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2004年9月

行楽

 もうすぐ勤め人ということで昨日はディズニー・シーに行ってきた。アトラクションにはトシもあってさすがに食傷気味だ。コースターは物足りないにもほどがあったけれど、ターゲット年齢層をランドよりやや高めに設定してあるようなのでしかたない。その代わりにショーを楽しみ、散策を楽しんだ。
 日頃の行いがよかったのか久しぶりに青空も覗き、とても素晴らしいことに、ゴンドラの上から虹も見た。虹の女神もパレードに登場していたが、ほんものの虹の色彩こそまさに 『夢と魔法』 の色彩だろう。
 朝からでかけたので大疲労して、手術痕も痛み、帰り頃には50メートル歩いたら腰を下ろすようなていたらくだった。でもたまに出歩くのも印象が摂取できて、なかなか悪くない。
 ちなみに青山ブックセンターも多くの人の応援あって営業再開らしい。いろいろなことが転変するものだけれど、自分が好きなみなさんや人々にとって、よいほうに転べばいいなぁと今日もまた思う。

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 追加で記述。日頃の行いのおかげで晴天、とかいってる翌日には、水泳教室のあと、どしゃぶりの中を20分ほど歩いて帰宅するはめになった。帰ってきた途端、雨はやんだ。一日で使い果たす程度の善行(苦笑)。

気温が下がると

 昨日は無意味に充実していた。医者に行き、手術後の再発はなさそうだと言われたのはいいが、「治りが遅いのかな……湯治に行かれてはどうですか?」と。十月から仕事だから検査に来たと言ったにもかかわらずで、これには苦笑い。
 そこで湯治がわりだ、と、病院の近くにあって前から行ってみたかったゲルマニウム温浴にチャレンジ。これは大昔に一度経験したことがある。大量の汗が出る。今回もやはり大汗をかいた。心臓が苦しくならずに暖まって汗をかけるのは楽でいい。
 気温が下がってきたせいかどうか、帰宅してからは久々の人も含めていろいろな人とやりとりをし、季節の移ろいを強く感じた。そろそろ自分も出立の準備をしなければならないのだけれど、寒くなると何もする気が起きなくなるのを忘れていた。窓をあけてただ、秋の姿をとらえられないものかと遠くを見るばかり。

カーブなのでブレーキ

だるさが抜けないのは、睡眠サイクルをムリに昼型に変えたせいだと思っていたが、どうやら風邪をひいたらしい。免疫が落ちている。立ちくらみまで凄まじくなった。ので、水泳教室も直前になって泣く泣く休んでぐーぐーと寝つづけた。
暑さ寒さも彼岸まで、というが、今日は秋分。季節の切り替え時、いわばカーブにさしかかったので、速度を落とすべく風邪をひいたと考えることにする。
このブログにも如実に出ているが、私は季節によって文章の感じや書く内容がずいぶん違ってくる。まるでライチョウか何かのようだ。暇人の身を続けていると、やることがないのでつい自省的にもなるし、自分のサイクルがわかるようにもなってくる。くるりくるりと回ってくる縄跳びをえんえんと跳びつづける、焼鳥の串のようにくるくると回されて炙られる、そう見るとなんだか人間も、惑星やら恒星やらの天体と大差ない、無機物のナカマなのかもしれない。
「ああ、やっぱり秋がきた」
そんな感じに、今朝は曇っている。地獄の猛暑も永遠には続かない。人間の季節も永遠には続かない。時はやはり世界の偉大な支配者なのかもしれない。

