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2004年10月

まわせエンジン

 最近は、シゴトから帰ってまた別のシゴトをするのは避けるようにしている。休日を潰せば済むことなのだ、と思うようになった。
 なぜそう思うようになったかというと、要は「アタマがうまく動かない状態でムリに駆動すると、イライラするわ能率があがらないわ果ては自己嫌悪で鬱になる」という事実に気付いたからだ。いや、連続運転なら長時間でもいいが、一回やすませてしまうと、本調子へ立ち上げられるほどのエネルギーが出ないし。家電製品だって立ち上げの時にワット数喰うんだから、きっと似たようなものだろう。
 そもそも考えてみたら、私は決してシゴトするのは嫌いではない人間だ。つか、何かやるハメになったら、ムリヤリにでもその中で楽しみを見出そうとするタイプだし。たぶん人は、シゴト自体が嫌いなわけではない。うまくできなかったり意味なくツラかったりする……つまり自分自身が嫌いになってしまうような事態に追い込まれるのを避けたいのだ。
 という具合で、できる限り、日々を機嫌良く過ごせるようにビミョーに工夫をしてみる。自分自身が好きでいられる時が人間にとって一番しあわせな時ではあるし、実際、その方がひがみ・ねたみ・そねみにやられず、つまり周囲に迷惑をかけずに生きていけるようでもあるから。……こんな年になる前にとっとと気付くだろーに、って気もするのだが。

ドタ靴とさんま

 知人らがあいついで靴を新調したのを受け、日曜に私も靴を買ってみた。あんこうのような不格好な靴を履いて上機嫌になっている。
 近所へ昼に出張販売にきているおべんとう、安くて喜んだ。味もまずまず、これなら今後はコンビニのお世話になる必要はまったくない。ついてきたおみそ汁を呑んで、雨模様の空にもかかわらず、胸にしあわせを感じる。
 夜はさんまの刺身がおいしい。ちいさな幸せを五感から取り入れて養生しておくことは誰にとっても肝心。
 もちろん、ドタ靴を履いて通う毎朝、道の並木など見上げつ、初期の北園克衛の詩など心にキメるのは欠かさない。ちなみに今朝は「十月のノクタアン」ですた(笑)。
 

I smell disaster

 ユーリズミックスの曲の歌詞から(懐かしい)。20日は颱風だったし、今日ははるばる遊びに出たホームセンターで地震があったし。もちろん両方とも被害は受けなかった。せいぜい 「ひゃあ」 だ。
 だがこうした天災で家財や身内をなくした方もいるわけだ。そして現代ではニュースがあるので、ケガひとつ無い身で惨状を見てしまいもするわけで。20世紀は知覚の拡張の世紀だった。富める世界では一般市民までその余録を享けられる。
 んで、なんか知らないが、天災の被害に泣いているのは、経済にも元気がない地方都市が中心だ。いつも不条理に思うが、それこそ弱り目に祟り目ってやつかな。自然は、水に落ちた犬を叩くようにできているのだ。やんなっちゃうよなぁ。
 まぁでも、何が正しいとか間違っているとか、何が努力で何が運だとか、何が美点で何が汚辱だとか、どうでもいいことだ。なんというか、 『世界は劇場』 でひどい冗談のようなものなのだろう。
 悲観的になっているわけではない。というよりマレなほどに平穏を満喫している時にこそ、そんなことがリアルに思えてくる――よく晴れた夜空だと星がよく見えるみたいに――そんな性質ということで、ひとつ。

記憶のなかの海

 横浜には山下公園という場所があり、いま通っているところはすぐ近く。何があるわけでもないが好きな場所だ。
 この近辺は著名なデートスポットなのだが、この海のそばでの記憶というと、いつも一人だった気がする。近しい人々と歩いたことも多々あるはずだが、どうもそんな気がしてしまうのだ。
 人を寄せ付けない荒々しい野生の海ではなく、人をさし招く形の整えられた野良の海があって、そのうえを、さぁーっと鴎がいつも空を薙いでいく。そういうのを見ていると心が自由になる。少なからぬひとが、『ひとり=淋しさ』ではなく『ひとり=気ままさ』だと感じるようになるだろう風景。
 むかしから好きだったが、いまも好きな光景だ。いまはベイブリッジもみなとみらいのビル群も見えるが、昔の寒々しい頃のほうが好みではあった。自分が死ぬ頃には、いったいどんな眺めになっているのやら。

