎり、席を見つけ出す五秒前に客電が落ちた。
オープニングで悶絶。
だ、だって。オープニングの全員出場。キヨシローと吉井さんがステージのどまんなかで並んでるんだよー? 私のだいすきな二人が持参の高倍率双眼鏡のなかでニッコリと……まるで寿司屋に行ったら、「今日はサービス日でタダだよ!」とウニを1カン出されたよーな気分。※別にハデキャラ好きではありません(笑)
しかも困ったことに、吉井さんが無精オヤジ系でない、おしゃれな装いになっていた。カコよくするとまたファンが増えちゃうだろ!! いまだって武道館の半分は吉井さんファンで埋まってんだからやめてくれ!
さらに大好きな「She Bop a Lula」を歌う。感激でアタマが飛んでしまう。
んで、次は皆さんいったん引っ込み、各バンドが歌う。Love Psychedelicoとか奥田民生とかPuffyとか小柳ゆきとか出てました。小柳ゆき、掛け値無しに歌うまい。アーティストとはいわず、オペラ歌手みたいに「歌い手」としてだけでもツブシききます。あとは……ジョンレノンの曲は女性ボーカルには向かないと思います。Puffyは、「そういう」グループじゃないことはわかってるけど、英語にも日本語にも聞こえないっつーか、歌になってなかった……。デリコ、「Cold Turkey」で踊れってムチャ言うなよ……、英語の発音はよかったが。
海外の曲をカバーする時、日本人発音で歌われると微妙な音のニュアンスがなくなって、印刷でいうと網掛けが潰れたようなイヤげ感が出てくる。困ったもんだなー、と思っていたが、だが後半に進むにつれ、気にならなくなってきた。つか、歌は発音とかではなく、ソウルだからなぁ。ソウルの宿った立派な歌い手が歌うと、知らない国の言葉でも、みんな聞き惚れるが、そんなもんだろ。
吉井さんの歌う「Starting Over」……よかったよぅ・°・(つД`)・°・。
吉井さんの出番の間、前の席のバカ女が前の誰も起ってないうえ踊る曲でもないのに勢いだけで起って、そのままブラブラ起ってたのには腹が立ったが。愛と平和の祭典なので「死ね」とはいわずに避けて我慢した。それにあまりいいことづくめとはいくまいしな。
さらに。十五のみぎりにRCサクセションで人生初ライブを経験した私には、キヨシローの歌がうれしかった。てか、四半世紀ちかく経って、心の震える歌声とソウルが変わらずにあること自体、うれしい。「キング」の名を奉られたのを承けてか、王様のマント(派手派手な総ラメ)を着て出てきて、キュートキュート♪
さらにさらに。オノヨーコも出てきて、歌っつーかパフォーマンスした。もともとアート系の人だからひたすらコワイし客はひいちゃうし。でもでも、育ちのよい14、5歳のお嬢さんのような、清らかな声で叫んだり歌ったりで、大きくあいた胸もとの肌は生々しいくらい白くて、見せる表情は少女のような老婆のような。一言でいえば、あのミューズやらセイレーンやらの仲間、いわゆる「魔女」です。感動すますた。いや、もともと好きなヒトだけど。
18時半から映像上映なんかまじえて延々と22時まで。帰りは遠かったが、しかしゴージャスですた。
とまぁ、てんこもりでしたが。新たな発見がありますた。

ジョンレノンの映像を見ていて「なんか似てる……誰かに似てる……」と思ってて気付いた。顔の下半分、特にあのおちょぼ口の辺り、うちの連れに似てまつ。てか、うちの連れ、上半分がジョージ・ハリスンで下半分がジョン・レノンで、それを一時間ほど脱水にかけたよーな感じですな。

