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2004年12月

換装とほほの記

※ぱそこん自作系の話題のため、意味不明な方はまとめ段落だけどうぞ。

今日、雪だったので、ついCPUを載せ替える。石をよくみる。
あれ……ぷれすこじゃん(汗)。イヤげな予感。
のせかえる。電源いれる。
うわあああ、ビープ音連発ぅぅぅ!!!
連れのマシンでマザボメーカーのサイトを見る。……このマザボ古いから、ぷれすこ対応してねーし!!
泣きそうになる。連れに 「祖父地図で衝動買いした時点で負け」 と言い放たれる。
すごすごと祖父地図に出かけ、ノースウッドに変えてもらう。てゆーか差額4000えん払って、なんでCPUをダウングレード交換しなきゃいけないんだよ……(大泣)。てゆーか、リテールファンいらなひ。
こうなると 『祖父地図にお買い得なし』 という我が家の格言の重みが肩に食い込むことだよ。(ちなみに 『“I./O DATA の製品は買うな”が祖父の遺言(笑)』 という家訓もある。)
さて、ついでに行楽も済ませて家に帰り、石を取り替え、マシンを立ち上げた。
(「S.S.I. KULVULCAN、START !」 とか何とか胸の中でつい呟いていたのが、ちょうど行きあって見てきたのがこーゆー催しだったもので。……血を吐くほどオタ臭いな、今日のブログ)
CPU換装くらいなら本来は当然だが、問題なく立ち上がった。
しかし。
追加したHDDが認識されてねーよ……(滝汗)。てか、逝っちゃってたのHDDじゃなくて、マザボ側? んじゃマザボ換えすんのかぁ? ……って、石ダウングレードした立場は?……メモリ総取っ替えかい? ………。
あまりのバカさ加減にアタマがぐるぐる。とりあえず、放置!

けっきょく、連れに言われた。「つまりキミはだな、万事順調だから、つい面倒なコトがしたくなったんだよ。それだけだよ」
私は観念して答えた。「……うむ……(汗)」

雪だし

起きたら寒かった。雪がふっていた。 「うわー」
横浜は海が近いこともあって雪はすくない。
”よーしパパ、森田童子かけちゃうぞ!” などとは言わない。そうでなくとも、昔から雪が降ってはしゃいでると、ロクな目に遭わない。だけどやはり、見慣れないものなので嬉しい。
昨日は仕事おさめで、終業と同時にこそ踊らなかったが、ロッカーでひとりホーストダンスし、「♪ふゆやーすみー」と勝手なメロディーで口ずさみながら帰った。幸せがあふれかえりやすい性質なので。
ああ、仕事おさめしてから雪が降ってよかった。おやすみの幸せと、雪を見る幸せと、おやすみの日にぬくぬくと雪を見る幸せが、アクリル水彩絵の具の重ね塗りの虹の如く、心に架かっていく。

それはそれとして。今年はエラい天災ばかりであった。なんびとも一島嶼にはあらず。

それはそうと

24日から4日連続、シフォンケーキを食べている。クリームつけてない、単なるスポンジ。
自家製だ。連れが焼いている。そして、連れは会心の出来になるまでは何度でもトライする人間だ。今日もまぁ悪くはなかったが、まだトライするだろう。大晦日まで、毎日毎日たべることになるのだろうか。なんだか、カフカ的な不安が胸をよぎることだよ。

正月ライクに ~冬休み萌え~

ちょっと正月モードに模様変え……したかったのだが、なんでニフティってテンプレートしか使わせないくせに、どれもこれもダサいわ可読性は低いわなんだろう? (以下、あまりにも口汚い罵詈雑言を並べたけど心を改めて略)。まぁ妥協して、チャイナ風にしてみた。中国は旧正月だろうに、とか言いたいことしきりだけれど。
ともかく。冬休みボルテージを最高に上げておきたい。オクで高値落札ディアブロ2拡張パック、プチプチにくるまれたままの中古ペン4の2.8G(でもノースウッド)&連れのお下がりHDD、いえもんのライブDVD、読むぞ読むぞ、くけけけけっ(←歓びのあまり異様な笑い声)と想う本の数々などなど。冬休みは冬休みするためにある。だがどれをとってもリア厨なみな気もする。むぅぅ。
明日定時になったら踊ってしまうかもしれないくらい、冬休みがたのしみだ。いや、いまの仕事は好きだ。でも休まずにはたらくのは、やっぱり澱がたまる。大掃除(汗)も大切、年賀状書きも大切(汗)、だが心のリフレッシュは一番たいせつだー! 人生いっかいやし、あんま、垢のたまった心で這い回ってたくないやん、ホンマ(と何故か関西弁)。
クリスマスも過ぎたし、そろそろ、なんとゆーか、頑張った一日のおわりに布団にもぐりこむようなシアワセ感が、しみじみしてくる。年の瀬の風情というより、冬眠グマに近い。
ま、これだけウキウキしていても 『うわっ』 というくらいあっけなく終わるのがお休みというものだけど。