かに殺戮

 低気圧なので覇気が出ない。単純に記録。
 連れがモクズガニ(藻屑蟹)を買ってきた。こないだの上海蟹と比べてどうよ?ってなことで。
 カニは食べるならともかく、生きてイゴイゴしてるのをさわるのはヤダ。ので遠巻きに見守っていた。生きているものをぐらぐら煮え立つ鍋にほうりこむ。と、はっしと鍋に脚をかけて逃げようとする。そこを頑張って叩き込む。
 味としては上海蟹のほうが濃厚だった。だが結論は、「ふたりともカニはたいして好きじゃねー」という、何とも身も蓋もないモノとなった。生きながら茹でられたカニの立場は(汗)。
 だけどもカニも、あるいは牛やら馬やらも、『生きたい』とは思ってギリギリまで頑張りはしても、殺したものを恨んだりはしなさそうだ。なんか、ありようとして上等な気もする。生きている人間だけが、よけいに気を回すのかもしらん。

およぐ人

 昨夜遅くはいきなり激鬱の波に襲われてスサマジかった。今朝もつい二度寝した。たぶん日食のせいだろう、今日の午後には抜けていた。
 今日はいつもの水泳学習。相変わらず泳げないというか、息継ぎを習得できない。代わりに息を長く止められるようになってきた……あまり意味がない!(笑)。
 だが早く泳ぐとか遠くまで泳ぐとかいうことを無視して、支えるものなく浮かぶ全身で水の流れを感じるのは、なかなかヘンでよい。アルカイックというか、奇妙な感覚が喚びおこされる感じだ。
 “感覚”というのは不思議なもので、それに淫することなく浸っていると、ヘンな直感的思考というか何というか、一風かわった知性?が動き出すよーにできている。
 言語の縄をつけられていない、けったいな野生のいきものと化してぷかぷかするのは、何か自由なような物哀しいような、ちょっとヘンで貴重なひとときだ。

空気の人

 うまく言葉を伝えようとして苦労したり、さとすつもりが身につまされたり、とかく自分がふらふらするものだ。年をとってこんなにふらふらしてては頼りないことこの上ない。
 強気になったり弱気になったり傲慢になったり卑屈になったり、内圧と外圧の均衡がうまく取れないタイプの人間だなぁと自分でも思う。まぁ、気にしてもそれだけじゃ解決にはならない。と、気にしただけで事足れりにしがちな、悩むポーズで怠惰のカタマリな自分にちょっと牽制。
 最近になってようやくわかったことがある。きっちりと悩んで挑んだことなら自分なりに答えは出る。「解はない」という結論だとしても、何らかの形は出る。要は解決へ向けた意志と知性と勇気。大げさに響くけれど、問題に対して、解決しようと思い、分析し、実行する、それだけ。
 さらにわかったこと。自己不信に陥ってる人間は解決への意志を据えにくい。そして解決できないせいでますます自己不信に陥る。また、意志をたいせつにされずにきた(自分でひっそり絞め殺してきたケース含む)人間は『解決への意気は人一倍だが、意志の据え方を知らないので解決できない』ことが多い。どっちも悪循環。おでこに眼鏡を上げて眼鏡探し、に似てる。滑稽だが悲惨だ。
 もっとわかってきたこと。それでも人は、じょじょにでも何とでも学び、育ちうるということだ。
 年をとるにつれ、あいうえおを学ぶように新鮮にたどたどしく、世界のいろいろを学ぶことが増えた。ほんとに世界は広いし限りないなぁ。

機械の想い出

 昨日仕事が少し捗ったのと、職場で券をもらった関係とで、国際航空宇宙展を見に行った。
 最初はさらっと一巡して帰るはずが、なかなか面白い。呼び物のヘリのデモフライトは、雨まじりの悪天候で観覧どころではなかったが、すごく胸はずむ一人乗りヘリや各種ミサイルやエンジンのモックアップはもちろん、養殖チョウザメやアキバの露天商ばりのJALのおっちゃんの解説展示など、実はけっこうたのしいものがいっぱい。特に連れなどは、ジェットエンジンの試作機(職人手作りモノ)の美しさと精密さに、小学生のように無心に見とれていた。たしかにホントにキレイだ。
 んで。石川島播磨重工の展示で国産ジェットエンジン第一号(幻の特攻機『橘花』に搭載されてた)の現物をみてきた。デカいエンジンを見慣れた目にはちっさいその機関の横腹に“横文字の”プレートがついていた。「ありゃ」
 近くにいた同社の初老の紳士に尋ねてみた。すると「20年に持ってかれちゃってね~、やっと見つかった時には向こうの研究所で教材として使われてたんですよ。で、それじゃ展示するってことで借りだして、そのまま返さなかったの(笑)。で、まだウチにこのエンジン作った人がいたから、その人が頑張って説得したら向こうの人が折れてね。ずーっと貸し出しでいいよ、ってことになったんです」と語ってくれた。このエンジン、アメリカには二機あるが、日本にはこの一機しかないとか。(→そこらへん詳しいサイト
 エンジニアリングを文明史な文脈で見る視点は日本ではまだ日が浅いのだろうし、私もまったく素養がない人間だが、でもどんな分野でも、先人が情熱をかたむけて作ったモノを蔑ろにするほどタマシイがビンボくさくなったら、もう先なんてないだろなぁとは思う。最新の機械だけでなく、むかしの機械も見られたのは、ちょっとよかった。

