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2004年3月

わが鴉きょうだい

 手術痕が痛いからといって一週間も家から一歩も出ないと、さすがに印象に渇く。あまりに哀しいので、昨日は痛さを我慢して、50メートルと離れていない公園に桜を見に出たのだが……まるで咲いてなかった。
 桜が満開な頃に、またひょこひょこ来れるだろうか、と悲しい気持ちになっていたのだが、ツボミがたくさんついた枝が一本、二本、地面に落ちているのに気づいた。鴉が食いちぎったのだ。それをもらって帰った。咲くかどうかは知らないが、それなりに心やすまる。
 と、ここで話は一転するが、いわゆる18禁美少女ゲームのメーカーでアリスソフトというブランドがあり、そこのマスコットは可愛い女のコとユーモラスな鴉である。かわいらしい女のコの絵は普通のソフトブランドと変わりはないのだけどなぁ、などと思っていたが、ふと気づいた。 「要は鴉とあそんでるから……魔女か」 と。
鳩もかわいいが、鴉もけっこういい。加えていうなら野良ネコもいい。町中にもう少し野良の動物がいてほしいものだ。野良の動物がいないから、かわりに野良の人間が増えているのだろう。ある世界空間が成り立つ上で必要とされる役柄は一定だが、その役柄をどんな生き物が果たすかはどうでもいいのかもしれない。

極北のおはなし

もう一週間前のことだが、NASAがセドナを太陽系10番目の天体と認定したとかしないとか。
いろいろな意味で海獣にシンパシーを感じる身としては、このイヌイット神話にでてくる海獣の女神には異様に親近感があるので、なんだか変な感じである。
ずいぶん前にTVでイヌイットの暮らしを紹介する番組が放映されていた。それを見ていて、異様に印象に残ったのは、一家の婆ちゃんが、子供たちにおはなしをしてくれるのだが、そのお話が。
カラスが橇であそんでいた。
狼も真似して橇であそんだら、氷の割れ目に落ちた。
カラスは利口、狼は馬鹿。

……おい……と声をかけたくなるような、山もオチも意味もない話。
けれど、見渡す限り白い、白いばかりの単調な世界での話である。かろうじて3行目でお話っぽくしてあるけれど、たぶん彼らの先祖の誰かが(婆ちゃん本人でもいいが)、本当にそんな感じの出来事を見たのだろう。で、変化のない、雪と氷に閉ざされた生活のなかで、“変化”が繰り返し繰り返し語られたのだろう。
取るに足らない些細なできごと。それが、そのまま凍土に刻みこまれて、永遠性を帯びたようなヘンなおはなし。そこで反対に、おもう。取るに足らないできごと、など本来あるものだろうか?とか。
時間のなかで織られるものは、本来すべて、痛烈にうつくしい、比較しようもない唯一物ではあるのだろう。
このマヌケかつ清冽なおはなし、実はなかなか好きだったりして。
(ていうか暗記できるお話は圧倒的に正しいよね)

内臓というもの

また痛みがぶりかえしたりしてる。痛みというのは強力なもので、意識を自分のもとから決して手放そうとしない。気分を切り替えようとしても、なかなか許さない。なるほど、持病を抱えていた作家のトーンというのは、その人固有の痛みに負っている部分も大きいのだろうなぁ。
ちなみに切除した部分を写真に撮ってもらってあったので、見てみた。とてつもなくワケがわからない。肉屋にいってもそうそう内臓肉は買わないものだし、魚をさばいたのとはまた違う。血まみれではなくホルマリン漬けだし、別に手に触ったわけでもないので、何だか現実味がなく、シリコンでできた諸星大二郎デザイン妖怪フィギュアという感じにも見えた。キモチワルイのだが、何となく親しみが持ててしまう。親しみと嫌悪というのは微妙に仲良しなものだ。
こういうものをみんな毎日つつみこんで暮らしているのだなぁ、と思うと、なんだかキモチワルイのだが、そこはかとなく親しみが湧いてくる気もしないでもない。これから人様の顔を見たら、ホルマリン漬けの臓器など想起するといいかもしれない。何となくキモチワルく、しかしマヌケっぽく、そしてどこか親しみがもてる仲も、そう悪くない気もする。

またもや発見

あっという間に退院させられてしまった。……拍子抜けしている。本も持っていったのに、ほとんど麻酔で昏倒していて読むヒマなどなかった。まぁ、たいがいのことはそんなものなのだろう。
そしてひとつ気づいたことがある。実は自分はたいして本など好きではないということだ。いや、言い替えれば他人とマメに会う趣味も好奇心も持ち合わせていない、とでもいうべきなのだろうか。
かつては活字好きだと思っていたけれど、実は周囲の他人や取り巻く現実に満足できず、別の世界に耽溺していただけかもしれない。いや、耽溺も悪いことじゃないけど、それが役に立つとか教養になるとかタワけた考えで自分を騙してすり替えるのは、ちょっとビンボくさくて哀しい。だいたい『自分が生きていく上で都合のいい回りのひと』を『ともだち』だと自分をいいくるめるような人間関係にも似たようなウソくさい関係を無生物相手に打ち立てるのは、なんだか異様ではないか。
むかしむかし小学生の頃、今江祥智氏の「わらいねこ」だったろうか、創作童話の本がクラスの図書コーナーにあって、とてつもなく好きだった。あまりに好きだったので、学年が変わってもかつての教室に忍び入ってしばしば持ち出して読んだ。さらに好きだったので、どう表現すべきかわからず、大判で丈夫な表紙のその本を、うちに持って帰って、手あかで汚れた表紙を洗ってあげて返した。ぎっちり中味を覚えているかというとまったく心もとないが、間違いなくあれは親友であって、他の何者でもなかった。
耳なし芳一でもあるまいが、総身に彫り込んでいいくらい好きな文章になら、今後とも出会いたい。(……しかしこんな発想って、まるでヤンキーだ。せめて、この胸の銀の皿に永遠に消えない文字を刻みたい、くらいにしておくべきだったか?)