スカ日

イエローモンキーのビデオフェスティバル。水道橋に着いて、ゲート前で見たら、チケット忘れていた。迷ったが、家人に頼んで、持ってきてもらった。それほど乗り気でなく出かけるとこうなる。
空いた時間があって、目の前にウィンズがあった。数日前から「単勝でロブロイ3000円ほど買っておいたらどうよ」と何かが脳裡で呟いていた。だがオッズを見て、また100円単位の階に入ってしまったこともあって、気を変える自分のバカ、バカ、バカ。2倍しかつかなくても鼻紙よりマシというのに……やはり博徒には向かないなぁ。
びでおフェスティバル、高性能双眼鏡を持って行ったのは正解。最後にメンバーが登場して、『JAM』 を一曲演ってくれた。精一杯のサービス。ありがとう、とも思うが、まだ6時だYO!! ということで家人にでんわするとまだアキバ。落ち合うことにした。
道すがら、先日見かけた、つくばとアキバを結ぶエキスプレスとやらの宣伝ポスターを想起し、『なぜ両地区はダサい印象があるのか』、 『そもそもなぜアキバがいまやフーゾクとアニメとコスプレの町になっているのか』 をかんがえ、ついには 『“鬼門” とは何を意味しているものなのか』にまで辿り着いていた。いや、自分なりに筋道は立っていると思うけど、何の役にも立たないと思うので略。後日ヒマがあったら文章にしてみよう。でも、どこにアゲるあてもないな>自分
連れだって帰る道すがら、タマゴを買う代金をめぐって罵倒合戦(笑)、つーかスッておいてそれだ。というか、人間はそういうものだ。家人には、親切で人柄のいい知人がいるが、テレクラで一ヶ月120万を使って平気でも、だが娘の中学の制服のブラウス1枚1万2千円の高さに激怒していたという話だ。
ヒトはみな、どこかしらがヘンだ。さらにいうと、他人を非難してるヒトや嬉しげにクサすヒトというのは、自意識が妙に敏感でヘンだったりする場合が多い。なんつーか、中高生の自意識がいまだに抜けていないというか。ただ、そのオカしさ具合が陳腐すぎて、取り立ててあげつらわれもしない。かくて、ヨノナカ平和が保たれる(笑)。

雑記

そろそろ寝なければいけないが、寝つかれないので、ここ数日のことをサクッと書く。
23日は山手の西洋館を歩いた。連れが興味を持つイベントがあったので行った。陽射しは暖かかったけど、それでも寒かった。天井が高い家はいいなぁ、としみじみ思った。
クリスマスの今日は、最初イベント目当てに出かけたが、途中で間に合わないことが判明し、家にUターン。ビデオを立て続けに見た。『シュレック2』、『マッハ!』、『ゼブラーマン』と、おバカ系ばかり。でもどれもちょっぴり泣ける。
全然関係ないが、『ゼブラーマン』と音引きがつくのは、やはりヒーローものの鉄則ゆえだよね? 『ゼブラマン』では感じが出ない。随所で、うまいよなぁ~、と感動しながら見てた。サエない中年の小学校教師役の自室、ベッドの頭側の壁に飾られた色褪せた宇宙飛行士のパネル、あれだけでカナ~リキャラを語ってしまってた。うーん。

ちなみに今日は

イラつきがち&ミスの多い、ネガティブ系の日ですた。とか、連日ぐぢぐぢ言うヒマが何故あるかというと、まだオフにやる義務シゴトが振り分けが決まらず正式発注ないからです。冬休み予定入れてから全部パーにでもされたらどうしてくれよう。