Creation

 先日とてつもないシンクロとともにオリーブオイルが我が家に降臨した。おいしい上に幸福が胸に迫るので、連日使いまくっている。
 そして今日は古くからの友人とチャットしたけれど、子供さんのワンピースやお人形の服を作ってみたり、椅子の座面の張り替えにトライした~、と聞いて感心しきりだった。
 手を動かしてモノを創るのは、不器用のせいか無神経のせいか、どうもダメダメだ。けれどモノ創りにはやたら敬意を持っていたりする。物知りやスポーツ万能より、モノ創りができる人をこそ無条件に尊敬してしまう。特に理由はないけども。
 もちろんモノ創りは経済効率でみれば引き合わない。一からモノを作って人に売るのと中古品の転売では、楽さが違う。毎日の食事でもそうだ。買ってくるほうが早いし、困ったことによほどおいしかったりもする。
 それでも、時には何かを作るのは悪くない。と、今日は料理の話もしたので、珍しくレシピなどをあげておこう。もし、いつか誰かの役に立ったらさいわい。

★オクラとトマトのスパゲティ
・缶詰のホールトマト1個、オクラ5本、たまねぎ半分、オリーブオイル50cc、塩コショー、スパゲティ100g(1人分)
・スパゲティを塩とオリーブオイルを入れた熱湯で、茹ではじめておく。
・たまねぎをみじん切り。手間なのはこれだけ。オクラも適当にぶつ切りに。
・フライパンか片手鍋でたまねぎを炒め、オリーブオイルを入れる。
・そこにオクラも入れて炒める。さらにトマト1個を入れる(タネごとでOK)。
・塩コショーで調整。これでソースができあがる。
・ゆだったスパゲティをほうりこんで混ぜて食べる。
※秋なのに夏野菜なのはご勘弁を。

★ブラジル風ステーキ
・安くて硬いステーキ肉、オリーブオイル、塩、コショー、にんにく、レモン汁、バジル (あればローレル、クローブ、オレガノも)
・ステーキ肉を適当に叩いて、塩、コショー、レモン汁をすりこむ。
・バットか平皿に入れ、輪切りにしたにんにくを散らし、バジルをかけ(他のスパイスもここで適当に)、オリーブオイルをどぶどぶと浸すくらいにかける。
・その油漬け状態で30分以上ほっとく。室温のままがいいような気がする。
・焼いて食べる。醤油かけるのもよし。
※靴底のような肉をつかまされた時はこれでGo。
 というより霜降りとほど遠い安物肉でこそお勧め。
 やわらかくなるし、油に完全に漬けて冷蔵庫に入れると日持ちもする。

身の丈

今日はレイトショーで『下妻物語』を見てきた。行楽したい気分はあれど遠出はやだ、という気分の時は映画もいい。ビデオとスクリーンとでは文庫本とハードカバー初版の違いよりまだ違う。
映画の中味はなかなか楽しかった。人が面白かったというのでつられて見に行ったのだが、よかった。まぁ、もともと原作からまとめて面白そうだったし。映像も華やかでよかった。CFや音楽クリップ出の監督が活躍しているというがさもありなん、なんといっても映像の一瞬の訴求力が高いもの。すこし疲れる面もあるが、飽きずに見ていられる。
 見に行った映画館は 『プロジェクターかい』 と言いたくなるスクリーンだったが、暗闇のなかに身を沈め息をひそめて見る映像は、やっぱりたのしい。それに、話のサイズにあったスクリーンサイズだった。
 大上段に構えた制作費何億円ものおはなしもいいけど、身近なサイズで現在の心に添ってくる話もいい。また今の時代、そうでなきゃリアリティもないだろう。身の丈な映画館や身の丈な本屋があちらこちらにできると、なかなか楽しいと思うのだけれど。

ぷかぷか(浮沈)