地を這うもの空を飛ぶもの

なんというか、年をとるというのは、樹木を見ていれば然りなのだけれど、水分がなくなっていくということだ。心や皮膚のうるおいがなくなり、涙が出なくなり汗を流さなくなり、何かというとひびの入りそうなお追従わらいを浮かべつ、傷みのせいでできた空洞をかばうようにねじくれ、それでも何とか地面に立っていたりするわけだ。
だが、それでも年をとるのは、捨てたもんでもないかもしれない。先が明るいと元気よく行動できるものだが、先がまっくらだと目が冴えてくるのも事実だ。そいでもって、ようやくわかってきたことは、自分は自分でしかないし、それで構わないということだったりする。
ヨノナカには、常にここではないどこかに人を連れて行こうとする波が打ち寄せている。もちろんそれは悪いことではない。ただ、そういう風にうまく乗れずに、さながらよたよたと甲板をあるくアホウドリのようなブザマな自分だったとしても、それもそれで、なかなかイイのではなかろうか。こういう自己認識における乖離というか分離は、誰にでも起きてくるものだとも思うけれど、ちょっと新鮮な感動をおぼえてたりする。
のろくさのろくさでも、むちゃくちゃでも、ヒトというのは、まぁ何とでもなるし、どうなったっていいようなもんなんだろう。というより、在るだけでも祝福されているようなもんだ。存在しないことと存在することのあいだは、どっちが幸福というのでなくても、大きく大きく隔たっているんだから。
さて、明日には入院。たのしみたのしみ☆

やや衰弱

ちとカラダがバランスを崩していて来週にはさくっと手術する予定だけれど、やはりあまり調子がよくない。しかし入院というのは初めてなので、(どうせ短期だけど)遠足のようにワクワクしつつ、持っていく本を検討している。
んで、人は衰弱するとついつい『死んじゃうのかな~』などと(全く命に別状はない病でさえも)想像してみたりするのだが、そうなると、純度が高くて滋味があって沁みこむ本が読みたくなったりする。年寄りが粥を欲しがるようなノリだが、これ見よがしのケレン味だとかは、なんか安手の添加物みたいで、弱っているときには鼻につく、邪魔だ。

 もしも、同じくやや傷みが来ていて同じくナンギな人がここに立ち寄った時のために、書いておこう。『奇跡 (書物の王国15)』という本は、おすすめ。シリーズ本の一冊でいろいろな短編が入っている。豪奢で華麗なものも、素朴で易しいものも、いろいろ取り合わせてある。けれども一貫して根底に流れているのは、とてもシンプルでくっきりとあざやかな、人を芯から揺り動かす、ほんものの“奇跡”の感覚だ。そこでまた編者さんの感性に感動したので、ネットを彷徨してしまったりして→石堂藍さんのサイト(そのなかの水の道標のコーナーには、幻想文学に関連した良きガイダンスも……ん~、ぜんぜん量を読んでないな自分(汗))。

 何というか、安手の根性が透けて見える売らんかな本ばかり食べてると、からだに悪い。
 こういう『まっとうな心根』をたたえた本を読むと、これもまさに奇跡だ、と思えて、にこにことうれしい。

たまには本のことなど

なにしろビンボー暮らし&ネット生活ばかりなもので、いきおい新刊など滅多に読まなくなる。最近の本というと、たまーにアマゾンの中古を漁ったりするくらいだ。主に図書館で何でも読む。取り寄せて読む。返す。また読みたくなる。借りる。読む。……あげくに購入するが、それもヤフオクとかだったりする。こんなヤツがいるから出版社がバタバタと潰れてしまうのだとも思うが、むかーしは一日一冊ハードカバーを買っていた時代もあるから許してほしい。そしてその頃よりもたぶん、一冊の本に注ぐ愛は段違いに濃くなっているとも思う。
んで、せめての罪滅ぼしに、ネットで見かけて買ってみた本の紹介など。神話、伝説、医学用語辞典という本だが、これは絶版。一冊売りもしてくれる(と思うが要問い合わせ)。こちらが無知なだけであろうが、出所がよくわからない初耳の神話エピソードなども入っていて、なかなか楽しめた。
いわゆる稀覯本・希少本フェチでもないし、そもそも数も読んでいない。横文字もロクに読めないし、全集を読破した作家だって一人もいない。長編小説を読むのは今は億劫だし、もともと実はドキュメンタリーのほうが好きだ。
それでも、石から絞り出した水のような、人の奥深いエッセンスのような、そんな本はとてもとても好きだ。そういうものがなくなったヨノナカなど、人が生きていけないほどにビンボったらしいヨノナカに決まっている。

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