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2004年11月

食欲大戦

昨日は 『中年ヨガの集い(笑)』 第一回。爽快&楽しい感じで何よりだったが、今日になってあちこちがイタイ。しかし何事も最初がいちばん大変だ。
いらん脂肪は病気のもとのうえ、年とともに代謝は低下するわけだから、ダイエットすべえ、が課題になりつつあるのに、なぜか徒歩1分の 『さぼてん』 に足は向かう。だが、大好物のかにクリームコロッケが、新潟工場が被災したとかで販売中止。なんというタイミングの悪さか。それでもコロッケを買う。何がダイエットか。
申し訳にひじき煮も買ったし、今日は玄米炊いたからよかろ、と自分をごまかしたが、おかわりしてしまっては意味がない。
舞い込んできたシゴトを頑張って片づける。天気がいいので、ちと哀しい。昼に起きておいて言うのも何だが。
イライラして、というのを言い訳に、チョコや何やらたいらげる。シゴトが終わったところで、玄米一膳をはむはむ食べる。
そして帰宅してきた連れと、さらにチョコなど食べようという魂胆。こうなったら食うか倒れるか、だ。気付けばもうすぐ、秋も終わりだし。

ハウリング(=音を拾って増幅ループ)

宮崎駿の「ハウルの動く城」もそのうち見たいものだ。ビジュアライズ能力が好きなだけですが。
そういえば、宮崎監督が『貧相な少年と美少女』→『美少年と貧相な少女』にスタイルチェンジしたことに関して、我が家で討議があった。覚えているのをちらりと。
<前提>少女と少年は象徴として交換可能性がある。ので美の重点をどちらにずらしてもよい。
<利点>→監督、また男性客や年配客を中心とした観客は、『ロリコン』だの『美少女趣味』だのの汚名を免れる。また実際にそうした性的指向を持つ観客を排除して、クリーンなイメージを保てる。女性客や若者を中心とした観客は、ヒロインの容姿や性質(宮崎監督はヒロイン像にネガティブパワーは持たせない・これは一貫している)に対する劣等感を抱かず、つまり安全な観客として世界に参入できる。
<前提>ネットなご時世、美少女ヒロインを貶めるエロ系パロディや暗黒系パロディはおおいに出回りうるが、それでは制作側のイメージコントロールから逸脱する(=商品価値を損なう)。
<利点>→だがエロ系パロディで美少年を貶めることは、(パロディ制作者が男性ならば)本人が『同性愛者』・『少年愛者』と同定されかねないので、ややセーブ意識が働く。(パロディ制作者が女性ならば)制作者本人が特定される危険を冒すのを嫌う傾向があるのでそう大々的に出回らない。暗黒系パロディは、筋立てを単純な勧善懲悪にしなければあまり作られない。
……ぜんぜん違う言い方をするなら、『汚されていない未来』を貶めたり利用したり傷付けたりして消費しよう(貪ろう)とする『老醜を晒す未来なき者たち』の前では、『未来を守るために』偽装を余儀なくされる時代状況なのではないか、ということで。
……もうひとつ踏み込んだ言い方をするなら、“『未来を守る』ことって『思い通りの未来が欲しい』に似てるよね”だったりすて。『未来を守る』とか抜かす以前に、“後継者を何人か世に出してみては? 話はそれからだ”と思う(笑)

カンフー・ハッスル

できたばかりの109シネマで「カンフー・ハッスル」なる映画を見てきた。『少林サッカー』の監督(ついでにいえば主演も脚本も本人)。安心して見られるバカ映画を見るのは娯楽の王道ではないか。このトシになって、寅さんや釣りバカ日誌の存在の意義を理解しはじめた。
映画はもちろん楽しかった。それとは別に気付いたこと。中国映画は暴力がエグめではなかろうか。スプラッタとかそういう安物ではない、本義としての『相手が自分に刃向かう意欲をくじく』に近いものだ。力の前に為す術のない人間の弱さや、力にへつらい掌をかえす人間の醜さや、そういう『心をくじかれる過程』の描写が巧い。
権力闘争や民族抗争いっぱいの中華圏の歴史を考えたら、そうなるのも当然だが。こういう『心の死』に収斂する暴力描写に比べたら、『肉体の死』なハリウッド的暴力描写はこどもっぽくて罪がない。死ぬほうが楽、でも死ねない、生きよう、でも潰される、そんな繰り返しが名も無き民の通底奏音だったりするのだ。

