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2004年8月

いい時代

安部譲二だかが「女は安心させてくれて機嫌よくさせてくれるものを必要とする」と書いていた。恋愛や甘いお菓子などもそうであろうが、音楽もまた然り。ということで、音楽を聴くのはだいすきだ。
とはいえ、今日もレンタルCD屋では『バンド名は聞いたことはあるが曲は皆目見当もつかない』というお定まりの状態で固まって帰ってきてしまった。うちではTVはほとんど見ない、音楽番組もまた同じ。困っていたが、若者ウケのインディーズ系はここでおさえられるとわかった。メジャー系はヤフーの音楽カテゴリでおさえられる。出かける前に調べておくべきだったと後悔。
インディーズだの、はたまたアングラだの言っても、今は(ネットにさえつなげれば)アクセスは楽になった。その簡便さは、若者などには少し物足りないのではないか。
あまり簡単にたくさん情報が採れると、それを吐き出すため、自分も発信者側に回りたくなる。インプットが増えるとアウトプットも増やさないと、精神は消化不良で苦しむ。ブログ人気の一因は、そういう面にもあるかもしれない。ブログだとインプットを右から左に流してもOKだし。刺青(=傷)と同じだ……、昨今は、ひとつの大きな図を描くのではなく、小さなアクセントをいくつも入れるのが流行のようだから。
私は、スマートで役立つ物知り系文章より、個人の主観120%な文章のほうが好きだ。いい加減な人間なので、真っ向勝負してくる『自分にはこれしかないんだ』という人の説得力と凄みにはやたら弱い。
ということで、ドロドロに濃く(笑)、東陽片岡の「お三十路の町」の三巻を入手。さらに映画「遊び」の原作、野坂昭如の短編「心中弁天島」を図書館で受け取り。なんだかんだいって昭和的・歌舞伎的・人情噺的・オヤジ的な世界に耽溺しやすいだけか(笑)。

やおよろず

映像をたくさん見たので今度は本だ、とばかりに、図書館に大量に取り寄せ依頼を出した。
だがここ一、二年、積ん読が増えている。以前は一週間と積んでおかなかったけれど。さらには、さらさらと読みやすい、いわゆる『おかゆ本』を読むことばかり増えている。読むことは書くことの基礎体力というが、そういう意味ではヘタレた訓練しかしていない。凡庸で品のない文章になってしまうのもさもありなん、だ。
で、たまに普段は読まないような本に手を伸ばすと、目に馴染みの薄い文体が飛び込んできて、衝撃をうけたりする。月日とともに「そうか、本は何でもありなんだなぁ」と実感する。自分のモノの見方というか決めつけに、改めて気付かされていたりする。
いろんな人がいて、いろんな表現がある。そしておおいに自由だ。心のなかの見えない檻がすこーし見えてくると「うわー、人生損してたなぁ」と痛感するが、まぁ手遅れ。損をするのもまた、自由ゆえに与えられた祝福ってことで、自分を慰めるこの頃だったりする。

花の笑顔

映像漬けの昨今は、連日DVDか、でなければオリンピックをみて楽しんでいる。
オリンピックは実にたのしい。緊張というか異様な業というか、こもったものを顔いっぱいに湛えて登場してきた選手たちが、金メダルの栄誉を勝ち取った瞬間、スッキリとすべてを落として、ただただ輝く顔になる。一等賞になれなかった選手は表情にちょっぴり何かが残ってたりするけれど、だがそれもまた味わい深いものだ。
競技によって異なりはするが、スポーツ選手の競技寿命はそう長いとはいえない。また、大舞台で栄誉と賛辞と注目を一身に集めても、世間はうつろう、長続きはしない。マイナー競技なんか特にそうだろう。何年も何年も苦しい訓練を重ねてそれだ、何だか不当に過小な報酬という気もする。
けれど一瞬の光のまぶしさは、その人たちだけのものだ。私たちはただ見るだけだ。見ることで、あふれる光を汲ませてもらうだけだ。
花と同じだ。私たちは瞳から花の美しさを汲んで幸福気取りにもなる。だが、耐える苦しみと輝く栄光を体現する花々自体のほうが、実ははるかに幸福なのかもしれない。

大映ブラボー

 先日みた、増村保造の「遊び」があまりに良かったので、同監督の「やくざ絶唱」を借りてきて見た。
 制作会社の大映は二昔前、「赤い」シリーズで有名だったが、さらに前に映画を作っていた頃は加えてバイオレンスとエロ炸裂、今でいうとVシネマ的な色合いがあった……ような気がする。昔は映像を見なかったのでよく知らないが。そのカラーにふさわしく、これも心理的兄妹相姦の葛藤を扱った作品だ。
 勝新太郎は実にいい役者だ、と思った(実は主演映画は初見)。紋切り型に閉ざされかねない作品を、野卑な生命力と分厚い存在感で力強く拓いてしまっている。この映画に関しては監督より役者の勝ち。
 生命力という意味では、大映の映画には少し前の韓国のような熱さを感じる。今の日本には縁遠い、アジアな濃さ。
 もしかしたら、時代も(そして自分も)「スチュワーデス物語」を大マジに見てしまう周期に回帰しつつあるかもしれない。オリンピックやら含めた昨今の世の中の動きに、国や人あるいは自分の来た道と積み残しとを捉えたいという漠たる願望を刺激されているのかもしれない。
 何はともあれ、増村保造の描く「生命充ちた女たち」をもっと見る予定。理屈抜きで好みの監督かも。

