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2005年2月

サブマリン

今月はやや記事がすくなかった。なにしろ前半は風邪げはげは状態だったし。死ぬかと思った。
だが、充実はしているのだ、微妙に。
何かやりたい時には、人に宣言すると上手くいくタイプの人と、人に言うとズルこけるタイプの人がいるが、私は明らかに後者で、前フリをしてうまくいった試しがない(爆)。何かやりたいことは、黙々ねちねちと独りでやり遂げて、あとで「でけた~!」と公開するほうが性に合ってる。
なので、今年こそは少しは肉を落として運動能力をあげよう!と思っていたとしても、ここでは言わない(笑)。
……と、ここまで書いた途端に、「ケーキを半分わけてあげよう」と連れが。うん、言わぬが花なのだ。

さうさう。私信的に。
親やセンセイに悲観的・否定的なコトとか言われつけてた人なんぞは、ねちねちが勝負ではないかと。
何かを創ることを世界中に否定されたとしても、自分だけは、自分の創りたさを守ってやらねばならんのです。ホントに。それが、すっげぇダサくて見劣りするよーなもんでも、パロでもエロでもボケでもバカカスでも、でもでも必死に守ってやらねばならんのです。
そうでないと、やはり自分も他人の「創りたさ」をくさしてツブして回る人になりさがります。
そのテの因業の「未来への運び屋」になりさがるのは、それこそ思うツボみたいで、すごくイヤでないか?(笑)
すぐれた人や恵まれた人にくらべて、スタートが絶望的に遅くても、構わないのではないかと。つくるたのしみの泉は、汲めばおいしいし、たくさん先客がいようと、涸れない。ので、遅くに行っても、いつでもあるよ。

東スポ

とても端的なタイトルにしてみた。いや、今日の帰り、駅で見かけた見出しが 「北斗VS神取 ノアで対決」 だったもんで、つい(笑)。ちなみに東スポのホームページは初めて行ったが、「一面ギャラリー」がすごい。ていうか懐かしい(オイ)。
あ、私ゃ神取も好きですよ、トーゼン。てか、磯子の岡村中なんだと(笑)。いまの若人には“ゆず”の出身校として有名らしいが、神取の全日本選手権の頃の写真、単なる道着の眉なしヤンキーで……もうホントに磯子だなぁ、京浜工業地帯炸裂だなぁ、と(笑)。……ローカル&レトロネタでスマソ。水泳でがぼがぼして、疲れてんねん(笑)。

ほかほか罵倒家族

私も、連れも、ぱそこんに向かってあたらしいことをすると、罵倒が多くなる。
「こんなアプリ組んだ奴は氏にやがれ」 「クソがぁ! なんでこんな動きするよ!」 「たわけ、違うって言ってんだろがァ!」 「最低の阿呆だな、地獄に堕ちろぉぉ!!」 などなどと、それぞれがモニタを睨みながら、悪鬼のような表情になって呪詛の言葉を吐き散らす。フルメタルジャケットの鬼教官のような心意気、カリカリでイライラで、何か用でもあるのか貴様シリーズで、それぞれに作業にただただ没頭する。殺伐とした風景だ。
相手を見ていると、もうすこしおだやかにはできないものかと眉をひそめて思ったりもする。しかし自分がいざその立場になると、やはりガッデムでファックでダムでシットで 「なぜだーーーーっ!!」 と乱心して目を吊り上げて罵倒の嵐を吹き荒れさせる。
だが。一段落ついて、あらかたを呑み込んで、憑き物が落ちたような顔で、ともにコーヒーなどを啜っていたりすると、気が抜けてしまっていけない。
結局のところ、怒ってはいるが、カリカリはしているが、そしてそれは本当だが、だがとっても楽しいのだ。苦しくてギリギリするのだが、相当に楽しいのだ。この性情はふたりとも、似ている。もうすこし優雅になりたいものだが……困ったものだ。