いきづかい

連れがサウンドボードを新しくして、それで音を聴くと、今までよりはよく聴こえる。音がリアルになるのは、特に歌が入っていると、ちょっといやな部分もある。歌い手の人間がじかに伝わってきてしまうのだ。
もちろん、『声などで人が知れるワケもない、ただの妄想だ』 と言われたら、そうかなぁ、で済ませる程度の感じ方だが。オーディオマニアというのは気持ち悪くならないのだろうか、こうも赤の他人を身近に感じるということ自体に。歌い手だってイヤだろうなぁ、恥ずかしいだろう。生きている自分を他人にモロに晒してぶつけてるわけだし。
とある愉快系イベントの際、音楽関係者への質問として、「歌手の整形疑惑などがよく取り沙汰されるが、それなら最初から美人を連れてきて歌わせればいいのでは?」というものがあった。その答えは「CDに入れて聴くに堪える声の持ち主は実は非常に少ない、だから勢いそうなってしまう」というものだった。
機器が優秀になればなるほどアラも目立つ。歌手はスゴイのだな、と感心した。
文章の場合は、そういう機器はない。ただ、ヨノナカにはものすごい読み手も多々いるもので。ネットでそういう読み手の文章を見かけると、くわばらくわばら気分。

宙鳥海獣

今日はシゴト帰りに美容院に行った。衣食住についてはまるで違いのわからない私だが、同じその美容院には一年半くらい通っている。今の担当さんは何人目かなのだが、指名する理由には 「橋本治(しかも金髪のとき)そっくり」 ということが大きなウェイトを占めている。いや別にタイプとかそういうわけではない……おもしろいから。別にセンスも嫌いではない。
今日は実に久しぶりにパーマをかけ、巻き毛カナリアのような……そこまで華奢ではないか……巻き毛インコのようなアタマになった。だが美容院の鏡に映った肩から二の腕にかけての逞しさを思い起こすと、鳥類などおこがましい、やはり海獣という気もする。
髪は記憶をあらわすというけれど、人間トシとともに白髪が増えるのは、精魂尽きる思い、いわゆる「真っ白な灰」になった記録なのだろうか。それも超絶的な努力の果てではなく、衰えで精魂の最大値が下がって、結果的に簡単にピークに達して白髪化が進むとかね。なんか哀しいが、そんなことを考えた。

秋は家電

クラッシックをバックにうどんを啜る音で目覚めた。空は晴れていて、もう昼だった。
連れが一年以上ぶりかパソコンにスピーカーをつけ、ついでに最新のサウンドカードを載せたのでイロイロ聴きまくっている。寝覚めがワーグナー、そのままキヨシロー、鬼束ちひろ、モー娘、と何がなんだかわからないが、私のHDD分も含めたシャッフル演奏なので仕方ない。
ただ音楽は香りと同じで、あきらかに縄張り維持と結びつくため、狭い空間だとけっこうツライ。大音量の音楽は、かけるのも聴くのも嫌いだ。せせこましい人間なもので。
オーブンに続き、さらに今日は炊飯器を買った。これで玄米をしばしば食べるようになればいいが。白米はうまいが、ずーっとそればっかだとハラの力が落ちる気がする。肉にしまりがなくなるというか。
でも試し炊きは白米。そして今、炊けた。……おいしすぎる……。