北斗というと

朝、ネットを巡回していて、『佐々木健介・プロレス大賞を受賞』という記事。北斗やファミリーも映ってる。「おお」
私はプロレスが大好きであった。これは血統だ。母方のばーちゃんもドラゴン藤波の激烈ファンだったし、兄姉全員、プロレス大好き。私本人も当時でいう新日者(ニガ笑)だった過去がある。
女子プロのいわゆる黄金期・多団体合同での横アリ興行などにも、行った。あの時代の全女は、主力陣が同年代ということもあって、イヤげなほど感情移入して観てた。当時は、目黒に住んでて、全女の道場の前もよく通ったし(笑)。
北斗晶は、ケレン味たっぷりの魅せるレスラー、金が取れるレスラーだった。クレバーで責任感のある、ピッとスジの通ったレスラーであることは、試合からマイクアピールから、ひしひしと感じ取れた。
いろんなプロレススタイルがあって、それはそれでみな楽しいものだ。別に昭和じゃあるまいし、キリキリと眼をひんむいて観たいとも思わない。でも、リングの上で眼を射るようなオーラを放つレスラーを観るのは、いつでも、どんな団体でも、すごく楽しい。あれは天性(あるいは化けることによる第二の天性?)だしね。毀誉褒貶あっても、私は北斗というレスラーを高く高く買っていた。
んで。
北斗が気に入っているのは、もうひとつ理由があって、なんとなくうちの実姉に似ているのだ(笑)。化粧が濃かった頃など、リングメークの北斗とよく似てた気が(笑)。
さらに。今回知った、健介ファミリーのブログ。北斗の文章を読んで、なんか限りなく、姉の文章に似ていてびっくり!絵文字の使い方とか、意外となごみ系で前向きなあたりとか。
……ま、そのうち、前々から言ってたドラゴンゲートでも、みんなで見に行こう!(笑)>姉ズ

ツェッペリンのことなど(完全独言状態)

今日、THE YELLOW MONKEY のクリップを見ていて、『BURN』の吉井さんを見て「うあ~、プラントみて~」と思い、ふとネットを検索。我が意を得たり、と思えるようなサイトを発見して嬉しかったので、ふとツェッペリンの思い出にひたる。
 アタリマエだがリアルタイムには聴いてるわけがない。だがなぜか消防の頃、家にテープがあった。長姉が友人にでもダビングしてもらったのだらふ。アルバムのタイトルも何も書いていなかった。
 厨房になって、ペイジがクロウリーマニアだったという記事を何ぞあやしげな雑誌で読んで「そーいえばツェッペリンってうちにあったなぁ」と聴いた。イヤげな接点だな(笑)。んで、タイトルも何も書いてない、だが気が遠くなるほどアヤシイ曲を聴いて、ハマった。なにせ、今にして思えば、ありゃ「フィジカル・グラフティ」と「イン・スルー・ジ・アウトドア」。そーゆー年頃には萌え萌えだよね(笑)。
 無知な厨房なので、メンバーがどんなツラやら何も知らない。声と音、それをちゃさいラジカセで聴いてるだけだった。星をも墜としそうな声を出す人間の顔も、険阻な山嶺を拓くようなギターフレーズを響かせる人間の顔も、想像できないままだったし。
 気に入ったので友人に勧めてみたりもしたが、いったいヒロくんに萌え萌えの中学生女子あたりをつかまえてツェッペリンを勧めて理解されるとでも思っていたのか>若き自分。(のちに出逢った、はるかに音楽面に理解力のある友人たちに、ジョン・マクラフリン・マハヴィシュヌ・オーケストラを勧めて何とも言えない顔をされ、さらに後にはヴァージンVSも聴かせて困惑させたっけ……、イタイタしすぎるよ>若き自分)
 まぁ、おかげで「天国への階段」を聴いたのも、メンバーがどんな顔をしているのかを知ったのも、ハタチすぎてからだった。自分で稼いだお金で買ったミニコンポで、アルバムや4枚セットのリマスターズをじゃかじゃか聴いてた。ブートにはほとんど手を出さなかったが、ライブパフォーマンスは「すげー!」と圧倒されます、ホント。
いまは毎日聴くにはヘビーすぎるし、「プラントと歌おう!」とばかりにカラオケしても舌がついて行かないし、歌詞だってワケわかんねーし、そもそもカラオケで歌うには違われな曲の筆頭だとも思われだし(洋楽だとバックの映像が必ずのんきな観光地になるのはやめてほすいものだ!)……でもでも、やっぱ好きなバンドだなぁ。