夢と浪漫の少女系因業

多くの本好きに知られる、復刊ドットコム。絶版本にリクエストを送り、再版してもらおうというシロモノ。
で、その中に「りぼん」の特集ページがある。てゆーか、「りぼん」で「疎開っ子日記」とかやってたのね。うーん、少女マンガの歴史って長い。
※ちなみに「巴(ともえ)里夫」の作品もリストされているよ>肉親 ……いま漢字にして「巴里(パリ)夫」という意味だったかと悟って、二度ガクゼン。
私も小学校くらいまでは少女マンガ雑誌を読んでいた。あの頃は男性マンガ家も活躍してますたな。和田慎二、弓月光、松本零士はギリギリ現役、とかね。あ、魔夜峰夫はもっとあとね。花ゆめで投稿作が入賞したの読んで覚えてる、ってくらいだもん。いまは青年雑誌に女性マンガ家が描くのもアタリマエだが……大昔なんて立原あゆみくらいだったのでわ?
しかし、萩尾望都とか、三原順とか、少し昔の少女マンガ家って、けっこームチャクチャだよね。やたらと哲学的かつ高踏派あるいは超先端風俗な内容を、ローティーン向け雑誌にこれでもかこれでもかって描いてたわけで。なんつか、「認められてないもの」の、文化的僻地ならではのパワー全開って感じで。
どんなジャンルも軌道に乗ると産業つかメカニズムだ。今のマンガ家は'80年代以降のロックスターみたいなもんだよね。ゲーム業界しかり。
あ、産業だから感動しない、とかいってるわけではありません。いま試行錯誤で手さぐりで、ゆえに輝いている分野って、どーゆー方面なのかな、と興味があるだけ。

因業な、あまりにも因業な

はるか以前に、古き強敵(とも)に勧められて読んだ、バロックの名作(嘘) 『サイドカー刑事』。家庭内ギャグで正確に引用したくなって、ヤフオクを見ると、なぜかちょうど出品されていて、すかっと落札。500えんで。アマゾンだと2500円で並んでたりして、これもどうかと思うが。
モーニングのOPEN増刊でやっていたマンガだそうで、『謎の国際犯罪組織“マウンテン”の手により、妻子と先輩刑事を殺された警察官が、サイドカー付きバイクを駆り、マグナムをぶっぱなし、復讐に走る……』 という粗筋だけ読むと王道だが、もう、何というか、コマ割も絵もギャグも、何というか類を見ない、バロックなんです。ホントに。愛とトホホと哀愁と感動とお笑いが満ちていて、しかもバロック。こういうものを勧めてもらえたのは、幸福だな。
んで、この作者がエロゲメーカーに係わったというのが驚いた。インタビューが前はウェブに掲載されていたのだが、いまはもう読めず、Wayback Machine でも見られねぇ。ちぇっ。でも絵は別人だからいいか(本人だったらコワイよ)。
さらに派生して、その記事を紹介していた人が、「この人がエロゲ作りに係わっていたなんて、田中圭一(『ドクター秩父山』のね)がアートディンクの社員だったと知った時以来の衝撃だ」と書いていた。そ、そか、アートディンクだったか(汗)。
とまぁ、濃すぎる記事と感じたら何事もなかったかのようにスルーがお約束。でもマンガっておもしろいよねぇ(笑)。

※あ、そうそう、件のエロゲは『エンブレム』というタイトルで、千本しか売れなかったとか。……てゆーか、アリスとエルフの大作発表の同日に売り出してはなぁ(笑)。一作で活動休止。まぁ、なんつか、大変だよねぇ。