 花柄の気分ではじまった一日も、グラデーションのように沈みこんでいったりする。
 まぁ、そんなもんだ。何につけても浮き沈みするのがヨノナカなのでしかたない。
 ちなみに今日は、勤めが決まったりした。求人を目にしたタイミングがやたらよかったので、招ばれたのかという気さえする(笑)。でもまだしばらくは、自由な時間に寝起きできる。
 多くの事柄は走り幅跳びみたいなもので、最初の歩調が合うか合わないかが大きい気がする。もちろん出だしの失敗は努力で挽回できるけれど、挽回より他を当たったほうが有意義だったろうにという事態は、掃いて捨てるほどある。
 挽回……といえば、克己心に満ちた努力や超人的な意志への憧れは人一倍あるほうだ。だが、年を経るごとに自分にはムリだと理解できてきた。エサで引っ張らないと動けない、イヤなことはできない。動物みたいなもんだ。いうなれば、 『山を登ることはできないが谷底に落ちることはできるタイプ』 だ。
 ま、それなら、重力に任せて、力を抜いて、ただただ好きなことに溺れようとも思う。けれど、力を抜き去るのも至難のワザ。今後もずーっともがき続けるのだろうなぁとも思う。つまり……出口は入口だ?(笑)

白と黒

 最近、なぜかモノクロ映画を見る。この世には色があるのだし、と敬遠しがちだったが、これがなかなか。面白いものだと、見ていてそんなに気にならない。また、まがいものでもわかりにくい部分があるので、特撮やCGで制作費の大半を割かざるをえない総天然色映画よりも、ある意味ストーリーに全力投球できてるようにも見える。
 とはいえ、ここ二週間ほどで見たのは二本だけ。『赤い天使』 と 『陸軍中野学校』 。監督は増村保造。もともと濃い世界を描く人なので、総天然色よりモノクロでちょうどいいくらいかもしれない。それに、構図や光と陰のグラデーションの美しさが、パッキリと際だつ。
 また、どちらも戦時中の話なので、モノクロがまたよくハマる。カラーではなく、モノクロや茶色のほうが、日本人にとっては 『戦争らしい色』 だしね。60年の平和にふかく感謝したい。いや、実際にそこで生き死にした人たちは天然色の世界で息づいていたことも忘れちゃならないけど。
 あ、肝心の映画のほうは、どちらも面白いです。というより、この監督の描く 『若者というよりも、明日の命もしれぬ老人のように』 なりふり構わず人を愛する女性像は、一種の元形というレベルでぐぐっと惹かれてしまう。
 石井隆は極端な例としても、ただひとつの異性像を描く創造者って、胸にクる力を備えてる気もする。

喰われる日々

これをやりたい、あれをやりたい、と思っていても、時間がとれないことは多々ある。だが、いざヒマができたと思ったら無為に過ごしてしまったりもするのも人間だ。小人閑居して不善を為すとはよくいったものだ。
ひねもす雨を眺めては本を読みさして散らかしたり、職を漁ってみたり、人にレスしてみたり、食事を作ってみたり、なにひとつ一貫も完結もしないうちに一日が過ぎていく。意味のない焦りやトホホ感だけがすこし増えて夜になる。
ただただ何かを継続できることは才能だ、たいてい継続には他からの刺激が要る。盲目の欲望の底支えがない、いわゆる才能とか言われてるものは、ほとんどは『身過ぎ世過ぎ』の別名だ。
他人が邪魔だ、場が不自由だ、とボヤキつつも、それなしで立ち続けていられないのがほとんどではなかろうか。そう思うと、周囲に不満を持つこともなかなか難しくなる。『イヤなら去れ』のひとことで、ほとんどはカタがつく。つかないのは自分の都合と思い切りの問題であって、他人にコトバを投げる領域のことではない。
青い水に挿した花が青く染まるように、人は環境に作られていく。もちろん環境に生かしてもらえることと引き替えにだ。他人と、環境と、人はじりじりと喰ったり喰われたりする。共存共栄サイクルで、おたがいさまで喰い合いっこになればいいのだけれど。