DON'T CRY SUDDENLY IF YOU ARE GONE

タイトルに特に意味はなし。いや、Yoshii Lovinson (元 THE YELLOW MONKEYの吉井和哉氏)ネタでどーしてもブログを書きたくなったので。
Rockin on JAPAN の表紙で見るに、『また』坊主アタマにしているのでウケてしまった。ホントに頓狂な人だが、そこが限りなく(・∀・)イイ!。まぁ、見てくれなんてどーでもよく、しみじみファン。ソロになってからのほうがさらに好きかも。
「ああ、このひと、生きてるなー」と感じさせてくれる人が、私にとっての“スター”。人に生きる力を与えられるのは、人間の持てる最大の力ではなかろうか。そのゴージャスな力に比べたら、「何々が演奏できます」「何々が作れます」などというのは入り口レベルにしか過ぎないよね。
……こんぴうただってそうで、GIGOなどと今さら言わないが、『何処へ・どのように』 が無いところで、こんぴうたなど導入しなくていいと思う。道具の主人か奴隷かを、『道具を使えるか使えないか』レベルととらえる輩が多すぎる。主人の仕事はまだ生まれぬ世界を夢みること。道具の使い方など下男に任せておけ(と 『絶望書店』ライクに。巻頭言、名文でシビれます)。
……ってのは脱線。書きたかったことその2は、今日になってようよう手もとに来た THE YELLOW MONKEY のクリップ集のブックレット見てたら、イギリスでメンバーのバッヂをねだってきたおっさんミュージシャンがいて、実は THE CLASH のミック・ジョーンズだった、というエピソードがあったとゆーこと。
自分が好きな人が自分が好きな人を好きだという話って、なんかちょっとうれしいよね?

土日報告

中年ヨガの集い、へとへと(笑)。つか、スジでも違えたのか、寝る前から痛くて、起きたら見事に筋肉痛ですた。しかも喉もいたいし。
にもかかわらず、出かけますた。工作船を見たいというので。でも税関とかも見学するハメになり、面白くはあったけれども、帰りには口も利けなくなるほど疲れますた。
ちなみに土曜には、CPU中古で買ったり、メガネつくったり、大散財。いずれもとりあえずは放置。年末年始の休みまでは、騙し騙しのヘロヘロ低空飛行。これでシゴトで潰れでもしたら、死ぬな(泣笑)。

ヘタヘタと

一週間がおわった~という解放感を満喫しようとゲームする。DiabloⅡ。オンラインでもシングルプレイ(笑)。
だけど切り上げに失敗して、ずるずるやってしまい、目は痛いは疲労感はつのるはでトホホな気分。うう、眼底がずきずきする。
ロープレ系はアイテムだとか冒険だとかの興奮に引きずられて、なかなかやめられないのだけれど……。日々の労働もそんなもんではなかろうか?だがロープレキャラを酷使するが如くに自分に厳しくあたっていたら人生よほど違っていただろうよ(笑)。嗚呼、一日がおわる。
※なんかここ一ヶ月ほどの体調の低下と、冬至間近ゆえの自閉モードと、待ち受ける義務労働とで、しばしメール等を出せないと思われです。つかネット回るヒマあったら休むか学ぶかしるって感じ&超遅筆ゆえメール書くのけっこー大変なので。でもブログ等は定期巡回しますでそれで影ながら見守ってます。どぞよろしう。

風の歌

大事をとって、水泳やすみ。だけどしょーもないことばかりで時間はすぎる。
最近、見聞の範囲内でいろいろな人がいろいろな転機むかえてたりする。すべての男女はStar、それぞれの軌道を往くわけで、自分も他人もそれぞれに幸福であるように、願う。
いろいろネットまわる。いろんな見事な文章や絵を見て、うわーと感心する。ホントにおなじ人間かよ~、とたまげてしまう。んだけども、すごさや見事さと、忘れられないということは、また違う。♪水くさいようでいても忘れられない人~、じゃないが。
人とのつきあい方と本とのつきあい方とは似るのだろうか。少数のおなじ本を、たびたび読むわけでもないが、飽かず心に想い返しを繰り返すほうだ。かといって別に、作者来歴に詳しくなったりスラスラ暗記するわけでもない。でも、とてもとても大切に思うのは事実。
なんか、時にふと遠い風景がよみがえるように、折りにふれ心に想いかえす言葉に、死ぬまでにあとどんだけ出逢えるのかなぁ。ちっと、淋しい気もしたりすれ。