寒さに体調が……

また風邪を引きなおす、ロクでもない日々。げほげほ。
体調をくずしているおともだちも多い。
なので、ひとつ元気を出そうと、先日のえのすい写真をあっぷ。

DSCN1753←東方の三賢人。

DSCN1755
←はじめ目をうたがいました。

DSCN1768 ←二階テラスから撮ってもこのサイズ。

こういう貼り込み方すると、スペースの省略になっていいなぁ(笑)。

嬉しさも中くらいなり

YOSHII LOVINSONコンサートのファンクラブ予約日。帰るなり、戦闘準備。18時と同時にでんわをかけつづけた。40分ほどでつながり、「おお♪」と思ったら、コード入力が入らない。「あ、あれっ、あれっ」 うちはダイヤル回線だが擬似トーン機能でカバーできるはずなのに……。電話は、切れてしまった。電話機の説明書を読むと、「子機からの発信では機能が働かないこともあります」……_| ̄|○。
それから、結局3時間、リダイヤルの嵐。ごはんを食べながらもリダイヤル。意識とびつつリダイヤル。おかげで何とか取れますた。興奮のあまり狂乱モードに入らないよう、スタンディングは遠慮して指定席。最初に比べると、ずいぶん席はうしろになっただろうが、いたしかたあるまい。
つか、これ、会場のベイNKホール自体の閉鎖前最後の公演かな、たぶん。吉井さんらしい好みだなぁ。初めて見る会場だけど、最初で最後だ~。

あと、今日は、昔いちどだけ・一曲だけ聴いた(20年以上前だ!)、ゴドレー&クレームというユニットのアルバムを取り寄せたのが届いた。このテの前衛系の異様音楽って実はけっこー好き。
「ヘンな音楽は、いい」 と連れに語ると 「キミはドラムさえ入っていたら何でもいいのだよ」 と(汗)。ビートさえ効いていればOKなのは事実。だから、いわゆる癒し系も女性ボーカル曲も聴かないのか、と思い当たる。リズム感は皆無だが、ともかくヘンなビートの曲は大好きだ。
葬式とか法事の時のご詠歌だとか集めたアルバムないかね。ゴスペルみたいなもんとして扱えば、見る目も違ってくるんじゃなかろうか。母方の実家は真言なのだが、いいぞー、あのサウンド。いいボーカルと聖歌隊が揃ってると、法事がステージの如く、バーニング(笑)。

体脂肪ですが何か

水泳。がぼがぼ。心ひそかに『悪魔男』と呼ぶコーチに「アヒャヒャ(゚∀゚)アヒャヒャヒャ」といつもの如く嘲笑され、「くそ~!!」とファイトをもやすのであったりする。もがもが。
腹筋をつけるべきにやあらむ、とか思ったりしつつ、風呂上がりに体脂肪計に乗ると、順調に増えている。体脂肪が。
 「………。」 みなぞうくんのシルエットが心をよぎる。
(水泳はカラダを冷やすからな……)
とか心につぶやいてみたが、ここのところ不調から回復してきたよろこびで、毎日ケーキやチョコやクッキーを欠かすことすらなかった。その上に竜巻喰いを連発だ。ぐんぐん伸びる体脂肪率。
まぁ、すこしはカラダを動かして、脂を溶かすようにせにゃならぬ。そう思いながらまた帰りにコンビニで食べ物を買ってしまった。ううむ。

どうでもいいことだが

今日の夕ごはんはタイカレー。辛かったが、んまい!
ということで、むしゃむしゃしてやった(※)。おかげで満腹になって、今日は他に何もできそうもない。ふ~。

※元ネタは、ありがちな通り魔犯罪者の言い訳の改変コピペ。……「むしゃむしゃしてやった」 「草なら何でもよかった」 「今は反芻している」(元セリフは想像つくよね?)。 最近、食事で『アタリ』だった時によく使っている。

どーすっかね

ちと鍛えを入れてみるかね、と本屋に立ち寄り、あれこれのアプリの本を検討するが、結局なにも買わず。アプリ関係の本は高い……つか、コストパフォーマンスの問題として高いと思う。物の値段については関西風な考え方で、数値が多少高くても見返りがきちんと約束されていれば安いし、でなければそれは高いと思う。
特に、ぱそこん関係ではシビアかもしれない。さすがに年齢的に『スペック萌え』も『あれこれ出来ます萌え』も失せたし。稼ぎの対価とアウトプットに対してで、かんがえる。
そうはいっても、かつては必死に好きだった。昼休みもつぶして会社のぱそこんをいじり、週末のシゴト帰りには当時めずらしかったマイコンショップ(死語)に必ず立ち寄って物欲しげにさわりまくり、今から考えるとオモチャ以下のマシンを給料の4ヶ月分くらいのローンを組んで買ったっけ。若いって素晴らしい(やや反語)。
まぁ、とはいえ、いまでもぱそこんに向かってアレコレといじくるのは苦にならないし、好きだ。プログラムを組みたいとか、何か書きたいとか、そういうのと関係なしに、たださわっててもよい。ある意味、人間以外の生き物とは縁のない生活のなかで、かまってもらってる遊び相手って気もする。
それはそれとして……アプリ買うか本買うかフォントでも買うか。何か買ってやろうとは思うのだが、どうしようかな。しばらくはあれこれ検討ばかりしそうだ。