ワニと旅する

身内が自宅にぱそこんを導入するというので、ここ一週間ほどいろいろ物色したりしていた。設定を七分通りは終えたので少しほっとする。ぱそこんを例えば組み立てたりセットアップしたりするのはかなり好きだが、オークション関連のやりとりは面倒だった。メールが得意ではないからだ。メールを書くとなると、つい長考し長文になってヘトヘトになる。つまらないメールでも最低10分はかかる。食べるのはやたら早いが書くのはやたら遅い。
たいていのことは慣れだろうが、そういった慣れで済まない部分は、なかなか治らない。つまりキーボードを打つ早さや正確さは改善しやすくても、思考の早さや正確さを改善するのは一仕事だ。さらに、年齢とともに、機械的作業の習得効率は下がっていく。つまり生来の歪みが小手先でごまかせなくなる、隠しようがなくなってくる。
とはいえ、誰にでも偏りはある。CADで描かれたような完全無欠の人間はいない。それもまた動かし難い事実。まるで頭の悪いワニのような自分の難儀な固執と、あきれつつ道連れの旅が続く。は~。

すべては消えゆく

先ほどまで、とある好きな映画について分析を加え、書いた末に書き込み失敗。消えてしまった。かなり心の力をこめて書いたのでガックリ。水泳でへばってきた帰りなので、もう一度書く気力はない。
けれど落ち込むほどのこともない。私は自分が書いたものはあまり手元にない。整理ベタとか引っ越しとかフロッピー破損とか衝動的な在庫一掃だとか、ともかくいろいろなことで散逸する。ま、『書いたものを本気で保存しときたかったら印刷or手書き』が正解だとも思うし。あるいは『石にでも彫れ』だろう(ROM焼きにあらず)。
もし地上の電化製品、特に情報機器が皆ブッ壊れてしまうようなことがあったら……、このネットの膨大な情報はどこに逝ってしまうのだろう? いや、そんな事態ではネットだけ心配している場合じゃないけど(笑)。
水に書かれた言葉のように、ネットの言葉は流行り廃り激しく、右に左に意味を変え、曖昧なのに共鳴され、理が通らずとも肌に沿い、そしていつのまにか消えていく。
今晩も、私もまた、アメンボのように、書きつけて、もう寝よう。

ちなみに冒頭の映画は『ジョー・ブラックをよろしく』です。暗喩やイメージを丁寧に積み重ねた良品かと。

魂魄と肉体の言い分

昨日は身の丈に合わないことに、天然うなぎのお重を食べた。別に何の嬉しいことというわけでもない、ただの思いつきだ。んまかったが食べつけないせいか腹具合がいまいち。今朝は冷えた玄米と賞味期限切れの納豆。これもこれで精神的な貧困さが丸出しな気もする(笑)。昨今の粗食を美徳とする意識は『高品質』という前提を必要とするものだし。だが、「ヒトはヒトを殺して食うこともある」という事実が背骨に入ってるヒトを見てしまったあとだと、つい「ウソくせぇ」と毒づきたくもなる。
こんなことを書くのも昨日みたビデオゆえ。『ゆきゆきて神軍』と『シュレック』(笑)。ムチャクチャな取り合わせだと思ったが、見終わってみると意外とムリがなかった。どちらも「ウソくせぇ」ものを、殴打し、嘲笑し、追いつめ、辱めることで、見物人の心をひっかく。
「事を荒立てることなんかないじゃん、これが一番なんだよ」な予定調和を指向する人間の“心(エゴ)”に、前者は無念さにねむれぬ“魂”(中国語だと“鬼”かな)が、後者は出物腫れ物ところきらわずな“肉体”が、「ふざけんなよ」と挑みかかる。どちらも見る人によっては(2ちゃんのスレ初見時のような?)かなりの不快感をおぼえるだろう。
すべてがひとつの思いでつながれる、共生の王道楽土や至福の千年王国は、人の悲しい願いだ。だがそれを神ならぬヒトが無理に現実に引き下ろせば、すべてがひとつの思いのために踏みにじられる世界が生まれる。
かくて見苦しい泥粘土の王国で今日も泥人形の泥試合。
でもそれは、捨てたもんじゃないんだ。つかれるけどね~(笑)。

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