狭すぎるよ世界

「岡本かの子の……金魚ってタイトルだっけか?違ったんでないか?クリムトの絵だろ、そりゃ」と、自分で疑念がきざし、今さらぐぐる。その検索の道のりで、よいサイトを見かけ、「ほほぅ」。いや、ずいぶん前にもお見かけしたような気もする。北園克衛部があるし(笑)。
ブログも拝見すると、お見かけするブログ名があったりとか。そのお見かけするブログ名にはさらに直リンさせていただいているブログ名もあったり。読書量がすくないので、拝見しても合いの手も入れられず相づちも打てない身だが、なんか奇遇感。
世間の人はたくさんのブログを回っているのだろうなぁ。片手で足りるブログ巡回で、RSSリーダー入れても放置の私なのだが……、やはりネットは広いんだか狭いんだかわからない(笑)。

寒風の如く

知識を求める人と求めない人ということを前記事で書いたけど、『なんでも教えてくれる箱』だけありゃ事足りるだろーが、とかは思わない。人間のナマの心、ナマのまなざししか与えてくれない、『特別な栄養素』 は確実にあって、そういうのが不十分で育つと、知識欲とかそういう以前に、『もとめる心』 がひねこびてしまう。
で、うまく求められない人間は、必ず押しつけに走る。ゴーマンかます場合もあれば、同情を引こうとする場合もある、手法はさまざまだ。ただ、それで幸せになるかというと、なかなか幸せにはならないよーだ。
そんなスパイラルで、救いがないほど孤独な人たちが増えてるよーな気がする。
男子高校生を脅迫、女逮捕 ラグビー雑誌見て一目ぼれ
いや、わらえる記事でもあるが、なんか鬼気迫るもんもある。寒空に欠けていく月を見るよーなすさまじさ。

つーか、タタリ神はどこにでもいる。スリランカに行ったとき、バスガイドさんに「こないだこの河で赤ん坊が豹にさらわれたよ」と聞いて仰天したことがあった。だが、子供を残虐に殺すキティ野郎だってもはや人間ともいえまい。獣を追い払えば人が獣の役を務める。構成要素はおなじで、役割を誰がやるかは関係ない。でも、なまじ人間に殺されたと思うから、よけいに心の傷が深くなったりもする。
人間をただ人間としか捉えられない世界認識は、いっけん理知的にみえても、何の知恵もない世界だよなぁ。

おはなし千夜一夜

多人数で話してるときの自分のクセ、『その場にいる全員に通じない話なら、振らない』。会話は基本的にはキャッチボールだと思うので、まぁ誰でも受け取れそうな無難な話しか投げない。そうすると勢い、天気の話だの何だの、つまらない話になりがちだ。自分でも全く興味がない話だ。
これではいけない、もう少し個人的なネタを振ってもいいのではなかろうか、とか思うのだが、習慣とは恐ろしくて、なかなかそうできない。何を振っていいのか困ってしまう。共通の趣味や話題で集まった場ならまだいいが、そうでもない場合は、なかなか困る。特に個人的に語るべき来歴やら取り柄やらはないし。
私に凄まじく少数ながらも友人がいるのは、偶然の『合い鍵』の発見や相手の並々ならぬ好奇心のおかげがほとんど。いわゆるひとつの奇跡に近い気はする。

その点ネットだと、どんな話題でもばきばき振れるので気が楽だ。ネタもとが知りたい人はグーグルで調べりゃ済むし、どうでもいい人間は無視してくれればいいから。
 (しかしネットでの今までの経験からいって、人に勧められたり紹介されたネタをきちんと追っかけるのは、もともと教養ゆたかな人だけだ。断言していい。……デジタル・デバイドとか案じる以前に、知識欲の段階で人には差があるんだよなぁとも感じる。閑話休題)。
でも。本当に大切なのは、特定の趣味でも何かの知識でもなく、『手が合う』かどうかだとも思う。趣味や知識はデータベースでまかなえても、その人の手触りはどうしようもない。手が合う人と好き放題に話すのってスゴク……(・∀・)イイ!