陽(ひ)一日と長くなる

朝っぱらから入力ミスの指摘を受けて「わー!」。わたわたわたわたとシゴトをこなすと、あっという間にいちにちが終わる。5時に外に出て、明るい。早退したような気分で、ちと得した感じ。
ともかく。休めるときはひたすら休む。力をたくわえる。何しろ春が来るわけだし、そうなると何もしなくても浮かれるようにできている。気持ちの浮かれに体力もついていってもらう必要がある。だんだんぬくくなってきたら、カラダもぬくめていく必要がある。単にでかける半径をすこし伸ばしたり、歩く距離をびみょーに多くする程度のことだ。
一陽来復、春到来に備えてます、はい。

遠くにお住いの方のために

遠くに住んでたり、出かけるのが面倒な皆様のために、行楽気分をおわけします。連れがデジカメで撮った。獅子舞はマトモに撮れなかった(三脚もなく宵闇、大混雑、そして安デジカメゆえということでひとつ)ので、雰囲気だけ。クリックするとおおきくなるよ。
kantei
おなじみ関帝廟。年中ハデだよな。

chuuka
イルミネーション中とのこと。『街の色』 だけ感じてね。

獅子舞でぱくぱく

起きたら連れがタイクツしていて。どこに出るにも飽き飽きしている。
ので、「中華街で獅子舞をやっているから見物」のと、「そのちかくのインド料理屋でたべてみる」のを提案。でかける。金欠なのに。いや金欠は、これだからなのか? タマゴが先かニワトリか先かわからない。

インド料理屋に行くと、夕方ハンパな時間のため、開店していない _| ̄|○。もう16時間くらい何も食べてなかったので、くらくら。だが初志貫徹し、時間ふさぎに 『かふぇ』 なるところに立ち寄る。
こういう 『かふぇ』 というのはやらずぼったくりの手抜きなマズいメシとマズイ飲み物で高い金を奪い取る 『オシャレ奪衣婆』 のような存在であろうと決めつけていた。が、とんでもない。とてつもなくおいしいカフェオレ(しかも嬉しがらせにチョコつき)と、揚げたてポテトとオニオンリングのついたムチャクチャおいしいホットサンド(しかも嬉しがらせにミネストローネつき)が出てきた。しかもセットで、たまらなく安い。ヒトもモノゴトも先入観で決めつけるものではない、と己を深く慚じますた。

中華街を一回りすると、バクチク大音響で、中華獅子が各店を回っている。店に乱入し、舞い狂い、締めは店の軒先、二階から吊されたご祝儀を、ぱくり。さすがに一頭では回り切らないので、あちらで赤い獅子、こちらで黄色い獅子、と頑張っている。
生まれも育ちも横浜だが、中華街で観光経験はあまりない。それにしても年々ショーアップされて、テーマパーク的な街と化している。最近日本に来た中国人にとって、故郷をしのぶ良い場所になっているらしい。職場に来ている可愛い中国女性もホームシックだったところを、春節パレードで心なぐさめられたと語っていた。よかった。

んでインド料理屋。おどろくほど美味なわけではない。でも、高いレベルでバランスがいいので、インド料理がニガテな人でもイケる。万人を満足させる味ってムズカシイけど、そういう感じだ。接待に向いてるが……いまさら連れと行くような場所でもなかったかと反省。んまかったが、チャイがただのミルクティーになってるのは、どうよ?(笑)
腹ごなしに中華街に散歩に戻ると、やはり獅子舞がひたすら店回りを続けていた。中華学院のコたちが揃いの服で楽器演奏やら獅子舞やらしている。中国風の揃いの赤コスチューム、やはり(・∀・)イイ!。横浜大世界を冷やかすだけ冷やかし、永楽製麺所の売店で、自家製麺に加え、インスタントスープが多種類バラ売り(笑)してるのでそれをチョイスし、さらにドンブリ買って帰る。
食べた。ひたすら食べた。あとは動くだけ。食わねば動けんのだよ!!(笑)