Rainy

雨だし、サムイ。こういう日はセンザンコウやアルマジロのように丸くなっていたい。朝もギリギリまで寝た。
だが今日は週に一度の水泳教室。しかも先週は練習がおやすみだったので、頑張って行った。なぜか三回に二回は端から端まで泳げるようになってきた。のんびりと向上していきたい。いつか狂える海獣か全開のノーチラス号かという勢いでうざざざざと進水してみたいものだ(速く泳ぎたいわけではない、誤解なきよう)。
ビンボーというのに連日の散財。ま、あの世まで金は持っていけないしとも思うけれど、あの世に行く前に金が尽きたら困るのでみな必死に蓄えるわけでもある。人生の残り時間がわからないゆえのナンギさ、だがわかったらきっとそれもナンギを生むだろう。
人生は楽しく過ごしたいものだ。できれば心なごむ人々に出会いたい。たとえばHotWiredのこの記事末尾にある求人広告、シゴトの内容はともかく、こういう『インテリジェンス』ある職場というだけでも、かなり勤めたくなるよね(笑)。

極私的ひっこし

音楽ソフトをRealからiTunesに乗り換えた。iPodを買おうってわけでもないけど。
ちゃんと金はらって買ったにもかかわらず無礼きわまりないサポートやあこぎなVerアップなど腸煮えくりかえる思いをさせられてきたが、それでもRealを使い続けてきた。山のように打ち込んだ歌詞データのために。だが、なんかどうでもよくなったので乗り換えた。
すると実に快適。とっとと乗り換えるべきだった。メディアプレイヤーその他を使ってるヒトには乗り換えを強く勧めたい。
だが曲名やバンド名やジャンルなどは完全互換と行かなかったので、しばらくは大変だ。しかも、音楽のジャンル分けというのは、うとい私にはいたくムズカシイ。美空ひばり歌う「Love is Many Spledored Thing」は演歌かとか、初期のRCとガロを同じフォークでくくっていいのかとか、P.I.L.もレッチリもオルタナになってるってどうよ? とか、悩みは尽きない。
文章好きを公言するわりには文章を読まない日は多々ある。だが音楽を聴かない日はほとんどないかもしれない。煮詰まりやすい体質(こういうのは性格ではなく体質由来ではなかろうか)なので、自分のテンションや感情を操るうえで音楽はとてもよい。節操なく何でも聴く。今後はさらにイロイロ聴くようになりそうだ。
とかよろこんで書いていた矢先、同時にiTunesをマシンに入れた連れが「電源が落ちずにリブートするようになった」とか言ってきた。水を差された気分でやれやれであったりする。

澱ながし

温泉に行きたしと思へども 温泉はあまりに遠し
せめては百円4枚握りしめて きままなる風呂にいでてみん。
 ということで近所の銭湯が改装したとか言うのででかけてみた。最初から期待していなかったが、やはりその通り、改装は名ばかりで、湯はイヤげに熱く、シケた感じはぴくりとも変わらない。シャブ喰ってんすか!みたいな骸骨じみた茶髪おばばや責め絵を背負った絵人間の憩いの場なので、そりゃ変わるまい。変わってはいけないという意志が働いているのかもしれない。そういう人々の保護区みたいな銭湯だし。
 サウナとか銭湯の類は何か澱のようなものが染みこんでいる。みな躰にこびりついた業を棄てにくるせいか。同様に、毎日はたらいていると、シゴトの嫌いとか好きにかかわらず、妙な澱が心身に溜まってくるのがわかる。言い添えておくと、それが人間の渋みや重みになっていく面もある。澱をうまく流しだせる、さぁさぁと活きた水路を内面的に確保しないと、生きてもいないうちに老いていきそうで、ちとコワイ。
 ということで、メールのレスから何から遅々として進まないことの断りに代えていたりして。ちょっと鬱はいってる、ではなく、ちょっと澱はいってる、ってことでよろしく。