濃度

 A型のせいかどうか、何かするのに前準備は欠かさない。完璧主義とかダンドリとかいうより、単にパニクりやすく小心な、海象な性質のせいだ。けれど、前準備するにもエネルギーはかなり要る。ので、最近は、面倒なことに取りかかる直前まで、できるだけ気分転換に努めることにしている。
 昨日は水泳教室。相変わらずカナヅチだが。練習でフィンをつけた。これで二回目だ。ムチャクチャ早く進むし、気分的にダイビングっぽくなれるので、とても好きだ。だが一日中立ち歩いた末のヒレだ、足の裏がつりまくった。
 ちなみに先日、職場で電話はあまり取らないと書いたが、それも良くないであろうと一念奮起。ここ二、三日は電話を取りまくっている。ついでに誤って電話を切ったのは十回を下らない。これだから電話応対にあたるのはどうかと思ったのだが……。ま、前向きな失敗は失敗には入らないということでひとつ。
 前向きといえば、今日は勤め帰りに、ネイルケアなるものを受けてみた。実情を知る人には (゚Д゚ )ハァ? ものだが、最近は 『一度で挫折しようがどうしようが体験することは良いこと』 という考えが身についてきつつあるので、何でもほいほい試している。したことの後悔よりしなかったことへの後悔のほうが根深いし。
 トホホな思いに重石のように沈み、そうかと思えばちょっとの元気を絞り出し、残り知れない手持ちの日々を、色とりどりに、想いのままに、だ。

昼は春、夜は晩秋

 海を眺めつつ、おべんと。遠足のガキら、わらわら。鴎は空を飛ぶ。戦闘機も空を飛ぶのだが、見てなかった。残念。
 そこはかとないシアワセも山積みの雑務で虫食い。家にかえってもジョブ多々。アタマが動かないつらさ。やがてはカラダが動かないつらさも加わるのだろうか。鬱なときに人様のたのしげな文章はよけいに不幸を積むものだ。意味もなく自分があわれに思えてくる。馬鹿っぽいなぁ。ド鬱なときは音楽に限る。
 ザ・クラッシュのサンディニスタ!を聴く。寒くて湿っぽくて鬱げな英国パンクスがラテンアメリカしている奇妙なアルバム。ファンにも人気がないらしい。だがクラッシュではこれが一番好きだ。
 すっきり晴れて暑かったのに、一転、気分が晩秋。一日は同じでも、見ている季節は人それぞれ。
 よし、もすこし鬱になったらツェッペリンの“When the Levee Breaks”聴いて寝よ……。ジョブ片づいてないが。

ウォンバットのごとく

 今日も大雨。いままで「勤め人、必死だな」と部屋で笑顔で和んでいたような悪天候に連日身をさらしている。でもそれもまたよし。
 職場ではひたすらイゴイゴとマイペースに仕事している。勝手に作業をみつくろってコネコネしている分には全く問題ない。でんわを取ることも取るのだが、ひきつった形相でシゴトをしている時は、周囲の人が気を回して先にでんわに出てくれる。いいのか、派遣の分際で、しかも全くのゴクツブシ作業で(汗)。しかしまぁ、こういうウォンバット的な仕事っぷりでOKだと非常にラクだ。
 ウォンバットとはネズミとは見えない超巨大ネズミだ。ハムスターが車輪を回すのなら、大八車ばりの車輪を回すだろうサイズ。吉野屋で牛丼の肉と偽って使われているだとかの謎の風説があったりもした。
 だが、動物園で見たその振る舞いは何よりも強烈だった。かなり広い飼育場の壁際の隅っこ、わずか3mほどの距離を、全速力で駆け抜け、また全速力で折り返し、狂ったようにまた折り返しては駆けめぐる。それをひたすらに繰り返していた。こちらも負けずに十五分ほど見ていたが根負けした。ネズミだから走るのは得意だろうし狭いほうが落ち着くのかもしれないが、憑かれたようなその挙動は何か不可解かつ呆然とさせられるものがあった。
 奇怪な巨大ねずみに共感をおぼえてしまうのも何だが、アメリカ生まれ浦安在住の如才ないアニメネズミよりは親近感が持てる気はする。