みなぞうくんをみた

今日は天気がいいので、新江ノ島水族館にでかけた。実は去年の誕生日、私の海獣好きを知る母親に「水族館に行っといで」と祝いがてら軍資金を贈られ、だが腰が重かったりタイミングを逸したりで、そのまま手つかずでキープしてたのだ。……怠惰なんだよ、私らは。
ミナミゾウアザラシの「みなぞうくん」は噂はかねがねだがリアルで見たことはなかった。水族館自体、『新』になってから行くのは初めてだ。
んでもって、見た。とてつもなく可愛かった。写真などではあの愛嬌は伝わらない。断言していい。餌のアジをもらうたび、しあわせそうに目を閉じていた。原潜のような巨体で。5mちかくに育っているらしいが、まだコドモらしい。実際、まだコドモな風情があって、いじらしかった。そう広くないプールの中でゴマフアザラシズとすれ違う際、体を退けるのは必ずみなぞうくんだった。飼育係さんもみなぞうくんが可愛くて可愛くてしょうがないようだし、みなぞうくんも飼育係さんにコドモ特有の素直さでなついていて、そういう交流(ラポール)が見ているほうにまでも十二分に伝わってきた。

生き物をじーっと見ていると、それぞれ特有の意識の波長(?)みたいなものが伝わってくる(ちなみにセイウチは海獣の中でも特殊な感じ)。魚なんかは、あまりじーっと見てると意識レベルがずーっと低下していってしまう。そういう 『冷えた意識』 になったあとで、温血な生き物をみると、よけい生き返る気がする。とても元気で可愛い生き物ならなおさらだ。
何が何だかわからないうちに遠い土地に連れてこられ、仲間ひとり知らぬまま、ずーっとそこで生きて死んでいくのだ。あの可愛い生き物が、たくさんたくさんの人の愛情にくるまれて過ごせるように、と心から思う。

ぼちぼち

今日はぬくかったので、昼休みに外に食べに出た。ひとりで。
結構評判のいいインド料理屋で、んまかった。時間が心配で竜巻喰いをしてしまい、隣の席のOL団体さんが気圧されていた。済まないことだ、昼の憩い空気を乱すつもりはなかった。もっと天気がよくなったら、レジャーシートとお弁当とipodでキメたいものだ、と早くも“歩き始めたみーちゃん”のよーな気分。まだ寒の戻りがあろうに。
んで、ひさびさに水泳した。もがもが。気持ちが元気だったのでその時はよかったが、ものすごく消耗して、いま何もできない。メールの返事さえおっくう。とっとと寝るつもりだ。
最近ちょっぴり楽しい気分をキープできているのは、やはり接触する方々のおかげであろう。
社交上手な人は、「なかよくできて嬉しいな」とか「関心を持ってくれてありがとう」とかいう気持ちを、ちゃんと伝えてきてくれる。そういうのは単純に嬉しいので、不器用なりにできるだけ真似るように心がけている。
てゆーか、「私は社交下手で人見知りで」と言い立てる人間のうち少なからぬ数は、ホントのとこは「相手を喜ばせてあげる」ことに関心などないよね。謙虚を通り越して卑屈なほど自己卑下するけど、実は自分の感情にしか興味がない、尊大でゴーマンな自閉自己中な厨は、なんつーか、飽き飽き。そういう奴って99%タイクツだしさ(笑)。
ま、自分もよく自省しよう。好きな人にはいつも、言葉の花束を。
嫌いな相手には? 花束はタイガー・ジェット・シンのように使ってもいいのだ!(笑)