石窯おーぶん

我が家ではオーブンとレンジとに別れていたのだが、諸事情かんがみて、一台で済むオーブンレンジを購入。量販店で物色する際、さまざまなレンジが煽り文句のシールで飾られていたその中に「こんなに大きなメロンパンが焼ける!」というのを発見。『こんな巨大なメロンパンを焼いてどうするのか』 『この広告の担当者はこれが多勢に対して訴求力を持つと思っていたのか』 『だがそれならそれでイイ奴だな、嫌いにはなれない』 などと、胸中にさまざまな思いが交錯した。
さっそくやってきたオーブンは立派な温度センサー表示がついていたので、連れが喜んで早速コーヒーを温め、60℃の表示で取り出したところ、ぐらぐら煮え立っていたりした。つきっきりでないと気が抜けない、ガスコンロのようなオーブンレンジ。まぁ、暮らしの友が増えるのはそれが機械でも悪くはない。ようこそ。

サプリメント

 ここ数日、寝覚めが悪いというか眠気が失せないというか、ギリギリまで二度寝していた。いくらなんでもこれは極端ではあるまいかと思い、思い当たることはといえば、ちょうどその頃から、毎朝飲んでいたビタミン剤を切らしていた。きっとそのせいだろうと思って、さっそく買い込んできた。さて結果はいかに。
 なんでもかんでも自然なままでいりゃ健康でいられるわけでもない。「いかにも自然な」自然を保つのに人の手が必要なように、人間の「いかにも」な自然サイクルを保つにも人工的な助けがいる。つまり何事もみなエントロピーの都合上、死に向かってるのだ。
 今流行のsustainableだっけか、アレは言葉のごまかしに過ぎない。自然は穏和な循環などしない。破滅的な暴力をふるっては、スッキリした顔を決め込む。ネトゲのキャラを消去しちゃ遊び直す、こらえ性のないガキとどう違う。
 などとレッド・ホット・チリ・ペッパーズ「Californication」を聴きつつ思ってみたり。やっぱ11月かな。

……巷で人気のFirefox、悪くはないが文字表示のカーニングがマヌケではあるまいか。おまけにこのページのトップのレイアウトもおかしくなってしまってるし。

しんどいときは

なにげに、人の悩み話を聴くことになりやすい。おとなしいキャラでも賑やかしいキャラでもそうなるのだから、もうこれは物的特性とでもいうようなもんだろう。産廃を放置されやすい荒れ野キャラ、いわばゴビ砂漠的キャラとでもいうべきなのか。
まぁでも別に苦にはならない。人が置いてった心のゴミはバクテリアよろしく分解し、自分の胸中の妙な建築の材料にさせてもらっている。まぁ、郵便配達夫がつくった奇天烈な理想宮や、あるいはそこらの変なオヤジがつくる秘宝館のようなもんだ。持ちつ持たれつ。
ただ、話をされても、よい励ましなど見つからないときも多々ある。また、相談しようもない漠たる気分的な悩みもあろう。そういう時は、私的には自然の驚異に触れるのがいちばんのクスリになる。ということでちらり
同じ地上に自分も含めてけったいなイキモノが多々いて、一切合切ひとしく生きては死ぬという壮絶なフシギって、すごいよね。

佳人之奇遇

 今日は朝から渋谷。なんと目覚ましが鳴らなかったが、勤め人復帰後の日頃の鍛錬のおかげでセーフ。昼に用事が終わり、自由ヶ丘でスフレ食べる。
 来週に控えた強敵(とも)とのカラオケに備え、地元まで戻って一人狂ったようにカラオケる。残り時間1分になるまで熱唱するのもいかがなものか。その帰りに、なんとその当の友人とばったり遭遇。お茶って歓談する。雑踏のなかバッタリという奇遇は、なんか五割増しにゴージャスな気がする。
 野菜をたくさん摂り、甘い物は自粛しようと思いつつあった矢先の一日。野菜のみのランチを却下し、マロンスフレ、マロンティラミス、クッキー半分、さらにミニチーズケーキふたつを平らげる自分に鬱。
 ふしぎだけれど日常のペースを変えるような思いが兆すと、その端から潰れていきがちなものだ。人のなかの日常はともかく波風を立てないことを望むということか。

しゃべれない!