かの子観音

最近、職場にキリリとした顔立ちの好青年が入り……別に『中条きよしよりイイ男(by 『お三十路の町』の陽子)』とは言わないが(笑)……、しかも席が真向かいに。なんまんだぶなんまんだぶ、長生きはするものだ、と眼福に心でしみじみ手を合わせていた。そんなところでタイムリーに読んでしまった、岡本かの子の 『老妓抄』 _| ̄|○。
しかし……岡本かの子ってば、もやもやした感情を仕立ての服の如くぴたりとなぞる、その言葉の的確さでは稀にみるくらいスゴイ。瀬戸内晴美の 『かの子撩乱』 だけ大昔読んだってんじゃ、なんもわかってなかったなぁ。情念まみれの女人みたいに喧伝されてるが、やっぱ童女か観音かという感じの無垢な人だったのではなかろうか。でなきゃ、ああも正確に丁寧に対象をなぞれない。
読んでみようかなぁという気になったのは中条きよしならぬ省平の本を見てだが、その時は『金魚撩乱』読んだだけですた。おなじ人と会っても、アングルやその時の気分で、出会えたり会えなかったりするもんだ。
いい文章よめて、はっぴー♪

散漫にクロッキー

くしゃみ爆裂。まだまだ風邪らしいので、拾い読みならぬ拾い書き。

・諸事情により、これの点灯式を見た。それはともかく、ライティングショー終了間際、豪華客船『飛鳥』が大さん橋を離れはじめた。みんなそっちに目をとられちゃってた(笑)。ベイブリッジを背景に、シャンデリアのような船が海の上を煌めきながら去っていく景色は、ホントにホントに綺麗だった。イルミネーション&出航というゴージャスなシーンは意外と目にしないと思うので、機会があったら、でひ一度。

・『恋の門』 を読了。平成の 『同棲時代』 か?と思う濃さ。濃さというのは常に笑いとスレスレ(上村劇画、いま見ると相当に笑えるし……好きだけどネ!)。読後感としては、友人の家に招かれてチーズフォンデュをご馳走すると言われたが、"いっけねー、ブルーチーズも山ほど入れちゃった、でも大丈夫だよね?"と満面の笑顔でたずねられたみたいな感じだろうか。

・さむくなって道ばたの猫ズも軒並み冬毛している。それらが会社帰りの時間、どこぞの匿名さんにもらった餌を前に、あちこちで丸くなっている。バスケットボールみたいだといつも思う。こんもり。

・イエモンのベスト、Amazon配送おそすぎでキャンセルして買い求めに出た。風邪だっつーのに。ま、Amazonで頼む辺りですでに負け組。懲りて、吉井さんの1月発売CDの予約は店でしてきた。

だうだう

もはや『だるだる』も通り越している。それでもさまざまな都合上、水泳教室には行った。今月はシメにクロール25Mを8本というのが続いているのだが、ようよう端から端まで泳いでいる状態にだるだるだもので、今日は3本か4本の途中でがぼがぼと沈み、「す、少し休んでてください」とコーチに気をつかわれた。がぼ。
なお、先日コロッケ丼の惨劇が起きた弁当屋コロニーだが、なんと昨日からケーサツが『通行の邪魔になる不法駐車』という理由でショバから追い散らしている。つまり、界隈の勤め人にとっても弁当屋ズにとっても、むごたらしい事態になっている。あぢけなくコンビニ弁当して、なんかすごくふしあわせな気持ちになった。多少トリッキーな所業はあったとしても、またそのうち弁当屋ズコロニーには復活してもらいたい。
勤め人すると、昼ごはんのしあわせが、実はけっこう大きい。ちょっとちょっとのしあわせの積み重ねは、ダウンジャケットみたいに、ひとつひとつはささいでも、やがてぬくぬくを創る気もする。ちょっとのしあわせを大切に集めて、蓑虫のよーに着込んで、冬支度。

だるだる

先週はリッパに風邪なのを、「いや風邪じゃない、風邪じゃない」とできるだけ注意を向けないことで乗り切った。おかげでのどの腫れはひいてきたが、その反動なのか何か、むやみやたらにだるい。最近、寝不足だからか。……毎日最低でも6時間以上寝ていて寝不足といったら、勤労者の半数にボコられても文句はいえないか。
最近の私のモットーは、『まだできる 思ったときには もうするな』というものだ。ムチャをして育つ時期もあるが、ムチャをしたらただ壊れる時期もある。ということで、とっとと寝ます。みなさま健康であるよーに心から願いつ。