気分を変えて

新年も過ぎたこったし、とテンプレートを新しくした。でもバックナンバーはデコトラのまま保存しておくことを選んだ因業な私。
テンプレートの話に戻るが、新品のノートというのは、なんかとてつもなくいい。たくさん書いたり描いたりできそうな気がする。それでぱかぱか買って、んでもって使ってないノートが実はたくさんある(わー!)。
人間、日々たくさん想うことはあっても、文章にしたり口に出したりするのはわずか。イゴイゴとアタマを忙しく動かしてても、アウトプットはショボーンなものだ。そう見てみると、少なからぬ人が人間関係で悩みが尽きないのは、ごく当然な気もする。伝えないとわからない。しかも相手にわかる言葉に直せないと伝わらない。
まぁ、ごく当然のことなのだけど、なかなか自省できない。やっぱそれは、ほとんどの場合人は人と 『相手と良い関係を築きたい』 などと思って相対しているのではなく、『私の眠りを邪魔するな』 とだけ言いたいのだからだ、と思う。
あめつちが歌うよーに 『どうにも止まらない』 で訴えているのか、単にリサイタルを開く自分に悦に入る 『ジャイアンリサイタル』 なのか。人間の表現には、常に二つの道があるよーな気がする。
どっちか、などとは言わない。このバランスが取れてるのが、自他ともにイイ感じではなかろーか。

胸のほととぎすがいつも鳴くわけでなくとも。梅の枝を用意して、ノートを用意して、暖かい格好して待ってる気分。空振りでも実はあまり構わない。鳴こうが鳴くまいが、釣れようが釣れまいが、そういうことではない。
不幸な思いで待ってるものは、来たとしても大して幸せにしちゃくれない。経験則は語る(笑)。

ニフティなんとかしろ

いちおう新年なのでデザインを変えようとしたが、さすがニフティ、ロクなデザインが無い。私だったら担当者総入れ替えしたい。二十代のガキ社員の裁量かよ、みたいな感じ見えすぎ。てか、ニフティって企業、団塊世代引退したあと、迷走しそうな気がする。パソ通時代から支えてる誠実・マジメ系ユーザ(てかここら手放したらニフティに明日なんかないぜ)と、今のイケイケ頭からっぽそーなニフティ企業カラーの乖離感、すごすぎ。
とかプロバの中傷(のつもりはないのだが)はやめておいて。しばらくはこのテンプレのまま放置ね。どうせ体調も本調子でなし、ダイナマイトな文太ノリがまだ必要そうだ。

生きてます・胎動

書き込みが間遠になってしかも体調不良ばかり訴えていると、生きているのかどうかとご心配をおかけする。
だいじょーぶ、生きてます。つか、まだ完調じゃないのに、衝動的にお絵かきをしたり。気持ち的には盛り返してきてます。まだ 『竜巻喰い』 するほどには復帰してませんが。

この5、6年を自己観察するに、どーも暦に忠実に生きているようで、立春あたりからむくむく起きて、春分辺りから夏至にかけては意気込み大スパーク、夏至から秋分は実践行動をして、秋分から立春まではだらけて暮らしている。それから寝たいように寝る生活をすると、二週間サイクルで昼型と夜型が入れ替わることもわかった。つか、フツーそんな暮らしはしないので、あまり知っても意味はないかもしれないが。

私的には、できれば「わからなかったことがわかる」ことができるだけ多い人生を望んでいる。わかってほしいが、これは物知りになりたいという意味でもないし、新奇な体験を追いかけたいという意味でもない。
要するに、眼のなかにかかっているベールが剥がれる瞬間に、できるだけ恵まれたいのだ。この前提だと、具体的にはどう生きたって構わないので、志が低いともいえる。つか、こういう、地に足がつかないことを人生に望むから、こういうトホホ系な人間になるのかもしれない。成功の秘訣とかでも言うではないですか、目標は具体的にと。
そいでも、やはり、そう思う。生きてるうちに、季節の訪れを告げる風の匂いをかぎ、すこしでも多くのベールを落とし、できればたのしくありたいし、人様にもたのしさを分けられるのならできるだけ分けたい。