昨日は散財すまいと家から出ずに、古いゲームをやっていた。もうすでにずいぶんと散財したのだ。その一部は昨日きて、いま手元にある。キーボードだ。
ずいぶん長い間、今はなきアキバのたんせいで買った中古IBMメカニカルを使っていた。古いキーボードは丈夫だ。だが、もはや人間が使うレベルを超えてキタナイし(いや、洗えばいいんだけどさ)、フルキーだから狭い机でたいへんだし、何といってもメカニカルはうるさい。深夜チャットのときなどスサマジイ。特に私は叩き込むように打つので。そこで遅まきながら反省して、変えてみた。
いろいろと検討したが、結局は連れの勧めもあって東プレのリアフォ89。服より靴よりキーボードに金をかける自分に鬱。それにATOKも最新のものにした。
だが、おかげで入力てんやわんや。この文章も実は頭っから書き直し。どこぞさわったら消えてしまったので(笑)。それに数字入力になると右手がテンキー求めて宙をさまようのはしばらく治りそうもない。職場はフルキーだし。
ちゃんとマトモにカスタマイズして、かな入力200W/分Overで巡航したいが、頭がトロいので文章自体が進みそうもない。微妙に悲しい。

お酉さん

 昨日は仕事帰りにちと足を伸ばし、酉の市に行ってきた。目黒の大鳥神社はむかし何度か行ったが、横浜の酉の市ははじめて。直線だと近いとこなんだけどね。
 『地元民にはお馴染みだけれど観光客には引かれてしまう』 ヨコハマらしさが満喫できるマツーリ。国際色ゆたかだし(どのガイジンさんも所帯じみてるし)、タイムスリップ感あるし(龍の刺繍付きサテンのスタジャンにリーゼントでも誰もひいたりしない)。連なる露店のあかりをラブホとフーゾクのネオンが取り囲む、クレイジーケンバンドをBGMにぶらぶら流したくなる風景だ。
 ちなみに神社で引いたおみくじは「凶」。てゆーか、今年はコンスタントに凶をひいてる。神も仏も逢ったことが多分ないので知らず、いても冗談好きに決まっているので、にゃははと苦笑してウケ流す。
 ま、何だかんだ言って縁日なわけで。たまに頭から血を流したオヤジがフラついてたりしても誰も動じない下町にして、惣菜が安くてうまくてモノによっては出所不明な横浜橋商店街では、美味&キムチ入れ放題なトック(韓国雑煮)を200円でがつがつ食べたり。タイのおねぃちゃんたちが焼くタイ風焼き鳥食べたり。奉納気分で割高な七味唐辛子を口上聞きつつ買ってみたり。世界にいろんな香具師が居てこそ楽しいのかなと思える、とりどりの酉の市。

小鬼日和

 11月、霜月。なかなか好きな時季なので、しみじみ頑張ろうと思っていたら、朝からいきなり電車遅延。むっとする湿気のなかをバスに揺られ、なぜか今日に限ってやたら忙しい、目まぐるしい、らちのあかないことが多い。音階を1つ外した状態で、一日おわる。
 帰ったら帰ったでらちのあかないことが連続。料理の鍋に耐熱型ハムスターが飛び込んで走り回られているような困惑感に駆られる。たわたわしながら、連れが衝動的に借りてきた「キャシャーン」を見る。
※以下、感想。インデントつけるべきか(笑)
 (総体的にはそれほど悪くなくとも、画も、言葉も、モロい。美麗な画と力ある画は違うし。?……いらん多弁、絶望のシーンで沈黙を使い、希望のシーンで多弁になる。アメリカンなコミュニケーション・ウェイだからかぁ?(笑) 自分の文化的アイデンティティをこの監督はたぶんマトモに消化できてない。だから文脈が混乱してるし、だから他人に届かない。でもがんばれ。異人の哀しみが世界を(良きにつけ悪しきにつけ)変えていくのだしね)
 んで、野菜ジュースを飲みつつ、この日記を書いて、寝るまでの一日がおしまい。なんかせわしない。笛なぞ吹いてると横からイタズラ小鬼が勝手に穴を抑えてるよーな、激怒するまでもないがイライラする、ヘンな日だった。明日は音程の合った一日になりますように。

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