ちょびっと前進

昨日の記事については、たくさん悲しんだので打ち止めということで。えのすいのブログが涙を誘ったが。

今日は雨だった。メゲずにお絵かきに行った。ひたすらに時間を費やしていたホメロス爺の石膏像。四回目の今日で何とかフィニッシュ成るであろか、と頑張った。描いた。よーやく最後に「ま、エエでしょ」という感じで打ち止めにしてもろた。んでそこで「これで何枚目だっけ」と聞かれた。「体験教室で描いたの入れて、やっと四枚目」と応えたとこ、「ちょっと前のと見比べてみたら」と言われて、見てみる。
「おおっ……」
うまくなってる。というより。前の絵のヘタさと雑さに腰を抜かした。
まぁ、そら、二時間半で描いたもんと十時間かけて描いたもんという違いもあるのだが。
「描いてればうまくなるもんなんだよ」 「ほほ~」
「こつこつ描いてくださいね」 「はーい」
まぁ、いまだにものがふたつ以上あるとまともに描けないが、うれしくなったのでついでに月末の人物デッサン会に参加することにした。いや、描けなくても構わないというし。だが。
「モデルさんは着衣ですからね?」
先生、何も言ってないのに人の心を読むのはやめてください。

悲しすぎて呆然

ミナミゾウアザラシのみなぞう急死 新江ノ島水族館

「いまごろ飼育係さん号泣してるだろうなぁ」と、連れ。悲しい。とても悲しい。

ささやかな幸せ

バタバタと忙しい一日だった。
んで、家に帰ると。もと The Yellow Monkey の吉井さんのふぁんくらぶに入っているのだが(ミュージシャンのふぁんくらぶなど人生で初だな)、ポストに会員宛ぷれぜんとが届いていた。いつものことながら、センスがブッ飛んでて、好き嫌いという以前にどう評していいのかわからないのだが(笑)、気持ちが嬉しい。かねて予告通り、来年からは本名で活動するとのこと、サナギマンからイナズマンになるのであろ。
ちょうど今週の金曜は「ジョン・レノン音楽祭」に行って、吉井さんやLove Psychedelico やらを見て(聴いて)くる。今月は(も?)金欠だが、チケットは大昔に買っといたからだいじょうぶ♪ ……と思ったら、来年2月のライブツアーの会員先行前売り申し込み、明日から開始かい…… _| ̄|○。
とはいえ、何とかして見に行こっと♪ 吉井さんには、ルックスより何より、心の元気というか、生きてるエネルギーな部分で、エラく憧れる。元気がもらえる気がする。風の星座生まれが人として豊かに成熟した一例って感じでよろし。

てなことで、元気が出たので、台所でコーヒーを淹れつつ、(西城秀樹の「情熱の嵐」のフレーズで)「♪キミが望むなら~(イノキー!)、ベルトを賭けてもいい~」と延々と口ずさんでいた。コーヒー一杯の幸せ。うむ。

なんだかやる気ねぇ

つひに意味なく秋でしたと、この季節になると北園克衛のこの詩が必ず心に浮かぶ。明日も港ちかくのペイヴメントを歩きつ、ふとこの詩を思い、昭和初期のモボやモガ、路面電車のマボロシなど想ふのであろか(昭和七年初版の詩なもので)。

タイトル通り、やる気がない。昨夜遅くにかねて予告のシゴトが舞い込んできて「一週間で出来るワケねーだろ!」などと一人で毒づいていたが、やってみたら一日で目鼻がついた。かといって別にうれしくもない。職場ではダンス鑑賞などご一緒してきたアート好きな方が辞めてしまった。派遣は自分を含めて三人しかおらんので、さびしさひとしお。まぁ、それでやる気をなくしているわけではないのだが……。
何か既存のものを変えたいと思ったら、最終的には根比べになる。必ず。組織というのは長い時間を経てきているので、ひとりが少しジタバタしても何も変わらない。あるいは多少変えたとしても、その人が去ってしまえば「砂に書いたラブレター」状態で忘れられていく。イロイロな会社を転々としていると、それはよくわかる。
既存のものを変えるのではなく、作るにしても同じで……、手軽に作ったものは意外と保たない。
ということで、真剣に何かやるなら、数年スパンで「焦らず・決して諦めず」を保つ力は必須。
だがシゴトでは、明日をも知れぬ身を(どっちかというと性に合うので)続けてるわけだし、シュミは皆シュミどまりでしかないわけだし。自分は「何を」決して諦めずに生きてるのやら。ちっと物思ひしてしまう秋なことだよ。

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