たまには訪問者サービス

 知人のブログで見かけた『占いモンキー』なるフラッシュ。管理人さん(=筆者)との今日の相性が占えます……って占ってどうする(笑)。自分の性格も占えるとかで、あそびにどうぞ。
 ふつう、本文ではなく周囲に貼るものだろうが、だがこのニフティの無料ココログだと周囲のレイアウトは固定。有料コースならイロイロいじれるが、何もこれひとつのためにそこまでする気は(笑)。そもそも、いじるのが面倒だからブログはじめたんだろー!>自分

おべんとばこ

 昨日はよく晴れていた。気分よく起きられたので、めずらしく朝から活動。洗濯をしたあと近所の魚屋にいって小鯛とカワハギと生ガキを買い、それぞれ塩焼きと煮付けとぽん酢。魚類とは相性がいい。
 そして午後からは連れと繁華街に出て、イロイロなモノを物色した。せっかくなので、気が向いたらおべんとうを作って節約を図ろうと、おべんとばこを買うことにしたが、さんざんに悩んだ。
 おべんとばこがないわけではない。前の勤め先にはわりとマメに持っていった……非常に珍しいことだが。ただ、あまりたのしい職場ではなかった。やな思い出がついてしまったものを使い続けるのはイヤである。まるっきり日本人的なケガレの思考だ。ちともったいない。だが、たのしくあるべき昼ごはんのたびに陰鬱な気分になってたら、人生、大損ではなかろうか。
 ということでおべんとばこの物色だが……いかんせん、大食いなのでムスメさん用では足りない。というか、皆どうやってこれで帰りまでもつのか。やはり間食だろうか。ちなみに私は連れと暮らすまで、間食やオヤツの習慣はまったくなかった。いまではケーキでもおはぎでもぱくぱく食べる人になったけれども。
 けれどもあまりに大食いだからといって、黒や紺でキメた、軍用艦のごとき威容の漢らしいおべんとばこというのも、出社三日もたたないうちに怪人物と認定されるキケンがないだろうか。やはりピンクの月うさぎのおべんとばこくらいが妥当で無難な路線ではあるまいか。だが同梱のハシが短いことをはじめ、機能面や対価格性能費でかなりに見劣りがする。どうするべきか。
 などと思い切り店頭で悩んでいると連れがやってきたので、くだんの逡巡を打ち明け、ピンクの月うさぎおべんとばこを見せて意見を求めると 「これではおもちゃだ、幼稚園児だ!」 と力強く言い切られたので、心強く、防衛大の学生にでもなった気分で立派な紺アーガイルのおべんとばこを購入した。どんなものであろうか。
 一日あけ、すっかり冷え込んでやたら眠りやすくなった今日となってみると、明日おべんとうを作っていける自信は失せているけれど(汗)。

歳月は鴎

 今日は派遣さんで初出勤。ひさびさにまた勤め人だ。いつまで続くやら。
 前夜マトモに眠れなかったのはいつものこと。神経が細くなったのではなく、トシとともに 『意外とナーバスな自分』 を認められるようになったので、動揺できるようになったのだ。なので、「寝れなきゃ寝なくてもよろし」くらいに思って自分をなだめた。おかげでウトウトくらいには寝られた。
 大昔、赤目吊って働いていた頃は、毎晩毎晩寝入りばなに、「ばん」と背中を叩かれた感じを覚えて、目が醒めたものだ。あれは緊張がほぐれて背中のキンニクが緩んだ感覚だったのだ……そう気付いたのは大分経ってからだが。そこまでして何を必死になっていたのだろうか。必死に気負って何を誰に証明したかったのだろうか。イタイタしくも何だか哀しいものがある。
 んで、出勤してみると、かなりにラクな仕事、かなりにラクな環境で、たいそう気持ちがラクになった。というより何より、ちと首を伸ばせばいつでも港の青が見える環境というのは、とてもいい。
 晴れていて、涼しい風があって、港の青に鴎が飛んでいる。
 そういう風景のなかにいると、無上にしあわせだ。
 さらに何と。職場の近所に大きな本屋もあった。さらにしあわせ感アップ。
 肝心の仕事の先行きは不明だが、先のことなど誰もわかるまい。ので、晴れの日はせいぜい晴れた海を眺めてしあわせに過ごそうと思う。 

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