お椀ライクに

日々がマタリと過ぎるのは恩寵だと思う。ので、心をできるだけ丸くしてこねて、わずかにでもモノを書いたり考えたりする力を中で再生しようとも感じる。なかなかナンギだけど。
平和な時は平和な時で不満をあら探しし、荒れる時は単にブツブツと沈んでゆくというのは、もうどうでもいい。そんなにたくさん命の時間がなくなってきてからも、そうしてるのは、もはや人間ではなく機械であろう。
あるいは、考えていないと自分が消えてしまうと思うのだろうか。だから必死こいて、悩んでるフリをしたり、頑張ってるフリをしたり、いっしょけんめいやるのだろか。
だが、そんなことで消えちまうもんは初めから存在しちゃいない。ましてや、もし『ちゃんとしてる自分』するためだけにそうするなら、それは世間様への免罪符にはなろうが、自分自身に対する犯罪だ。
などと考えるので、もっともっと心を自由にして、もっともっと人生を楽しもうという思いが最近ますます強くなっている。
それはまぁ、しあわせになりたいと明日や明後日を夢見るんじゃなく、不幸も幸福も今の瞬間の心にみっちりと感じとってやるぞー、ということなのだけど。いや、だって生きてるのってそれ自体でスゴイことじゃん。

リアルって

せっかくなのでマンガを読もうと思い、本屋に寄った。諸星大二郎はまぁ妥当、あとは話題になったが読んだことはないものを読んでみようとして、『恋の門』と『少女革命ウテナ』(まったくの偶然だったが、この取り合わせがどんなにスサマジイ破壊力を生んだか……、恋の門1巻を読んだ人には理解できよう)。
しかしマンガというのは、たましいの文脈にさえ沿っていればかなりムチャクチャでもOKなんだよな、そこがすごいよな、と改めて感心した。現実はひとかけらの石を動かすにも相応のエネルギーを必要とするけど、マンガの中では『在れ』と言えば在るんだもん。ワケのわからん現象に入る説明も、説明になってるよーで全然なってなかったり。小さい頃には気付かずに納得、いやむしろ感心してたりするので、やはりこれは年をとってしまったということなのだろうか。
まったくテレビを見ない我が家では、晩ごはんの時だけ宗教儀礼のようにテレビをつけるが(だってつけても見てないし)、ブラックジャックがお茶の間アニメになっていたので、ほぅほぅと言って、観た。なんと古くさいのだろうと改めて感じたりして。逆にいえばテレビに流せるものというのは、そういうものだ。胸に突き刺さったり毒があったりするものは、みんなが観るものにはふさわしくない。
ブラックジャックも昔は衝撃力があったが今はこうだ。だが親は自分が観たことがあるものなら子供に安心して見せられる。大昔の赤影だの赤胴鈴之助なども、そうした構図のもとに映像化されていたのだな、と今さらながらに気付く。
まぁ、でもコドモにはこういう無難な食い物を与えておくことだ。コドモだって、足りなきゃ自分で『毒』の買い食いくらいする。保護者のたいせつな役割って、“教えすぎないこと”なんだろうな、たぶん。

映画をハシゴ

 『誰も知らない』を最終日に見に行こうとしたらレイトショーしか空いてなくて、空き時間を埋めるのにちょうどいいのでおなじシネコンで『ハウルの動く城』も見た。つまりハシゴ。
 『ハウルの動く城』は、宮崎駿の描くヨーロッパは何でこうもハウス名作劇場になるのだろうかとフシギな気がした。ジャンヌダルク"もどき"は描けても、ジャンヌダルクは描けない人だからかな。たぶん欧米人が描くと、空想上のヨーロッパといっても、もっとリアリティあるだろう。やっぱ日本人だよね。千と千尋のほうがムリがない。……それから個人的な好みでひとこと。金髪をバカのシンボルに使うな!(笑)
 『誰も知らない』は親族の薦めや職場の人の薦めもあって、見に行ってみた。長さにダレたが視線の丁寧さはすごい。ありのままのこどもを撮れてる。スゴイことです。
 その丁寧な視線で、主役のコを、稚ないオトナ、少年、仔ども、おにいちゃん、男のコ、などのいろんなアングルを掬い取っている。ので、いきおい、『役割』 のなかでことこと揺れ動く 『生命』 がよく伝わって、殻を割って出て、生きよう生きようと身を震わせてもがく雛を見ているような、切ないような苦しいような気持ちになってしまう。
 この映画のモチーフとなった現実の事件の顛末を知っているだけに、 『……願いこめすぎだよ』 と言いたくなる微妙さはあったが、こういうナイーブさは大切にしたい。『たとえ神が存在しなくとも、人が存在する限り、祈りは在る』ってことで。
※いま書いてて気付いた。カメラがあのコをとらえる視線、あのコが母親をとらえる視線に、似てる気がする。ごくありのままな感じとか、一抹の哀しさとか。