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 ここで思いだした。少し前、ビデオを見まくっていた理由を。
「嗤う伊右衛門」が、役者や監督に恵まれていてなお“カドカワ”だったので、ゲンナリして反動で見まくっていたのだった。トホホな記憶は豪快に忘れてしまう自分。
 撮影スタッフ喰わせるためだけって感じの様式固定(しかも淀んでダメダメな)映画を作り続けないでほしい>角川
 角川映画関連の撮影組は老害が蔓延しているのではないだろうか?
(しかも増村の遺作は角川映画だそうな。イヤげさと痛々しさが増す)

P.S. 角川は大映を吸収しているので、老害化してるのは増村監督が属してた大映から流れてきた組ということもありうる。それでもなお言う、「創ることを愛する者は、好奇心とチャレンジ精神を失ったら場を明け渡すべし。でないとそのジャンル自体が滅びるから」と。

炎天下の極楽

 昨日は上野のほうに友人と出かけた。石原豪人の展覧会と、科博のテレビゲームの展覧会。前者は併設の喫茶店のランチがおいしかったことなど含めてなかなか満足。だが後者は昨年の目黒でのファミコン20年展の二匹目のドジョウを狙ったもののようで、まったくモトが取れない内容だった。“テレビゲーム”の古いハードは懐古趣味的でよかったが。
 だが実際のところいちばん印象に残ったのは、不忍池に咲き乱れるハスの花とその香りだった。
 見渡すかぎりにハスだった。真夏に出かける性質ではないので、ハスに満ちた風景は初めて眼にした。
 合掌の形の大きなピンクのツボミ、甘く強く匂う美しい花。シャワーヘッドのような実もあちこちに。自分が水滴ならば乗りたいような、やわらかな緑色の葉もまたよし。
 やさしい色合いの花と甘酸っぱい香りに囲まれて、まだ涼やかな早朝だったなら極楽気分は間違いなかったろう。だが、イヤになるほどに暑かった。極楽往生な心地をたのしむより熱中症で天国行きを心配するほうがよほど切実なのは凡夫の悲しさ。極楽に逢うにも、きっと時がある。

時間の記録

 一週間ほど、ひたすらビデオを見ていた。忘れそうなのでタイトル列挙(リンク先はオールDVD)。「ピンポン」、「アダプテーション」、「鬼が来た!」、「フリークス」、「天国と地獄」、「es」、「」、「スパイダー」、「嵩山少林寺(紹介物)」、「街角のメルヘン(アニメ)」、「遊び」、「曼陀羅」……と、家人のセレクトも含めて、イロイロ。当然、作られた時代も描かれている時代もまちまちだ。
 映画は、時計上の時間だけでなく意識上の時間まで強制されがちなのが不愉快で、ハタチ過ぎるまで積極的には見なかった。最近は見られるようになったが、今度は忘れるようになった。意識が、『他人の時間』を吐き戻そうとしているのかもしれない。意識が受けつけられるのは、『自分の時間』だけだ。
 だから、しっかり覚えているシーンなんかは、他人の時間であって自分の時間でもある。そうやって、『ひとり』という檻を超えられた(作者側にとっては超えさせた)ように感じる一瞬は至福のときだ。
 人はそれをつよくつよく求める。錯誤だろうが何だろうが。

鈍牛

中原淳一の語録か何かで『おしゃれはすこし季節に先がけること』とあったので、やや秋色のデザインに(いや、またもとに戻すだろうけど)。同時に、断りもなくリンクを張ったり、書籍紹介を増やしたり。
今日は珍しく渋谷に出たので、美術書を立ち読みしまくった。満足。子供の頃の夢、豪華な美術書を金に飽かせて買いまくりたい、という夢がまた蘇る。現物ではなく美術書という辺り、つつましい&やや情けない。帰りには自由ヶ丘で途中下車してスフレを食べたりして。
賑やかな街に出て、先端的なものに触れると、なかなか刺激を受ける。受けるのだが、かつては 『うああああ!!』 と叫びたくなるような切実さがあったけれど、今はもうない。逆に、『他人は他人、スゴかろうがヘボかろうが何ぼのもんじゃ』 くらいに無関心になっている自分もいることを発見して、びっくりしてしまった。
目がどうやら、『自分の時計』 に向くようにはなってきている。これがただの感性の鈍磨や愚鈍化でなければいいなぁ、とも思うけれど、精神衛生的に快適さが増したのは、事実。

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