そういえばブログも一年経ったのだなぁ。早い早い。

新春だもんね

そろそろ正月なので、そろそろ新しいことが胸に鬱勃としているヒトも多かろうと思われ。
だが今日の私は、まだ微熱で頭がぼーっとしているところに、喜び勇んでiPodつけて出勤、アタマがもっとぼーっとしてミス続発(汗)。だが懲りずに帰路には多々CDを節操なくレンタル。
あまりに節操なく借りてきたので、iPodのオートフィル機能(容量いっぱいまでランダムに曲を詰め込む)を使ったら、エアロスミスと矢井田瞳とデペッシュモードと和田アキ子とPILとシャーデーとラルクが同時に詰め込まれ、半泣きでセコセコと選び直すことに。いや、別に全部べつの曲を入れる必要はないのだけど。

音楽に関しては(雑誌、特に『三号雑誌』なんかもそうだけど)、図書館的な補完制度が行き届いてないので、手もとから失われたらそれっきりになる可能性が高い。著作権がどうやらで金払えわいのわいのとうるさいのは知っているが、ネット上アーカイブみたいなのは整備されないだろうな、なかなか。

忘れた曲も、やがて忘れてしまうだろう曲も、記憶の底の深い淵でねむるといいや。あらゆる音楽を包摂して、沈黙は、もっとすばらしいからね。

そういえば

昨日、書き留めておこうとしたらブログが重くて放置したんだよな。ここ三週間ほどの間に読んでたもの。内田百聞、吉屋信子、泉鏡花、野坂昭之、S.キング……なんつーか、みんな文章にクセがあるなぁ。

それと。最近アフィリエイトって流行ってまんな。すげぇ。 『他人からいくらゼニ引っ張ってこれるか』 をハッキリさせるシステムだなぁ。なんつーか、ギブ&テイクとかドライかつ合理的に装いつつも、人づてでゼニひっぱるやり方って、実はけっこう農村的なやり方っつー感じもするのだな。
なんか、生きにくいヨノナカになってきたなぁ。ネットの上さえも。

そうそう。おぼえがきついでに書いておこう。
大昔、私は、設計思想やアイコンから見て 『ネスケは海軍、IEは陸軍』 と言ったけども、んじゃFireFoxは……空軍なのかな?(笑)
空軍というと、やっぱ3D。立体的なウェブとは? サイト群の連携なんかが、昔なつかしのサイバースペースSF風に“構造物”として認識されるようになるのも、そう遠くないかも。ここらになると、感覚的に、私らみたいな年寄りにはついていけないだろうが、コドモらは平気で駆使できよう。技術の進歩はどんどん認識を変える。

ついでに言えば

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! な風邪はまだ完全に去ったわけではない。
かかった職場の皆様も 『十年ぶりで驚愕』 とか 『トシなのかと絶望した』 というほどの高熱&悪性風邪。私も二夜連続で、鼻ミサイルスズキさんから伝授いただいたように首にタオルを巻いて寝た。万策を尽くして立ち向かわざるを得ないレベルの風邪。
まぁ、節分だし。鬼ならぬ風邪も来て、千客万来な一年になるのだろうか。
いつもながらに小学生のように、さしたる企画もアテもなくとも、季節がめぐる予兆だけでもう幸福。七十になっても八十になってもこうなのだろうか。きっとこうなのだろう。ああ、何て困った。

来たのはいいのだが

iPod shuffle が来た。とてもちいさい箱で、とても単純。
猿がキャンディの包み紙を剥いてるような、そんな感じで音楽を聴ける。たぶんバッテリーとかは長持ちすまい。だとしても、価格帯もデザインも包装もオモチャっぽいので、あまり怒る気にはなれない。最初から客を納得させちまう辺り、ジョブズ、流石だな。
だが、オモチャとはいえ、デフォルトのイヤホンとストラップだと “ちゃんとダサくなるように” 出来ている。なまじオモチャっぽいので、かわいく使いたくなる。そこらに付け込んで、アクセサリの類はリッパな値段だ。
まぁ今のところはアクセサリも未出荷なので、吉田戦車描く包帯少年のようにぶらぶらコードを下げて徘徊しているしかない。春が楽しみになるアイテムではある。
しかし、外が春で、大好きな音楽を聴いて歩いたりしたら、たちまちに心浮かれて不審人物になる気が強くしている。 心配だなぁ。

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