まんがの世界

 微妙に無断リンクを増やしたりするこの頃。無節操は生まれつきだからしかたない。無節操といえば、趣味も無節操だ。ただし浅く広く。好奇心はあるが探求心はないから。
 残念ながらアニメはそう詳しくないが、マンガはかなり読んだ。とはいえ、20代も半ばになってからは人から勧められでもしない限り、読まなくなった。音楽を聴かなくなるのと同じことだろう。
 いま手もとに残るのは、山岸涼子、つげ義春、吉田戦車、業田良家、永井豪、しりあがり寿、永野護、花輪和一、東陽片岡……って、やっぱり節操ない。
まんがというのは相当に過酷な創造作業だろうけど、下手な文学より五十倍くらい向こうにまで届くこともしばしば。
 たとえば……敵対組織に追われてボロアパートのトイレを改造した隠れ家にこもる貧乏ヤクザの組長が耽読するのが萩原恭二郎の詩集「死刑宣告」だなんて、そこらの文学や映画がやるとクサすぎるが、東陽片岡に描かれるとマタリと和むだけでなく笑いまでこみあげる(『お三十路の町1巻より』)。また、行き倒れ寸前の母子たちを助けた心優しい父子が家と食い物目当てにその母子たちに殺されるという救いのない話に、花輪和一が提示した天上的なラストショットは言葉を失う(『月の光』)。
※マンガやアニメは、"メディアそのものの特性として"暴力と笑いの描写は得意だと思う。言語的な文脈と視覚的な文脈を並行して流せるのは強いよね。
 てゆーか、私的に言いたいのは、『マジ大人なら、ブコウスキーより東陽片岡じゃん』
 …… いや、これを言っても絶対同意は得られないんですけどね。人生降りてるよーなセリフですから。

コロッケの逆襲(まるで小咄)

 先日、ここでコロッケについて触れた。読みようによっては、ただのコロッケはクリームコロッケより劣るかのように読めるかもしれない。筆禍ではないだろうが、今日は衝撃的なことに出会った。
 オフィス街には、お昼には出張弁当屋さんが軒をならべる。職場の近くもそうなのだが、日陰の上にビル風は吹くし、今日は冷えた。
 急ぎ足で物色して回っていた私は、好物のかつ丼……とんかつよりもかつ煮が好きだ……が、300円というのを発見した。やや小ぶりなせいだろうか。しかし、朝に受け取った親族メールで“コロッケもほどほどに”と助言を受けたばかりなのに揚げ物か。いや、小ぶりだからイイんだ、それにコロッケじゃないから別だ(←言い訳)、と心に決めて、おばちゃんに「そのかつ丼ください」と告げた。
 と、おばちゃんは、「はい」と言うまでの間に、ごくわずかに、おそらくは32分の1拍子くらい、躊躇した。
 一瞬の不審は寒さの前に吹き飛び、私はかつ丼を手に下げて職場に戻った。みそ汁も飲もうかな、などと心を楽しくしながら。
 で、職場で適宜あたためたかつ丼を食べはじめた。そしたら、いきなり、鶏の焼いたのが二きれほど入っている。
(………?) やや不審だったが、コショウも効いていて美味しかったので、はむはむと食べた。そして左側ブロックから攻略。味付けが好みにあっていたこともあり、ラッセル除雪車のように平らげる。そして今度は右ブロックを攻略。
(……!?) はしが、ぐにゃっとめりこんだ。ずぶずぶと衣に呑まれていく。
 そして気付いた。
(こ、これは……コロッケ!!) なんと、右サイドはかつ煮ではなく、コロッケ煮だった。
 安すぎる価格も、おばちゃんの躊躇も、謎はすべて氷解した。だが、あまりの因縁ではなかろうか。
 ……こんなんありかい……_| ̄|○ 。

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